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本編
第二十七話 調教師
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三春から帰って一週間後、わたしはいつものごとく厩舎で担当馬に飼葉をあげると、外に出た。
「馬道にハローかけまーす!」
「はいよ~!」
厩舎内で作業をしている皆に声をかけると、わたしは厩舎横に停めてあるトラクターに向かう。
「ハロー連結よし。タイヤ空気圧よし・・・・」
周りをぐるっと確認し、運転席に体を収めた。
カチッ、ギュルルルルッ!
キーをひねってエンジンを始動させると、わたしはクラッチを踏み、シフトレバーに手をかける。
ガコン!
一速にギアを入れ、ゆっくりとクラッチを踏んでいる足を離した。
ググググ・・・・・
エンジンが唸り、トラクターはハローを引いてコースに入る。
「後方よし、入口出口の『ハロー中』の看板オーライ」
再びクラッチを入れ、しばらく走ってから一速から二速と三速までギアを入れた。
ズズズ・・・・
後ろを確認すると、さっきまで馬の蹄跡でデコボコだったダートが均され、筋状のハロー掛けの跡がわたしの後に続いている。
「ここで二速に落として・・・・・」
ゆっくりと坂路をのぼり、二速のまま右へとハンドルを切る。
「ん・・・・?」
駐車場近くまで来たところで、学校に普段来ない車が目についた。
「片方は狼森牧場のハイエース。もう一台は・・・・」
学校では校長でも乗らないような高級車。いわゆるスポーツカー。
(なんだろう・・・?)
首をかしげながら横を通り過ぎようとすると・・・・
「お~い!そこのトラクター!」
誰かに声をかけられたので急停止。ギアをローに入れると、その方向を振り返る。
「ちょっといいかな?」
見慣れないスポーツカーの横で、一人の女性が手を振っていた。
「どうしました?」
わたしが問うと、その女性は濡羽色のポニーテールを揺らしながらトラクターの横に歩み寄る。
「野馬追部の厩舎って、どこにあるかわかる?」
「分かりますけど、学校の許可はとってるんですか?」
「大丈夫大丈夫。すでに学校には話を通してあるよ」
その女の人は笑いながら言うと、わたしのトラクターに手をかけた。
「後ろに、乗せてってもらえない?」
ドドドド・・・・
再び動き出したトラクターの上・・・
「いやー、助かったよ」
さっきの女の人がわたしの後ろに立って言う。
「久しぶりにここに来たから、どこからどう行っていいかもわからなくて。ほんとに君がいて助かったよ~!」
よくしゃべる人だ。この人にはネタ切れというものがないのだろうか?
「ところで・・・・」
わたしは後ろに立つ女の人に向かって口を開く。
「あなた、馬関係の仕事をされてる方ですよね?」
「すごい!よく分かったね!」
驚くその人に、わたしはさらに畳みかける。
「服装を見たらだいたいわかりますよ。乗馬ブーツを履いてますから。あの高そうな車からすると、ジョッキーか調教師ですか?」
「正解!」
その人はニコッと笑うと、わたしの肩を軽くたたいた。それにしても、どっかで見たことあるような顔と仕草だ。
「もしかして、あなたがあさひちゃん⁉」
「えっ?何で分かったんですか?」
「やっぱり!妹から聞いてた通りの子だ!」
「妹?」
わたしが訊くと、その人は手をひらひらと振りながら答える。
「うん、ここの野馬追部にいるはずなんだよ。すっごい美人さんでね、ホントモデルになったらすっごい売れっ子になると思う」
(それってもしかして・・・・・)
そんな話を聞きながら厩舎地区まで来ると・・・・
「あさひ!」
ルルにまたがった友里恵が声をかけて・・・・・わたしの後ろに乗っている人を見て固まった。
「やっほー、久しぶりだね」
女の人がひらひらと手を振る。
「お姉ちゃん!なんでいるの⁉」
ん?友里恵、今なんと?
