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第三章 運命の人

60 あちこちの火花(前)

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 王都を経って十二日め。
 馬車を三台連ねた王太子の一行は起伏のある丘陵地や峠道を越え、ようやくジェイド公爵領に入った。

「わぁあ……!」

 関所を兼ねるひらけた高地からは、うねうねとこれから進まねばならない道と、果てない大地が広がっている。

 ここからでは、さすがに国境線がどこなのかわからない。空は霞がかったように山の稜線をけぶらせ、午前の澄んだ空気を際立たせていた。気温は低い。春の初めを想定した服装でなければ、たちまち風邪をひいただろう。

 カリスト公爵領に比べると断然畑が少ない。こんもりとした森が多いためか。
 ただ、ところどころ街や村が点在するのはわかった。鉱山らしきものも。


「ヨルナ、冷えるよ。これを着て」

「あっ、ありがとうございます。えぇと……アイリス」

「うん?」

 肩に、ふわりと毛織りのショールを掛けられた。簡単なフードとリボンも付いており、そのまま丈の短いマントのように身にまとえるデザインだ。
 女騎士装束のルピナスの向こうでは、ショールを彼に託してくれた(奪われた?)らしいサリィが困ったように笑んでいる。

 ヨルナも眉尻を下げて礼を告げた。
 すると。

「おいで、ヨルナ嬢。あっちにいろんな半輝石を使ったランプと装飾品のお店があったよ」

「!? きゃっ」

 ぐい、と肩を抱かれて反対方向に引かれてしまう。声でアストラッド王子だとわかるのだが、わかるからこそまともに見上げられない。至近距離にまごついてしまう。

 ルピナスは、じとりと顔をしかめた。

「殿下。未婚のかたに、そんなにべたべた触れるもんじゃないだろう。

「ふうん? それは失礼、『アイリス嬢』」

 ――始まった。
 ヨルナは首を引っ込め、そうっと二人の視線を結ぶ直線から逃げ出す。
 アイリス姿のルピナスは確かに『男装の姫君』なので、主張に間違いはない。アストラッドも離してくれた。

 きょろ、と首をめぐらせると馬車を風避けに、寒そうにすっぽりとフードを被るミュゼルがいる。可愛らしく、胸の辺りで手を振ってくれていた。

「大丈夫? ヨルナ。避難地帯はこちらよ」

「!! ミュゼル~」

 ととと……と、駆ける十二歳の自分を責める者は、周囲にはいない。
 結果、峠の見晴みはらし台には、にこやかに会話を交わす第三王子殿下と北公息女のみが取り残された。気のせいだろうか。睨みあう龍虎図が見える。(※幻です)

 ミュゼルは、ほぅ、とため息をついた。

「恋に目覚めた殿方って、困ったものね。ヨルナには、あぁいうさや当てはまだ早いと思いますけど」

「『鞘当て』……ですか?」

 ずいぶんと慣れない言葉を聞いたな、と視線を戻す。
 空気がちくちくしている。
 もう何度も目にする光景なので、初日ほどハラハラはしなくなったが、立ち会うにはつらいものがある。
 なぜ、こんなにもが合わないのか。

 おうむ返しに問うと、大人びた笑みのミュゼルにやさしく頬をつつかれた。

「??」

「やぁねぇ。貴女を取り合ってるんでしょ、罪なかた。ね? サリィさん」

「えぇ。遺憾ながらミュゼル様の仰るとおりですわ。はいどうぞ」

「サリィ!」

 相変わらずの微苦笑。
 両手に湯気のたつ木製のカップを持ったサリィは、二人に歩み寄ると、そぅっとそれを渡した。
 カカオの甘い香りに、たちまち少女たちの顔が輝く。

「ホットチョコレート?」

「はい。お熱いのでお気を付けくださいね。ミュゼル様も」

「ありがとう。いただくわ」


 ――ほっこり。
 アストラッドとルピナスにも同じものが差し入れられ、休憩二十分はあっという間だった。



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