アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1

七日町 糸

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第三章 激闘の中へ

第二十六話 戦いの意味

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「こちらが、私の乗艦、駆逐艦『陽炎』。陽炎型駆逐艦の一番艦です」
 カンザキがわたしの前方に見える艦を指して言う。
 駆逐艦「陽炎」と岸壁の間には舷梯がかけられ、明日からの公開に向けた準備が始まっていた。
「これが噂に聞く陽炎級カゲロウ・クラス・・・・・・」
 わたしーカッシン・ヤングは舷梯の前に立ち、その艦体を見上げる。
「ここまで太平洋を横断してきた割には、やけに塗装がきれいじゃない・・・・・」
「あぁ、それはですね・・・・・・・」
 わたしの質問に神崎が答えようとした瞬間・・・・・
「副長!」
 さえぎるように声がかかる。
「もうお帰りですか!?」
 塗料が入っていると思しきペール缶、それを両手に持った少年が近づいてきた。
「猿島!内外舷塗粧は終わったのかい?」
「ああ!うちの内務科にかかれば、こんなの楽勝よぉ!」
 カンザキが軽く右手を挙げて言うと、サルシマと呼ばれた少年は、にこにこと笑いながら口を開いた。
「そうか。さすがは塗装屋の息子だね」
「ありがとう!」
 カンザキがほめると、彼はそのまま舷梯を上っていく。
「あ、神崎君お帰り~」
「あとでお土産待ってるぞ!」
 そのまま舷梯前に立っていると、長い柄をつけたローラーや刷毛を持った乗組員たちが次々と艦内に消えていく。
 そして、その後にはピカピカになった舷側が残された。
「まあこんなわけで、公開や式典の前日には塗装を塗りなおしてるんです」
「ずいぶんとマメなのね」
 わたしが言うと、カンザキは肩をすくめた。
「では、艦内に参りましょうか」
 わたしの先に立って舷梯を上っていく。
「でも・・・・」
 わたしはカンザキには聞こえない声量で言う。
「艦魂って、別の艦に移るとき、相手の艦魂が拒否したら入れないんだよね・・・・・」







