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5章 二つの魔術
70 ウォーラの頼み
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翌朝。
家主のいない魔術師の家では、慌ただしく旅支度をすすめる居候三名の姿があった。
荷は最小限。そもそもの目的はスイの身柄確保。あるいは副都の破壊阻止だ。
(あいつが、自分から何かを傷つけたり壊したりってのは想像つかねぇが……相手があの、黒幕そのもののじいさんじゃな。ブチ切れついでに魔術師ギルドの塔くらい倒壊させたっておかしくねぇんだよ。止めろよ、国王夫妻も……)
知らず、渋面となる。
おやじ、おふくろとはまだ呼べる気分ではない。――ついでに兄貴、と、心でだけ付け加える。
昨夜、ウォーラから聞いたのはスイから届いたメッセージ。その危険すぎる解釈と、事の経緯についてだった。
* * *
『――大掃除、というのは、魔術師の塔への直談判。場合によっては討ち入りだろうね。我々宝石の精霊にとっては天敵どもの巣窟だ。壊してくれていっこうに構わない』
『おいおい』
なまじ穏やかな口調のため、つい聞き逃しそうになったセディオは慌ててスープ皿に落としていた視線を上げて突っ込んだ。
普段ならスイが座る正面の席。そこにウォーラが掛けている。健啖家らしいが食事作法そのものはとても優雅だ。
先の言は、夕食中であることを忘れるほどの物騒さに満ちていた。
心情的には大いに頷けるものの、周辺区域への被害を考えると、反射的に人間を庇ってしまう。
今は紺と若葉、薄桃の遊色を閉じ込めた瞳が温度のない視線を青年に投げかけた。
セディオはそれを受け止め、若干、居心地悪そうに肩をすくめる。
『……仕方ねぇだろ。あんなんでも、職工の街――副都は俺が育った街だ。みすみす壊されたくはない』
コト、と優美な指が銀色の匙を卓上へと戻す。ウォーラは食後茶の器に手を伸ばしながら、実に感情を込めずに呟いた。
『別に。非難しているわけではない。人の子とはそういうものだと理解している』
『そりゃどーも。……悪ぃな。天敵の肩を持っちまって』
しん。
つかの間冷えた空気を察し、キリクがおそるおそる発言する。
『えぇと……お師匠様からの伝言は夕刻前だったんですよね。いいんですか? 今、こんな風に悠長に話していて』
不安げに揺れる、空色の瞳に。
都市の長は表情を緩ませ、唇の両端をわずかに上げた。まなざしの色がほのかに和らぐ。
『問題ない。ギルドの受付時刻は過ぎていた。人の世は特に、時の精霊の打ち立てた理からは逃れられないものだろう? スイとて例外じゃない』
『じゃあ、明日の朝一番に行っても?』
『……そうだな』
ざく、と葉を重ねたまま煮込んだキャベツにフォークを突き刺し、何事か考えつつセディオは述べた。
『王都から副都までは、乗り合い馬車で四時間。貸切り高速トカゲ車なら二時間か。……スイなら断然後者だよな。おそらく朝イチであっちに着いてる。ウォーラ、それを俺らに伝えに来たってことは、スイを連れ戻してほしいんだろ?』
澄んだ青の視線と水蛋白石のまなざしが卓上でぶつかる。『そう』と、やがて白い青年が根負けしたように答えた。
そこで、すっと、ちいさな手が挙がる。
場の注目を集めたあと、エメルダはおもむろに口をひらいた。
『あの。どうしてウォーターオパールさんは』
『ウォーラでいいよ』
『……ウォーラさんは、一緒に行かないの? 長だから?』
人の子の二人は、はっと少女を凝視した。
確かに。
かれは魔法を操り、多種の方法をとれそうな秀でた精霊なのだ。それこそ《門の精霊》を喚んで、みずから赴けるはずなのに。
三名は揃ってウォーラを見つめる。
しばらく黙りを通していた青年はやがて、しぶしぶ言を紡いだ。
『……契約なんだ。スイから長の位を引き継いだときの。私は人の世には行けない。行けば、必ずあの男に報復してしまう。本体の輝きが曇るから、それだけはしてくれるなと――』
戒められたんだ、と。
続く語尾は、青年の唇のなかで省かれた。
* * *
きゅ、と斜め掛けできるタイプの荷袋の口を縛り、防水の蝋を引いておいた灰色の外套を羽織る。同じく防水・防汚加工を施し直した長靴に足を通す。手早く編み上げた。
ぐるり、と与えられた自室を見回す。
降り積もる過去の気配。初めて訪れた際にスイが見せた表情から察するに、静寂のなかにも濃密な思い出が染み込んでいるのだろう。“ミゲル”という名の宝飾細工師が住んでいた部屋だ。
――人間となった彼女に。
生みの親とも言えそうなかれは、一体何と言ったのだろう――?