「ふふふ、友里恵の可愛い可愛いお姉ちゃんが来てやったぞ!」
後ろで女の人が胸を張る。
「友里恵、あさひちゃん、ホントいい子だね。こんな子が近くにいるなんて、少し妬いちゃうな」
「何変なこと言ってるの?サッサと下りなよ」
友里恵が言うと、女の人はにこりと笑って首を横に振った。
「駄目、厩舎まで乗せてもらうんだから」
「もう、あさひにまで迷惑かけて・・・・。あさひ、うちのバカ姉がごめん」
「誰がバカ姉だ!」
友里恵が言い、友里恵のお姉さんが即座に反撃する。その声を聞きながら、わたしはまたハロー掛けに移った。
「あ、まだ名前言ってなかったね」
友里恵のお姉さんが笑いながら言う。
「アタシは佐藤友稀那、三十歳。美浦のトレセンで調教師やってます」
ドドドド・・・・コトン
「ありがとねっ!」
厩舎前にトラクターを止めてエンジンを切ると、友稀那さんは明るく言って地面に飛び降りた。
「いえいえ」
わたしが言うと友稀那さんはさらに笑って言う。
「ところであさひちゃん」
「なんですか?」
「ここの厩舎に、クバンコサックって名前の馬はいる?」
クバン・・・・あぁ。
「クバンならいますよ」
そういうと、友稀那さんの顔がさらに輝く。
「クバンの馬房まで、案内してもらえない?」
わたしはトラクターから降りると、友稀那さんに言った。
「場所は分かりますけど、いるかどうかは分かりませんよ」
わたしは指先でキーを回しながら厩舎に向かうと、管理室の鍵保管庫にキーをしまってから友稀那さんの方を見る。
「クバンは今、個人所有の乗馬としてここにいます。今の飼い主が外乗に連れ出してることもあるので、馬房にいるかどうかは分かりません」
「それでいいよ。連絡もなしに来ちゃったし」
そんなことを話しながら厩舎内を行くと、クバンの馬房の馬栓棒にもたれかかる正彦を発見した。
「あさひ先輩、お疲れ様です」
「お疲れ。クバンの調子はどう?」
「特になんもないですよ。ところで、そちらの方は?」
正彦が友稀那さんを見る。
「初めまして。アタシは佐藤友稀那。美浦トレセンで調教師やってる」
友稀那さんはそう言って、クバンの馬房に近づいた。
「調教師の方がなぜここに?」
「あぁ・・・・」
友稀那さんは馬房の前に立つと、躊躇なく馬房の中に手を差し伸べる。
「アタシが、クバンの主戦騎手だったからさ」
ほら、おいでという友稀那さんを、クバンはじっと見つめた。
「久しぶり、元気にしてた?」
ゆっくり、丁寧に語り掛ける友稀那さん。
「ブルルッ」
クバンは片方しか無い目でその顔を見ると、左右非対称な顔を突き出した。
「お前は本当に変わらないな・・・・」
クバンのたてがみをかき分け、その生え際をなでる友稀那さん。
「グフフ、グフフ」
クバンは友稀那さんの胸に顔を擦り付け、見えている方の目も気持ちよさそうに細めている。
友稀那さんはひとしきりクバンをなでると、正彦に右手を差し出した。
「アンタがクバンの今の飼い主?いつもクバンがお世話になってるね」
「そうです。土狩正彦と言います。どうもクバンは他人の気がしなくて・・・・」
正彦はその手を握り返すと、光を失った左瞼を掻く。
「そうだ。友稀那さん」
「どうした?」
「もう一度、クバンに乗ってみますか?」
「クバンが右目を失明したのって、いつ頃でしたっけ?」
「皐月賞の直前だね。『さて追い切りだ~っ!』ってなってた時に突然放馬してね。そのまま埒を背面跳びして生け垣に頭から突っ込んだのよ」
「で、目を枝で突いてしまった・・・・と?」
正彦と友稀那さんが話しながら、手早くクバンの馬装を進めていく。
「今日はいつもの総合鞍じゃなくて、競走馬の調教鞍を使いますね」
正彦が調教鞍をクバンの背中に乗せると、クバンの目つきが変わったような気がした。
「友稀那さん、そっちお願いします」
「はいよ」
二人で手早く腹帯を締め、鐙の長さを調節する。
「今日はゼッケンも違うのね?」
今回はいつもの乗馬用のゼッケンではなく、紫地に金文字で「621」と書かれた競走馬用の調教ゼッケンを装着している。G1三勝を示す三つの星が輝きを放っていた。
「アタシが保管してた調教ゼッケンだよ」
「G1三勝だと、最後の最後の方ですね」
「そう、引退レースの有馬記念の直前だな」
友稀那さんはそう言いながら、クバンが現役時代から使っている特殊なメンコを手に取る。失明した目を全周にわたって覆う、特殊なブリンカー付きのものだ。