 ボストン港に停泊中の駆逐艦「陽炎」。その艦橋の一番上、屋根の縁に一人の少女が腰かけている。呉開陽高校の九五式第一種制服を着用し、肩ほどで切りそろえた黒髪に水兵帽。そのペンネントには、「第十八駆逐隊」と右からの横書き、旧字体で刺繍されていた。
 彼女の口が動き、歌が紡がれる。
「♪隧道トンネル抜けて現るる 横須賀港の深緑 潮に浮かぶ城郭は名も芳しき敷島艦・・・・」
 異国の侵略から国を守った防人をたたえる歌。その声は、アメリカの潮風に乗って遠くまで響く。
「♪大和の国のしずめとぞ思えばそぞろ尊くて 広間の中に降り立てばはや宮殿の心地せり」
 ボストン港は市民の憩いの場でもあり、市街地から伸びる遊歩道も整備され、おりしも昼休みを得た市民たちが昼食をとり、くつろいでいるところであった。
 しかし、誰一人として少女の歌声に耳を傾けない。いや、聞こえないのである。彼女こそが、駆逐艦「陽炎」に宿る艦魂、陽炎であった。
「ん?」
 陽炎が眉をひそめる。艦魂の本能が、来訪者の存在を告げていた。
「この気配は・・・・同じ艦魂か。まあ、アメリカに敵艦がいるわけでもないし、別にいいでしょ」
 そう言った瞬間、舷梯のたもとに温かみのある光があふれる。
「ふぅ。ここがカゲロウね・・・・」
 光の中から、一人の少女が出てきた。アメリカ海軍の水兵用軍装を身にまとい、肩ほどで切りそろえた金髪に水兵帽をかぶっている。
「!」
 相手が陽炎のほうを見る。次の瞬間、、転移の技を使って、陽炎のすぐ横に移動していた。
「あなたがこの駆逐艦『陽炎』の艦魂ですね?」
 陽炎がうなずくと、彼女は敬礼して続ける。
「初めまして、わたしはアメリカ海軍駆逐艦、艦番号『DD-793』。Ussカッシン・ヤングです。フレッチャー級百六十四番艦。あなたの噂はかねがね聞いていた」
「ひゃっ、百六十四番艦!?」
 陽炎の顔に、驚愕の表情が浮かんだ。
「ん?駆逐艦の建造数としては、比較撃普通なのでは・・・?」
「普通じゃないです!わたしの姉妹は十九隻ですけど、それでも多い方ですよ!」
 カッシンの言葉を即座に否定する陽炎。
 ちなみに、姉妹艦数日本一を誇るのは、松型駆逐艦の三十二隻。それでも、フレッチャー級の足元にも及ばない。
「こういうのを見ると、やっぱり工業力の差を感じずにはいられません・・・」
 陽炎が空を仰いで言う。
「でも、貴国の艦や飛行機は、とても美しい・・・・・」
 カッシンが陽炎の本体を見て言った。
「・・・まるで、職人が一つ一つ丁寧に仕上げた、一点物の猟銃ね」
「一点物故に、とても苦労しますよ。同じ型でも部品の削り合わせが必要だったり・・・・・」
 そう答えると、陽炎は腰の拳銃嚢から南部式拳銃を取り出し、カッシンに渡した。
「この銃も美しいでしょう?南部式大型拳銃です」
「確かに、とても機能美を感じるな・・・」
「でも、同じ南部式でも一つ一つに細かな差があって、別の個体同士で部品を交換しようとしても、すり合わせをしないとはまらないんです」
 カッシンに拳銃を返してもらいながら、陽炎は言う。
「日本は、これが原因で負けたと言っても過言ではないです・・・・・」
 カッシンは何も言わない。
「・・・・そもそも工業力、国力共に劣っていたんですよ。戦場で必要なのは、高性能な一点物じゃなくて、性能は平凡でも、大量生産ができる工業製品です。日本が作ったものは、高性能な一点物ばっかりです」
「それでも・・・・」
 カッシンが口を開く。
「貴国の兵器は美しい。ヤマトも、ゼロも・・・・」
「美しいだけじゃ、戦争に勝てませんよ」
 陽炎が言った。
「美しいものに限って、どこかに致命的な欠点があるものです」
「そうだろうか?日本は強かった」
 カッシンが昔を懐かしむように言う。
「そうですか?」
 陽炎もまた、昔を懐かしむように目を細めた。
「日本は、人の力に頼りすぎてますよ」
 かつての記憶を手繰り、ほんの少し生まれの遅い異国の後輩に話す。
「零戦も、腕のいいパイロットが乗れば、それは無敵でしょう。ただ、下手くそが乗れば、それはただの落としやすいカモです」
 陽炎は、淡々と述べていく。
「あなた方の言う『Turkey shoot』と言うものです」
「なるほど・・・・・・・」
 カッシンがうなずく。
「ところで、あなたに訊きたい」
「なんですか?」
 カッシンの方を向く陽炎。
「あなたは、なんのために戦った。そして、なんのために、これから戦場に赴くのだ?」
「『なんのために』ですか・・・・」
 少しうつむき、考える。そして、口を開いた。
「守りたかったんです。皆を」
「守りたかった?」
「ええ。カッシンさんも、自分の進水式に一般市民が招待されたりしたでしょう?」
 うなずくカッシン。
「その時の皆さんの顔が、とても笑顔で、わたしに対する期待に満ちていたんです」
 カッシンは黙って、陽炎の言葉を聞いていた。
「その期待にこたえたい。この笑顔を守りたい。それが、わたしが初めて思ったことです」
 航続距離が短く、長距離侵攻作戦に向かなかった朝潮型。その欠点を改善し、艦隊型駆逐艦の新たなベースとなるべく建造された陽炎型。その一番艦である陽炎には、多くの期待がかけられていた。
「ニイタカヤマノボレを受信したときも、それほど驚きは感じませんでした。『あぁ、とうとう来るべき時が来たな』と言ったような感じです」
「負けるという可能性は考えていなかったの?」
 カッシンが問う。
「それは少し頭をよぎりました。でも、戦わないで滅びるよりは、戦って滅びる方がマシだと思えたのです」
「どういうことだ?」
 カッシンが眉をひそめた。
「ABCD包囲網が完成し、援蔣ルートを無力化できなかった時点で、日本の未来は決まってきました。わたしは、こう思ったのです。『戦うも亡国、戦わざるも亡国。ならば、戦っての亡国が一番良い』と・・・・・」
「なかなか理解できない。これが戦勝国と敗戦国の差?」
「それもあるかもしれません、しかし・・・・・」
 陽炎は、一旦言葉を切る。
「・・・国民性の違い。とも見ることはできると思います」
「国民性の差?」
 眉をひそめるカッシンを見、陽炎は続けた。
「日本人と言うのは、全員で一致団結して何かをやることに長けている民族です。しかし、それは、逆に、『何人も集まれば、その中での流れに流され、一つの方向に突き進んでしまう』と言うことでもあります。あの戦争の前が、まさにそうでした」
 陽炎が生まれたのは、1938年。日中戦争開戦から一年ほどたち、国民の間には連勝による楽観的な空気が漂っていた頃であった。
 そんな中で建造された陽炎にとって、これまでの日本の勝利はゆるぎなく、永遠に続くように思えたのであうか。
「戦いに、あまり意味は見出していなかったです。命令されたからやるだけです。あの時までは・・・・・・」
 陽炎は淡々と言葉を紡いでいく。
「でも、あの空襲を境に、わたしは戦う意味を見つけました。それは、『守るために戦う』と言うことです」
「あの空襲?」
 空母を護衛していたカッシンにとって、艦載機による日本本土への空襲は何回もあったことであり、陽炎がどの空襲のことを言っているのか分からなかった。
「あなたの生まれる前。その後、ドーリットル空襲と言われたものです。本土がやられたのは、これが初めてでした」
「あぁ。その話ならエンタープライズさんから聞いたことがある」
「その時わたしは、おのれの無力さを実感しました。それと同時に、どことなく本土とは遠いものであった戦争が、急に、本土の住民の命とつながっているように感じたのです」
 カッシンが首をひねる。
「どういうこと?」
「確かに、自分の生きている間に自国の本土が脅威にさらされなければわからない感情かもしれません。では・・・・・」
 陽炎は指を一本立てて言った。
「あなたの国で言うなら、西海岸に日本艦隊が海上封鎖中。大西洋もドイツとイタリアに抑えられていて同盟国イギリスとの連携すら取れない。日本軍は今にも大挙して上陸するかもしれない・・・・・・」
「ヒィッ」
 カッシンの顔から血の気が引く。
「わたしが想像した敗戦直前の日本の状況を、帰国に置き換えると、そんな状況です」
 陽炎があくびをしながら言う。
「酷いものね」
 カッシンが青ざめた顔で言った。
「そんなふうにならないために、わたしたちは戦ったんです。そして、今回の大アッシリアを見逃しても、いずれは日本本土に危険が及ぶと考えています」
 だから。と言って陽炎は続ける。
「そうならないように、わたしたちは戦うんですよ。その過程で行ったことが正しいかどうかは分かりませんが」
 カッシンの目を見つめた。
「わたしもあなたに訊きたい。先の大戦でわたしたちがとった行動は正しかったの?わたしたちがこれからしようとしていることは正しいの?」
「それは、わたしが判断することじゃない・・・・」
 青空を見上げるカッシン。
「・・・・歴史が、判断してくれるだろう」
「歴史が判断してくれる・・・・・・ですか」
 陽炎は返答すると、青空を見上げた。















