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最終章 亡霊剣士の肉体強奪リベンジ
第六十一話 物語は反転する。
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毛足の長い赤絨毯。
聖剣がその上を弾んで、鈍い音を立てる。
刃先から床に落ちた聖剣は、くるくると円を描きながら点々と絨毯の上を跳ねた。
「命の杯は覆る。今、汝の目は、彼の目たり!」
レイが声を張り上げると同時に、涙型の三つの孔雀石。その鋭角の部分が魔王の延髄へと減り込んで、指輪そのものが激しい光を放った。
「ば、ばかなぁああああ!」
魔王の絶叫が響き渡り、白い光が部屋全体を呑み込んでいく。激しい風に飛ばされるような感覚。次第に遠ざかって行く意識の中で、レイの脳裏を過る風景があった。
◇ ◇ ◇
『そんなことで良いのなら、容易いことだ』
レイが赤い絨毯を指さして円を描くと、そこに黒い裂け目が現れた。
霞の掛かったような風景。目の前には二人の人物の姿がある。
一人はどこか子犬のような雰囲気を持つ黒髪の少年。その背後には、切れ長の目をした金髪の男の姿がある。
にこやかに微笑む少年とは対照的に、男は悔しげに唇を歪めている。無理も無い。つい先ほどまでレイと彼らは、敵として剣を交えていたのだから。
『ここに飛び込めば、お前が本来いるべき場所へ帰れる筈だ』
レイが黒い裂け目を指し示すと、金髪の男は少年の肩を掴んで声を荒げた。
『貴様の言う事など信用できるか! コータ! 正気に戻れ! こいつは魔王だぞ! 罠だ!』
だが、少年――イノセ・コータは苦笑しながら、指先で頬を掻く。
『えーと、レイモンドさん……レイモンドさんには、聞こえて無かったんですね。さっきの声』
『声……? キミと魔王が戦いを止めたのは、その所為だというのか?』
『ええ、彼女が教えてくれたんです。僕たちが争う必要は無いんだって』
『ばかな! どうしてそんな話になる!』
『目指すところは同じ。そういうことだ』
『ふざけるな! 勇者と魔王の目指す場所が同じ訳ないだろうが!』
『レイモンドさん、お願いですから、落ち着いてください!』
レイの一言にレイモンドが声を荒げると、コータがそれを制して申し訳なさげに眉を下げる。
『ごめんね。レイモンドさんには、ボクが後でちゃんと説明するから』
『かまわんさ』
レイは小さく肩を竦めた。
『レイモンドさんはああ言ったけど、僕らはきっと友達になれると思う』
『友達……良いな、それは。うん、それは良い。だが、そうなれば、キミが元の世界に帰ってしまうのは残念だな』
レイは、はにかむような微笑みを浮かべた。
『それなんだけど……元の世界に帰るのはまた今度でもいいかな? えーと、もしかしたら、帰らないかもしれないし……』
『どうしてだ?』
『え? あの、その……』
『なんだ?』
『す、好きな人がいるんだ。こっちの世界に!』
耳まで赤くするコータに、レイは一瞬目を丸くすると、ニヤニヤした笑いを浮かべる。
『ほうほう、ほうほう、なるほど、なるほど。もし、その女と番うことにでもなれば、元の世界には帰らないかもしれない、そういうことだな』
『……なんで、そんな楽しそうなのさ』
思わず唇を尖らせるコータ。だが、その背後でレイモンドがギリリと奥歯を鳴らした。
そして、
『お前にはオーランジェは渡さん! アイツは私のものだ!!』
レイモンドの叫び声が響き渡ると同時に、コータの顔に驚きの表情が浮かび、レイは目を見開いた。
背後から力づくで押し出されたコータが態勢を崩して、黒い裂け目の中へと倒れ込んでいく。
『イノセ・コータ!!』
レイは慌てて裂けめの淵から身を乗り出すと、手を差し伸べてコータの腕を掴んだ。
『だ、大丈夫……』
そう言って顔を上げたコータの目に、背後から魔王へと歩み寄るレイモンドの姿が見えた。
『レイモンドさん……どうして!』
『うるさい! お前が魔王を倒しさえすれば、オーランジェは私のものになった筈なのに!』
