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第三章 運命の人

59 裸の付き合い(男子)

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「雨、やみませんね……」

「うん」

 ヨルナは、ひやり、とした窓に手を当てた。日没にはまだ早い時刻だが、外は薄暗い。
 さぁぁ……と、細かな音が窓硝子ガラス越しに聞こえる。時おり激しい雨礫あめつぶてに変わるのは、風がつよいせいか。
 室内とヨルナの顔をぼんやりと映して、雨垂れは滝のように目の前を伝っていた。

 旅籠はたごは上質な館で部屋数も多く、令嬢と専属侍女一人に付き一部屋があてがわれている。とは言え、王太子一行の滞在にあたり、在地の裕福な商人が経営するという“星明かりの雫亭”は、ほとんど貸し切り状態だった。

「姫様、夕食までにお風呂を済ませませんか? ここ、温泉があるそうですよ」

「! 行く! 行きます、サリィ。素敵ね、……あっ、でも露天風呂だとこの雨じゃ」

 ふふっと口元に手を添えて微笑んだサリィは、手早く荷物のなかから着替え一式を取り終えていた。

「半露天と、屋内大浴場があるそうですよ。参りましょう。ミュゼル様とアイリス様もいらっしゃるのでは」

「!? うん……っ?? そ、そうね!(※アイリスはいないと思う)」

 こうして主従は和気あいあいと一階に降り、通路で繋がれた別館大浴場へと赴いた。
 ちょうどその頃。






「なんで、いるんだ……!」

「それ、二度めだねルピナス。ひょっとして語彙力がない?」

「ふざけんなムッツリ王子」

 ぱちゃん、と湯音をたてて、藍色の髪を背中で適当に結い上げた少年が湯船に浸かる。アクアジェイルからの随伴者たちは、随従同士気楽に入りたかろうと置いてきた。
 裏目。

 自身がむっつりと不貞腐れながら肩まで沈むが、適温で炭酸泉でもあるらしく、不機嫌はそう長く続かない。
 雨音が広い浴場の無言をかきけし、ほどよいリラックスタイムを作り出していた。

 あえて、王子の存在を意識から追い出してしばらく。唐突に問われる。

「ヨルナが好きなのか?」

「!! ……ぶふぁっ!」

 ルピナスは、驚きすぎて一瞬、湯に鼻まで沈んでしまった。げほげほと咳き込んでから、ぎっと夢見るような青い瞳のアストラッドを横目で睨む。

「好きです。見たところ、ヨルナは貴方に返事をしていない。保留状態なんでしょう? 王家からカリスト公爵家への打診も後回しのようだし、私が動いても公に問題はない」

「彼女の、何が好き?」

「…………えっ」

 どこまでも真面目に問われ、ちょっとほうけてしまった。

 ――この王子、何を言ってるんだろう。
 かなり意図が読めないが、相変わらず高貴さを振りまく整った顔は真摯一色。仕方なく肩で息をついた。

「ひとめぼれです。最初は、姉の身代わりだからと意に染まない女装を強いられて嫌だった。でも、あの子が王城の庭に現れたときは心底、来てよかったと思いました」

「それは、あの子の外見?」

 ほかほかと温まって上気した頬で、王子がぐいぐい攻めてくる。ルピナスは半ば自棄やけになった。当然のように耳まで赤い。

「~~、放っといてくれよ! ヨルナの見た目で惹かれるなっていうほうが難しい。一緒にいても楽しいし安らぐ。大事にしたい。貴方はどうなんだ。似たもんだろ!?」

「似てない」

 ばしゃん、と水面を叩いて飛沫しぶきをあげさせたルピナスに、アストラッドが初めて険しい瞳になる。

「僕は。……僕は、彼女をずっと探していた。何度も、何度も何度も繰り返して。やっとあの子に会えたんだ。誰にも譲らない。君にも」

「? それは……どういう」

「教えない」

「!? は?」

 呆気にとられる北公子息を残し、ざあっと湯を滴らせて王子が立ち上がった。腰まで浸かりながら、ざぶざぶとふちへと近づく。
 やがて、ちらっとこちらを振り返った。

「お先に。彼女が僕を覚えてるかはわからないけど、覚えてなくても、もう絶対に手放さないから。――じゃあね、ルピナス。ごゆっくり」

「…………『覚えて』って……。貴方は、もう彼女に会ってたってことか? いつ?」

 ふ、と、余裕の笑みをたたえた王子はそのまま脱衣場の硝子扉をひらき、「教えない」とふたたび言い残した。

 キィ、と軋みをあげて扉が閉まる。

(?? ~~なっ……???)
 ふるふると、よくわからない感情が沸き起こる。これは。――……何?

「語彙力ないの、お前だろうがばーか。何なんだよ、あの、優等生仮面王子!!」

 がぼっ! ブクブクブク……と、むしゃくしゃして頭まで湯船に潜り込んでしまう。いったん息を吐ききってから止めた。目は閉じたまま。
 ぴりぴりと、炭酸の泡が頬を。額をつついて妙にくすぐったかった。


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