35 / 143
第二章 亡霊、勇者のフリをする。
第十一話 世の中のことは、大体筋肉で説明がつきます。 #1
しおりを挟む
「こ、こっち見ちゃ、ダメなんだからね!」
――分かっている。
森の奥。
静かな夜の水辺に、少女の少し上擦った声が響いた。
風に吹かれて、涼しげに波立つ湖面。
その静けさを破って、バシャン! と水の撥ねる大きな音が響き渡った。
ゴブリン飛び込む水の音。字足らず。
あの後、ミーシャは風精霊に水のある場所を尋ね、二人は黄色の水玉模様を点々と地面に描きながら、森の奥、湖の畔へと辿り着いた。
元々、腰回りに僅かな布を巻き付けただけのゴブリンであるレイは、川を見つけるなり、そのまま頭から水の中へと飛び込む。
そして、それを羨ましそうに眺めながら、ミーシャは岩陰に隠れて、いそいそと汚れた服を脱いだ。
岩陰から頭だけを出して、レイが向こうを向いたままなのを確認すると、ミーシャは再び声を上げる。
「こっち見たら許さないんだからね!」
――見ない。
レイの背中をじっと睨みつけながら、意を決したように岩陰から走り出ると、ミーシャは汚れた服を抱きかかえたまま、ざぶんと水の中へと飛び込んだ。
水音が大きく響いて、水面の月が揺らぐ。
昼間はあれほどの大雨だったというのに、今は雲間から明るい満月が顔を覗かせている。
大雨の所為で、多少水が淀んではいるが、あの吐瀉物塗れを思えば、清流みたいなものだ。
「ぷはっ」
跳ね上がる様に水から顔を上げると、ほどいた金色の髪が弧を描いて、水面を叩いた。
ああ、気持ちいい。
力を抜いて、凭れ掛かる様に、水に身を任せる。
ちらりと視線を向けると、石像のように身じろぎ一つせずに水に浸かるレイの背中が見えた。
「ねぇ、レイ……そういえば、その身体赤鶏冠のでしょ? 今なら人間の言葉で喋れるんじゃないの? あいつ喋ってたもん」
――どうだろう?
レイの首が僅かに傾く。
――身体の問題では無い様に思うな。声帯の使い方の問題なら、訓練すれば、喋れるようになるかもしれない。それより……。
「それより、何?」
――赤鶏冠は暗黒魔法を使えると言っていたが、確かに、この身体には魔力が宿っている。これなら、たぶん私にも使えるだろう。
「ふーん、そうなんだ。でもまあ、もう人間の領域に入っちゃったからね。ここからは戦う様な機会は無いかも。帰り道はまた大変そうだけど……」
――帰り道か。
途端に、ミーシャは彼の境遇を思い出して、慌てて取り繕う様に口を開く。
「心配しなくても、アンタの身体を見つけるまでは、付き合ってあげるから! も、もし見つかんなかったら、アンタも一緒にエルフの隠れ里に来ればいいのよ。うん、そうね、そうしよう!」
――なあ、ミーシャ。そろそろ、キミが人間の都を目指す理由を教えてくれないか?
唐突なその問いかけに、ミーシャは思わず身を固くする。
彼女は水底に足をついて立ち上がると、身体から滴り落ちた滴が、幾つもの小さな波紋を描いた。
「言わなきゃダメ? 聞いても反対しないって約束してくれる?」
――反対しないかどうかは、聞いてみないと分からない。
「じゃあ、言わない」
――そうか。
再び、二人の間に言い様の無い沈黙が横たわって、ミーシャはレイの背を不安げに見つめる。
「怒った?」
――怒ってない。
レイの態度は相変わらず、素気が無い。
ミーシャはだんだんとその背中が憎らしく思えてきて、今度はぷうと頬を膨らませる。
聞かれたくないけど、聞いて欲しい。
彼に、この辺りの複雑な女心の機敏を察しろというのは、そもそも無理がある。
それは、ミーシャにも分かっている。
でも、腹が立つのは仕方が無いのだ。
ミーシャは突然、口元に意地悪な笑いを浮かべたかと思うと、白々しくも大きな声を上げた。
「あーあ、でも酷い目にあっちゃったなー。まったくぅ、女の子を丸のみにするなんてぇ、変態の極致よねー!」
――な!? それは流石に、人聞きが悪すぎるだろう。
レイが動揺する素振りをみせると、ミーシャはにんまりと笑って、益々声を大きくする。
「それはそうよねー、こーんなに可愛い女の子を丸のみしてぇ、ぺろぺろしちゃったんだもん。どう? 興奮した? 美味しかった?」
――鶏ガラを食っても、うまい筈がないな。
「誰が鶏ガラよ!」
手にした服で、ばしゃんと水面を叩いて、ミーシャがレイに詰め寄る。
――お、おい。待て!