「本当に、クバンと馬主さん、藤江先生には悪いことしたな。あの事故がなければ、クラシック三冠も夢じゃなかった」
心底申し訳なさそうな顔で言う友稀那さん。
「さて、そろそろ乗ろうかな」
クバンの顔にメンコをつけて厩舎外に出ると、友稀那さんは鬐甲と背中に手をかける。
それを見て、わたしはそのほっそりとして綺麗な左足を持った。
「よいしょっ!」
友稀那さんが地面を蹴ると同時に、その足を押し上げる。
スチャッ
友稀那さんは鞍上に腰を下ろすと、短くした左右の鐙に足を浅めにかける。
「軽く引き運動します?」
「うん、お願い」
友稀那さんがヘルメットをかぶりながらうなずくと同時に、正彦がクバンの引手を引いて歩き出した。
「それっ・・・っと」
厩舎の周りを三周した後、友稀那さんは正彦に向かって声をかける。
「そろそろ攻め馬やるけど、坂路って空いてる?」
「坂路なら、今使用可能ですよ」
わたしが言うと、友稀那さんは何かを探すように周りを見渡した。
「誰か併せ馬相手がいるといいんだけどな~。あっ!友里恵~!」
まだ何も知らない友里恵がルルを操ってこっちに駆けてくる。
「そんな大声で呼んで、一体何の用?お姉ちゃん」
「アタシと併せ馬だ!」
「ちょっ!そんなのいきなり言われても対応できないんだけど⁉」
「ステッキならあるぞ」
友稀那さんが二本持っている鞭のうち一本を友里恵に投げた。
「たまにはコイツらに現役時代を思い出させてやろうじゃない」
友稀那さんは正彦に引手を外すように言うと、クバンをゆっくりとルルの隣に寄せる。
「アンタのルルも、すでにやる気は入ってるみたいだぞ」
「さすが。バカ姉でも、デビュー二年目で三冠ジョッキーの観察力は伊達じゃないのね」
もうすでにルルもクバンも体全体に気合をみなぎらせ、首をせわしなく振ったり前かきをしている。
「坂路も含めて全部襲歩で行くよ。坂路までの三ハロンは四十秒、坂路の五ハロンは四十九秒ね」
「はいはい、これでも体内時計には自信あるから、しっかりやって見せるわ」
二人は馬場の中にそれぞれの馬を進めると、その腹を思いっ切り蹴った。
「馬道にハローかけまーす!」
「はいよ~!」
厩舎内で作業をしている皆に声をかけると、わたしは厩舎横に停めてあるトラクターに向かう。
「ハロー連結よし。タイヤ空気圧よし・・・・」
周りをぐるっと確認し、運転席に体を収めた。
カチッ、ギュルルルルッ!
キーをひねってエンジンを始動させると、わたしはクラッチを踏み、シフトレバーに手をかける。
ガコン!
一速にギアを入れ、ゆっくりとクラッチを踏んでいる足を離した。
ググググ・・・・・
エンジンが唸り、トラクターはハローを引いてコースに入る。
「後方よし、入口出口の『ハロー中』の看板オーライ」
再びクラッチを入れ、しばらく走ってから一速から二速と三速までギアを入れた。
ズズズ・・・・
後ろを確認すると、さっきまで馬の蹄跡でデコボコだったダートが均され、筋状のハロー掛けの跡がわたしの後に続いている。
「ここで二速に落として・・・・・」
ゆっくりと坂路をのぼり、二速のまま右へとハンドルを切る。
「ん・・・・?」
駐車場近くまで来たところで、学校に普段来ない車が目についた。
「片方は狼森牧場のハイエース。もう一台は・・・・」
学校では校長でも乗らないような高級車。いわゆるスポーツカー。
(なんだろう・・・?)
首をかしげながら横を通り過ぎようとすると・・・・
「お~い!そこのトラクター!」
誰かに声をかけられたので急停止。ギアをローに入れると、その方向を振り返る。
「ちょっといいかな?」
見慣れないスポーツカーの横で、一人の女性が手を振っていた。
「どうしました?」
わたしが問うと、その女性は濡羽色のポニーテールを揺らしながらトラクターの横に歩み寄る。
「野馬追部の厩舎って、どこにあるかわかる?」
「分かりますけど、学校の許可はとってるんですか?」
「大丈夫大丈夫。すでに学校には話を通してあるよ」
その女の人は笑いながら言うと、わたしのトラクターに手をかけた。
「後ろに、乗せてってもらえない?」
ドドドド・・・・
再び動き出したトラクターの上・・・
「いやー、助かったよ」
さっきの女の人がわたしの後ろに立って言う。
「久しぶりにここに来たから、どこからどう行っていいかもわからなくて。ほんとに君がいて助かったよ~!」
よくしゃべる人だ。この人にはネタ切れというものがないのだろうか?
