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第二章 激闘の前に

第九話 生徒艦隊総旗艦と司令長官

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 タンタンタンタンタン・・・・・・・

 エンジンの音も軽やかに、一隻の内火艇が瀬戸内海を行く。艇尾に書かれている所属艦の名前は「かげろふ」・・・・・・・・・
そう、「陽炎」だった。
「ふう・・・・・なんで江田島くんだりまで呼び出されなきゃいけないのよ・・・・・・」
 わたし―初霜実は内火艇の艦長席から立ち上がって外を見る。
「まったく、遥先輩も話したいんなら自分の『伊―四〇〇』に呼び出せばいいのに・・・・・」
「まあまあ実、遥先輩が言うんだから何かわけでもあるんでしょ」
 隣に腰かけた永信が言う。
「そうだよね・・・・・」
 わたしもそう言うと、再び腰を下ろす。
「あの遥先輩、結構偉い人らしいしね」
 永信が言う。
「そうなの?」
「うん、お父さんが海上幕僚長だったっけかな?それでここに入ったみたい」
 うろ覚えだけど。って永信は言うと、外の景色を見た。
 わが呉開陽高等学校生徒艦隊旗艦の戦艦「長門」は呉を離れ、海上自衛隊第一術科学校生徒の見学を受けるために江田島に錨泊中らしい。
 教えてくれた第二艦隊司令の有賀功先輩は「うちの『陸奥』で送ってやろうか?」って言ってたけど、それくらいなら乗ってきた内火艇で足りる。
「もうそろそろ江田島だよ~」
 艇長の航海課、三原凛久がわたしたちに声をかける。
「ありがと」
 内火艇が江田島の湾内に入っていった。湾内に五隻の艦艇が停泊しているのが見える。
「自衛隊側からは『こんごう』か・・・・・・」
 永信がつぶやく。
「そうなの?」
「うん。アメリカ海軍以外が初めて保有したイージス艦。今は古すぎて練習艦に転用されているけどね」
 きっと退役したら記念艦隊に行くよ。と軍オタの永信が完璧に説明してくれる。
 その隣には、二隻の戦艦が錨を下ろしていた。この二隻なら呉開陽高校の所属艦だからすぐわかる。
「『長門』と『金剛』ね・・・・・・・」
 少し離れたところには、重巡「高雄」と軽巡「川内せんだい」も錨泊していた。

 トトトトトトトトトトト・・・・・・・・

 内火艇は二隻の戦艦を回り込むように舵を切ると、「長門」の左舷後部に用意された舷梯に着岸した。
「行くわよ」
 わたしは舷梯に乗り移ると、凛久に三時間後に迎えに来るよう言って上り始めた。
「了解」
 永信もわたしの後からついてくる。
「さすが戦艦・・・・・・・乾舷も高いわね」
 乾舷っていうのは、艦の側面で喫水線から上に出てる部分のこと。駆逐艦に比べて戦艦は格段に大きいから、当然乾舷も高くなっている。
 やっと最上甲板にたどり着いた。
「あ!実ちゃ~ん!こっちだよ~」
 向こうから遥先輩が歩いてくる。その後ろにそびえたつマストには、旗艦の象徴である八条旭日旗が翻っていた。
「お久しぶりです。なんでわざわざ『長門』にまで呼び出したんですか?」
「まあまあ、ついてきてよ」
 わたしが訊くと、遥先輩は右手をひらひらと振る。
「わかりました・・・・・」
「じゃ、行くよ~」
 わたしがうなずくと、遥先輩はわたしたちの先に立って歩き始める。
 巨大な第三、第四砲塔の横を通り過ぎ、遥先輩はさらに歩を進めていく。
「いったいどこまで行くのよ・・・・・・・」
 わたしがつぶやいた途端、わたしと永信の近くにぽわんとした光が現れた。
「み~の~り~!おひさー」
 中から一人の艦魂が出てくる。遥先輩がこっちを振り向いた。
「あ、長門~」
 え?もしかして・・・・・・
 永信が口を開く。
「遥先輩、艦魂が見えるんですか?」
「うん、そうだよ~」
 遥先輩が長門のほうを見る。
「あ、遥じゃん。久しぶり~」
 長門が遥先輩に手を振る。
「だね。久しぶり~」
 遥先輩が長門の頭をなでる。
「えへへ~、もっと撫でてもいいよ」
 長門は遥先輩にかなり気を許してるらしい。
「ずいぶんと長門はフレンドリーなのね」
「うん、元聯合艦隊旗艦っていうのが信じられない・・・・・・」
 わたしと永信が話してる間にも、遥先輩と長門はどんどん歩いていく。そして、艦の中ほどにある艦橋の根元にたどり着いた。
「実ちゃん、永信君、ここだよ~」
 ドアを開けて中に入っていく。
「は、はい・・・・・」