自分の息子、ヨーヴァによって為されたことに。
「わかんねぇよな。……直接訊くか。さっさと行って連れ戻さねえと」
独り言ち、踵を返して扉に向かう。トントン……と、階段を降る軽めの音。
爽やかな早朝の光差す窓の外。
やがて、庭に待機していた天馬レギオンの翼が力強く羽ばたき、魔術師の家は再び無人となった。
家主のいない魔術師の家では、慌ただしく旅支度をすすめる居候三名の姿があった。
荷は最小限。そもそもの目的はスイの身柄確保。あるいは副都の破壊阻止だ。
(あいつが、自分から何かを傷つけたり壊したりってのは想像つかねぇが……相手があの、黒幕そのもののじいさんじゃな。ブチ切れついでに魔術師ギルドの塔くらい倒壊させたっておかしくねぇんだよ。止めろよ、国王夫妻も……)
知らず、渋面となる。
おやじ、おふくろとはまだ呼べる気分ではない。――ついでに兄貴、と、心でだけ付け加える。
昨夜、ウォーラから聞いたのはスイから届いたメッセージ。その危険すぎる解釈と、事の経緯についてだった。
* * *
『――大掃除、というのは、魔術師の塔への直談判。場合によっては討ち入りだろうね。我々宝石の精霊にとっては天敵どもの巣窟だ。壊してくれていっこうに構わない』
『おいおい』
なまじ穏やかな口調のため、つい聞き逃しそうになったセディオは慌ててスープ皿に落としていた視線を上げて突っ込んだ。
普段ならスイが座る正面の席。そこにウォーラが掛けている。健啖家らしいが食事作法そのものはとても優雅だ。
先の言は、夕食中であることを忘れるほどの物騒さに満ちていた。
心情的には大いに頷けるものの、周辺区域への被害を考えると、反射的に人間を庇ってしまう。
今は紺と若葉、薄桃の遊色を閉じ込めた瞳が温度のない視線を青年に投げかけた。
セディオはそれを受け止め、若干、居心地悪そうに肩をすくめる。
『……仕方ねぇだろ。あんなんでも、職工の街――副都は俺が育った街だ。みすみす壊されたくはない』
コト、と優美な指が銀色の匙を卓上へと戻す。ウォーラは食後茶の器に手を伸ばしながら、実に感情を込めずに呟いた。
『別に。非難しているわけではない。人の子とはそういうものだと理解している』
『そりゃどーも。……悪ぃな。天敵の肩を持っちまって』
しん。
つかの間冷えた空気を察し、キリクがおそるおそる発言する。
『えぇと……お師匠様からの伝言は夕刻前だったんですよね。いいんですか? 今、こんな風に悠長に話していて』
不安げに揺れる、空色の瞳に。
都市の長は表情を緩ませ、唇の両端をわずかに上げた。まなざしの色がほのかに和らぐ。
『問題ない。ギルドの受付時刻は過ぎていた。人の世は特に、時の精霊の打ち立てた理からは逃れられないものだろう? スイとて例外じゃない』
『じゃあ、明日の朝一番に行っても?』
『……そうだな』
ざく、と葉を重ねたまま煮込んだキャベツにフォークを突き刺し、何事か考えつつセディオは述べた。
『王都から副都までは、乗り合い馬車で四時間。貸切り高速トカゲ車なら二時間か。……スイなら断然後者だよな。おそらく朝イチであっちに着いてる。ウォーラ、それを俺らに伝えに来たってことは、スイを連れ戻してほしいんだろ?』
澄んだ青の視線と水蛋白石のまなざしが卓上でぶつかる。『そう』と、やがて白い青年が根負けしたように答えた。
そこで、すっと、ちいさな手が挙がる。
場の注目を集めたあと、エメルダはおもむろに口をひらいた。
『あの。どうしてウォーターオパールさんは』
『ウォーラでいいよ』
『……ウォーラさんは、一緒に行かないの? 長だから?』
人の子の二人は、はっと少女を凝視した。
確かに。
かれは魔法を操り、多種の方法をとれそうな秀でた精霊なのだ。それこそ《門の精霊》を喚んで、みずから赴けるはずなのに。
三名は揃ってウォーラを見つめる。
しばらく黙りを通していた青年はやがて、しぶしぶ言を紡いだ。
『……契約なんだ。スイから長の位を引き継いだときの。私は人の世には行けない。行けば、必ずあの男に報復してしまう。本体の輝きが曇るから、それだけはしてくれるなと――』
戒められたんだ、と。
続く語尾は、青年の唇のなかで省かれた。
* * *
きゅ、と斜め掛けできるタイプの荷袋の口を縛り、防水の蝋を引いておいた灰色の外套を羽織る。同じく防水・防汚加工を施し直した長靴に足を通す。手早く編み上げた。
ぐるり、と与えられた自室を見回す。
降り積もる過去の気配。初めて訪れた際にスイが見せた表情から察するに、静寂のなかにも濃密な思い出が染み込んでいるのだろう。“ミゲル”という名の宝飾細工師が住んでいた部屋だ。
――人間となった彼女に。
生みの親とも言えそうなかれは、一体何と言ったのだろう――?
自分の息子、ヨーヴァによって為されたことに。
「わかんねぇよな。……直接訊くか。さっさと行って連れ戻さねえと」
独り言ち、踵を返して扉に向かう。トントン……と、階段を降る軽めの音。
爽やかな早朝の光差す窓の外。
やがて、庭に待機していた天馬レギオンの翼が力強く羽ばたき、魔術師の家は再び無人となった。
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