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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第三十八話 風の契約者 #2

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 レイボーンは坂道を下りながら、考える。

「逃げない」

 ミーシャはそう言った。

 どんな心境の変化があったのかは知らないが、そういう事なら自分のやるべきことはただ一つ――

 静かに顔を上げて、遠くへと目を向ける。

 立ち昇る土煙。

 丘へと続く一本道を、駆け登ってくる魔獣の群れが見える。

 ――彼女に降りかかる全ての不幸を切り裂く。ただそれだけだ。

 白く固い骨の指先で、剣の柄へと指を這わせる。

 空洞の眼窩がんかが、遠くを見据えた。

 此方へと駆けてくるのは、双頭の巨大な魔犬の群れ。

 先頭の魔犬には、草色のローブを目深に被った、細身の魔物がまたがっているのが見えた。

 レイボーンの姿に気付くと、魔物の群れは次第に速度を緩め、警戒しながら脚を止める。

「どういうことだ? 何故こんなところにスケルトンがいる?」

 草色のローブの魔物が、レイボーンをじっと見据える。猛禽類の鋭い眼。ふくろうの頭がフードの下から覗いていた。

「まさか人間どもは、不死者アンデットの傘下にでも下ったのではあるまいな?」

 言われてみれば、これまでに出会った魔物に不死者アンデットはいなかった。

 この魔物の口ぶりから推測するに、魔王軍とは別に不死者アンデットの勢力があるということなのだろう。

「ははは、まさか魔力が膨らんだというのは、こいつのことではあるまいな?」

 レイボーンは剣を静かに引き抜く。

「べらべらとよく舌が回る。……ふくろうかと思えば、どうやらオウムだったらしい」

 スケルトンが喋るとは思っていなかったのだろう。一瞬驚いたような表情になった後、ふくろう頭の魔物は、怒りに顔を歪める。

「誰がオウムだ! 殺れ! オルトロスども!」

 途端に、双頭の魔犬たちが、レイボーンの方へと次々に飛び掛かってくる。つやつやとした短毛種、黒毛の巨大な犬。

 レイボーンは剣のつかを握り直すと正面から飛びかかってきた一匹、その二つの頭の間に狙いを定めて刀身に気を流す。

 肩口に食いつこうとする一頭で二つのアギト

 それをギリギリまでひきつけて、その場でひらりとたいを躱す。

 空洞そのもののレイボーンの耳孔じこうの直ぐ傍で、ガチンッ! と牙の合わさる音が響いた。

 狙うは二つの首の間、彼はそのど真ん中へと剣を振り下ろす。

 魔獣は飛びついてきたその勢いのままに、岩に割られた川の流れのように、もしくは裂かれた干物のように、真っ二つになってレイボーンの左右をはずみながら転がっていく。

「なにいぃ!?」

 驚愕するストラス。

 だが、血の匂いに興奮した魔獣達は止まらない。

 次から次へと襲いかかってくる魔獣の攻撃を、レイボーンは右へ左へ飛び退きながら、時にはバックステップを踏んで、紙一重で躱す。

 踊るように凶悪な牙から逃れながら、次から次へと、まるで流れ作業のように、レイボーンは魔物の首筋を刺し貫いていく。

 二頭、三頭と倒れて、やっと攻撃が止んだ。

 飛び込めばどうなるか。魔獣の足りない頭でも流石に理解できたらしい。

「バカな! スケルトンごときが、オルトロスをどうこう出来るわけがないぞ」

「まあ、スケルトンじゃないからな」

 剣を肩に担いで、レイボーンが軽い調子でそういうと、ふくろう頭の魔物は、クルリと首を一回転させた。

「なるほど……竜牙兵トゥースウォーリアだったか」

「よくご存じで」

「当然だ。私は知識の悪魔であるゆえ。どうやら古竜エンシェントドラゴンは人間にくみしたらしいな。しかし……喋る竜牙兵トゥースウォーリアとは興味深い。できれば、こやつも連れて帰って、調べてみたいものだが……な」

「出来るものなら、やってみればいい」

「慢心は身を亡ぼすぞ。牙のゴーレム如きが、このストラスにかなうと思っているのか?」

 ストラスがオルトロスの背から飛び降りて身構えると、レイボーンは揶揄からかう様に言った。

「まあ、なんでも良いが、王都を攻める気なら道を間違えてるぞ」

とぼけた事を……。一つ問おう。耳長姫はこの先か?」

「耳長姫?」

 おそらくミーシャのことだろう。

『耳長』と呼ばれたり、『姫』と呼ばれていたのは傍で聞いていたが、合わせ技は初めてである。

 なぜ、魔物がミーシャのことを問うてくるのかは分からないが、いずれにしろ、彼のスタンスは変わらない。

「残念ながら、ミーシャは取り込み中だ。ここから先に行かせる訳にはいかない」

「……ミーシャ?」

 ストラスは話が通じていないとでも言うように、眉間に皺を寄せて、何か変な顔をした。

 だが、問い質すよりも、押し通る方が早いと判断したのだろう。

 ストラスがあごをしゃくると、オルトロスたちは半円状に周囲を取り囲む。
 
 そして、レイボーンの正面でストラスが身構えた。

 一対一。

 まるで決闘する二人と、それを取り囲む野次馬のような絵面である。

 レイボーンは、ストラスを見据えて、空洞でしかない鼻を鳴らした。

「そんなやせ細った身体で、私と戦えるとでも?」

「やせ細った? お前がそれを言うか?」

 ストラスが、不愉快げに吐き捨てる。

 ……御尤ごもっともである。

 現在、レイは骸骨。

 やせ細るどころの話では無かった。
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