上 下
123 / 143
第五章 亡霊は魔王の城に突入する。

第五十話 VS百面の悪魔

しおりを挟む
「ちびっ子! 返事をしろ! ちびっ子!」

 バルタザールの声が、虚しく回廊に響き渡る。

 だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。

 背後から響いてくる無数の魔物の足音。

 周囲を取り囲むシャドーストーカーの気配。

 絶対絶命の文字が、脳裏で明滅する。

「くそったれぇえええ!!」

 バルタザールは忌々いまいましげに扉を蹴りつけると、剣を振るって周囲を闇雲に斬りつけた。

 光精霊ウィル・オー・ウィスプを宿した剣が放つ、淡い燐光の他に光源の無い暗闇。

 最早、眼は頼りにならない。

 灯りはちびっ子ともども、扉の向こうへと呑み込まれてしまった。

 剣を伝ってくるシャドーストーカーを切り裂く感触。

 相変わらず周りは奴らで一杯。このままではジリ貧だ。

「ちっ!」

 バルタザールが舌打ちすると同時に、彼の足元でガチャガチャと金属音が鳴って、再び鋼の車輪が飛び出す。

 やられる前にやるしかねぇ!

 彼は激しく火花を散らしながら、もと来た道を、迫りくる魔物の群れの方へと疾走はしりだした。

「ぐぎゃ!?」

 驚いたのは魔物達の方である。

 ゴブリンとオークの混成部隊。彼らの方へと、床の上を這う様に赤い火花が猛然と迫ってくるのだ。

 ゴブリン達は怯み、足を止めて後ずさる。

 だが、バルタザールは速度を落とさない。

「うぉらあああああああああ!!」

 彼は獣のような雄叫びを上げて、そのまま二本の剣を真っすぐに掲げながら、放たれた矢の様に魔物の群れへと突っ込んだ。

「ぎゃっ!?」

「ウヴォおお!」

 彼は、二匹、三匹と魔物を串刺しにしながら、群れのど真ん中を抜けて螺旋階段の手前へと辿り着くと、ギャギャギャッ!! と甲高い音を立てて方向転換。

 串刺しの魔物達を車輪の付いた足で蹴り倒して剣を引き抜くと、再び、魔物の群れへと突進し始めた。

 逃げまどう魔物達。それを追い立てる様に、バルタザールが剣を構えて突っ込んでいく。

 挟み撃ちにしたつもりが、気が付けば追い立てられる立場になっているのだ。魔物達にとっては、災厄としか言いようがなかった。

 魔物達は逃げ惑った末に、左右の壁に張り付くようにして、バルタザールの通り道を開け、逃げ遅れた魔物達は背後から串刺しになる。

 再び方向転換をしようとしたバルタザールの目に、うっすらと扉の輪郭が見えてきた。

「開いてやがる!」

 どういう訳か、閉じた筈の扉が開いている。

 ――罠か? まあ、そうだろうな。

 だが、突っ込む以外に選択肢は無い。

 バルタザールは力任せに二本の刀を振るって、串刺しの魔物を振り落とすと、一気に部屋の中へと突っ込んだ。

 横滑りする車輪が一層激しく火花を散らし、勢いに振り回されながら、バルタザールは停止する。

「ちびっ子!!」

 だが、返事はない。

 背後で獣の悲鳴のような音を立てて、扉が閉じた。

 バルタザールは剣を十字に構えたまま、ゆっくりと周囲を見回す。

 暗い部屋。だが、壁面に設置された梯子、それが伸びている天井の穴から入り込んでくる光が、照明のように一隅を照らし出す。

 そこに、暗灰色のローブ姿の人物がたたずんでいるのが見えた。。

「なんだ、てめぇ……」

 バルタザールが片方の眉を吊り上げると、部屋の中に大勢の人間の声が響き渡った。

『よう! 剣士』『おまえの相手は私だ』『あんたなんか魔王様のあいてじゃないってことよ』『いやぁん、けっこう好みのタイプだわぁ』『死ねよ、クソ野郎』『ぎゃははははは!』

 まさに口々に、と言ったところ。

 戸惑うバルタザールの目の前で、ローブ姿の人物は被っていたフードを脱ぐ。

 フードの内側から現れたのは、まるで葡萄ぶどうのような異様な頭。

 鈴なりになっているのは無数の小さな顔。

 それが、口々に声を上げていたのだ。

「こりゃまた、気色の悪いのが出てきやがったな……」

 バルタザールが思わず頬を引き攣らせると、その顔の一つ一つが一斉に抗議の声を上げた。

『なんだと!』『容姿を云々するのは無礼であろう』『まあ仕方ないんじゃないの、ワタシもキモいと思うし』『あ、俺もそう思う』『おまえら、どっちの味方だよ?』『キモいっていう人の方がキモいんですぅ! バーカ、バーカ!』『ぎゃははは!』

