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第三章 亡霊、竜になる

第十九話 脱出 #1

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「まさか、レイを抱いたまま、女湯に入ってくるとは思わなかったわよ!」

「仕方ないじゃありませんか。このお姿の勇者様が、お一人で男湯に入れる訳ありませんもの」

「そうかもしれないけど! そういうことは先に言ってよね! そ、その……見られちゃったじゃないのよ!!」

 ――安心しろミーシャ。私は只の兎だ。何も見ていない。

「嘘つけ!」

 ――ウサギウソツカナイ。

「なんでカタコトなのよ! 只の兎だって主張する兎がどこにいんのよ!」

 ――ここにいるぴょん。

「語尾にぴょんつければ、兎っぽいわけじゃないんだからね!?」

 二人と一匹は騒がしく言い争いながら、宿へと戻って来た。

 戻ってくる頃には食堂には客の姿はなく、夕食を取れば後は寝るだけ。わざわざ外を出歩く用事もない。

 ドナが寝間着に着替えるというので、ミーシャはレイを廊下に摘まみ出す。

 野宿の時にはドナも着の身着のままで眠っていたのだが、流石にベッドで眠るとなると、修道衣のままという訳にはいかないらしい。

 首元までボタンで閉じられたコットン生地のワンピースに着替え終わったドナを眺めながら、ミーシャは問いかけた。

「あんた、その髪飾りとらないの?」

「ええ、司祭様からは四六時中身に付けているようにと、言われておりますので」

「取ったら悪霊が出てきちゃう?」

「即座に出てくるという訳ではありませんが、まあ何があるかわかりませんから」

 一方向にしか寝返りが打てないのは大変ね。

 そう思いながら、ミーシャが扉を開けてレイを部屋へと招き入れると、レイは即座にベッドの端で丸くなって眠り始める。

「あらあら、勇者様もうおねむですか? よろしければワタクシが添い寝してさしあげますけれど?」

 ――この部屋は暑い。

「暑いからいらないって。まあ、そうよね。野宿ならともかく、自前の毛皮着てんだもん。この上に更に毛布なんて被ったら、そりゃ暑いわよ」

「左様でございますか……」

 なぜかしょんぼりするドナの姿を眺めて、ミーシャが溜息を吐く。

「あんた、コイツの中身が男だって忘れてない?」

「そ、そんなつもりはありませんが、勇者様にご奉仕するのがワタクシの役目ですから……」

 ミーシャの問いかけに、ドナはわずかに目を泳がせる。

 人は見た目が九割とはよく言ったもので、ゴブリン姿の時ならともかく、この兎の姿になってから、ミーシャ自身、レイの事をついつい愛玩動物のように扱ってしまっている。

 二人はそれぞれベッドに入ると、ミーシャが脇机の上のカンテラへと手を伸ばした。

「あかり消すわよ」

「はい」

 部屋が暗くなって、ミーシャが静かに目を閉じると、すぐに眠気がまぶたの上にし掛かってくる。

 だが、この調子ならすぐに眠れそうだと思った途端、ドナが話掛けてきた。

耳長みみなが殿。まだ、起きておられますか?」

「うん、何?」

「ふと思ったのですけれど、勇者様は何者かに倒されて、生霊として漂っておられたというところまでは聞きましたが、その何者かというのは、もしかして魔王なのではありませんか?」

「覚えてないって言ってたわよ。何で?」

「勇者様のご一行の中でお一人だけヌークアモーズに戻って来られた方がいらっしゃいます。現在大司教を務めておられるライトナ様という方ですが、その方は魔王の城の第一階層までは、勇者様とご一緒だったと、そうお伺いしています」

「へえ、一応魔王の城までは到達してたのね。そのライトナってのはそこで引き返してきたの?」

「ええ、詳しい事はお伺いできておりませんが、勇者様の願いで、瀕死の仲間を連れて脱出されたとか」

「ふーん、っていうか、勇者って一人で魔王のとこにカチ込んだ訳じゃないのね?」

「はい。ワタクシが存じ上げているのは、ライトナ様と親衛隊長のバルタザール様。このお二人は勇者様と一緒にヌーク・アモーズを出発されたと聞き及んでおります。ライトナ様のお話では、旅の途中であと何人か仲間が加わったとか……」

「でも、そのライトナって人以外は行方不明ってわけね」

「ええ、ライトナ様が連れて脱出された方が、どこかにいらっしゃるはずです。ですが、勇者様はもちろん、バルタザール様も豪勇無双と言われた二刀流の使い手、そう簡単にやられるとは思えませんが……」

「二刀流……」

 二本の鉈を振るうゴブリンの姿を思い出して、ミーシャはちらりとレイの方へと目を向けた。
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