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第三章 亡霊、竜になる

第十九話 脱出 #2

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「二刀流……」

 二本の鉈を振るうゴブリンの姿を思い出して、ミーシャはちらりとレイの方へと目を向ける。

 その時、突然、風で窓がガタガタと音を立てた。

「なんでしょう? 昼間はあんなに天気も良かったのに、嵐でも近づいているのでしょうか?」

 ドナがぼんやりとした調子で呟くと、ミーシャは慌しくベッドから身を起こした。

「違うわ! 悪霊女! 窓を開けて!」

「え? でも風が……」

「いいから早く!」

 ドナは怪訝けげんそうに身を起こすと、窓辺へと歩み寄り、わずかに窓を開く。

 途端に音を立てて風が吹き込んできて、ミーシャは声を上げた。

風精霊シルフ達が騒いでる。今すぐここを出て逃げろって警告してる! アンタ、早く着替えて!」

「は、はぁ?」

 突然過ぎて、ミーシャがなにをそんなに焦っているのか分からず、ドナはただ小首を傾げた。

「早くしなさいよ、もう!」

「きゃ!?」

 ミーシャは苛立いらだち混じりに、ドナのワンピースの裾を掴んで捲り上げた

「ちょ、ちょっと何するんです! 胸元のボタンが閉まってるんですから捲り上げたって脱げませんってば」

「うっさい! 良いから早く着替えなさいよ! レイ! 寝たふりしてんのは分かってるんだから! あっち向いてて!」

 ――バレてたか。

「分かるわよ。悪霊女と一緒に寝たくないから、眠ったふりしてたんでしょ」

 ――いや、一緒に寝たくないという訳では……。

「しょーもないニュアンスの違いなんか、聞いてる場合じゃないの! 悪霊女の身支度が出来次第、馬車まで走るわよ!」

 ドナが着替え終わると、ミーシャはドナが脱いだ服を引っ手繰ると丸めて自分の背嚢リュックに押し込む。

 のんびり畳んでいる場合ではない。

 風精霊シルフの声は、もうほとんど悲鳴と言っても良いレベルにまで達している。

「レイは先行して! 悪霊女! アンタは最後尾をお願い」

 ――わかった。

「はい」

 ミーシャの只ならぬ様子にドナは、口元を引き結んで頷く。

「行くわよ!」

 ドアを開け放つと、レイを先頭に二人は廊下へと飛び出した。

 深夜だと言うのに、足音を殺そうともせずに、そのままドタドタと階段を駆け下りる。

 一階の酒場に降りると同時に、ドナがミーシャを呼び止めた。

「あの、ちょっと待ってください。宿代を置いていかないと……」

「バカ! そんなこと言ってる場合じゃないんだって! 踏み倒すのが嫌なら、ヌーク・アモーズについてから誰か使いでも寄越しなさいよ!」

「し、仕方ありません。神よお許しください!」

 表通りへと続く正面玄関。

 ミーシャがもどかしげにかんぬきを引き抜くと、レイを先頭に一行は表へ飛び出した。

 街中は静まり返っている。

 星明りだけの暗闇が周囲を包み込んでいる。

 ――たしかに何者かの気配を感じる。

「馬車まで走るわよ!」

 宿の裏手に周って馬車へ辿り着くなり、ミーシャは背嚢リュックを荷台に放りこむ。

 馬を繋いだままにせざるを得なかったのは、むしろ幸いだった。すぐに出発できそうだ。

 御者席に乗り込むと、ミーシャは脇に吊ったままのカンテラに手を伸ばして火を入れる。

 だがその途端、馬車のすぐ脇、ミーシャのすぐそばに、佇んでいる男の姿が浮かび上がった。

「きゃあああああ! ぐっ!?」

 思わず悲鳴を上げるミーシャ。だが男は腕を伸ばすといきなりミーシャの首を締め上げた。

 ミーシャは苦しげに顔を歪めながら、男を睨みつける。

 見覚えのない顔。

 ――ミーシャ!

 レイの声が脳裏に響いた次の瞬間、ミーシャの目の前を何かが横切った。

 その途端、

「ぎゃああああああ!」

 ミーシャの首を締め上げる両腕が切断されて、激しく血が噴き出す。男は悲鳴を上げながら、後ろへと倒れた。

「ゴホッ、ゴホッ……!」

 ――大丈夫か?

「ええ、助かったわ」

 喉元を押さえながら、ミーシャはドナへと振り返る。

「悪霊女、手綱をお願い!」

「わかりました! 出します!」

 ミーシャが足元に落ちた男の腕を馬車から蹴り落とすと、ドナが手綱をしならせて、馬を出発させる。

「ふう……」

 ミーシャが思わず額を拭うと、荷台の上にいるレイの声が脳裏に響いた。

 ――安心するには、まだ早いようだ。

 背後を振り返れば、何人もの男達が、馬車を追って走ってくるのが見える。

「なんなのよあれ! ゾンビかグールでも紛れ込んでんの? この町は!」

 ――違うな、さっきの男は紛れも無く只の人間だった。
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