 一方そのころ、艦橋にて・・・・・
「ただいま~」
 永信が艦橋の中に入ってくる。
「おかえりなさい。早かったじゃないの」
 わたし―初霜実はその方向をチラリと見ると、手元の紙挟に視線を戻した。
「この艦にお客さんがいらっしゃってるからね。実ならわかるでしょ?」
「は?」
 永信の後ろには誰もいない。「実ならわかる」ってことは、艦魂だろうけど、影も形もない。
「え?後ろにいるカッシンが見えない?」
 永信が不思議そうに首を傾げ、わたしがうなずく。
「実ったら、柄にもなく冗談を・・・・・えぇ~っ!?」
 笑いながら後ろを見た永信が、素っ頓狂な声を上げて目を見開いた。
「ほらね。言ったでしょう?」
 わたしが言うと、永信は顔面蒼白になって考え始める。
「舷梯の前で猿島と行き会ったとこまではいたよな・・・・。舷梯を上ってからも、いるものだとばかり思ってたけど・・・・」
「後方に注意してないと、あっという間に墜とされるわよ」
 わたしが言った時・・・・・・
「でね。うちで艦魂が見えるのは、艦長の実さんと副長の永信さんだけなの」
「一隻に二人もいるのは珍しいな」
 上から聞こえる声。

 トントン

 無言で手をのばし、永信の肩を叩く。
「?」
 振り向いた永信に、上を指さして見せた。
「!」
 永信が目を輝かせ、天井へのハッチの留め金を外す。

 バコッ!

 久しぶりに開けたハッチから潮風が吹き込み、わたしの髪を少し揺らした。
「カッシン!そこにいたのですね」
 永信がハッチから身を乗り出して言うと、永信はすぐに顔を引っ込める。
「ハッ!」
 ハッチから黒革靴を履いた足が覗き、それに続くように、アメリカ海軍の水兵用軍装を身にまとい、水兵帽をかぶった艦魂が姿を現した。
「アンタが初霜提督だね?」
 わたしがうなずくと、彼女は敬礼して続ける。
「初めまして。わたしは駆逐艦『カッシン・ヤング』の艦魂。あんたの噂はアマンダから聞いていた」
「アマンダさん?空母『イントレピッド』艦長のアマンダ・サトウ中佐のこと?」
「ええ。一応、イントレピッドがボストンに入港したこともあるから」
 カッシンは少し笑みを浮かべながら言う。
「そう。なんて言ってた?」
「百年に一度、いるかいないかの逸材だってさ。『東郷平八郎の生まれ変わりかもしれない』なんて言ってたよ」
「へぇー」
「初霜提督、いたく気に入られたねぇ」
 カッシンが胸ポケットから煙草を取り出すと、口にくわえて火をつけた。大きく吸い込み、煙を吐き出す。
「ぷはぁ~」
 心底美味そうな顔をしていた。
「煙草を吸う艦魂は初めて見たわね」
「わたしだって普通は吸わない。一人でいるときだけ」
 カッシンが煙草の箱をポケットに戻しながら言う。
「コンスティチューション閣下は煙草嫌いだからね・・・・」
「わたしだって昔は吸ってましたよ」
 カッシンに続いて降りてきた陽炎が口を挟む。
「今は、『教育用に学校に配備されている』じゃないですか。だから、『青少年の健全ななんちゃら』に悪影響を与えないように、そう言うのは、やめてるんですよ」
 陽炎の話によると、ほとんどの艦魂(第二次大戦ごろまで)は、乗組員の影響で喫煙や飲酒に手を出すことが多いらしい。
「で、その酒とか煙草はどこから?」
「それはですね、ちょっと酒保からギンバイして・・・・」
 やっぱりね。
「で、その罪を前島特務中尉になすりつけていたと・・・・・・」
「な!?なぜそんなことまで分かるんですか!?」
 目を見開く陽炎。
「どうせそんなことだろうと思ってたわ。わたしだって、前島さんとは案外話すのよ?」
 わたしはそう言うと、カイロを仕込んだポケットに手を突っ込んだ。空調なんて贅沢品、この艦の艦橋にはついてない。
「このことは、どうか内密に・・・・・・」
「え~?どうしようかな~」
 懇願する陽炎を横目で見ると、わたしはカッシンのほうを見た。
「改めて、初めまして。わたしは呉開陽高等学校生徒艦隊第二水雷戦隊第五駆逐隊司令兼駆逐艦『陽炎』艦長、初霜実。我が艦は貴艦を歓迎するわ」
 そう言うと、ポケットから右手を出し、カッシンの方に差し出す。
「ありがとう・・・ん?」
 カッシンがわたしの右手を握り、何かに気づいたような表情をする。握手を解いた時、彼女の右手には、真鍮製のコインがあった。
「アンタたちもチャレンジコインってするんだね。もらったのはひさしぶりだよ」
 カッシンに渡したのは、「チャレンジコイン」と呼ばれるメダル。米海軍の伝統でもあるらしく、呉開陽高校でも各艦ごとにそのロゴマークをデザインしたものが作られている。ちなみに、艦長や副長、艦隊司令レベルになると、自分専用のデザインがあったりする。

