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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第四十三話 晴れときどきタコ。 #1

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 ズズズ……と空気を振動させる巨大な影。

 ミーシャは目尻に涙を浮かべて、空を見上げた。

 その瞬間――


「ぎゃぁああああああああああああああああああああああ!!!」


 それはもう、スゴい顔をした。

 美少女が決して、してはいけない顔。

 描写するのもはばかられる禁断の表情である。

 だがそれも無理からぬ事。

 宙に浮かんでいたのは、あまりにも不気味な物体だった。

 膜質まくしつの羽が生えたいびつな球体。

 赤灰色せきかいしょくのヌメヌメした筋繊維のような表面。

 そこら中から不規則に突き出した無数の触手が、うにょうにょと蠢いている。

「じゃ……邪神!?」

 ミーシャは魂の抜け落ちた表情でそう呟いて、驚きの余り垂れ落ちたよだれが、口の端で糸を引いた。

 ――おい、よだれ! よだれ! 誰が邪神だ。良く見てみろ。

 ミーシャは慌てて手の甲でよだれぬぐって、言われるままに、名状しがたいその異様な物体を眺める。

 よく見れば、その表面は無数の触手が絡みついたもの。

 ところどころの隙間から、古竜エンシェントドラゴンの黒い鱗が覗いている。

「タコぉ!?」

 そう。それは何十匹もの巨大なタコに、絡みつかれている古竜エンシェントドラゴン

「何をどうすれば、そんな事になんのよ!!」

 ――ふむ、島を襲う巨大蛸クラーケンの群れとの戦闘中だったのだが、奴らは中々すばしっこい。水中ではブレスも使えないし、一匹ずつ噛み殺していては、ここへ戻ってくるのはさきに告げた通り、四、五時間はかかる。そこで私は考えた。

 レイボーンが剣を肩に担いで、どこか自慢げに胸を張る。

 ――とりあえず、全部持っていこう、と。

「はい? もって……くる?」

 ――ああ、そうだ。奴らは私を絞め殺そうと、絡みついてきた。そこで、自分から奴らのど真ん中に飛び込んで、全部が絡みついてくるのを待ったのだ。

「で、そのまま来たと……」

 ――そうだ。

「……あ」

 ――あ?

「アホかぁああああああああああああああああああ!!!」

 さっきまで意識を失いそうになっていたのも何処へやら、ミーシャは思わず声を上げる。

「この脳筋! 只でさえ魔物の群れでびっしりなのに、更に何十匹も巨大蛸クラーケン水揚げして、どう収拾つけるのよ! そんな状態じゃ、アンタも身動き取れないんじゃないの!」

 ――ふむ。言われてみればそうだな。口の中まで触手で一杯なのでブレスも吐けない。

「言われてみればって……アンタねぇ……」

 ミーシャは、思わず眉間に皺を寄せて、こめかみを指で押さえる。
 
 だが、そんな彼女に、レイボーンは平然とこう言った。

 ――ちょっと振り落としてくる。

「え?」

 ミーシャが思わず小首を傾げたその瞬間、タコ邪神が翼をはためかせて、地上に激しい風が吹き荒れた。

「ちょ、ちょっと、な、なにすんのよ!?」

 ミーシャの抗議の声は激しい風音にかき消され、タコ邪神もとい古竜エンシェントドラゴンは、真っ直ぐに上空へと、飛び上がっていく。

 魔物達も呆然と空を見上げ、地を埋め尽くす魔王軍の真上へと上昇していく、いびつな竜の姿を目で追っていた。

 やがて、遥か上空で動きを止めるいびつな物体。

 ミーシャの目に、それが午後の太陽を遮って、錐揉みする様に激しく身体を揺さぶるのが見えた。

 途端に、竜の体から剥がれ落ちて、宙へと放り出される無数の巨大なタコ

 飛び散る粘液が陽光に照らされてキラキラと光り、どこか幻想的な風景を形作る。

 無数の巨大な蛸が、大地へと降りそそぐその光景を眺めながら、

「……………………」

 ミーシャは言葉を失う。

 本日は晴天なり。

 晴れときどきタコであった。
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