翠の子

汐の音

文字の大きさ
9 / 87
1章 原石を、宝石に

8 取り扱いにご注意を

しおりを挟む
 そういえば、あの子は女の子のイメージだったな――――

 スイは、“コーラル細工師個人工房”の表札をちらりと横目で窺いながら、緑色の玄関扉を押し入った。

「ただい…」
「うっわーーーー!! お願い、頼む、それだけはぁあーーーあぁっ!!!」
「……」
「……」

 師弟はぎょっとして、素早く顔を見合わせた。
 聞こえた悲鳴、というか嘆願。大の男があられもなく上げる類いのものではない。

「やばい。遅かったか…」
「……お師匠さま? 笑ってますよ、顔」

 「んん?」と廊下をすたすたと歩みつつ、黒髪の女性は年齢の割に無邪気な光を黒紫の瞳に乗せている。
 きらきらと、楽しげな――でもきっと、こんな色彩いろの宝石は何処どこにもない。

 年齢不詳美女、スイはふふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。歩みは緩めない。突き当たりをスッと右に曲がる。

「だって、かれ。妙に余裕だし、一々いちいち構ってくるんだもの。ちょっと崩れた二枚目半とか、激烈に見てみたいなぁって」
「…お師匠さま、けっこう根にもってたんですね…」
「いやいや、この年齢としになると女性扱いしてもらえるのは光栄なことなんだよ、キリク? それに――」

 カチャッ

 勝手知らぬ他人の家。しかし、ここなら完璧とばかりに悠々と、スイは応接間兼仕事場の扉をひらいた。


 青年が、窓に面した作業台に突っ伏している。
 なおも近づき、その大きな背中越しに覗き込むと手元の緑柱石エメラルドと、散乱する粉砕された道具類が見えた。

 (うわぁ……)

 さすがに、キリクの顔が同情に歪む。かれ自身、祖父譲りの彫刻の心得があるので、職人として道具にはそれなりの愛着を持っている。

 折れる。
 これは、心を抉られる……!


 ――が、スイの顔は涼しかった。且つ、機嫌よく唇をひらく。

「嫌いじゃないよ? 好きかも。こういう感じのひと」
「……そういう大盤振る舞い、僕はよく分かりませんが、まちがいの元だと思います」
「そう? だめ?」
「だめです」

 師弟は小声でやり取りしつつ、とりあえず青年が立ち直って、自分達に気がつくのを待った。



   *   *   *



「ちくしょう……いくら“精霊付き”だからって。なんなんだ、この職人殺しめ……」

 青年は、卓上の原石に向かってだぶつぶつと呟いている。自棄やけとも見える勢いで、土産の焼き菓子を口に放り込んだ。
 キリクも行儀よくそれを手に取り、かじる。

 香草入りのクッキーは小麦とバターの配分が絶妙で、さくっと音をたてて口の中でほろほろになる。細かく刻まれた名前の知らない香草ハーブは、爽やかな風味がした。

 コポポポ……と、目の前でスイがお茶を淹れた。

 傷心の青年は「どうも」と、差し出された茶器を受け取る。ふぅ、と吹くとそのまま静かに口許に当て、束の間くゆる湯気に、ふ、と目許を和ませた。

 こうして見ると、下町にそぐわない空気がある。ひそめられた凛々しい眉、遠くを見るような碧眼。何よりふとした仕草の、無駄のなさ。

 (厄介だよなぁ……お師匠さまの好みは、よくわかんないや)

 みずからが与り知らぬことに、あまり首を突っ込まないほうがいい。
 キリクはそう判断し、口をつぐんだ。

 コト、と茶器を置いた青年は、テーブルの傍らに立ってポットを傾けるスイを仰ぎ見る。

「おねーさん。何か、心当たりある? 俺、“精霊付き”は初めてじゃないけどさ。こいつ、なんか違う気がする」

 こいつ、と顎で指し示した途端。
 原石はまるで意思を持ったようにちかっ! と金を帯びる翠の光を閃かせた。
 スイは嘆息する。

「だめだねぇ。貴方、細工師としては腕が良さそうだけど男のひととしては、てんでだめ。ご覧なさい、すっかり拗ねてしまった」
「……えっ?!」

 カチャン!

「お師匠さま、それって? ……あ、ごめんなさい」

 驚きの余り、手にした茶器を勢いよく卓に置いた拍子に、キリクはお茶を少々溢してしまった。
 師である女性は「めっ」という眼差しを軽く弟子に流すと、困ったように瞑目し、左手を頬に添えてゆっくりと首を傾げた。

「その子、女の子だよ。鉱山で見つけたとき、そんな印象だった。ごめんね?言うの忘れてて」
「……え。ちょっと待て。まさかこいつ、あんたらが直接、切り出し……ぅわッ!」

 再びチカチカと閃く原石いしに気圧され、押し黙る青年。
 スイは、やれやれ……と、軽い調子で語り始めた。

「そう、他とは違う。その子はまだ何の枷も填められていない―――まったき、自由な精霊だよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...