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2章 学術都市へ
25 長の館までの道
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(お師匠さま…?)
緑樹の葉さえも照り返しにいそがしい、降り注ぐ陽光。プリズム色にきらめく残光の輪に、長く日影の通路を歩いた目がふと眩んだ。キリクは陽射しを右の手のひらで遮り、おだやかに微笑む師を仰ぎ見る。
―――一瞬、泣いているのかと思った。
一番弟子の思わしげな空色の視線に、師はすぐに気づく。「まぶしいね」とささやくと、下ろしたままになっていたキリクの紺色のフードをそっと戻した。金茶の髪が隠れて、かれの目許にやさしい影が落ちる。
「驚いたろう? ここは見てのとおり、村程度の規模だけどちゃんとした街なんだ」
ちら、と彼女はうしろに視線を流す。
一行が出た場所は街のはずれ、少し遠目に広場や家屋、通りを臨む小高い丘だった。
周囲は数本の緑樹。足元は芽吹いたばかりのような柔らかい草に覆われている。出てきたはずの扉はない。
「転移……か?」
「いいえ。ここは正しく、あの大渓谷の畔だよ。ただ目眩ましが掛けてある。渓谷側からは見えないように。ここからは、あちらを感知できないように」
「? じゃあ、あの大量の水はどこから流れてたんです? 僕達、あの滝の裏側に来たんですよね?」
細かいことが気になる性質の少年は、思わず疑問を口にした。スイは黒紫の視線をキリクに留め、にっこりと笑う。
「あれは、ここの長の魔法。本物の水みたいだったろう? ほかの滝は本物だけど、潜り抜けたあの瀑布だけは幻なんだ――……と。ごめんね、お腹が減ったでしょう。さっさと長に挨拶して遅めの昼食にしよう」
「さっさと……って。できるものなのか?」
オウム返しに訊ねる青年に、魔術師の女性もフードをぱさり、と被りながら答える。
「できるよ。さ、こっち。みんな着いてきてね」
一行は丘を下った。
* * *
「やぁスイ。たくさん連れてきたね。客人? それとも仲間?」
通りをいくらもゆかぬうちに、あっという間に声を掛けられた。にぶい銀の光沢を放つ柔らかそうな黒髪、同じ色合いの瞳の青年だ。人間でいうと二十歳を過ぎた頃だろうか。
スイは通りを進む足を止めず、顔だけ向けて微笑み返す。
「その判断を、今から長に委ねるところ。ごめんね黒真珠。またあとで!」
気をわるくした様子もなく、黒真珠と呼ばれた青年はひらひらと手を振って「了解、またねー」と応えていた。
そのあとも、その暫くあともスイは声を掛けられ続けたが足を止めることは一切なかった。
返事を一言だけ残し去る魔術師に、誰も気分を害したりしない。皆一様に「またおいで」「約束だからね!」などと、にこにこと見送ってくれる。
右手をスイに繋いでもらった翠の少女は、じと……っと半眼になり、しのびやかにため息を漏らした。
「師匠って、ほんとに精霊たらしよね」
「人聞きのわるいこと言わないで、エメルダ? 皆やさしいだけだよ―――さ、着いた」
一見、最初の丘によく似た雰囲気の場所だった。一本しかない大通りを抜け、広場を通ってしずかな林を抜けた先に、ふいに現れた小高い丘。
一行は、石で組まれた簡単な足場を階段がわりに斜面を登る。
……と、銀の葉を繁らせた白い幹の木々に囲まれた小さな館が見えた。
大渓谷の白亜の門を思わせる彫刻があちこち絵のように施された壁に、規則正しく配された神殿のような柱。嵌め込まれたガラス窓は曇りなく、磨きたての玻璃のよう。屋根も硬質な石造りの白。
総じて生活感はまったく感じられない。
形こそ人の世の形だったが、漂う空気はまさに精霊の住まう館、或いは小さな神殿だった。
「はい、みんな。外套は埃っぽいからここで脱いで。急いでるし長はやさしいひとだけど、身なりはちゃんとして行ったほうがいい。脱いだらその辺に掛けてね」
てきぱきと指示を出しつつ、みずからの外套をたたんで適当な枝に掛けるスイ。
三名はもちろん、彼女に倣った。
黒髪の魔術師を先頭に、キリクとエメルダが並んでその後ろ。セディオは殿をつとめて両開きの扉の前に立つ。
扉は重厚な造りの木材でやはり白。取手はなめらかな光を弾く銀。
取手の付け根には細かな花をつけた蔦が絡む意匠の飾りが施されており、そこだけはやや愛らしい印象を受けた。
コンコン、と備えられたノッカーを打ち鳴らす。中から応じる声はなかったが、魔術師はただ「開けるよ」とだけ述べ、扉を押すとさっと中へと身を滑らせた。
「「「!!」」」
一様に驚愕の表情を浮かべる三名。「どうしたの? 入っておいで」と、中からのんびりとしたスイの声が聞こえる。
(都市の長って……そんなに気安いもんなのか? それとも俺の常識が間違ってんのか……?)
