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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第三十六話 マンティコアライダー #1

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 一夜明けて。

 太陽が中天へと差し掛かる頃、一条の黒い線が地平線をなぞる様に描かれていく。

「き、来た……」

 ぞわぞわとうごめくその黒い影に、城壁の上に居並ぶ兵士たちがざわめいた。

「……いくらなんでも多すぎるだろ」

 視界一杯に広がる魔物の黒い影に、無精ひげの兵士がゴクリと喉を鳴らす。

 早ければ半刻ほどで、あの黒い波はこの城壁へと押し寄せてくる。

 戸惑う様に背後の市街地へと目を向ければ、蟻の群れさながらに、人が通りを埋め尽くしているのが見えた。

 魔王軍の襲来が告げられたのは今朝の事。

 ヌーク・アモーズの人口はおよそ三十万人。今、そのほとんどが、戸外へと出ているのではないかと思える。

 敵襲を告げる鐘が鳴り響く中、黒い人の波は、悲鳴にも似た声を上げながら、西の方角へと流れていく。

 逃げ場を求めて、港へと向かう人の群れ。

 無精ひげの兵士は、思わず瞑目めいもくする。

 一体、この内、何人が船に乗れるというのだろう。

 どれだけ詰め込んでも千人程度。そんなものだろう。

 おそらく一握りにも満たない。

「逃げ場は無いぞ。生き残りたければ戦え! 死に物狂いで戦え!」 

 上官が兵士達を見回して、声を張り上げる。

「……言われなくったって」

 彼は誰にも聞こえない程の小さな声を、舌の上で転がした。

 ヌークアモーズは半島の西端。

 この町の向こうは海。

 絵にかいたような、背水の陣。

 無精ひげの兵士があごを伝ってしたたり落ちる汗を上着の袖でぬぐったその時、何かが太陽をさえぎった。

 彼の上へと黒い影が落ちた次の瞬間、

 ――え?

 それが、彼の最後の言葉になった。

 グシャっという鈍い音が城壁の上に響き渡り、轟音と共に粉塵ふんじんが立ち昇る。

 飛び散る石礫いしつぶて

 驚愕に顔を歪めた兵士達の悲鳴と怒号の中で、石造りの城壁にヒビが走る。

 唐突に落下してきたのは、巨大な魔獣。

 驚愕に顔を引き攣らせる兵士達の視界の中で、魔獣の巨躯の下から流れ出した、粘り気のあるラズベリージャムのような液体が、石の継ぎ目を朱く染めながら城壁の下へとしたたり落ちた。

 魔獣の体長は五メートル余り、獅子の体に蝙蝠こうもりさながらの膜質まくしつの翼。

 さそりに酷似した尾が、周囲の兵士達を威嚇する。

「ひいぃ!? マ、人面獅子マンティコア!」

 騒然とする城壁の上、突然降って来た魔獣は逃げ惑う兵士達を老爺のようなしわくちゃの顔で見回して、割れた喇叭らっぱのような咆哮ほうこうを上げる。

 ブウォオオオオオオオォン!!

 人面獅子マンティコアの背中には、まるで騎手のようにゴブリンが跨っているのが見えた。

「くっ! 先遣部隊か! ひるむな! 剣を取れ!」

 気丈な仕官の声に、ハタと我に返る兵士達。

 だが、その心をへし折るかのように、次々とゴブリンを乗せた人面獅子マンティコアが降りてくる。

 全部で六体。

 悲鳴と怒号の飛び交う中で、士官は気丈にも更に声を張り上げる。

「城壁を越えさせるな! こいつら城門を開ける気だ!」

 だが、もはや止めようも無い。

 そして、人面獅子マンティコアの群れは、兵士達を一頻ひとしき蹂躙じゅうりんすると、次々に石畳を蹴って、城壁の内側へと飛び降りていった。
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