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第三章 亡霊、竜になる

第二十六話 満月が見下ろしている #1

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 みるみるウチに小さくなっていく街の灯。

 星明りもまばらな漆黒の夜空に、巨大な蜘蛛を載せた一匹の飛竜ワイバーンが、風を斬って舞い上がる。

「アンタ……なのよね?」

 ――ああ、そうだ。

 警戒心もあらわに、アリアが眉をしかめて顔を覗き込むと、飛竜ワイバーンは長い首をわずかに上下させた。

 アリアは、ホッと大きく安堵の溜め息を吐いて、表情を緩める。

「重くない?」

 ――重い。『女性に体重の話をするなんて』とか、そういうフリに付き合う余裕がないぐらい重い。

 実際、レイが乗り移る以前、この飛竜ワイバーンは、突然押しつぶされたということもあるのだろうが、アリアの重みで地面に腹をこすっていたぐらいなのだ。

「ぶー。感じ悪いわね。アンタ」

 アリアが頬を膨らませてねた顔をすると、今度はレイが彼女に問いかける。

 ――ところで……歩き方を意識すると、急に上手く歩けなくなることってあるよな?

「え、なに? 突然……何の話よ?」

 ――いや……それが、その……。

 なにやら言いづらそうなレイの様子に、アリアが怪訝けげんそうに首を傾げる。

 ――私はどうやって飛んでるのかなと……。



 その瞬間二人の間に、やたらと緊張感をはらんだ沈黙が舞い降りた。



「うぉおおおおおぉい! ダ、ダメ! 考えちゃダメよ。絶対ダメだからね!」

 ――そう言われてもだな……。

「そう、そうだわ! い、今までで一番、楽しかったこととか考えるといいわよ」

 アリアが頬をひくつかせながら、言い聞かせるようにレイの顔を覗き込む。

 だが、口調の優しさとは裏腹に、その目は血走っていた。

 ――わ、分かった。

 途端に、レイが思い描いた幾つかの場面が、アリアの脳裏に流れ込んでくる。

 万華鏡のようにくるくると風景が入れ替わり、やがて――一つの場面が繰り返され始めた。

「アンタ、ほんとにそんなのが楽しかったの?」

 アリアは、思わず口を尖らせる。

 ――……仕方あるまい。私には、ここ数日分の記憶しかない。

「はあっ……もう。ほんと、やってらんない」

 アリアは呆れたと言わんばかりに、肩をすくめた。

「……まあ、いいわ。上手く生き残れたら、もっと楽しい事教えてあげる。それはもう、みっちりとね……」

 ――お、お手柔らかに頼む。

 レイがどこか怯えるようにそう答えると同時に、周囲から翼のはためく音が無数に響いてきた。

 元より空は、飛竜ワイバーン領域テリトリー

 飛竜ワイバーンたちは、二人を取り囲むように遠巻きに周囲を飛び回っている。

 その様子を見る限り、姿かたちは飛竜ワイバーンでも、明らかに、彼らはそれがレイだと認識していた。

 ――やれやれ。仲間だと勘違いして見失ってくれることを少しは期待したのだがな。

 口調こそ困った様な物言いではあったが、アリアの中に流れ込んでくるレイの感情は明らかに異なる。

 ――だが、この身体は悪くない。魔力が満ちている。それも、ゴブリンなんかとは比べ物にならないほどに。

 どことなく高揚するようなレイの様子に、アリアはやはり呆れた。

「男はちょっとぐらい野蛮な方が良いとは思うけど……。あんたねぇ……四方八方、敵だらけよ? いくら飛竜ワイバーンの身体に魔力があるって言っても、相手も飛竜ワイバーンなんだから」

 ――ああ、分かっている。だが、キミと私の二人ならなんとかなる。そうだろう?

「その言い方は、……ずるいわ」

 ――まずは私は逃げる事に専念する。迎撃は任せた。

「任せたって! アンタねぇ! あ、うわっ、わっ、わっ!」

 レイは言うだけのことを言ってしまうと、抗議の声を上げるアリアのことを気にも留めずに、速度を上げて急上昇し始めた。
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