 口喧嘩を始める奴もいて、バルタザールは話を聞いているだけで、頭がおかしくなりそうな気がした。

「ちびっ子をどこへやった!」

『誰か知ってる?』『知ってたって、言う訳ないじゃん』『ちびっ子をどこへやった~だってさ、だっさww』『ロリコン?』『ぎゃははははは!』

 バルタザールは車輪を引っ込める。この狭い部屋では、身動きしにくいだけだ。

「おい、化け物」

 バルタザールが、そう口にした途端、

『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』

 ざわざわと、ざわめきが起きる。

 そして、

『『『『『『死ね!』』』』』』

 無数の顔の声が、憎しみ混じりの一つの言葉に集約された。

「うぉおおおお!」

 先に動いたのはバルタザール。

 彼が二本の剣を交差させながら、相手の懐に飛び込もうとした途端、百面の悪魔は、口々に声を上げた。

くびきつなげ! 鈍重スロウ』『安らぎの砂よ! 微睡スリープ』『死神の影を踏め! 疫病ディジーズ』『背負え! 加重インクリーズウェイト』『浸食せよ! 猛毒ポイズン

 一斉に唱えられる暗黒魔法の数々。

 百面の悪魔の眼前に、幾つもの魔法陣が現れた。

「うぉ!?」

 そこから噴き出す禍禍まがまがしい瘴気しょうき。バルタザールは、横っ飛びに飛び退いて、そこから逃れる。

 だが、地面を転がって立ち上がろうとした途端、彼は大きくよろめいた。

 足元の踏ん張りが効かない。身体が異常なほど重い。身体中が燃え上がるように熱い。

 全てを喰らった訳では無いが、かわせなかった幾つかの魔法が、バルタザールの身体をむしばみ始めたらしい。

 状態から考えれば、恐らく『疫病ディジーズ』と『加重インクリーズウェイト』。もしかしたら『鈍重スロウ』も喰らっているかもしれない。

「実質、何対一だよ、これ……」

『あはははは!』『もう、まともに動けねぇだろう』『あはは、ださっ! 弱っ!』『かっこ悪い』『大丈夫、大丈夫、すぐに楽にしてやるよ』『ぎゃははははは!』

 バルタザールは剣を杖にして立ち上がると、息を荒げながら再び身構える。

『これでとどめだね』『はい、おじさんサヨナラ!』『死んじゃえ!』

 いくつかの顔が嘲笑するように声を上げ、それに魔法の詠唱が続いた。

『爆ぜよ黒炎! 闇の炎ダークフレイム!』『暗雲より来たれ! 雷霆サンダーボルト!』『もいっちょ! おまけだ! 暗雲より来たれ! 雷霆サンダーボルト!』

 炎と雷が渦を巻く様に、バルタザールの方へと殺到してくる。

「くっ!」

 バルタザールは声を喉に詰めると、剣を交差させて身を固くした。

「ぐぁあああああああああああああ!!」

 バルタザールの悲鳴が、部屋の中に反響した。

 シューシューと音を立てて立ち昇る黒煙。頭だけはなんとか守った様だが、バルタザールの身体中には赤黒い火傷。身体の表面で染み出した体液がぐつぐつと煮えていた。

 剣こそ手放しはしなかったが、彼はガクリと両ひざから崩れ落ちる。

 それを目にして、百面の悪魔は口々に声を洩らした。

『死んだな』『ふむ、敗者に敬意を』『弱っわwww」『帰ろ、帰ろ!』『ぎゃははは!』『魔王様に報告しにいかなきゃねー』

 百面の悪魔は背後を振り返って、壁際の梯子に手を掛けた。

 その瞬間の事である。

 座り込んだバルタザールのズボンを突き破って、膝と脛から車輪が飛び出したのだ。

 背後から響いた金属音に、百面の悪魔が振り返る。

 無数の目が見たもの。それは膝立ちの姿勢のまま突っ込んでくるバルタザールの姿。

 これには、流石に百面の悪魔も不意を突かれた。

 剣を揃えて突っ込んでくるバルタザールをかわす事も出来ずに、百面の悪魔は、その胸を貫かれて壁面に縫い付けられる。

「死にぞこないがぁああ!」

 それはしわがれた老爺のような声。

「はは……それが本体の声ってことかよ」

 垂れ下がった幾つもの顔の奥から、憎しみに満ちた二つの眼がバルタザールを睨みつける。

 だが、やがてその目からも光が失われていく。百面の悪魔はガクガクと小刻みに震えて、動かなくなった。

 しかし、バルタザールも既に限界を迎えていた。

「ああ、やべぇ……な」

 そう呟いた途端、彼はそのまま床の上へと突っ伏した。



 ◇ ◇ ◇



『ありえないほどの魔力です』

『やはり、ただの人間ではないのか?』

『いえ、只の人間なのですが、どこからか、途切れることなく魔力が供給されています。核として使うなら、これ以上望むべくもないでしょうな』

 どこか遠くから話声が聞こえてくる。

 人の言葉ではないようだが、何を話しているかは、はっきりとわかった。

 ソフィーは、かすみがかった意識の中で、ぼんやりと考える。

 ワシは……どうなったのじゃ?

 水の中にぷかぷかと漂っているような感触。暗い皆底に沈んでいくような感覚。

『奴らはあとどれぐらいで、ここへ来るのだ?』

『あと数時間といったところでしょうな』

『装填を急がせろ。封印を強くし過ぎるなよ。魔力が行き渡らなくな……』

 話声が遠ざかり始める。

 再び、ソフィーの意識がゆっくり暗闇の中へと墜ちて行った。
しおりを挟む

処理中です...