「ところで・・・・」
わたしは後ろに立つ女の人に向かって口を開く。
「あなた、馬関係の仕事をされてる方ですよね?」
「すごい!よく分かったね!」
驚くその人に、わたしはさらに畳みかける。
「服装を見たらだいたいわかりますよ。乗馬ブーツを履いてますから。あの高そうな車からすると、ジョッキーか調教師ですか?」
「正解!」
その人はニコッと笑うと、わたしの肩を軽くたたいた。それにしても、どっかで見たことあるような顔と仕草だ。
「もしかして、あなたがあさひちゃん⁉」
「えっ?何で分かったんですか?」
「やっぱり!妹から聞いてた通りの子だ!」
「妹?」
わたしが訊くと、その人は手をひらひらと振りながら答える。
「うん、ここの野馬追部にいるはずなんだよ。すっごい美人さんでね、ホントモデルになったらすっごい売れっ子になると思う」
(それってもしかして・・・・・)
そんな話を聞きながら厩舎地区まで来ると・・・・
「あさひ!」
ルルにまたがった友里恵が声をかけて・・・・・わたしの後ろに乗っている人を見て固まった。
「やっほー、久しぶりだね」
女の人がひらひらと手を振る。
「お姉ちゃん!なんでいるの⁉」
ん?友里恵、今なんと?
「ふふふ、友里恵の可愛い可愛いお姉ちゃんが来てやったぞ!」
後ろで女の人が胸を張る。
「友里恵、あさひちゃん、ホントいい子だね。こんな子が近くにいるなんて、少し妬いちゃうな」
「何変なこと言ってるの?サッサと下りなよ」
友里恵が言うと、女の人はにこりと笑って首を横に振った。
「駄目、厩舎まで乗せてもらうんだから」
「もう、あさひにまで迷惑かけて・・・・。あさひ、うちのバカ姉がごめん」
「誰がバカ姉だ!」
友里恵が言い、友里恵のお姉さんが即座に反撃する。その声を聞きながら、わたしはまたハロー掛けに移った。
「あ、まだ名前言ってなかったね」
友里恵のお姉さんが笑いながら言う。
「アタシは佐藤友稀那、三十歳。美浦のトレセンで調教師やってます」
ドドドド・・・・コトン
「ありがとねっ!」
厩舎前にトラクターを止めてエンジンを切ると、友稀那さんは明るく言って地面に飛び降りた。
「いえいえ」
わたしが言うと友稀那さんはさらに笑って言う。
「ところであさひちゃん」
「なんですか?」
「ここの厩舎に、クバンコサックって名前の馬はいる?」
クバン・・・・あぁ。
「クバンならいますよ」
そういうと、友稀那さんの顔がさらに輝く。
「クバンの馬房まで、案内してもらえない?」
わたしはトラクターから降りると、友稀那さんに言った。
「場所は分かりますけど、いるかどうかは分かりませんよ」
わたしは指先でキーを回しながら厩舎に向かうと、管理室の鍵保管庫にキーをしまってから友稀那さんの方を見る。
「クバンは今、個人所有の乗馬としてここにいます。今の飼い主が外乗に連れ出してることもあるので、馬房にいるかどうかは分かりません」
「それでいいよ。連絡もなしに来ちゃったし」
そんなことを話しながら厩舎内を行くと、クバンの馬房の馬栓棒にもたれかかる正彦を発見した。
「あさひ先輩、お疲れ様です」
「お疲れ。クバンの調子はどう?」
「特になんもないですよ。ところで、そちらの方は?」
正彦が友稀那さんを見る。
「初めまして。アタシは佐藤友稀那。美浦トレセンで調教師やってる」
友稀那さんはそう言って、クバンの馬房に近づいた。
「調教師の方がなぜここに?」
「あぁ・・・・」
友稀那さんは馬房の前に立つと、躊躇なく馬房の中に手を差し伸べる。
「アタシが、クバンの主戦騎手だったからさ」
ほら、おいでという友稀那さんを、クバンはじっと見つめた。
「久しぶり、元気にしてた?」
ゆっくり、丁寧に語り掛ける友稀那さん。
「ブルルッ」
クバンは片方しか無い目でその顔を見ると、左右非対称な顔を突き出した。
「お前は本当に変わらないな・・・・」