だんだんと自信がなくなってきた青年だが―――今後の身の振り方がここで、長だという精霊の判断一つで決められてしまう。
おそらくは自分のなかで不可解なほどに傾きかけている、スイへの気持ちすらも。
ふ、と自嘲の笑みがこぼれる。肩の力を意識して抜いた。同じように固まる少年と少女の肩をぽんぽん、と叩いてやる。
「ほら、行こーぜ。お前らのお師匠さんだ。何か考えがあるか、よっぽど親しいんだろ」
セディオの思いがけない穏やかで深い声音に、はっ……! と。止まっていた弟子二人は、現実の時間の流れに揃って戻って来た。
緑樹の葉さえも照り返しにいそがしい、降り注ぐ陽光。プリズム色にきらめく残光の輪に、長く日影の通路を歩いた目がふと眩んだ。キリクは陽射しを右の手のひらで遮り、おだやかに微笑む師を仰ぎ見る。
―――一瞬、泣いているのかと思った。
一番弟子の思わしげな空色の視線に、師はすぐに気づく。「まぶしいね」とささやくと、下ろしたままになっていたキリクの紺色のフードをそっと戻した。金茶の髪が隠れて、かれの目許にやさしい影が落ちる。
「驚いたろう? ここは見てのとおり、村程度の規模だけどちゃんとした街なんだ」
ちら、と彼女はうしろに視線を流す。
一行が出た場所は街のはずれ、少し遠目に広場や家屋、通りを臨む小高い丘だった。
周囲は数本の緑樹。足元は芽吹いたばかりのような柔らかい草に覆われている。出てきたはずの扉はない。
「転移……か?」
「いいえ。ここは正しく、あの大渓谷の畔だよ。ただ目眩ましが掛けてある。渓谷側からは見えないように。ここからは、あちらを感知できないように」
「? じゃあ、あの大量の水はどこから流れてたんです? 僕達、あの滝の裏側に来たんですよね?」
細かいことが気になる性質の少年は、思わず疑問を口にした。スイは黒紫の視線をキリクに留め、にっこりと笑う。
「あれは、ここの長の魔法。本物の水みたいだったろう? ほかの滝は本物だけど、潜り抜けたあの瀑布だけは幻なんだ――……と。ごめんね、お腹が減ったでしょう。さっさと長に挨拶して遅めの昼食にしよう」
「さっさと……って。できるものなのか?」
オウム返しに訊ねる青年に、魔術師の女性もフードをぱさり、と被りながら答える。
「できるよ。さ、こっち。みんな着いてきてね」
一行は丘を下った。
* * *
「やぁスイ。たくさん連れてきたね。客人? それとも仲間?」
通りをいくらもゆかぬうちに、あっという間に声を掛けられた。にぶい銀の光沢を放つ柔らかそうな黒髪、同じ色合いの瞳の青年だ。人間でいうと二十歳を過ぎた頃だろうか。
スイは通りを進む足を止めず、顔だけ向けて微笑み返す。
「その判断を、今から長に委ねるところ。ごめんね黒真珠。またあとで!」
気をわるくした様子もなく、黒真珠と呼ばれた青年はひらひらと手を振って「了解、またねー」と応えていた。
そのあとも、その暫くあともスイは声を掛けられ続けたが足を止めることは一切なかった。
返事を一言だけ残し去る魔術師に、誰も気分を害したりしない。皆一様に「またおいで」「約束だからね!」などと、にこにこと見送ってくれる。
右手をスイに繋いでもらった翠の少女は、じと……っと半眼になり、しのびやかにため息を漏らした。
「師匠って、ほんとに精霊たらしよね」
「人聞きのわるいこと言わないで、エメルダ? 皆やさしいだけだよ―――さ、着いた」
一見、最初の丘によく似た雰囲気の場所だった。一本しかない大通りを抜け、広場を通ってしずかな林を抜けた先に、ふいに現れた小高い丘。
一行は、石で組まれた簡単な足場を階段がわりに斜面を登る。
……と、銀の葉を繁らせた白い幹の木々に囲まれた小さな館が見えた。
大渓谷の白亜の門を思わせる彫刻があちこち絵のように施された壁に、規則正しく配された神殿のような柱。嵌め込まれたガラス窓は曇りなく、磨きたての玻璃のよう。屋根も硬質な石造りの白。
総じて生活感はまったく感じられない。
形こそ人の世の形だったが、漂う空気はまさに精霊の住まう館、或いは小さな神殿だった。
「はい、みんな。外套は埃っぽいからここで脱いで。急いでるし長はやさしいひとだけど、身なりはちゃんとして行ったほうがいい。脱いだらその辺に掛けてね」
てきぱきと指示を出しつつ、みずからの外套をたたんで適当な枝に掛けるスイ。
三名はもちろん、彼女に倣った。
黒髪の魔術師を先頭に、キリクとエメルダが並んでその後ろ。セディオは殿をつとめて両開きの扉の前に立つ。
扉は重厚な造りの木材でやはり白。取手はなめらかな光を弾く銀。
取手の付け根には細かな花をつけた蔦が絡む意匠の飾りが施されており、そこだけはやや愛らしい印象を受けた。
コンコン、と備えられたノッカーを打ち鳴らす。中から応じる声はなかったが、魔術師はただ「開けるよ」とだけ述べ、扉を押すとさっと中へと身を滑らせた。
「「「!!」」」
一様に驚愕の表情を浮かべる三名。「どうしたの? 入っておいで」と、中からのんびりとしたスイの声が聞こえる。
(都市の長って……そんなに気安いもんなのか? それとも俺の常識が間違ってんのか……?)
だんだんと自信がなくなってきた青年だが―――今後の身の振り方がここで、長だという精霊の判断一つで決められてしまう。
おそらくは自分のなかで不可解なほどに傾きかけている、スイへの気持ちすらも。
ふ、と自嘲の笑みがこぼれる。肩の力を意識して抜いた。同じように固まる少年と少女の肩をぽんぽん、と叩いてやる。
「ほら、行こーぜ。お前らのお師匠さんだ。何か考えがあるか、よっぽど親しいんだろ」
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