 うちのデザインは、こんな感じに、金地に旭日の意匠。そこに、錨と「陽炎」進水日の誕生花であるコスモスをあしらったもの。上部に「Kure Kaiyo student Fleet」の文字、下部に艦番号と艦名がローマ字で刻印されている。
「あと、ついでにこっちもあげる。第五駆逐隊司令としての個人用メダルよ」
 わたしはもう一枚、ポケットからチャレンジコインを取り出すと、カッシンに渡した。
「ありがとう」
「これ、ほとんど渡したことないから、将来高く売れるわよ」
 お礼を言うカッシンに、わたしは冗談交じりに返す。
「いや、売るなんてとんでもない・・・・・」
 カッシンがわたしのチャレンジコインを見て言った。
「・・・・しかるべき時が来たら、コンスティチューション閣下に頼んで、収蔵品に加えてもらう」
 は?
「ちょっとちょっと!そんなに価値無いって!」
「いや、このデザインは素晴らしい。ルーブル美術館にあっても、違和感はないだろう」
 カッシンはそう言うと、ポケットにコインをしまい込む。
「まあ、いいわ。カッシン、うちの食事をご馳走してあげるから、艦長公室で待っていなさい。陽炎も一緒にね」
 わたしはそう言うと、永信を伴って艦橋から出た。
 階段を降り、艦の下層に向かう。
 そして、烹炊所に隣接して設けられている酒保に入った。
「真央、いる?」
「はいはーい。何をご所望ですか?」
 中に入って言うと、棚の奥の方から声が聞こえ、足音が近づいてくる。
「出前の注文に来たの。やってる?」
 棚の間から出てきた少女に、わたしは言う。
「やってるやってる。で、何が欲しい?」
 そう言って笑うコイツは、酒保長の古鷹真央。六桁までなら暗算できるという、人間コンピューターみたいなヤツだ。
「艦長公室にラーメンを四人前。頼めるかしら?」
「OK、主計長!ラーメン四人前を出前で!」
「はいよ!」
 真央が烹炊所に向かって叫ぶと、烹炊所の中から、主計長の声が聞こえた。
「じゃ、八百円、頂戴いたします」
「はいはい。一杯分、領収書をお願い。永信宛ね」
 わたしはそう言うと、財布から八百円分取り出し、真央に手渡した。
「毎度あり~」
 真央が小銭を数え、金庫にしまう。
 この酒保では、学校からの補助でいろんな商品が安く買える。陸じゃ高級品のハーゲンダッツも、ワンコインで売っている時があったり・・・・。
 ちなみに、生徒艦隊では給糧艦のアイスのほうが美味いから、仕入れられた市販のアイスは売れ残る傾向にあるらしい。
「じゃ、できたら艦長公室まで届けてね」
 わたしは真央に言うと、艦長室に向かって歩き始めた。
 艦長室のドアを開け、中に入ると・・・・・・
「カッシンさん。ここにある本はなんでも読んでいいんですからね」
 中から聞こえてくる陽炎の声。何か嫌な予感がする。
「へぇー、わたし、日本の漫画は好きなの。日本語で読んでみたかったから、助かる」
 カッシンの声がして、紙をめくる音が聞こえた、
「Oh・・・・・」
 カッシンの声。再び、嫌な予感がする。
「これは、イギリス人には見せない方がいいわね・・・・・・」
 もしかして・・・・・

 バン!

