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第五章 亡霊は魔王の城に突入する。

第四十六話 生きていた男

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「ここを抜ければ……魔王の城は目と鼻の先じゃがな……」

 渓谷の入り口に辿り着いたところで、少女はあごしたたる汗をぬぐって、ポツリと呟いた。

 栗色の巻き毛に、はしばみ色の真ん丸な瞳。

 見た目には、十歳にも満たないような幼い少女。

 ハノーダー砦の従軍司祭、ソフィーである。

 何日もの間、魔物の徘徊はいかいする森を彷徨さまよったせいで、青の十字をあしらった修道衣は、かぎ裂きだらけで見る影もなく薄汚れ、頭巾ウィンプルもすでにどこかにいってしまった。

 碌に休養することも出来ずに歩きに歩いて、疲労はピークに達している。

 だが、

「待っているのじゃぞ……コータ」

 一途な想いが、彼女の身体を突き動かしていた。

 陥落するハノーダー砦から、彼女を逃がしてくれたのは騎士団長ゴディン。

「司祭殿、もはや守るべき砦はございません。あなたは……あなたの心のままに行動されれば良い」

 そう言って、彼はにこりと微笑んだ。
 
 彼はソフィーが何のために大司教の地位を捨ててまで、この最前線の砦に来たのか薄々分かっていたらしい。

 確かに、彼女がここに来たのは、行方不明となったコータの身を案じてのこと。

 なんとか魔王領へ向かうことは出来ないものかと機会を伺っていたが、まさかこんな形で叶う事になろうとは。

 そして、ゴディンは魔王軍を率いる黒山羊頭の悪魔に一騎打ちを申し込んで注意をひき、その間に彼女を逃れさせたのだ。

 探知の魔法を使って、コータの痕跡を探しながら森を彷徨さまよい、毒の沼地を抜け、そして今、彼女は渓谷へと辿り着いた。

 この渓谷を抜ければ、もはや魔王の城はすぐそこ。

『コータは生きているのでしょうか?』

 彼女の信じる『神』にそう問いかければ、『生きてるよ』、そう答えが返ってくる。

 ならば、もう魔王の城に囚われているとしか、考えようが無い。

 まともに魔物を倒す術を持たない自分が、魔物の巣窟に侵入する。

 そう考えただけで、脚がすくんでしまいそうになる。

 だが、最早引き返すという選択肢は存在しない。

 恐怖心とはやる気持ちのい交ぜになった形容しがたい感情を抱えながら、彼女は疲れた身体を引き摺って、渓谷に足を踏み入れる。

 時刻は夕刻。

 彼女は知るよしもないが、玉座の間からエルフの少女に叩き落とされた骸骨が、弾け飛んだパーツを集めて、再生し始めた頃のことである。

 両脇は切り立った崖。

 ウネウネと曲がりくねって見通しの悪い一本道。逃げ場もないその道を、彼女は足を引き摺る様にして歩いていく。

「……魔物に出会わぬことを、祈るのみじゃな」

 だが、残念ながら、その祈りは彼女の神には届かなかったらしい。

 わずか十五分後、見通しの悪い一本道の向こう側から、一匹の魔物が姿を現した。

 棒のように細い脚、その先端の鋭い爪。

 蝙蝠のような翼に蛇の尻尾。

 鱗塗れの後半身に、雄鶏の前半身。

 農家の幼い子供が、知ってる動物を組み合わせて作った『僕の考えた最強モンスター』とでもいう様な節操のない風体。

 ――コカトリス。

「また……厄介なのが、出てきおったもんじゃな」

 ソフィーがそう呟いた途端、

 コカトリスは「クケェ!」と短い鳴き声を発し、問答無用とばかりに、左右に首を振りながらブレスを吐いた。

「うおっ!?」

 慌てて背後に飛び退くソフィー。だが、躱しきれない。

 グレーの煙のようなそのブレスが手に触れるや否や、触れた部分から、パキパキと音を立てて石に変化し始めた。

「くっ……主よ! 悪しきかせより解き放ち給え! 解呪ディスペル!」

 彼女が魔法を唱えた途端、石化しはじめていた腕が、元の色彩を取り戻していく。

「どうするのじゃ……逃げるのか?」

 ソフィーは、自分自身にそう問いかける。

 胸の奥から返ってくる答えは――『ふざけんな』。

 ここまで来て、引き返せる筈などない。

 ならば、防御しながら、あの魔獣の脇をすり抜けるしかない。そして、すり抜けた後はひたすら走って逃げる。それしか無い。

 そう決めてしまうと、ソフィーの行動は速かった。

「うぁああああああっ!」

 灰色の煙が霧消むしょうした途端、彼女は声を上げながら、コカトリス目掛けて、突っ込んでいく。

 流石にブレスを連続で吐けはしないだろう。すり抜けるなら今をおいて他にはない。

 だが、魔獣が黙ってそれを見逃してくれる筈も無かった。

 コカトリスは鋭いくちばしを、ソフィー目掛けて振り下ろす。

 正面から迫りくるくちばし

 ソフィーは前へと手を突き出して、声を限りに叫んだ。

「主よ、祈りに応え給え! 悪しき者、猛き者、穢れし者より守り給え! ――セイクリッド・ウォール!」

 彼女の眼前に現れた見えない障壁がくちばしを弾き返し、コカトリスは、一歩、二歩とよろめく。

「やった! ……のじゃ?」

 彼女がコカトリスの脇をすりぬけて快哉を上げかけた途端、その声のトーンが一気に落ちた。

 コカトリスの背後、一本道の向こうから更にもう一匹のコカトリスが、彼女の方へと迫ってくるのが見えたのだ。

「ああ……コータぁ」

 絶望に囚われた途端、彼女の身体に重く疲労がし掛かる。

 項垂れるように地面に座り込んだ彼女を、二頭のコカトリスが見下ろしてくちばしを開いた。

 くちばしの内側でわだかまる灰色の煙。

 ――石にされてしまえば、痛みを感じることも無いのが、せめてもの救いじゃな。

 彼女が自嘲気味に唇を歪めたその瞬間、彼女の視線の先、夕陽に照らされた赤い地面に、ぽつりと黒い影が落ちた。

 思わず見上げた彼女の視界に、崖の上から飛び降りてくる男の姿が映る。

 それは、二メートル近い巨漢。

 その男が、空中で両手に掴んだ二本の剣を振るうと、コカトリスの首があっさりとね飛ぶ。

 そして、男が着地した途端、二体の首の無い魔獣は、よろよろと数歩歩いた末に、壁面にもたれ掛かる様に倒れ込んだ。

「はははっ、こりゃーまた珍しいところで会うもんだな、おい。元気そうじゃないか。ちびっ子」

 男が、ソフィーを見下ろして、裸の上半身、その厚い胸板を震わせて笑う。

「ちびっ子いうな。相変わらず粗暴な男じゃな、お主は……死んだと思っておったがのう。しぶとい奴じゃ」

 ソフィーは肩を竦めてそう言うと、笑いながら男の顔を見据える。

 そして旧知の、その男の名を呼んだ。

「のう、バルタザール」
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