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第三章 亡霊、竜になる

第三十話 暁の竜 #2

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 東の空にあかつき

 あれから一時間と立たないうちに、遥か遠くの山並みを、濃い橙色だいだいいろ縁取ふちどり始めた。

 街を焼いた炎は既に姿を消し、薄く立ち昇る黒煙にその名残なごりを残すのみとなっている。

 半分ほども瓦礫の山と化したカノカの街。

 そこに、巨大な竜が陽だまりの猫さながらに、身体を丸めて寝そべっている。

 そして、赤い斜光に照らされて横たわるその竜の頬の辺りには、寄りかかって座り込む四人の女達の姿があった。

「ねえ、レイ。アンタ、本当に竜に襲われる覚えはないの?」

 ――記憶を失う以前のことは分からないな。

 ミーシャの問いかけに、レイは胸の内で応じる。

「っていうか、その身体、喋れるんじゃないの?」

 ――それが……厄介なことに、下手に声を出すと軽く衝撃波が発生するのでな。よほどのことが無い限り、しゃべらない方がいいだろうな。

 ミーシャは思わず首を竦める。

「……出鱈目すぎるわよ」

 そこで、二人の会話を聞くともなしに聞いていたアリアが、口を挟んだ。

「あはは、そもそも古竜エンシェントドラゴンなんて、存在そのものが出鱈目だもの。アンタに勝てるのって、もうこの世界じゃ魔王ぐらいじゃないかしら?」

「魔王と呼ばなくて良いんですか? 化け物」

 ドナが揶揄やゆする様にそういうと、アリアは小さく口を尖らせる。

「良いのよ。別にアタシは魔王の配下って訳じゃないもの。そうじゃなかったら人間の街に潜んで、真面まともな商売なんてしてないわよ」

娼館しょうかんのどこが真面まともな商売なんです? 男達を操って女をさらってた人がどの口でそれをいうんですか!」

「疲れた男達に一時の癒しを与える商売だもの。立派なものよ。それにあの男どもはツケを踏み倒そうとしたロクデナシ達だもの。借金のカタに労働させてただけ。まあ、そろそろ薬も切れて正気に戻る頃だと思うけど。むしろ、それをボッコボコにしてたアンタの方が酷いと思うんだけどぉ」

「……て、天罰です」

「でも……この有様じゃ、この街での商売はもう終わりね。どこか遠くに行ってやりなおすかな?」

 アリアは古竜エンシェントドラゴンの鱗を撫でながら、問いかける。

「ねえ、アンタ、このまま海を渡って別の国に行っちゃいましょうよ。そこで見栄えのいい男襲って、身体を奪ったらアタシと慎ましくも愛のある家庭を持つってのはどう?」

「調子にのらないでください。蜘蛛女!」

「そーだにゃ! 魔王を倒したら、ニコはコータと一緒に酒場を開くんだにゃ」

 思わず声を荒げるドナ。それに続いてニコが声を上げた。

「当然のように話に割り込んできましたけど、結局あなたは何者なのです?」

「ニコはコータの仲間にゃ」

「っていうか、コータって誰よ」

 アリアが怪訝けげんそうに眉根を寄せると、ニコは顔いっぱいに笑った

「コータはコータにゃ!」

 ニコのその答えに、アリアが呆れるような顔をすると、ドナが説明を引き継いだ。

「コータ……イノセ・コータ様は、勇者様のご尊名です」

 すると、ミーシャが話に割り込んでくる。

「ふーん、変な名前ね。センスが無いわ」

 ――生霊レイスだからレイと名付けた人間が、どの口でセンスを語るのだ?

「なにをぉ!」

 ミーシャはポカリと竜の鼻先を叩いた。

 無論、レイに痛がる様子などない。

「そもそも、その身体、可愛げがないわ! 今すぐうさぎ捕まえて、乗り換えなさいよ。モフモフさせなさいよ」

 ――アホか。この身体でうさぎを捕まえようとしたら、半島が沈むぞ!

「沈めちゃいなさいよ、こんな国。兎もモフモフ出来ない様な国は沈んだ方がマシよ」

 ――国に責任はないだろう。

「そうね。そうよ! アンタが悪いのよ。百歩譲って可愛げのない眼は我慢してあげるから、今すぐモフモフの毛を生やしなさいよ」

 ――無茶苦茶なことをいうな。出来ないことは無いが。

「出来んの!?」

 ――やらないぞ。

「なんでよ! モフらせなさいよ! 私の癒しを返しなさいよ!」

「ちょ、ちょっとお二人とも、落ち着いてくだ……」

 意味不明な言い争いを続ける二人に、ドナが割って入ろうとすると、アリアがその肩を掴んで小さく首を振った。

「今は放っておいてやんなさいよ。楽しいみたいだし」

 怪訝けげんそうに眉根を寄せるドナを他所よそに、アリアはそう言って竜の方を振り返る。

『一番楽しかったこと』

 そう聞かれてレイが思い浮かべたのが、このエルフの少女と憎まれ口を叩き合う光景だったことを思い浮かべて、アリアは苦笑した。
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