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第二章 動き出す歯車

49 再会と護送

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 ヨルナは、回らない頭でぐるぐると考える。
 ――どうしよう。自分から抱きついてしまった。



   *   *   *



 とにかく逃げなきゃ、と、外に飛び出した。
 アストラッドを一番に見つけて、名を呼んでもらえて。
 それまでの不安も心細さも、跡形もなく消えてしまった。

 せっかく、貴方に会えたのに。
 大事なときに力になれず、いたずらに『また』猫になってしまうかもしれなかった危機ピンチの果てに。
 張りつめていた気持ちがほどけて、涙まであふれる。

 アストラッドの腕のなかは、とても温かかった。






 ――――――――


 ……が、さすがに徐々に冷静さが戻ってきた。目元がじんじんする。

(ええと。落ち着いて。落ち着くのよヨルナ。あなたは今、猫じゃないわ。抱っこしてもらって喜んでる場合じゃないのよ。そうそう、一応公爵家の娘だし体裁ってものが………まずいわ! 公衆の面前で真っ昼間とかあり得ないよね!? アーシュ様は第三王子殿下なのに)

 脳内でいそがしい内省を終えたヨルナは、アストラッドの背中からおずおずと腕を引いた。
 きゅ、と脇腹あたりの衣服を持ち、顔を上向ける。
 こちらを真摯に覗き込むのは、海のように明るい群青の瞳。信じられない嬉しさに、つい口元がほころんだ。

「すみません殿下。その……お顔を拝見したら安心してしまって。ご無礼をつかまつりました。はな、し……?」

 離していただけませんか? という問いは文字どおり封殺された。鼻と口をアストラッドの肩口で塞がれて苦しい。

 しかも「離さない……。ものすごく心配した」と、囁かれてしまう。
 さわ、と、彼の指が首筋を掠めて。

(~~!?!?)
 びっくりした。
 体温の上昇。心拍まで跳ね上がって、わけがわからない。
 こんな風に、人間でいる間に『彼』に抱きすくめられるなんて初めてだった。

 そう言えばたくさんの騎士様がいるはずなのに、誰も何も言わない。見て見ぬふりだろうか? 『嬉しい』よりも『恥ずかしい』が断然まさってきた。

 結果、身じろぎの隙間もないため、慌ててとんとん、と彼の脇腹あたりを叩く。
 すると、べりっと剥がされるように王子の体が遠のいた。

「!! 何をするんだ、アイリス。せっかくヨルナに」
「ぷはっ……あ、アイリス様? なぜここに」

 けほけほっ、と涙目のまませると、藍色の髪を一本に結んだ友人に、痛ましそうな表情かおで見つめられた。

「かわいそうにヨルナ。ひどい目に遭ったね。怪我は?」

「あ、ありません。……けどアイリス、雰囲気、変わりました? なんだか」


「――ルピナス」

「え?」

 たった一言。
 聞き慣れない名を口にした友人は、見たこともないほどしっとりと微笑んだ。思わず見とれていると、そっと両手を握られてしまう。

「私は、本当の名を“ルピナス”と言う。“アイリス”は双子の姉の名前。わけあって、今回の茶会では姉の身代わりをつとめましたが――れっきとした男です」

「えええええっ!?!?」
「やっぱりか」

 周囲の騎士たちからもどよめきが上がり、アストラッドはつまらなさそうに腕を組んだ。
 ヨルナは(正夢……?)と、ほうけている。


 男装のアイリス改め、美少年ルピナス。

 瞠目するヨルナににこにこと笑む顔は綺麗だが、吹っ切れた仕草やまなざしの強さは騎士然としている。
 一体なぜ、今まで同性と信じてしまったのか。そもそも。

「あ、あの……すみません。そうとは知らず私とミュゼルったら……あぁぁぁ……」

 俯いたヨルナの声が、ごにょごにょと小さくなった。居たたまれない。
 なにしろ寝室に招いてネグリジェ姿まで見せてしまったのだ。今なら、彼がかたくなに寝台に上がらなかった理由がわかる。


 握られた手は、すぐにさりげなくアストラッドに奪われたけれど、耳まで真っ赤なヨルナを、ルピナスは微笑ましく見守っていた。

 どこからどうみても、立派な公爵だった。



   *   *   *



 城への帰還は馬車を使うように、とサジェスから指示を受け、ヨルナとロザリンドはそろって同じ箱馬車に乗り込んだ。付き添いはアストラッド。

 が、すでに広々とした車内に座っていた魔族の二人連れに、ヨルナは目を瞬く。

「座長さん……? あ、そうか。あの女性、竜人ドラゴニュートの……」

 口ごもると、シュスラが優しく微笑みかけた。

「そうです。銀のお嬢さん。このたびはうちの団員が大それたことをして、本当に申し訳ありませんでした。やつらの処分はこの国に託さざるを得ませんが、心情的にはこの手で再起不能にしてやりたいですよ」

「まぁ」
「いいこと言うじゃない」

「姉上。お立場を」

 めっ、というまなざしの弟に叱られ、それでもロザリンドは勝ち気な笑みを崩さなかった。
 こんなとき、彼女には大輪のバラのような存在感がある。シュスラはそれを眩しそうに見つめた。

「……貴女があのときに選ばれたのは、照明係をしていたルダートの仕業でしたが。ひとめで納得しましたよ。そちらのお嬢さんといい、お二人とも良いちからに満ちている。生き生きしています」

「光……ちから?」

「“争乱の相”もあるけどね。とくに派手なほう」
「こら、ユウェン」

 たしなめる青年に、魔族の少年は悪びれずに肩をすくめた。「事実だから」

「いい度胸してんじゃないの。ガキんちょ」

「ふうん? 音に聞こえるゼローナの王女ってこんなもんなのか? 淑やかさの欠片カケラもない」

 にやり、と年不相応(※外見)な笑みを浮かべる少年に、ロザリンドは食ってかかった。

「何ですって……!」

「姉上、落ち着いて。このかたは」

「なによ!」

 そのとき。
 御者の掛け声とともに蹄の音が鳴り、ガタン、と車体が揺れた。
 一行は馬車がゆっくりと王城に向かい始めたのを知った。

 吐息したアストラッドは、神妙な顔で二人にそっと打ち明ける。

「いいですか? このかたは隠形おんぎょうをとっていらっしゃいますが、魔王ユーグラシル陛下そのひとです。とても、助けていただいたんです」


「!!!」
「……は?」


 意外すぎた。まさか――?
 ヨルナは、疑問符を発したきり固まったロザリンドを、はらはらと見守った。



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