なんでここでオーランジェの名前が出てくるのか? コータにしてみれば、レイモンドが言っていることの意味が、何から何までさっぱりわからない。
おもわず眉根を寄せるコータ。だが、魔王はレイモンドのことを気にもとめない。背後から襲い掛かろうが、魔王を傷つけられる者はコータをおいて他にはいないのだから。
『コータ! こうなった以上、私には力が必要だ。力づくでオーランジェを奪い取れるだけの力がな!』
『自分にその力が無いことは、分かっているようだな』
魔王が皮肉めいた口調でそういうと、レイモンドの顔が悪辣な笑みを形作った。
『だから……こうするのさ!』
次の瞬間、レイの首筋になにか固いものを押し当てられる感覚があった。
◇ ◇ ◇
そこで記憶が途切れた。
途端にぐわんぐわんと音を立てて、世界が回りはじめる。
やがて、リンゴの皮をむく様に白い世界が破れて、その下から黒い霧が溢れ出し、レイの周りを取り囲む。
最後に目の前で星が散って、視界が暗転した。
レイは静かに目を開く。
その眼前には黒い塊。彼にしがみつく暗黒騎士の兜があった。
咄嗟にレイが暗黒騎士の腹を膝で蹴り上げると、「ぐぉ!?」っと、喉の奥に詰まったような声を上げて、黒い甲冑を纏った騎士は、よろめきながら背後へと倒れこむ。
「取り戻した……か」
動きを確かめる様に指を開いたり閉じたりしながら、レイはつい先ほどまで自分の身体であったもの――暗黒騎士を見据える。
暗黒騎士は、背中に負った刺し傷から肉体の修復に伴う白煙を噴き上げながら、身を起こそうとしている。
次に、レイはミーシャへと目を向ける。
彼女は驚愕の表情を浮かべていた。
レイが「『支配』を解除する」。そう口にした途端、彼女はひっくり返ったような声を上げた。
「ま、まさか、レイ! 魔王の身体を乗っ取ったの!?」
そのミーシャの慌てように苦笑しながら、レイは小さく首をふる。
「そうじゃない。取り戻したのだ」
ミーシャは一瞬、ぽかんとした顔をした後、目尻も裂けんばかりに目を見開いた。
「えええええええぇ!?」
――喋れるようになった途端、騒がしい奴だ。
レイは苦笑しながら、再び暗黒騎士へと視線を戻す。彼はすでに立ち上がり、その手には聖剣を握っていた。
無論、それは古びた短剣のままだが。
「死にぞこないの魔王が、よくも……」
暗黒騎士の身体が小刻みに震えている。それはおそらく、恐怖によるものではないだろう。
「確か、レイモンドとか言ったな……私は貴様に復讐するために舞い戻って来た。そのつもりだった」
そう言うとレイは、ちらりとミーシャの方へと目を向ける。
「だが、もはや私が貴様を殺す理由は、復讐などではない! 貴様は手を出してはならないものに、手を出した。その報いを受けさせてやる。絶対に許しはしない。絶対にだ!」
途端に恐ろしいほどの殺気が、空気を震わせる。サキュバス達は悲鳴を上げて這う様に逃げ惑い、暗黒騎士は腰の引けた姿勢のまま転げるように後退る。
そして、レイが一歩、足を踏み出した途端、
「く、来るな!」
暗黒騎士は、手にした聖剣をレイへと投げつけた。
投げつけられた聖剣は、レイの胸元に当たると、甲高い音を立てて床へと落ちる。無論、不傷不死の身体に、傷一つつけられよう筈も無い。
だが、剣を投げつけると同時に、暗黒騎士はミーシャの方へと駆け出していた。
「きゃあっ!?」
暗黒騎士はミーシャに飛びつくと、背後から彼女の首に腕を回して力を込める。
「動くな! 形勢逆転だ。この娘がそれだけ大事ならば、大人しくもう一度、身体を入れ替えさせてもらおうか!」
「レイ……」
悔しげに唇を噛むミーシャ。だが、レイは表情も変えずに、小さく首を振った。
「無理だな」
「くっ! 所詮は魔物か! 口では大切などと言っておきながら、実際はこの娘がどうなろうと知ったことではない。そういうことだな」
だがレイは、心底呆れたような顔をして、口を開く。
「そういう意味ではない。貴様にはもう時間は残されていない。私は、そう言っているのだ」
途端に、黒騎士はがくがくと身体を震わせると、力なく膝から崩れ落ちた。
「き、貴様ぁ! な、なにをした!」
