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第一章
良薬は口に苦し
しおりを挟むさて、薬種問屋の鹿島屋へ奉公にあがった睦月結之丞は、番頭の慈浪に叱られつつ、水汲みや掃除などきりきりと働いてみせ、ひと月が経過した──。
「見知らぬ土地の風にあたり、疲れがたまったのだろう。生活環境が変われば、体調に支障を来すもの。きみが寝込んでしまうのは、当然の頃合だ。なにも気にすることはないよ。きょうは、このままゆっくりおやすみ」
朝から熱をだして敷布団に横たわる結之丞の枕もとで、そう云う千幸は、盥の水で手ぬぐいを絞ると、少年の額に乗せた。若旦那の肌は、男にしては妙に白い。地味な薄物を着た手足は、女のように細く見えた。
「……若旦那さま、すみません」
結之丞は、熱のせいで喉が渇き、声をだすのもやっとだった。千幸はやさしい表情のまま、静かに首を横へふる。
「待っておいで。今、白湯と薬をもってこよう」
若旦那は百味簞笥に保管してある生薬を調合するため、簾戸をあけて店の間へ向かった。鹿島家では、蔵の先にある六畳間に、奉公人を住まわせている。同室の男どもには、古参もいれば若い者もいた。ちなみに、現在の奉公人のなかで、結之丞は最年少である。
「千幸、具合でも悪いのか」
必要な生薬を細かく刻んで混ぜ合わせる若旦那のところへ、番頭の青黒い顔をした慈浪国光が姿を見せた。四十代半ばの彼は、大旦那のころからの使用人で、鹿島屋では幅を利かせる人物である。大工の棟梁として世渡りをしていたが、千幸が生まれた年に鹿島屋へ引き抜かれ、多忙な主人を支えてきた。幼い千幸のおむつ替えや子守は、まだ若い慈浪の役目だった。
「おはようございます。これは結之丞くんに煎じるものです」
「あの気負いすぎる小僧か」
「……慈浪さん、あまり無理をさせないでくださいね。先代が雇い入れた奉公人が実によく働くのは、番頭の躾が行き届いているからとはいえ、ぼくは完璧など求めてはいません」
「奉公人を、お店の役に立つ人材に育てるのが、おれの仕事なんだよ。辞めてゆく者がいるならば、早いに越したことはない。無駄骨を折らずにすむ」
奉公の辛さを理由に逃げだす者は、意外と多い。不満のひとつも云わず尽くす者に、給金をはずむということもない。わざとらしく溜め息を吐く慈浪の叔母は、漢方の医術を用いて身体の不調を治療する蘭学者だった。小さいころ手伝いをしていた彼は、少しばかり薬材の知識を備えている。本人は病気知らずの薬要らずだが、葛根や大棗などの配合から病人の症状を見抜くと、厠へ向かった。
若旦那は、青銅の薬研で粉末になるまで薬材を碾き、台所で急須と茶碗をもらい、結之丞のところへ戻った。その廊下の途中で、ふと、足をとめる。家人ではない誰かが、庭木の向こう側に隠れていた。
〘つづく〙
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