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最終章 亡霊剣士の肉体強奪リベンジ
第五十八話 ながいつきあい
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「ふにゃぁ、暑いにゃ……」
茹だる様な熱気に、ニコの舌がだらしなく垂れ下がる。
蒸気で、視界が白く煙っている。
その遥か向こう、ゆらゆらと揺らぐ陽炎の奥に、やたら重厚そうな青銅色の扉が見えた。
「一体……何なんですか、ここは」
肺の中に入ってくる空気がもう熱い。ドナは額に浮かんだ汗を拭いながら、アリアへと問いかける。
そのアリアはというと、姿こそ人型のままではあったが、涼しげな顔をして、汗一つかいている様子も無い。
この辺りはやはり、人間と魔物の違いを感じずにはいられない。
「見りゃ分かんでしょうよ? 火山の中よ」
「え? か、火山?」
バルタザールを加えた一行は、つい先ほど、上の階層へ続く階段へと到達していた。
聖剣を見つけて以降、ここに至るまで、幸いにも魔物が現れることは無く、階段に辿り着く頃には、拍子抜けしたような雰囲気が一行の間に居座っていた。
この調子なら、意外とあっさり玉座の間まで辿り着けるかも。
ドナが、そんな楽観的な想いを抱いたとしても、無理からぬことである。
だが、階段を上がった途端、彼女は思わず目を疑った。
そこにはどう考えても、建築物の中に収まるとは思えない光景が広がっていたのだ。
それは、天上までの高さが数十メートルはあろうかという巨大な洞穴の風景。
赤黒い鍾乳石が垂れ下がるその空間のど真ん中を、石橋のような通路が真っすぐに奥へと続いている。
石橋の端から下を覗き込むと、遥か下の方で灼熱する真っ赤な溶岩が、ゴポゴポと音を立てているのが見えた。
「何度も言うようだけど、ここは空間が変なねじ曲がり方をしてるのよ。特にこの階層は、城の中だけど、城の中じゃないの」
ドナが、困惑のあまり二の句を告げられないでいると、裸の上半身から、湯上りのように汗を滴らせたバルタザールが、話に割り込んでくる。
「見た所、敵は……居ないようだな。前に辿り着いた時には、ここにゃあ全身に炎を纏った女の悪魔がいたぞ。まあ、そいつは俺とコータで倒したんだが」
「ああ、オルコットね……まあ、アイツはどうでもいいわ。ヤな奴だったし」
「なんだ、ご婦人。アンタ、えらく魔物に詳しいみたいだな?」
「そりゃそうよ。私だって魔物だもの」
アリアが事も無げにそう言うと、バルタザールは怪訝そうに眉根を寄せる。冗談なのかどうか測りかねている。その様子は、ドナの目にはそう見えた。
考えてみれば、バルタザールは蜘蛛女姿のアリアを見ていない。
どうやら彼は、アリアが魔物であることに気付いていなかったらしい。
どう反応していいのか困ったのだろう。バルタザールは一つ咳払いをすると、取り繕うように、陽炎の向こうで揺らぐ青銅色の扉を指さした。
「まあ、ここは通り抜けられるとして、問題はあの扉の向こうだ。あの向こうにはたぶん、デミテリスっておっかない奴がいるぞ」
「デミテリス?」
ドナが、アリアの方へとちらりと視線を向ける。
ヌーク・アモーズで魔王の軍を指揮していた山羊頭の悪魔。アリアはその悪魔を、『デミテリスに似てる』、そう言っていたのだ。
「ヌークアモーズを襲ったアレは似てたってだけ。あんなのとは、全然格が違うわ。まともにやり合ったら、勝ち目なんてないわよ」
「じゃ、どうするんだにゃ?」
「そうねぇ……最悪、私ら三人で足止めしてる間に猫娘、アンタが聖剣をアイツのところに届ければいいわ」
「そんなのダ……」
ニコが声を上げかけたところで、唐突に背後の階段、その下の方から、重い地鳴りのような音が聞こえてきた。
「マズい! 走るわよ!」
アリアが切羽詰まった声を上げて走り始めると、慌てて他の三人も後を追い始める。
「なんにゃ!?」
「何が来たんです!」
「すぐ分かるわよ! とにかく早くあの扉の向こうへ! ここじゃあ逃げ場が無いわ!」
アリアがそう声を上げた途端、背後で魔物の雄叫びが響き渡った。
「ブモォオオオオオオオ――!」
埃が土煙の様に舞い上がって、蒸気と混じりあい、それを振り払う様に、大量の牛頭人身の魔物が、次から次へと、階段を駆け上がってくる。
まさに大暴走。それほど広くも無い石橋の上を溢れんばかりに埋め尽くしながら、ミノタウロスの群れが、アリア達の方へと迫ってきた。
ミノタウロスの一体や二体ならどうにか出来ても、流石に突進してくる群れが相手では、逃げるより他に手立てがない。
アリアは走りながら、必死に思考を巡らせる。
糸を放って、足止めは出来ないか?