「何もしておらん。いや、あえて何もしなかったというべきだろうな。貴様を殺そうと思えば、いつでも出来た。一瞬で首を狩ってやることも簡単だ。だが、楽に死なせてやるつもりはないのでな」
その瞬間、ミーシャは息を呑む。
『エルフは死霊と生霊を見間違えたりしない。アンタは生霊。つまり、アンタの身体は、まだどこかで生きてんのよ』
出会ってすぐの頃、ミーシャがレイに告げた言葉だ。
今、暗黒騎士の身体には、黒い瘴気が纏わりついている。エルフは死霊と生霊を見間違えたりしない。間違いない、この男の魂は今、死霊に変わりつつある。
「貴様は私の身体を奪い取り、自分の身体を葬った。この世界の埒外である不傷不死のこの身体から追い出された時点で、貴様の魂には、もはや戻る場所などない。魂を死霊に蝕まれる恐怖に震えるが良い」
もはや、レイの声が届いているのかどうかもわからない。
暗黒騎士は身を仰け反らせて、必死の叫び声を上げる。
「わっ、私が、私が消えていく! 食われていく! や、やめろ! た、たすけ……」
救いを求める様に、ミーシャに掴みかかる暗黒騎士。
ミーシャは「ひっ!?」と喉の奥に悲鳴を詰めて、それを払いのけると、レイの元へと駆け出した。
「ミーシャ!」
レイは彼女の名を呼ぶと、その肩を抱きかかえて暗黒騎士の方へと向き直る。
しばらく地面で身悶えた末に、自我が完全に消滅したのだろう。暗黒騎士は身体中から黒い瘴気を立ち昇らせながら、ゆらりと立ち上がった。
そして、
「うぎゃああああああああああああ――――!」
身の毛もよだつような絶叫を上げて、暗黒騎士はレイの方へと突っ込んでくる。
「きゃあ!」
迫りくる暗黒騎士。ミーシャは怯えるように瞼を閉じる。だがレイは、さらに強く彼女の肩を抱きしめると、暗黒騎士を見据えて、無造作に赤い剣を振り上げた。
「地獄の底で、永劫に苦しむがいい!!」
赤い剣は鎧を擦り抜け、その下の身体を真っ二つに断ち切った。
一瞬の静寂。暗黒騎士は惚けたように首を振った後、ゆらりと背後へと倒れこむ。
絨毯の上でドサリと鈍い音が響き、甲冑の隙間という隙間から、夥しい量の血が溢れ出て、赤い絨毯をどす黒く染めていった。
聖剣がその上を弾んで、鈍い音を立てる。
刃先から床に落ちた聖剣は、くるくると円を描きながら点々と絨毯の上を跳ねた。
「命の杯は覆る。今、汝の目は、彼の目たり!」
レイが声を張り上げると同時に、涙型の三つの孔雀石。その鋭角の部分が魔王の延髄へと減り込んで、指輪そのものが激しい光を放った。
「ば、ばかなぁああああ!」
魔王の絶叫が響き渡り、白い光が部屋全体を呑み込んでいく。激しい風に飛ばされるような感覚。次第に遠ざかって行く意識の中で、レイの脳裏を過る風景があった。
◇ ◇ ◇
『そんなことで良いのなら、容易いことだ』
レイが赤い絨毯を指さして円を描くと、そこに黒い裂け目が現れた。
霞の掛かったような風景。目の前には二人の人物の姿がある。
一人はどこか子犬のような雰囲気を持つ黒髪の少年。その背後には、切れ長の目をした金髪の男の姿がある。
にこやかに微笑む少年とは対照的に、男は悔しげに唇を歪めている。無理も無い。つい先ほどまでレイと彼らは、敵として剣を交えていたのだから。
『ここに飛び込めば、お前が本来いるべき場所へ帰れる筈だ』
レイが黒い裂け目を指し示すと、金髪の男は少年の肩を掴んで声を荒げた。
『貴様の言う事など信用できるか! コータ! 正気に戻れ! こいつは魔王だぞ! 罠だ!』
だが、少年――イノセ・コータは苦笑しながら、指先で頬を掻く。
『えーと、レイモンドさん……レイモンドさんには、聞こえて無かったんですね。さっきの声』
『声……? キミと魔王が戦いを止めたのは、その所為だというのか?』
『ええ、彼女が教えてくれたんです。僕たちが争う必要は無いんだって』
『ばかな! どうしてそんな話になる!』
『目指すところは同じ。そういうことだ』
『ふざけるな! 勇者と魔王の目指す場所が同じ訳ないだろうが!』
『レイモンドさん、お願いですから、落ち着いてください!』
