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第56回[池の畔]
しおりを挟む飛英を見つけるため山奥へと進む礼慈郎は、時刻が昼近くになると、いったん足をとめ、うしろをふり向いた。だいぶ遅れて追いつく滝沢に、「番号を教えてくれ」と、いきなり切りだす。
「ゼェ、ハァ……、それは、なんの番号ですか?」
「今から十日後、どこにいる?」
「十日後ですか? そのころは大学の研究室にいるかと、」
「では、大学か研究室か、どちらかの番号を教えてくれ。十日後、おれから連絡がなければ、帝都の南側にある闇市へいき、事務所の誰かに報せてもらいたい。織原の名前をだせば、耳をかすやつがいるだろう。」
「や、闇市ですって? このぼくに、捜索願を出せってことですか?」
「否、真逆だ。邏卒の力を借りず、織原の関係者に人探しを頼んでもらいたい。あくまで緊急時の備えだが、協力してもらえると助かる。」
「織原さんって、闇市の人間だったのですか? な、なんだか意外ですね。……この先、ぼくがいっしょだと、不都合というわけですね? わかりました。その役目、引き受けさせていただきます。闇市には、少し興味がありましたし……。」
「利用して悪いな。」
「とんでもない。お役に立てることがあってよかったです。元はといえば、ぼくが織原さんに持ちだした話ですから……。」
まったくの偶然とはいえ、滝沢から廃村の情報を入手した飛英は、礼慈郎にないしょで行動を起こしている。また、捜索願は他人が出すことはできない(対象者と血のつながりがなければ受理されにくい)ため、礼慈郎は闇市の人間に判断を委ねることにした。ごく短い期間とはいえ、飛英は闇市で働いた経歴をもっており、世間の常識が通用しない住人が群がっている場所だが、薄情者ばかりではない。
明るいうちに滝沢を下山させた礼慈郎は、ふたたび斜面をのぼり、やがて、集落の奥地にある池を発見した。昼間だというのに全体的に薄暗い池は、樹木が生い茂る自然の中にあり、人工的に手を加えてつくられたものである。湖より浅く、地面のくぼみに水がたまった沼のようにも見えた。岸辺には植物が生え、長年放置されていたとは思えないほど、水質は損なわれていなかった。たとえ動植物の死骸(有機物など)によって環境が一時的に汚濁しても、量が少なければ、水中に棲息する微生物に分解され、本来の状態が保たれる。
「織原……、」
水面の一角に浮かぶ蓮は、早朝に開花し、昼には閉じてしまう草本性の水生植物である。風にざわつく草花をよそに、礼慈郎は池のまわりを歩き、対岸の畔へ向かった。しだいに靄が立ちこめ、視界を曇らせた。だが、礼慈郎は黙々と歩きつづけた。ふいに、池の面に輪のような波紋がひろがった。淡水魚でもいるのかと思い、水際へ近づくと、小魚の鱗が銀色に反射して、ほんの一瞬、礼慈郎の目を眩ませた。
✓つづく
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