 カン、カン、カン、カン・・・・・・・・・・

 つづら折りの梯子ラッタルをのぼり、遥先輩が足を止めたのは、とあるドアの前。そこにかかっていた札の文字は・・・・・・・
「第一艦橋!?」
 永信が声を上げる。
 第一艦橋・・・・・別名「昼戦艦橋」。通常航行や日中の戦闘時に艦長が指揮を執るところだ。

 コン、コン、コン

 遥先輩がドアをノックする。
「はぁい?」
 中から女の人の声が聞こえてきた。
「『伊―四〇〇』艦長長谷部遥、駆逐艦『陽炎』より賓客をお連れした」
「あー、入っていいよ~」
 遥先輩が声をかけると、中からまた声がかかる。
「了解。さ、実ちゃんに永信君、どうぞどうぞ~」

 ガチャッ

 遥先輩がドアを開けて中に入っていく。わたしと永信も後に続いた。
「んあ・・・・遥、お疲れさん」
 わたしたちが艦橋内に入ると、一人の女子が艦長席から身を起こした。肩につけている二本の金線と三つの金桜の学年章・・・・・・水上艦艇乗り組みの三年生みたいだ。
「はつみ、また寝てたの?」
 遥先輩は胸ポケットからココアシガレットを取り出すと。艦長席のほうに歩いて行った。
「うん、ちょっと日差しが気持ちよかったし、最近徹夜続きだったから・・・・・・」
 はつみと呼ばれた人は遥先輩の差し出したココアシガレットを受け取ると、ポリポリとかじる。
「いくら出撃前で大変だからって言っても、無理はしちゃだめだよ~」
 遥先輩はココアシガレットの箱を胸ポケットにしまうと、はつみ先輩に手を伸ばした。
「わかってるって」
 はつみ先輩がその手を取って立ち上がる。そして、こっちを見た。
「えーっと、初めまして。なのかな?呉開陽高等学校生徒艦隊司令、三国はつみです」
 わたしはとっさに海軍式の敬礼を返した。
「第五駆逐隊司令兼駆逐艦『陽炎』艦長の初霜実です。よ、よろしくお願いします」
「まあまあ、そんなに畏まらなくてもいいし。何なら敬語なしでもいいんだよ」
 え?
「いやいやいやいや!先輩相手にそんなことするわけにはいかないですよ!」
 わたしは首をプルプルと横に振る。
「えー、じゃあ敬語でもいいけど、そんなに畏まった動作をするのはやめてね」
 そう言いながら、はつみ先輩がこちらに右手を差し出す。
「は、はい」
 わたしはその手を握り返した。
「じゃ、あなたのとこに潜水艦が増強された理由は食事しながら話しましょうか」
 はつみ先輩はそう言うと、艦橋の外に向かって歩き出した。



































 戦艦「長門」元士官用食堂。壁や天井に豪奢な装飾が施され、建造当時の姿が残っている。
「さ、入って入って~」
 軽々しく入っていくはつみ先輩。わたしと永信、遥先輩もそのあとに続いた。
 ここ、戦艦「長門」の元士官用食堂。内装は当時のままだけど、今は乗員全員が利用でき、ちょっとした食事もとれる休憩スペースになってる。
「ねえ、ちょっとした軽食を用意できる?サンドイッチとか」
 はつみ先輩は椅子に座ると、近くを歩いていた主計課の先輩に声をかけた。
「はいはい、たまにはしっかりしたのも食べなきゃダメだよ」
 主計課の先輩が烹炊所に去っていくのを見ると、わたしと永信ははつみ先輩の向かい、遥先輩ははつみ先輩の隣の椅子に腰を下ろした。
「遥、ココアシガレット一本ちょうだい」
「はいはい」
 はつみ先輩がココアシガレットを口にくわえる。そして、口を開いた。
「一応ね、わたしと遥で北上先生に頼んだんだ。『第五駆逐隊遠征部隊に潜水艦二隻を増派してくれ』ってね」
 えっ!?
「そ、そんなことしてくれたんですか!?」
「・・・・ん」
 はつみ先輩は首を縦に振る。
「お待たせ、具はハムと昨日のあまりのチキンカツでよかった?」
 さっき注文を受けた主計課の先輩が四人分のお皿を持ってきた。
「うん、ありがと」
 はつみ先輩はそう言ってお皿を受け取ると、みんなの前に置く。その中身を頬張ると、口を開いた。
「ふぉもふぉもね・・・・・・・(そもそもね)」
「こらっ!」