無理、流石にあの勢いじゃ、瞬時に破られる。
では、糸で上に逃げるのは?
上に逃げてその後はどうする? それに、バルタザールも含めて、四人分の身体を支えるのは、流石に無理がある。
このまま行けば、扉の手前辺りで追いつかれるだろう。
アリアがギリリと歯を鳴らしたその瞬間、ドナが唐突に立ち止まった。
「ちょ!? ア、アンタ! 何する気よ!」
アリアが慌てて声を上げると同時に、ドナは迫りくるミノタウロスの群れへと向き直り、声を張り上げた。
「主よ、祈りに応え給え! 悪しき者、猛き者、穢れし者より守り給え! ――セイクリッド・ウォール!」
途端に、砂袋を叩く様な鈍い音が幾重にも響き渡り、ドナの居る場所から僅か十メートル手前。そこで、見えない障壁がミノタウロス達の突進を妨げる。
突然、現れた見えない壁に驚いたミノタウロス達は、激しく身じろぎする。ぶつかり合う身体と身体。そして、石橋の両端から押し出されたミノタウロスが、次々と溶岩へと落ちて行った。
だが、少々落ちたところで、大勢は変わらない。
「長くは保ちません! 早くッ!」
突き出した腕をプルプルと震わせながら、ドナがアリア達の方へと声を上げる。
そうしている間に真っ先に扉へと辿り着いたバルタザールが、力任せに重い扉を押し開き、ニコとアリアがその内側へと飛び込む。
そして、ニコは扉の向こう側から、ドナの方へと手を伸ばした。
「にゃ! ドナちん! 早くっ!」
だが、ドナは静かに首を振る。
「心配は無用です。早く扉を閉じてください」
「ダメにゃ! 諦めちゃダメにゃ!」
「……諦めてなんていませんよ。大丈夫ですから」
そして、ドナは、アリアの方へと視線を向けた。
「アリアさん……頼みます」
「分かってる。聖剣は、ちゃんと届けるから。約束するわ、ドナ・バロット」
その瞬間、二人は、微かに微笑みあった。
「にゃぁああああ!!! にゃああああああ!!!」
最早、猫の鳴き声としか思えない様な声を上げて、必死に抗おうとするニコを、アリアは強引に抱えると、バルタザールに向かって声を荒げた
「早く! 扉を閉じて!」
「お、おう」
扉が閉じていくギシギシという重い音。
それを背中で聞きながら、ドナはふうと大きく息を吐き出す。
目を向ければ、障壁の向こう側で、ミノタウロス達が激しく息を荒げ、ドナを睨みつけているのが見えた。
ドナは、苦笑する様に目を閉じる。
「さて……随分長い付き合いになりましたけど、アナタのことをこんなに頼もしく思ったことはありません。ねぇ、悪霊。ええ、遠慮はいりません。思う存分暴れなさい。周りはみんな敵ですから」
ドナはそう言うと、唐突に頭上へと手を伸ばし、薔薇の髪飾りを投げ捨てた。
途端に首を垂れて、だらりとドナの肩が落ちる。
それと同時に、見えない障壁が唐突に掻き消えて、
「ブモォオオオオオオオ――!」
ミノタウロス達が、叫び声を上げながら、つんのめる様に押し寄せてきた。
距離、僅か十メートル。
荒々しい魔物の波が、か弱い女性を呑み込もうとしている。
ところが、ドナは、ゆらりと顔を上げると、歯を剥き出しにして、けたたましい嗤い声を上げた。
「キャハハハハハ! アハハハアハハハハハ!」
それは、人ならざる者の声。狂気を孕んだ悪魔の哄笑。
彼女は視点の合わない目を向けると、片手で軽々と鉄槌を振り回しながら、ミノタウロスの群れへと突っ込んでいった。
茹だる様な熱気に、ニコの舌がだらしなく垂れ下がる。
蒸気で、視界が白く煙っている。
その遥か向こう、ゆらゆらと揺らぐ陽炎の奥に、やたら重厚そうな青銅色の扉が見えた。
「一体……何なんですか、ここは」
肺の中に入ってくる空気がもう熱い。ドナは額に浮かんだ汗を拭いながら、アリアへと問いかける。
そのアリアはというと、姿こそ人型のままではあったが、涼しげな顔をして、汗一つかいている様子も無い。
