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最終章 亡霊剣士の肉体強奪リベンジ

第五十六話 逃げた記憶

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「ほんっっと! 重いわね。こいつ」

 ワシャワシャと八本の脚をうごめかせて回廊を歩きながら、アリアは蜘蛛の身体に載せた男の方に、ジトッとした視線を向ける。

 それは上半身、裸の男。

 下半身はというと、ボトムスは膝から下がボロボロで、フリンジのように破れた布地が揺れている。そして何より目を引くのは、布の間から覗く甲冑の脛当てグリーブのような金属の脚。

 あの後、暗闇の中に突っ込んでいったニコの後を追うと、そこには一人の男が倒れていた。

 それがこの男、バルタザールである。

 身体の正面は酷い火傷を負っていて、壁面には暗灰色あんかいしょくのローブが二本の剣で縫い付けられていた。

 目に見える様な傷は、全てドナが治癒魔法で直した。脈があるのも確認している。だが、未だに目を覚ます気配が無い。

「たぶん、重いのは脚の部分でしょうね」

 そう答えたドナはニコとともに、ずっと後ろの方を歩きながら、鼻を摘まんでいた。

 それというのもこの男。異常に臭いのだ。

 腐った魚を煮詰めた様な臭いが、彼の脇の辺りから漂ってくる。

「もうその辺に置いて行っちゃダメ? 目に染みるのよ! ねぇ神官。アンタ、なんとかできないの?」

「一応、浄化魔法は掛けたのですけど……」

 ドナがそう答えると、バルタザールの二本の剣を背負ったニコが、両手で鼻を押さえながら、話に割り込んできた。

「にゃはは……バルたんは意識を失うと、急に臭くなるんだにゃ。魔物避けの加護って言ってたにゃ」

「どんな加護ですか、それは……」

「じゃあ、コイツが起きたら臭いが消えるのね! 起こして! 今すぐコイツ起こして!」

「にゃはは、その臭いのお陰で、ここまで魔物が出てこないのにゃ。もうちょっと頑張るにゃ」

「アタシだって魔物よ! アンタ達が背負いなさいよ!」

「ヤだにゃ!」

「お断りします!」

「きぃいいい! 捨てる! その辺に捨ててやる!」

「まあまあ、で、ありあん。今どこに向かってるのにゃ?」

 アリアが八本の脚を蠢かせて、器用に地団駄を踏むと、ニコはなだめるような素振りを見せながら、あっさりと話題を変えた。

「変な名前で呼ばないでって言ってるでしょ! って、そんなのでごまかされないわよ!」

 だが、

「どこに向かっているんです? ありあん」

「アンタまで!? もう! 魔導実験や召喚に使われてる研究室が、上のフロアにあんのよ! そこへ向かってんの!」

 ドナにまで名前をいじくられると、アリアはあっさりと誤魔化された。

「研究室ですか?」

「そう。聖剣を手に入れたら、破壊出来ないまでも封印しようとするはずだから。そこにあんじゃないかなってね。まあ、勘だけど」

 そんなやりとりから数分と経たない内に、上へと続く階段が見えてきた。

 階段を上ると、そこは真っ直ぐに続く長い通路。

 壁の両側には、目盛のように木製の扉が一定間隔に並んでいた。

 扉にはどれも特徴がなく、見分けがつかない。

 アリアはゆっくりと歩き始めると、扉を指さして数えていく。そして十三個目を数えた所で立ち止まり、ドナ達の方を向いて声を潜めた。

「ここなんだけど……ね」

 ドナには、アリアが言わんとしていることが分かった。扉の向こうに、敵がいる可能性があるのだ。

 アリアはバルタザールを降ろして壁にもたせかけ、ニコはその足元に二本の剣を置く。

 そして、ドナとニコは鉄槌スレッジハンマー中短剣グラディウスをそれぞれに構えた。

「まずは私が」

 ドナは壁に身を寄せて扉を開くと、身を翻して一気に扉の内側へと飛び込む。

 部屋の中は、廊下よりもわずかに明るかった。高い位置にある明かり取りの小窓から入り込んだ月光が、部屋の中を照らし出している。

 ドナは鉄槌を振り上げたまま、ゆっくりと部屋の中を見回す。

 壁際、窓の下に雑然と物が山積みになった長机。他には調度品らしきものは何も無い。何かが身をひそめられそうな物はなにも無かった。

 ドナは、ふぅと小さく息を吐くと背後を振り返る。

「大丈夫です。なにもいません」

 そして、三人はゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れる。アリアは蜘蛛の身体のままでは扉をくぐれないのだろう。既に人型に変わっていた。

