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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第三十九話 リバースする少女。絡まる神官。それはともかく黄金の右腕は趣味が悪い。そんな混沌とした状況 #1

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「う、ぅうん、ちがうにゃ……ぐろくろじゃないにゃ……」

 王宮近くの路地裏、ひっそりとしたたたずまいの酒場のカウンターで、赤毛の少女が酒瓶に囲まれて突っ伏している。

 陽の届かない薄暗い店内には、彼女一人。

 他は、とうの昔に逃げ出してしまった。

 昨日、ライトナと話をした後、ニコは一人、ふらふらと酒場に繰り出していた。

 長くコータの迎えを待つ間に覚えた酒の味。

 ニコには嫌な事があると、すぐ酒に逃げる習慣がついていた。

「うぅうん……」

 彼女が再びうめいたその瞬間、路地に面する壁を突き破って、轟音とともに魔物が店内へと突っ込んでくる。

 石壁がはじけ飛び、粉塵ふんじんが立ち上る。

 テーブルが地面を打つ音、瓶が割れる音が壁にぶつかって、幾重にも響いた。

「な、なんにゃ!?」

 ビクリと顔を上げると、ニコは酔眼のままに周囲を見回す。

 背後を振り向いた彼女の眼前。

 そこには、大きく開かれた魔物のあぎとがあった。

「にゃっ!?」

 酔眼を大きく見開いて、ニコは慌てて飛び退き、床へと転がる。

 その途端、ガチン! と人面獅子マンティコアの牙が合わさる甲高い音が耳をいた。

 ニコはふらふらと立ち上がると、腰から中短剣グラディウスを引き抜いて、キョロキョロと周囲を見回す。

 店内はぐちゃぐちゃ。壁の一面が丸ごと無くなって、なんということでしょう。うらぶれた酒場がオープンカフェに早変わり。脅威のビフォーアフター。

 それほど広くも無い店内に、人面獅子マンティコアの巨体が窮屈そうに居座っていた。

 ブォオオオオオン!!

 動物の声とは思えないような咆哮ほうこうを上げて、人面獅子マンティコアは、ニコに向かって爪を振り下ろす。

 傍目には猫がじゃれるような挙動ではあったが、威力はじゃれるどころの騒ぎではない。

「にゃぁぁあああ!」

 ニコが再び横っ飛びに飛び退いて、どうにかそれをかわすと、人面獅子マンティコアの爪が床板を穿うがって、大きな穴が開いた。

「な、なんだか、わかんにゃいけど……」

 ニコは態勢を立て直して中短剣グラディウスを構えると、身を小さくかがめて、真っ直ぐに人面獅子マンティコアへと突っ込む。

「にゃぁああああああああああああああ!」

 人面獅子マンティコアは、老爺のような顔を嘲笑する様に歪めて、それを待ち受ける。

 獲物が自ら飛び込んでくるというのだ。手間が省けたというところでしかない。

 ニコが足に力を込めて跳躍すると、人面獅子マンティコアは、それを追って首を上へと上げる。

 だがその瞬間、人面獅子マンティコアの視界から、ニコの姿が消えた。

 思わず目を見開く人面獅子マンティコア

 次の瞬間、上を向く魔物のがら空きの喉元に、中短剣グラディウスが突き刺さった。

 それはまさに猫の身のこなし。

 跳躍したニコは天井を蹴ると、素早く着地して、そのまま地を這う様に、魔獣の喉元に剣を突き刺したのだ。

 剣先に骨を穿つ感触。ニコは更に体重をかけて、深く突き入れると高らかに声を上げる

「来るにゃ! 炎の蜥蜴サラマンダー! フレイムエッジ!」

 途端にニコの腕を炎が伝って、中短剣グラディウスを灼熱させる。そして、刀身を覆う炎がぜた。

「にゃぁ! フレイムエッジ!」

 喉を切り裂かれて声も無く身悶える人面獅子マンティコア。その、飛び散る血を頭から被りながら、ニコは尚も声を上げる。

「フレイムエッジッ!!」

 再び炎がぜると、遂に人面獅子マンティコアの眼球がぐるんとひっくり返って、その身体から力が失われた。

 そして、魔獣は横倒しに崩れ落ちる。

「うにゃ!」

 ニコは力任せに剣を引き抜くと、勢いのままによろよろと後退あとずさって、尻餅をついた。

「にゃぁ……うぷっ……気持ち悪いにゃ」

 遠くからは、悲鳴や、何かが壊れる様な音が響いてくる。

 風通しの良くなった壁の外は路地裏。

 そこに人の姿はない。

「なにが起こってるのにゃ? コータっ……」

 ニコは、そう呟いて立ち上がる。

 ともかく王宮へ、コータのところへ。

 そして、二歩、三歩と歩いたところで、突然、目を白黒させて、

「ぼぇえええええっ……」

 少女らしからぬうめき声とともに、景気よくリバースした。
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