この辺りはやはり、人間と魔物の違いを感じずにはいられない。
「見りゃ分かんでしょうよ? 火山の中よ」
「え? か、火山?」
バルタザールを加えた一行は、つい先ほど、上の階層へ続く階段へと到達していた。
聖剣を見つけて以降、ここに至るまで、幸いにも魔物が現れることは無く、階段に辿り着く頃には、拍子抜けしたような雰囲気が一行の間に居座っていた。
この調子なら、意外とあっさり玉座の間まで辿り着けるかも。
ドナが、そんな楽観的な想いを抱いたとしても、無理からぬことである。
だが、階段を上がった途端、彼女は思わず目を疑った。
そこにはどう考えても、建築物の中に収まるとは思えない光景が広がっていたのだ。
それは、天上までの高さが数十メートルはあろうかという巨大な洞穴の風景。
赤黒い鍾乳石が垂れ下がるその空間のど真ん中を、石橋のような通路が真っすぐに奥へと続いている。
石橋の端から下を覗き込むと、遥か下の方で灼熱する真っ赤な溶岩が、ゴポゴポと音を立てているのが見えた。
「何度も言うようだけど、ここは空間が変なねじ曲がり方をしてるのよ。特にこの階層は、城の中だけど、城の中じゃないの」
ドナが、困惑のあまり二の句を告げられないでいると、裸の上半身から、湯上りのように汗を滴らせたバルタザールが、話に割り込んでくる。
「見た所、敵は……居ないようだな。前に辿り着いた時には、ここにゃあ全身に炎を纏った女の悪魔がいたぞ。まあ、そいつは俺とコータで倒したんだが」
「ああ、オルコットね……まあ、アイツはどうでもいいわ。ヤな奴だったし」
「なんだ、ご婦人。アンタ、えらく魔物に詳しいみたいだな?」
「そりゃそうよ。私だって魔物だもの」
アリアが事も無げにそう言うと、バルタザールは怪訝そうに眉根を寄せる。冗談なのかどうか測りかねている。その様子は、ドナの目にはそう見えた。
考えてみれば、バルタザールは蜘蛛女姿のアリアを見ていない。
どうやら彼は、アリアが魔物であることに気付いていなかったらしい。
どう反応していいのか困ったのだろう。バルタザールは一つ咳払いをすると、取り繕うように、陽炎の向こうで揺らぐ青銅色の扉を指さした。
「まあ、ここは通り抜けられるとして、問題はあの扉の向こうだ。あの向こうにはたぶん、デミテリスっておっかない奴がいるぞ」
「デミテリス?」
ドナが、アリアの方へとちらりと視線を向ける。
ヌーク・アモーズで魔王の軍を指揮していた山羊頭の悪魔。アリアはその悪魔を、『デミテリスに似てる』、そう言っていたのだ。
「ヌークアモーズを襲ったアレは似てたってだけ。あんなのとは、全然格が違うわ。まともにやり合ったら、勝ち目なんてないわよ」
「じゃ、どうするんだにゃ?」
「そうねぇ……最悪、私ら三人で足止めしてる間に猫娘、アンタが聖剣をアイツのところに届ければいいわ」
「そんなのダ……」
ニコが声を上げかけたところで、唐突に背後の階段、その下の方から、重い地鳴りのような音が聞こえてきた。
「マズい! 走るわよ!」
アリアが切羽詰まった声を上げて走り始めると、慌てて他の三人も後を追い始める。
「なんにゃ!?」
「何が来たんです!」
「すぐ分かるわよ! とにかく早くあの扉の向こうへ! ここじゃあ逃げ場が無いわ!」
アリアがそう声を上げた途端、背後で魔物の雄叫びが響き渡った。
「ブモォオオオオオオオ――!」
埃が土煙の様に舞い上がって、蒸気と混じりあい、それを振り払う様に、大量の牛頭人身の魔物が、次から次へと、階段を駆け上がってくる。
まさに大暴走。それほど広くも無い石橋の上を溢れんばかりに埋め尽くしながら、ミノタウロスの群れが、アリア達の方へと迫ってきた。
ミノタウロスの一体や二体ならどうにか出来ても、流石に突進してくる群れが相手では、逃げるより他に手立てがない。
アリアは走りながら、必死に思考を巡らせる。
糸を放って、足止めは出来ないか?