 パシッ

 口にサンドイッチを頬張ったまま話し出すはつみ先輩を遥先輩がはたく。
「口にものを入れたまましゃべらないの。みっともないでしょ」
 はつみ先輩は大急ぎでサンドイッチを飲み込むと、再び口を開いた。
「うんっ・・・・・・」
 完全にサンドイッチを飲み込んだみたいだ。
「いうまでもないと思うけど、あなたたちの第五駆逐隊も所属する第二水雷戦隊はわたしの率いる第一艦隊の直卒なの」
「は、はい・・・・・・・」
 はつみ先輩はにっこり笑うと首をかしげる。
「隷下の艦は一隻も沈めない。そして戦果も挙げる。当然でしょ?」
 はつみ先輩は笑顔だったけど、目が笑ってなかった。
「は、はい・・・・・・」
 永信が引きつった笑顔で返す。
「んあっ・・・・・・」
 その様子を見ながらはつみ先輩はサンドイッチを口に放り込むと、一気に飲み込んだ。目が元に戻る。
「ま、第五駆逐隊に潜水艦が増強された理由はこんなとこ。じゃ、ゆっくりと『長門』を見てってちょうだい」
 遥先輩が主計課に頼んでサンドイッチお持ち帰り用の容器を調達してきた。
「は、はい・・・・・・」
 わたしはそう言うと、遥先輩からサンドイッチの入った袋を受け取る。
「それでは、わたしたちはこれで失礼します」
 はつみ先輩に敬礼して士官用食堂を出た。
「わたしも舷梯まで見送るよ~」
「この『長門』の広さじゃ迷子になるでしょ?」
 遥先輩とはつみ先輩も立ち上がる。
「え!?いいですよ!」
 永信が慌てて両手を振るけど、二人はわたしたちの前に立って歩きだす。
「あなたたちが迷子になったら、内火艇の艇長さんが心配するでしょー?」
 遥先輩がこっちを見て言う。
「『大和』ほどではないとはいえ、この『長門』も大きいからな」
 はつみ先輩が言うけど、「長門」も充分に大きいと思います。
 艦内に張り巡らされた配管を見つつ廊下を曲がり、階段を上る。そして、最上甲板にたどり着いた。
「あ、艦長!お疲れさま!」
 凛久が舷梯の端っこに立って手を振る。
「ありがと」
 そう言うと、先輩たちの方を向いた。
「本日は、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
 永信と同時に敬礼する。
「いえいえ~」
「なんてことないよ」
 遥先輩とはつみ先輩が手を振った。
「それでは、またお会いしましょう」
 わたしと永信は二人に敬礼すると、舷梯を降りた。















 永信と実が去った戦艦「長門」最上甲板。
「ふう・・・・・・・・」
 左舷後部にかけられた舷梯の前、二人の女子高生が並んで立っている。
「お疲れ、はつみ」
 片方がため息をつくと、もう一人が胸ポケットからココアシガレットを取り出して渡す。
「ありがとう、遥」
 はつみと呼ばれた女子高生は、ココアシガレットを受け取ると口にくわえた。
「そういえば、あの子たちをわざわざここに呼んだの、説明するためだけじゃないでしょ」
 遥と呼ばれたもう一人が問う。はつみは少しだけ肩を震わせた。まるで「図星だ」とでも言うように。
「さすが遥。生徒艦隊一の切れ者と言われるだけあるね」
 はつみが笑うが、その目は全く笑ってなかった。
「とりあえず、味方を増やしておきたい。ってとこかなぁ」
 はつみがそう言うと、ココアシガレットを一気に口に放り込む。
「『味方』・・・・・・・・?もしかして、有賀君とのこと?」
 遥香が訊くと、はつみは咀嚼音を立てながらうなずいた。
「そう、今のとこわたしに対抗できるのはあいつだけよ。だから、少しでもこっち側の味方を増やしておきたいの」
「ふ~ん。ま、わたしには関係ないことだけどね」
 遥香が興味なさげに言う。
「まあ、遥の力借りなくてもわたしはなんとかできるからね」
 はつみが舷梯に背を向けて艦橋に向かう。
「まだあの子たちは、生徒艦隊ここの闇を見せるには早すぎるよ」
 はつみがぼそりとつぶやいた言葉は、遥の耳には届かなかった。
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