 わたしは急いでドアを開けると、中に入る。
「それは・・・・・・・!!」」
 カッシンが呼んでいたものは・・・・・
「わたしが集めていた『HELLSING』・・・・・!そんなの読んでたの!?」
 ナチス関連の非常にヤバい内容から、「スタイリッシュ国際問題」などと言われたマンガ「HELLSING」。特に、イギリス人には見せてまならないような内容になっている。
(できれば、アメリカ人にも見せたくはなかったんだけどね・・・・・)
 わたしはため息をつくと、カッシンに近づく。
「カッシン、あんた、日本の料理って食べたことある?」
「あぁ・・・・。日本の商船から、たこ焼は教わった」
 ふーん、それくらいねぇ・・・・
「カッシンは、そのほかに日本食は食べたことはある?」
 首を横に振るカッシン。
「じゃあ、楽しみにしていなさい」
 わたしはそう言って、自分用の椅子に腰かけた。
「・・・わたしの思う、最高の日本食を食べさせてあげるわ」
「ほう。それは楽しみです」
 カッシンが言う。
「できるまで、少し待ってなさい」
 そう言うと、わたしはカッシンの手から「HELLSING」を取り上げ、段ボール箱に戻した。
「そう言えば・・・」
 陽炎のほうを見る。
「前島さんはどうしてるの?」
「さあ?」
 陽炎が首をかしげた。
「いつも一緒にいるんじゃないの?」
「う~ん、いつも一緒にいたら、疲れるじゃないですか。適度な距離は保ちますよ」
 熟練夫婦の距離感みたいね・・・。
「まあ、戦時中から一緒にいますからね」
 陽炎はそう言うと、水筒から紅茶を飲んだ。

 バン!

 ドアが開いた。
「出前でーす!」
 真央が両手におかもちを提げて入ってくる。
「ありがとね」
 わたしはそう言うと、おかもちの中身を受け取った。
「ごめんね、こんなものしか用意できないけど・・・・」
 カッシンの座る前の机に置く。
「いや、感謝する・・・・・これは何だ?」
 カッシンが首をかしげた。
「うちの主計長特製ラーメンよ」
 わたしはそう言うと、陽炎と永信にも、自らの分をとるように言う。
「わーい!実さんの奢りー!」
 喜ぶ陽炎。
「永信。はい、これ。よろしくね」
 わたしはこっそり、永信の手に領収書を握らせる。
「はいはい、食べた分は払いますよ」
 ため息をつきながら受け取る永信。長年の付き合いから、何を言っても無駄だと悟っているみたいだ。
「さ、遠慮しないで食べなさい」
 わたしはカッシンに食べるよう促すと、その対面に座った。