「ここに……聖剣があるのですか?」

「あるとは言ってないわよ。あるかも。そう言ったの」

 探す場所は限られている。ドナ達は長机へと歩み寄ってその上を眺めた。
 
 山積みの羊皮紙の束や、様々な色の液体を満たした瓶。良く分からない金属製の器具などが、乱雑に散らばっている。

「聖剣らしきものは特に……」

 ドナがそう口にしかけた途端、

「にゃ! コータの剣にゃ!」

 ニコが羊皮紙の山を崩して、その下から一本の短剣を拾い上げた。

 それは古びた短剣。

 錆びてはいないが、刀身は曇っていて、つかに巻かれた皮もぐずぐずで、今にも剥がれそうになっている。

 それこそ下取りに出しても、逆に金を取られそうな代物だ。

「まさか、そんなのが『聖剣』な訳ないじゃない」

 アリアが呆れたとでもいう様に肩を竦めると、

「いんや、そいつが『聖剣』だぞ」

 背後から低い声が響いた。
 
 慌てて声のした方へ目を向けると、部屋の入り口あたり、そこに、腕組みしながら壁にもたれ掛かるバルタザールの姿があった。

「バルたん! 起きたんだにゃ!」

「いよぉ! ニコ! 無事だったんだな。心配したんだぜ! ライトナは一緒じゃ……ないみたいだな」

 そう言って、彼はドナとアリアの方へと目を向けた。

「アンタらが治療してくれたんだな、礼をいう」

「いえ、バルタザール様がご無事でなによりです。私はドナ・バロット。中央教会所属の侍祭じさいです」

「中央教会ってことは、ライトナの代理ってとこか? アンタらも聖剣の回収に来たんだな」

 だが、ドナは静かに首を振る。

「いえ、勇者様と共に、魔王を討伐しに参りました」

 途端に、バルタザールの眉間に深い皺が寄った。

「どういう事だ。まさか、コータが見つかったってのか?」

 ドナはここまでの経緯を説明する。が、話が進めば進むほどに、バルタザールの眉間の皺が深くなっていった。

「そいつは……本当にコータなのか?」

「絶対そうにゃ! 昇竜斬しょーりゅーざんを使ったんだにゃ!」

 その生霊レイスを勇者だという根拠はそれだけ。コータの技を使ったという一点だけだ。

 むしろ勇者ではないことを証明する方が、容易な様に思える。

 なにより、(本人は認めないが)コータにベタ惚れの大司教ソフィーが、その生霊レイスに出会っていたにも関わらず、わざわざコータを探しに、魔王の城を目指していたのだ。

 その一点だけでも、その生霊レイスが勇者ではないことを確信させるのには充分だった。

「悪い事は言わねぇ。今すぐ聖剣を持って逃げろ」

 バルタザールがそう言うと、ドナは静かに首を振る。

「いいえ、私たちは彼が勇者であることに賭けたのです。後悔はしません」

 バルタザールは、思わず深い溜め息を吐く。

 これは説得しても無理。そう理解したのだ。

 ここに至っては、彼も既に後戻りはできない。

 大司教ソフィーも連れ去られたままなのだ。それを見殺しにできるはずも無かった。

 ――分の悪い賭けだが……。

 そんなバルタザールの胸の内などお構いなしに、アリアが口を尖らせて彼に詰め寄った。

「そんなことより、アンタ! これが聖剣ってどういうことよ」

「それは仮の姿って奴さ。コータが手にすることで、本来の聖剣の姿に戻る。他の奴が幾ら使おうとしても、只のボロい短剣なんだわ」

「意味わかんないわよ。なんでそんな無駄なことを……」

「そいつぁ、神様に聞いてくれ」

 バルタザールは揶揄からかうように肩を揺すり、アリアはムッとした顔になる。そんな二人に割り込むように、ドナが口を開いた。

「あとは、聖剣をどうやって勇者様にお渡しするかですね」

「それなら大丈夫。気配を感じるわ。多分、あいつはもう城の中に入ってる」

「わかるのですか?」

「愛ゆえに……って言いたいところだけど。かなり独特の気配だからね」


  ◇ ◇ ◇


 その頃、レイは今まさに魔王の城へと入ろうとしていた。

 洞窟を抜け、ここから魔王の城だというところで、激しい頭痛に襲われていたのだ。

 ――ッ!? 