「アンタねぇ! 私は、まだあと百年ぐらいは成長期なだ……け……でって、あれ?」
レイの肩に手を掛けて、強引に振り向かせたところで、ミーシャは自分が今、どんな恰好をしているのかに思い至った。
――分かっている。
森の奥。
静かな夜の水辺に、少女の少し上擦った声が響いた。
風に吹かれて、涼しげに波立つ湖面。
その静けさを破って、バシャン! と水の撥ねる大きな音が響き渡った。
ゴブリン飛び込む水の音。字足らず。
あの後、ミーシャは風精霊に水のある場所を尋ね、二人は黄色の水玉模様を点々と地面に描きながら、森の奥、湖の畔へと辿り着いた。
元々、腰回りに僅かな布を巻き付けただけのゴブリンであるレイは、川を見つけるなり、そのまま頭から水の中へと飛び込む。
そして、それを羨ましそうに眺めながら、ミーシャは岩陰に隠れて、いそいそと汚れた服を脱いだ。
岩陰から頭だけを出して、レイが向こうを向いたままなのを確認すると、ミーシャは再び声を上げる。
「こっち見たら許さないんだからね!」
――見ない。
レイの背中をじっと睨みつけながら、意を決したように岩陰から走り出ると、ミーシャは汚れた服を抱きかかえたまま、ざぶんと水の中へと飛び込んだ。
水音が大きく響いて、水面の月が揺らぐ。
昼間はあれほどの大雨だったというのに、今は雲間から明るい満月が顔を覗かせている。
大雨の所為で、多少水が淀んではいるが、あの吐瀉物塗れを思えば、清流みたいなものだ。
「ぷはっ」
跳ね上がる様に水から顔を上げると、ほどいた金色の髪が弧を描いて、水面を叩いた。
ああ、気持ちいい。
力を抜いて、凭れ掛かる様に、水に身を任せる。
ちらりと視線を向けると、石像のように身じろぎ一つせずに水に浸かるレイの背中が見えた。
「ねぇ、レイ……そういえば、その身体赤鶏冠のでしょ? 今なら人間の言葉で喋れるんじゃないの? あいつ喋ってたもん」
――どうだろう?
レイの首が僅かに傾く。
――身体の問題では無い様に思うな。声帯の使い方の問題なら、訓練すれば、喋れるようになるかもしれない。それより……。
「それより、何?」
――赤鶏冠は暗黒魔法を使えると言っていたが、確かに、この身体には魔力が宿っている。これなら、たぶん私にも使えるだろう。
「ふーん、そうなんだ。でもまあ、もう人間の領域に入っちゃったからね。ここからは戦う様な機会は無いかも。帰り道はまた大変そうだけど……」
――帰り道か。
途端に、ミーシャは彼の境遇を思い出して、慌てて取り繕う様に口を開く。
「心配しなくても、アンタの身体を見つけるまでは、付き合ってあげるから! も、もし見つかんなかったら、アンタも一緒にエルフの隠れ里に来ればいいのよ。うん、そうね、そうしよう!」
――なあ、ミーシャ。そろそろ、キミが人間の都を目指す理由を教えてくれないか?
唐突なその問いかけに、ミーシャは思わず身を固くする。
彼女は水底に足をついて立ち上がると、身体から滴り落ちた滴が、幾つもの小さな波紋を描いた。
「言わなきゃダメ? 聞いても反対しないって約束してくれる?」
――反対しないかどうかは、聞いてみないと分からない。
「じゃあ、言わない」
――そうか。
再び、二人の間に言い様の無い沈黙が横たわって、ミーシャはレイの背を不安げに見つめる。
「怒った?」
――怒ってない。
レイの態度は相変わらず、素気が無い。
ミーシャはだんだんとその背中が憎らしく思えてきて、今度はぷうと頬を膨らませる。
聞かれたくないけど、聞いて欲しい。
彼に、この辺りの複雑な女心の機敏を察しろというのは、そもそも無理がある。
それは、ミーシャにも分かっている。
でも、腹が立つのは仕方が無いのだ。
ミーシャは突然、口元に意地悪な笑いを浮かべたかと思うと、白々しくも大きな声を上げた。
「あーあ、でも酷い目にあっちゃったなー。まったくぅ、女の子を丸のみにするなんてぇ、変態の極致よねー!」
――な!? それは流石に、人聞きが悪すぎるだろう。
レイが動揺する素振りをみせると、ミーシャはにんまりと笑って、益々声を大きくする。
「それはそうよねー、こーんなに可愛い女の子を丸のみしてぇ、ぺろぺろしちゃったんだもん。どう? 興奮した? 美味しかった?」
――鶏ガラを食っても、うまい筈がないな。
「誰が鶏ガラよ!」
手にした服で、ばしゃんと水面を叩いて、ミーシャがレイに詰め寄る。
――お、おい。待て!
「アンタねぇ! 私は、まだあと百年ぐらいは成長期なだ……け……でって、あれ?」
レイの肩に手を掛けて、強引に振り向かせたところで、ミーシャは自分が今、どんな恰好をしているのかに思い至った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
166
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる