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第42回[廃村の池]
しおりを挟む山奥に存在した集落に、織江は産科を開業し、男性の腹から赤子をとりあげている。そう記された手帳や、当時の織江を取材した人物の証言(地方紙に掲載された記事)によると、胎児の額には生まれつき痣があったという。また、喫茶店で遭遇した滝沢の情報(正しくは大学教授の調査結果)では、廃村となった今でも、現場は手つかずのまま放置されていることが判明した。実際に足を運んだ礼慈郎が目にしたものは、朽ちた家屋や、雑草にまみれた土地といった有様である。昨夜の雨で地面は泥濘み、湿った風が吹いていた。すでに夕闇につつまれた山の中腹で飛英の捜索を続ける礼慈郎は、当時、問題発起されたであろう産科の建物を発見した。
集落から離れた場所に、木造の小屋が立っている。内部に足を踏みいれると、割れた窓ガラスの破片や、薬品らしき瓶、腐った木材が散乱し、ツンとしたカビ臭い空気が流れていた。錆びたパイプ式ベッドや戸棚の段差に降り積もる埃は、経過した長い年月を思わせる。礼慈郎は持ち歩く飛英の梅小紋と旅行鞄を壁ぎわへおくと、壊れかけた机の抽斗をあけた。古い注射器やガーゼ、使いかけの燐寸箱などが入っている。奥からゴロッと蝋燭が転がってきたので、試しに軸の火薬を擦ってみると、あざやかな火の粉を散らして引火した。蝋燭の灯りを手に周囲を見まわすと、破れたカーテンの向こう側に、劣化した手術台の一部が見えた。歩み寄って表面を確認すると、全体的に黒いシミがひろがっていた。日焼けによる変色にしては、やけになまなましい痕跡につき、思わず顔をしかめた礼慈郎は、飛英の姿を探した。
「織原、」
ひと足先に訪ねているはずの飛英は今、どこにいるのか。青年を追ってここまできた礼慈郎は、割れた窓の外へ視線を向けた。雑木林の葉が風にゆらいで、ザワザワと音をひびかせている。遠くで、ポトンッと、一滴の雫が水面へ落ちる音が聞こえた。
「……織原?」
不意に、飛英がみた夢の話を思いだした礼慈郎は、ハッとして小屋をでた。ひとりの青年が池に落ち、白髪の男に助けあげられ、人形のような扱いを受けたという、こわい夢である。
「池か、」
集落のどこかに池があると考えた礼慈郎は、荷物を病室へおいたまま、いったん引き返した。くぼ地に自然に淡水が溜まり、湖より小さく水深5メートル程度の浅い水域が、ふつうの池である。ただし、人の手により地面を掘っていた場合、最深部の推測はむずかしい。飛英のみた夢のとおりならば、池の水底には男の死体(白骨)が沈んでいることになる。そうとは知らない礼慈郎は、蝋燭の火が消えないうちに池を見つけだす必要があるため、先を急いだ。
「織原、どこだ!」
暗い廃村をめぐる礼慈郎に、予期せぬことが起きた。視界に過る人影を捉え、後を追うと、蝋燭の灯りに浮かぶおぼろげな顔を見据えた。
「おまえは……、」
人影の正体は、喫茶店で自己紹介をした書生の滝沢だった。臙脂の着物は暗闇になじんでいたが、衿もとからのぞくスタンドカラーシャツは、白く澄んで目立つ。飛英に織江の情報を提供したあと(実際はひとりで勝手にしゃべっていた)、なぜか気になって足を運んだという。滝沢から「お連れのかたと、ご一緒ではないのですか?」と訊かれた礼慈郎は、微かに眉を寄せた。
✓つづく
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