 レイが痛みの余り、こめかみへと指を這わせたその瞬間、脳裏に記憶がよぎる。

 それは、これまでに無いほどはっきりとした映像だった。

 荒い呼吸。肩から胸へと走った深い傷がジンジンと熱を帯び、フリルに飾られた袖から赤い血が滴り落ちている。

『必ず……必ず、戻ってくる。復讐してやる」

 苦しげな呼吸に混じって、口からこぼれ落ちる呪詛じゅそにも似た言葉が、残響の様に耳朶じだに残る。

 激しい怒りを抱えて、今にも力尽きそうな身体を引き摺りながら、この洞窟を這う様に逃げた。そんな記憶だった。

「ぎゃぎゃぎゃ!」

 その記憶をさえぎったのは、少し前を歩いていたゴブリンの声。

 立ち止まったままのレイをとがめるように上がったその声に、何匹かのゴブリンが振り返る。

 目立つ訳にはいかない。レイは慌ててゴブリンの列の最後尾へと戻り、何事も無かったかのように歩き始めた。

 魔王の城の中に入って通路を真っすぐ歩いていくと、大きな通路と交差する十字路へと辿り着く。

 そこで黒い甲冑を纏った騎士は、ゴブリン達の方を振り返ると、『ぎゃぎゃ!』っと声を上げた。

 恐らく『解散』とでも言ったのだろう。途端に、ゴブリン達は散り散りに分かれて、多くは広い通路を左の方へ、何匹かは右の方へと歩き始めた。

 黒い甲冑の騎士は身をひるがえすと、真っ直ぐに正面の脇道へと入っていく。レイにはどういう訳か、黒い甲冑の騎士が向かう方向、それが玉座の間へのルートであることが分かった。

 レイは壁際に身を寄せて、息を潜める。そして、フロアに魔物達の気配がなくなるのを待って動き出した。

 彼は、黒い甲冑の騎士が向かった方へと足を向ける。

 脇道を数メートルほど行ったところで、右側の壁が不自然に開いていて、その奥には通路があった。

 記憶を探っていけば、この先には上層階へと続く螺旋階段があるのが分かった。

 ――間違いない。私はここを通った事がある。

 だが、その通路へと足を踏み入れようとした途端、脳裏に『そっちじゃない』と叫ぶ自分自身の声が響く。

 ――ならば。

 レイは左右をキョロキョロと見回すと、衝動に導かれるままに、脇道を真っすぐに進み始めた。

 脇道を進むにつれて、記憶が蘇ってくる。

 あの日、自分は確かにここを通った。ポタポタと、血が石の床に滴り落ちる音が聞こえるような気がした。

 しばらく歩いていくと、通路が尽きた。行き止まり。だが、レイは正面の壁、そこを探る様に指を這わせる。そして、ブロックの影に隠れた小さなスイッチを押すと、音を立てて壁が開いた。

 壁の向こうには、かなり広い部屋。

 恐らく一辺が十メートルほどもあるであろう広い部屋があった。

 その中央には、梯子が垂れ下がっていた。

 駆け寄って上を見上げれば、どこまで続いているのかも分からないほどに長い梯子である。

 そして、レイが梯子を掴んだ途端に、再び記憶の欠片が脳裏をよぎった。

 この部屋の隅にうずくまって、石の床に爪を立てている自分自身の姿。そんな記憶。

 ――何だ? 私はそこで何をしていた?

 部屋の隅へと目を向けて、レイが梯子から手を離したその瞬間、

『ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!』

 背後から魔物の声が聞こえて、レイは腰の剣へと指を這わせながら振り返る。

 そこには、黒い甲冑の騎士が立っていた。

 黒い甲冑の騎士は腰から剣を引き抜くと、

『ふむ、見た目はゴブリンだが、魔物の言葉は通じておらぬようだな。貴様……一体、何者だ』

 そう言って身構えた。
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