レイの一言にレイモンドが声を荒げると、コータがそれを制して申し訳なさげに眉を下げる。
『ごめんね。レイモンドさんには、ボクが後でちゃんと説明するから』
『かまわんさ』
レイは小さく肩を竦めた。
『レイモンドさんはああ言ったけど、僕らはきっと友達になれると思う』
『友達……良いな、それは。うん、それは良い。だが、そうなれば、キミが元の世界に帰ってしまうのは残念だな』
レイは、はにかむような微笑みを浮かべた。
『それなんだけど……元の世界に帰るのはまた今度でもいいかな? えーと、もしかしたら、帰らないかもしれないし……』
『どうしてだ?』
『え? あの、その……』
『なんだ?』
『す、好きな人がいるんだ。こっちの世界に!』
耳まで赤くするコータに、レイは一瞬目を丸くすると、ニヤニヤした笑いを浮かべる。
『ほうほう、ほうほう、なるほど、なるほど。もし、その女と番うことにでもなれば、元の世界には帰らないかもしれない、そういうことだな』
『……なんで、そんな楽しそうなのさ』
思わず唇を尖らせるコータ。だが、その背後でレイモンドがギリリと奥歯を鳴らした。
そして、
『お前にはオーランジェは渡さん! アイツは私のものだ!!』
レイモンドの叫び声が響き渡ると同時に、コータの顔に驚きの表情が浮かび、レイは目を見開いた。
背後から力づくで押し出されたコータが態勢を崩して、黒い裂け目の中へと倒れ込んでいく。
『イノセ・コータ!!』
レイは慌てて裂けめの淵から身を乗り出すと、手を差し伸べてコータの腕を掴んだ。
『だ、大丈夫……』
そう言って顔を上げたコータの目に、背後から魔王へと歩み寄るレイモンドの姿が見えた。
『レイモンドさん……どうして!』
『うるさい! お前が魔王を倒しさえすれば、オーランジェは私のものになった筈なのに!』
なんでここでオーランジェの名前が出てくるのか? コータにしてみれば、レイモンドが言っていることの意味が、何から何までさっぱりわからない。
おもわず眉根を寄せるコータ。だが、魔王はレイモンドのことを気にもとめない。背後から襲い掛かろうが、魔王を傷つけられる者はコータをおいて他にはいないのだから。
『コータ! こうなった以上、私には力が必要だ。力づくでオーランジェを奪い取れるだけの力がな!』
『自分にその力が無いことは、分かっているようだな』
魔王が皮肉めいた口調でそういうと、レイモンドの顔が悪辣な笑みを形作った。
『だから……こうするのさ!』
次の瞬間、レイの首筋になにか固いものを押し当てられる感覚があった。
◇ ◇ ◇
そこで記憶が途切れた。
途端にぐわんぐわんと音を立てて、世界が回りはじめる。
やがて、リンゴの皮をむく様に白い世界が破れて、その下から黒い霧が溢れ出し、レイの周りを取り囲む。
最後に目の前で星が散って、視界が暗転した。
レイは静かに目を開く。
その眼前には黒い塊。彼にしがみつく暗黒騎士の兜があった。
咄嗟にレイが暗黒騎士の腹を膝で蹴り上げると、「ぐぉ!?」っと、喉の奥に詰まったような声を上げて、黒い甲冑を纏った騎士は、よろめきながら背後へと倒れこむ。
「取り戻した……か」
動きを確かめる様に指を開いたり閉じたりしながら、レイはつい先ほどまで自分の身体であったもの――暗黒騎士を見据える。
暗黒騎士は、背中に負った刺し傷から肉体の修復に伴う白煙を噴き上げながら、身を起こそうとしている。
次に、レイはミーシャへと目を向ける。
彼女は驚愕の表情を浮かべていた。
レイが「『支配』を解除する」。そう口にした途端、彼女はひっくり返ったような声を上げた。
「ま、まさか、レイ! 魔王の身体を乗っ取ったの!?」
そのミーシャの慌てように苦笑しながら、レイは小さく首をふる。
「そうじゃない。取り戻したのだ」
ミーシャは一瞬、ぽかんとした顔をした後、目尻も裂けんばかりに目を見開いた。
「えええええええぇ!?」
――喋れるようになった途端、騒がしい奴だ。
レイは苦笑しながら、再び暗黒騎士へと視線を戻す。彼はすでに立ち上がり、その手には聖剣を握っていた。
無論、それは古びた短剣のままだが。
「死にぞこないの魔王が、よくも……」