 ぱきっ

 ラーメンについてきた割り箸を割り、手を合わせる。
「いただきます」
 カッシンのほうを見ると、カッシンは両手の指を組み、瞳を閉じてブツブツと何かを言っている。キリスト教の食前の祈りだろう。
「そんなに時間をかけているとのびるわよ」
 そう言って、どんぶりの中に箸を滑り込ませる。ふわっと立ち上った湯気の中に、鰹出汁の香りがした。
(うん、今日もいい香り)
 心の中でつぶやき、麺を口に運ぶ。常に海の上にいる艦の特性上、普通の細内うどん乾麺を使うことが多いけど、「陽炎」では、主計長のこだわりで本格的な中華麺が使用されている。
 横を見ると、永信がさも当然といったような顔をして座り、麺をすすっていた。
「ふぉいふぃいふぇす(美味しいです)!」
 口いっぱいに麺をほおばった陽炎が言う。
「食べながらしゃべらないの」
 注意するわたし。
「これがラーメンね。早速いただくとしよう」
 カッシンが箸を手に取り、麺をすくう。
 口に運び、すすらずに口に含んだ。
「美味しい。なんだかわからないけど、とにかく美味しい」
「でしょ?うちの主計長がこだわってるからね」
 わたしはそう言うと、さらにラーメンをすする。
「へぇ・・・・・」
 カッシンが言う。そして、さらに麺を口に含んだ。
「初めて食べたけど、気に入った。ありがとう、アドミラル・ハツシモ」
「その呼び方はやめなさいよ。カッシン」
 わたしはそう言って、やっと陽炎ラーメンを味わうことができた。
 ぶっちゃけ、わたしは敬称で呼ばれることは好きじゃない。特に、同じ艦の仲間からそうされるのは、吐き気がするほど嫌いだ。
(そういう意味では・・・・・・・)
 永信を見る。
(こいつだけは敬称なしでいつも呼んでくれる)
 そういう意味では、いつも感謝している人物でもある。操艦とかはダメダメだけど。
「あっ、そういえば・・・・・」
 陽炎が丼に残ったスープを飲み干して言う。
「カッシンさん、実さんにもアレ、訊かなくていいんですか?」
 なんだろう。・・・。
「あぁ、そうだった・・・・・」
 カッシンが口元をハンカチで拭いながら言った。
「実殿。あなたは、なんのために戦うのだ?」
「なんのために。ねぇ・・・・・」
 わたしは少し考えると、口を開く。
「そういうのは、あんまりないかなぁ。理由なんて後で考えるわね」
 カッシンが、少しだけ目を見開いた。
「そういう人間は初めて見た。少しだけ予想外だったな」
 今まで会った軍人のほとんどは、強い意志を持っていたから。とカッシンは言う。
「そういうこと考えると、怖くなっていくのよね・・・」
 わたしはそう言うと、あっという間に食べ終えたラーメンのスープを飲み干した。
「『何かを守ろう』って考えるでしょ?そうすると、その守りたかったものが守れなかったときを想像して、怖くなるの」
 カッシンがうなずいた。
「だから・・・」
 箸をおくわたし。
「・・・・戦う理由なんて考えないの」
「なるほど・・・」
 うなずくカッシン。
「ちょっとだけ言わせてもらうけど、わたし、艦橋の屋根の上でカッシンと陽炎がしてたやり取りも聞いてたの」
 陽炎が目を見開いた。
「あんたたちは何年も生きてるから、そういうことが言えると思うんだけど、わたしはまだ十七年しか生きてないの」
 そう、忘れてはいけない。陽炎やカッシンは、見た目こそ少女だけど、中身は八十歳越えのおばあちゃんだってことを・・・・
「そんな境地には達してないわよ。わたしも、この艦のみんなもね」
 そういうと、食器を置く。
「だから、わたしが意識していることはただ一つ。この艦の、この艦隊のみんなを、無事に母港へと返すことよ」
「そう・・・・」
 カッシンが少しだけ微笑む。
「あ、そういえば・・・・」
 陽炎がニヤニヤしながらカッシンを見る。
「カッシンさんには、特別な人はいますか?」
「いないけど・・・・?」
 不思議そうな顔をするカッシン。
「じゃあ、艦魂が見える人は・・・・?」
「いなかったよ。そもそも、あたし達が見ある人間は希少だし、イントレピッドさんとか、サラトガさんとか、何千人も乗員がいる艦でもいないくらいだし」
 そういう意味では。と言葉を継ぎ、カッシンはわたしと永信を見た。
「初霜提督たちは珍しいよね。同じ艦に二人も乗ってるなんて」
「確かにそうね。うちの艦隊にはそういう人が多い気もするわ」
 わが第五駆逐隊で調べた結果、「陽炎」にはわたしと永信の二人、「天津風」には光葉の一人、「島風」では航海長の村雲誠、「白露」では砲術士の由利月華など。一応、各艦に一人以上は艦魂が視認できる人はいるらしい。