無理、流石にあの勢いじゃ、瞬時に破られる。
では、糸で上に逃げるのは?
上に逃げてその後はどうする? それに、バルタザールも含めて、四人分の身体を支えるのは、流石に無理がある。
このまま行けば、扉の手前辺りで追いつかれるだろう。
アリアがギリリと歯を鳴らしたその瞬間、ドナが唐突に立ち止まった。
「ちょ!? ア、アンタ! 何する気よ!」
アリアが慌てて声を上げると同時に、ドナは迫りくるミノタウロスの群れへと向き直り、声を張り上げた。
「主よ、祈りに応え給え! 悪しき者、猛き者、穢れし者より守り給え! ――セイクリッド・ウォール!」
途端に、砂袋を叩く様な鈍い音が幾重にも響き渡り、ドナの居る場所から僅か十メートル手前。そこで、見えない障壁がミノタウロス達の突進を妨げる。
突然、現れた見えない壁に驚いたミノタウロス達は、激しく身じろぎする。ぶつかり合う身体と身体。そして、石橋の両端から押し出されたミノタウロスが、次々と溶岩へと落ちて行った。
だが、少々落ちたところで、大勢は変わらない。
「長くは保ちません! 早くッ!」
突き出した腕をプルプルと震わせながら、ドナがアリア達の方へと声を上げる。
そうしている間に真っ先に扉へと辿り着いたバルタザールが、力任せに重い扉を押し開き、ニコとアリアがその内側へと飛び込む。
そして、ニコは扉の向こう側から、ドナの方へと手を伸ばした。
「にゃ! ドナちん! 早くっ!」
だが、ドナは静かに首を振る。
「心配は無用です。早く扉を閉じてください」
「ダメにゃ! 諦めちゃダメにゃ!」
「……諦めてなんていませんよ。大丈夫ですから」
そして、ドナは、アリアの方へと視線を向けた。
「アリアさん……頼みます」
「分かってる。聖剣は、ちゃんと届けるから。約束するわ、ドナ・バロット」
その瞬間、二人は、微かに微笑みあった。
「にゃぁああああ!!! にゃああああああ!!!」
最早、猫の鳴き声としか思えない様な声を上げて、必死に抗おうとするニコを、アリアは強引に抱えると、バルタザールに向かって声を荒げた
「早く! 扉を閉じて!」
「お、おう」
扉が閉じていくギシギシという重い音。
それを背中で聞きながら、ドナはふうと大きく息を吐き出す。
目を向ければ、障壁の向こう側で、ミノタウロス達が激しく息を荒げ、ドナを睨みつけているのが見えた。
ドナは、苦笑する様に目を閉じる。
「さて……随分長い付き合いになりましたけど、アナタのことをこんなに頼もしく思ったことはありません。ねぇ、悪霊。ええ、遠慮はいりません。思う存分暴れなさい。周りはみんな敵ですから」
ドナはそう言うと、唐突に頭上へと手を伸ばし、薔薇の髪飾りを投げ捨てた。
途端に首を垂れて、だらりとドナの肩が落ちる。
それと同時に、見えない障壁が唐突に掻き消えて、
「ブモォオオオオオオオ――!」
ミノタウロス達が、叫び声を上げながら、つんのめる様に押し寄せてきた。
距離、僅か十メートル。
荒々しい魔物の波が、か弱い女性を呑み込もうとしている。
ところが、ドナは、ゆらりと顔を上げると、歯を剥き出しにして、けたたましい嗤い声を上げた。
「キャハハハハハ! アハハハアハハハハハ!」
それは、人ならざる者の声。狂気を孕んだ悪魔の哄笑。
彼女は視点の合わない目を向けると、片手で軽々と鉄槌を振り回しながら、ミノタウロスの群れへと突っ込んでいった。
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