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第三章 亡霊、竜になる

第三十話 暁の竜 #1

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 ガタッ! という物音に、ドナ、アリア、ニコの三人は言い争いを止めて、背後を振り返った。

 三人の目に飛び込んで来たのは、膝ほどの高さに張られた蜘蛛の巣。そして、その上に横たわる飛竜ワイバーンと、それを見下ろすミーシャの姿。

 飛竜ワイバーンの焼け焦げた身体は弛緩しかんしきっていて、濁り切った白い目に生気は無い。

 開いたままのあぎとから、伸び切った舌がだらしなく垂れ落ちていた。

「コータっ!?」

 ニコは大きく目を見開くと、蜘蛛の巣へと飛び乗って、飛竜ワイバーンの、その焼け焦げた身体へとすがりつく。

「ダメ! 死んじゃダメにゃ! 折角会えたのに、こんなのってないにゃ! 返事をしてよコータッ! コータ!」

 悲痛な涙声が瓦礫がれきの山と化した街中に響いた。

 炎で炙られてドロドロに煮詰まったドス黒い血が、彼女の手を汚す。だが、それを気に掛ける様子も無く、ニコは必死で飛竜ワイバーンの身体を揺さぶる。

 ニコのその様子とは裏腹に、つい今の今まで彼女と言い争っていたアリアとドナは、「「ああ……」」と小さく嘆息たんそくし、気まずそうに顔を見合わせた。

 二人は何が起こっているのかを、正しく認識しているのだ。

 そして、アリアとドナは『なんとかしろ』と言わんばかりに、じっとミーシャを見つめてくる。

 その視線に気づいて、ミーシャはやれやれと肩をすくめた。

「あのね、アンタが誰かは知らないし、誰と勘違いしてるのかもしらないけど……そいつ死んでないから」

「にゃ? 死んで……な……い?」

「そうよ」

「で、でも、息してないにゃ! く、首も、だらんとしちゃってるにゃ!」

「だって、その身体は只の借り物だもん。アイツはもう、そこにはいないんだって」

 ミーシャの言葉の意味が、分からなかったのだろう。

 ニコは、戸惑うように目を泳がせた。

「い、いないって、じゃ、じゃあ何処に行ったのにゃ!」

「あっちよ」

 ミーシャはあごをしゃくって、肩越しに自分の背後を指し示す。

 ニコは戸惑いの表情を浮かべたまま、彼女のさし示した方へと目を向けた。

 折り重なる瓦礫がれきの間から黒煙が棚引たなびき、風に吹かれて、火の粉が蛍火けいかの如くに宙を舞う。

 彼女の視界の中で、地上に散らばった炎が、古竜エンシェントドラゴンの巨体を照らし出していた。

 そのまま視線をゆっくりと上へと泳がせて、ニコは思わず驚愕の表情を浮かべる。

「にゃ、にゃ、にゃ……!?」

 その余りにも壮絶な光景が、彼女から意味のある言葉を奪い去った。

 星もまばらな夜空を背景に、頭部を失った古竜エンシェントドラゴンの長い首、その先がうごめいている。

 白煙を上げながら、赤黒い肉が触手のようにうごめき、絡み合って、何かを形作ろうとしていた。

「な、な、な、なんにゃあれ! 竜のおじいちゃんは生きてるのにゃ!?」

 目を見開いて問いかけてくるニコに、ミーシャは苦笑しながら首を振る。

「がっつり死んでるわよ。で、アイツがその死体を乗っ取ったの」

「のっとった……?」

 呆然とするニコ。

 その間にも、赤黒い肉が竜の頭部を形作り、次第にそれがごつごつとした黒い鱗で覆われていく。

 一方、ドナとアリアは、二人して戸惑うような表情を浮かべながら、背後へと倒れ込みそうなほどに身体を逸らして、古竜エンシェントドラゴンの姿を見上げている。

 二人とも、レイが乗り換えるのを見るのは、これが二度目。

 頭では何が起こっているかを理解してはいるものの、今回ばかりはスケールが違いすぎる。

 ミーシャの目に二人の姿は、目の前で起こっている出来事を、どう消化していいのか困っている様に見えた。

 その時

 ぐぎゃっ! ぐぎゃっ!

 宙空を旋回している飛竜ワイバーンたちが、口々に短い鳴き声を上げて、四人は空を見上げる。

 どこか必死なニュアンスを帯びたその鳴き声に、ミーシャは、この赤毛の少女に比べれば、むしろ飛竜ワイバーンたちの方が、状況を正確に把握しているのかもしれない。そう思った。

 やがて、にょきにょきと二本の角が生え切ると、ゆっくりと古竜エンシェントドラゴンが目を開く。

 そして、爬虫類特有の凶悪な目つきで、ギロリと周囲を見回した。

 ぐぎゃああああああああああ!

 途端に、空を埋め尽くしていた飛竜ワイバーンたちは、けたたましい鳴き声を上げながら、逃げ惑うように東の空へと飛び去って行く。

 それを追う様に、古竜エンシェントドラゴンは長い首を振り上げると、飛竜ワイバーンの群れに向けて、その巨大なあぎとを大きく開いた。

 次の瞬間、ミーシャたちの視界が光に包まれる。

「きゃぁあああ!」

 彼女達の悲鳴を掻き消して、大地が震え、音が物理的な衝撃となって、周囲の瓦礫がれきを巻き上げる。

 ぐうぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 地の底から響く様な低い咆哮と共に、古竜エンシェントドラゴンの牙の間で膨らんだ蒼い炎が、火柱となって空を燃やした。

 右から左へと古竜エンシェントドラゴンが首を振るうと、壮絶な蒼い炎が、逃げ惑う飛竜ワイバーンの群れを薙ぎ払っていく。

 そして、

 蒼い炎が消え去る頃には、くらい夜空に星の他には何も見えなくなって、遥か遠くの方から、何かが地に落ちる鈍い音が幾つも響き渡った。
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