暗黒騎士の身体が小刻みに震えている。それはおそらく、恐怖によるものではないだろう。
「確か、レイモンドとか言ったな……私は貴様に復讐するために舞い戻って来た。そのつもりだった」
そう言うとレイは、ちらりとミーシャの方へと目を向ける。
「だが、もはや私が貴様を殺す理由は、復讐などではない! 貴様は手を出してはならないものに、手を出した。その報いを受けさせてやる。絶対に許しはしない。絶対にだ!」
途端に恐ろしいほどの殺気が、空気を震わせる。サキュバス達は悲鳴を上げて這う様に逃げ惑い、暗黒騎士は腰の引けた姿勢のまま転げるように後退る。
そして、レイが一歩、足を踏み出した途端、
「く、来るな!」
暗黒騎士は、手にした聖剣をレイへと投げつけた。
投げつけられた聖剣は、レイの胸元に当たると、甲高い音を立てて床へと落ちる。無論、不傷不死の身体に、傷一つつけられよう筈も無い。
だが、剣を投げつけると同時に、暗黒騎士はミーシャの方へと駆け出していた。
「きゃあっ!?」
暗黒騎士はミーシャに飛びつくと、背後から彼女の首に腕を回して力を込める。
「動くな! 形勢逆転だ。この娘がそれだけ大事ならば、大人しくもう一度、身体を入れ替えさせてもらおうか!」
「レイ……」
悔しげに唇を噛むミーシャ。だが、レイは表情も変えずに、小さく首を振った。
「無理だな」
「くっ! 所詮は魔物か! 口では大切などと言っておきながら、実際はこの娘がどうなろうと知ったことではない。そういうことだな」
だがレイは、心底呆れたような顔をして、口を開く。
「そういう意味ではない。貴様にはもう時間は残されていない。私は、そう言っているのだ」
途端に、黒騎士はがくがくと身体を震わせると、力なく膝から崩れ落ちた。
「き、貴様ぁ! な、なにをした!」
「何もしておらん。いや、あえて何もしなかったというべきだろうな。貴様を殺そうと思えば、いつでも出来た。一瞬で首を狩ってやることも簡単だ。だが、楽に死なせてやるつもりはないのでな」
その瞬間、ミーシャは息を呑む。
『エルフは死霊と生霊を見間違えたりしない。アンタは生霊。つまり、アンタの身体は、まだどこかで生きてんのよ』
出会ってすぐの頃、ミーシャがレイに告げた言葉だ。
今、暗黒騎士の身体には、黒い瘴気が纏わりついている。エルフは死霊と生霊を見間違えたりしない。間違いない、この男の魂は今、死霊に変わりつつある。
「貴様は私の身体を奪い取り、自分の身体を葬った。この世界の埒外である不傷不死のこの身体から追い出された時点で、貴様の魂には、もはや戻る場所などない。魂を死霊に蝕まれる恐怖に震えるが良い」
もはや、レイの声が届いているのかどうかもわからない。
暗黒騎士は身を仰け反らせて、必死の叫び声を上げる。
「わっ、私が、私が消えていく! 食われていく! や、やめろ! た、たすけ……」
救いを求める様に、ミーシャに掴みかかる暗黒騎士。
ミーシャは「ひっ!?」と喉の奥に悲鳴を詰めて、それを払いのけると、レイの元へと駆け出した。
「ミーシャ!」
レイは彼女の名を呼ぶと、その肩を抱きかかえて暗黒騎士の方へと向き直る。
しばらく地面で身悶えた末に、自我が完全に消滅したのだろう。暗黒騎士は身体中から黒い瘴気を立ち昇らせながら、ゆらりと立ち上がった。
そして、
「うぎゃああああああああああああ――――!」
身の毛もよだつような絶叫を上げて、暗黒騎士はレイの方へと突っ込んでくる。
「きゃあ!」
迫りくる暗黒騎士。ミーシャは怯えるように瞼を閉じる。だがレイは、さらに強く彼女の肩を抱きしめると、暗黒騎士を見据えて、無造作に赤い剣を振り上げた。
「地獄の底で、永劫に苦しむがいい!!」
赤い剣は鎧を擦り抜け、その下の身体を真っ二つに断ち切った。
一瞬の静寂。暗黒騎士は惚けたように首を振った後、ゆらりと背後へと倒れこむ。
絨毯の上でドサリと鈍い音が響き、甲冑の隙間という隙間から、夥しい量の血が溢れ出て、赤い絨毯をどす黒く染めていった。
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