「例年、何かに吸い寄せられるように集まってくるのよね。この部隊に」
 実際に、他の部隊には艦魂が視認できる人間はほとんどいないらしいし、人智を超えた何かの力が働いているようにも感じる。
「そんな訳ないでしょうけどね・・・・・・・」
 そう言ったわたしのほうを見る陽炎。
「どうしましたか?」
「いや、何でもないけど・・・・」
「そうですか。それはさておき・・・・・」
 陽炎がどこからかサイダーの便を取り出し、机に置いた。
「それ、どっから持ってきたのよ・・・・・」
「ちょっと酒保からギンバイしていただいてきました」
わたしが問うと、彼女は悪びれもせずに言った。
「はぁ・・・・・」
 わたしは大きくため息をつく。きっと今頃、このサイダーの代金は「艦魂の摩訶不思議な力」によってわたしのツケにされてる。
(あぁ、また資金が減っていく・・・・・・・)
 陽炎が、上目遣いでこっちを見た。
「お願いします~」
「もう、仕方ないわね」
 こういうとこ、陽炎はほんとにズルいと思う。わたしが持っていない愛嬌とか、可愛らしさとかを全部持ってるんだから。
「やったー!」
 喜ぶ陽炎。
「今だけだからね」
 そういいつつも、わたしは都合三十回ほど陽炎におごっている。陽炎の愛くるしい顔で見つめられると、どうしても断れないの。
「はーい」
 彼女は平然とした顔で言うけど、明後日には酒保からアイスでもギンバイするんだろう。
「!!」
 永信が何かに気づいたように入口のほうを振り向くと、腰の軍刀に手をかけて席を立った。
誰何だれか!?名を名乗れ!」
「あぁ。そうだった」
 扉の向こうから、少し気の抜けたような声が聞こえる。
「この声は・・・!?」
 カッシンが目を見開いた。
「日本では挨拶をしないとスゴイ・シツレイになるんだったね。ニンジャスレイヤーで読んだよ」
 そう言いながら、一人の女性が姿を現す。
「閣下・・・・・!」
 カッシンが慌てて立ち上がり、敬礼した。
(と、いうことは・・・・)
 彼女が我々の大先輩、フリゲート「コンスティチューション」の艦魂なんだろう。
 わたしは立ち上がると、敬礼して彼女を迎えた。
「ようこそわが艦へお越しくださいました。わたしは初霜実。駆逐艦『陽炎』の艦長と第五駆逐隊司令を務めております」
 コンスティチューションはわたしのほうへ歩いて来ると、、こちらに右手を差し伸べる。
「わたしはアメリカ海軍フリゲート、USSコンスティチューション。初霜提督、これからよろしく頼む」
「はい。よろしくお願いいたします」
 わたしは彼女の手を握り返して言った。
「ちょっと用事があったものでね・・・・。君たちに注意をしに来たの」
 注意・・・・・?なんだろう。
 コンスティチューションが口を開いた。
「ここ最近、大西洋に出た商船が消息を絶つ事件が相次いでいる。救難信号も出さずにだよ」
「救難信号も出さずに・・・・?」
「えぇ。なんの通信もなく、忽然と姿を消してしまうんだよ。そのほとんどが、入港予定を過ぎても寄港地に現れなかったり、海上を漂っていった船名入りの救難浮き輪で発覚することが多い」
「バミューダトライアングルみたいなものかしら?」
「いや・・・・・・」
 コンスティチューションが机の上に手をかざし、艦魂の力で大西洋の海図を出現させる。
「わたしは、敵潜水艦の仕業だと思う」
「潜水艦!?インド洋のみならず、大西洋にまで出ているというの?」
「潜水艦であれば、不可能ではないでしょう?貴国も、第二次世界大戦中に潜水艦で大西洋を通り、同盟国とやり取りしたじゃない?」
 彼女が言っているのは、遣独潜水艦作戦のこと。確かに、日本海軍の「伊-8」やドイツの「U-511」は大西洋の警戒線を突破し、ドイツや日本にたどり着いている。
「確かにそうね。で、他には?」
「いや、これくらいしか言うことはないな」
「そう。注意に感謝するわ」
 わたしはそう言うと、壁に貼られた海図を見た。










「いや、これくらいしか言うことはない」
 わたしーコンスティチューションは、自分の対面に座った日本の提督を見ながら言う。
(それにしても・・・・・・)
 彼女の顔に、懐かしい顔が重なって見えた。
(本当にアイザックに似ている・・・・・)
 特に、笑っていながら鋭い光をたたえる目元など瓜二つだ。
(この子は将来、素晴らしい指揮官になるだろう・・・・・)
 願わくば、彼女の国とわが合衆国が戦うことのないことを・・・・。
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