クバンのたてがみをかき分け、その生え際をなでる友稀那さん。
「グフフ、グフフ」
クバンは友稀那さんの胸に顔を擦り付け、見えている方の目も気持ちよさそうに細めている。
友稀那さんはひとしきりクバンをなでると、正彦に右手を差し出した。
「アンタがクバンの今の飼い主?いつもクバンがお世話になってるね」
「そうです。土狩正彦と言います。どうもクバンは他人の気がしなくて・・・・」
正彦はその手を握り返すと、光を失った左瞼を掻く。
「そうだ。友稀那さん」
「どうした?」
「もう一度、クバンに乗ってみますか?」
「クバンが右目を失明したのって、いつ頃でしたっけ?」
「皐月賞の直前だね。『さて追い切りだ~っ!』ってなってた時に突然放馬してね。そのまま埒を背面跳びして生け垣に頭から突っ込んだのよ」
「で、目を枝で突いてしまった・・・・と?」
正彦と友稀那さんが話しながら、手早くクバンの馬装を進めていく。
「今日はいつもの総合鞍じゃなくて、競走馬の調教鞍を使いますね」
正彦が調教鞍をクバンの背中に乗せると、クバンの目つきが変わったような気がした。
「友稀那さん、そっちお願いします」
「はいよ」
二人で手早く腹帯を締め、鐙の長さを調節する。
「今日はゼッケンも違うのね?」
今回はいつもの乗馬用のゼッケンではなく、紫地に金文字で「621」と書かれた競走馬用の調教ゼッケンを装着している。G1三勝を示す三つの星が輝きを放っていた。
「アタシが保管してた調教ゼッケンだよ」
「G1三勝だと、最後の最後の方ですね」
「そう、引退レースの有馬記念の直前だな」
友稀那さんはそう言いながら、クバンが現役時代から使っている特殊なメンコを手に取る。失明した目を全周にわたって覆う、特殊なブリンカー付きのものだ。
「本当に、クバンと馬主さん、藤江先生には悪いことしたな。あの事故がなければ、クラシック三冠も夢じゃなかった」
心底申し訳なさそうな顔で言う友稀那さん。
「さて、そろそろ乗ろうかな」
クバンの顔にメンコをつけて厩舎外に出ると、友稀那さんは鬐甲と背中に手をかける。
それを見て、わたしはそのほっそりとして綺麗な左足を持った。
「よいしょっ!」
友稀那さんが地面を蹴ると同時に、その足を押し上げる。
スチャッ
友稀那さんは鞍上に腰を下ろすと、短くした左右の鐙に足を浅めにかける。
「軽く引き運動します?」
「うん、お願い」
友稀那さんがヘルメットをかぶりながらうなずくと同時に、正彦がクバンの引手を引いて歩き出した。
「それっ・・・っと」
厩舎の周りを三周した後、友稀那さんは正彦に向かって声をかける。
「そろそろ攻め馬やるけど、坂路って空いてる?」
「坂路なら、今使用可能ですよ」
わたしが言うと、友稀那さんは何かを探すように周りを見渡した。
「誰か併せ馬相手がいるといいんだけどな~。あっ!友里恵~!」
まだ何も知らない友里恵がルルを操ってこっちに駆けてくる。
「そんな大声で呼んで、一体何の用?お姉ちゃん」
「アタシと併せ馬だ!」
「ちょっ!そんなのいきなり言われても対応できないんだけど⁉」
「ステッキならあるぞ」
友稀那さんが二本持っている鞭のうち一本を友里恵に投げた。
「たまにはコイツらに現役時代を思い出させてやろうじゃない」
友稀那さんは正彦に引手を外すように言うと、クバンをゆっくりとルルの隣に寄せる。
「アンタのルルも、すでにやる気は入ってるみたいだぞ」
「さすが。バカ姉でも、デビュー二年目で三冠ジョッキーの観察力は伊達じゃないのね」
もうすでにルルもクバンも体全体に気合をみなぎらせ、首をせわしなく振ったり前かきをしている。
「坂路も含めて全部襲歩で行くよ。坂路までの三ハロンは四十秒、坂路の五ハロンは四十九秒ね」
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