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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第四十四話 バカばっかり #1

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「ぎゃっ! ぎゃぎゃぎゃ!!」

 人面獅子マンティコアの背にまたがったゴブリンが、オーランジェを指差して、けたたましく騒ぎ立てた。

「い、いやっ! 来ないで!」

 彼女は後ろ手に座り込んだまま、床を蹴って必死に後ずさる。

 玉座のでの出来事。

 オーランジェがここに辿り着いた時には、ジェラール王は自ら剣を取って、城壁へと向かった後だった。

 人気ひとけの無い部屋。

「お父様?」

 彼女が父の姿を探して玉座へと歩み寄った途端、轟音と共に壁を突き破って、人面獅子マンティコアが飛び込んで来たのだ。

 ぐるるる……

 低い唸り声を上げながら、ゆっくりと歩み寄ってくる人面獅子マンティコア

「ひっ……!」

 オーランジェはその秀麗な顔を引き攣らせながら、じりじりと後ずさっていく。

 やがて、彼女の背中がドン! と壁にぶつかった。

 もはや逃げ場は無い。

 近づいてくる老爺の様な不気味な面貌。白い牙の間から洩れる生臭い吐息が彼女の頬を撫でて、そのあまりのおぞましさに肌が粟立つ。

「い、いやっ……」

 恐怖の余り、噛み合わない歯の根がカタカタと音を立てた。

 だがそれも、

「ぎゃ! ぎゃぎゃ! ぎゃぎゃぎゃ!」

 人面獅子マンティコアの上のゴブリンが、益々興奮気味に騒ぎ立てる声にかき消される。

 そして、ゴブリンが彼女の方へと飛び降りようとしたその瞬間、

「え?」

 オーランジェの目の前で、唐突にゴブリンの顔面が陥没した。

 開いたままの扉。廊下の方から飛び込んで来た影が、ゴブリンの顔面に膝蹴りを叩きこんだのだ。

 潰れた鼻、折れた牙の間から、ぷひゅっと空気の洩れる音を立てて吹っ飛ぶゴブリン。

 二度、三度と床の上を跳ねて壁にぶつかると、ゴブリンはそのまま動かなくなった。

 呆然と目を見開くオーランジェの前で、その影は人面獅子マンティコアの上に着地すると、即座にその首に脚を絡ませる。

 それは、素肌もあらわな恰好の赤毛の少女。

 途端に、人面獅子マンティコアは、彼女を振り落とそうと激しく身をよじり、前脚まえあしで宙を掻く。

「にゃ! にゃ! にゃ!」

 彼女はそれを荒馬を乗り回すかのように身体を跳ねさせながら、腰から中短剣グラディウスを引き抜く。

 そして、

「にゃーーーーー!」

 一気に人面獅子マンティコアの延髄を刺し貫いた。

「ぐぎっ!?」

 皺くちゃな老爺のような人面獅子マンティコアの顔。

 その頬が引き攣り、次の瞬間には重力に牽かれて、だらりと垂れ下がる。

 突っ張っていた四本の脚が、それぞれにズルズルと広がって、最後には毛皮の敷物のように地面に突っ伏した。

 赤毛の少女は人面獅子マンティコアの背から、ぴょんと飛び降りると、硬直するオーランジェの顔を覗き込んで、ニッと笑う。

「危ない所だったにゃ! えーと、ミミナガヒメ?」

「耳長姫?」

「違うのにゃ?」

「まあ、神官の方々が影でワタクシのことを『耳長』と呼んでおられたようですし、間違いではありませんけど……」

「にゃんだ……ちがうのにゃ。ゴブリンが『ミミナガヒメ、ミーツケタ!』ってはしゃいでたから、てっきりそういう名前なんだと思ったにゃ」

「ゴブリンの言葉が分かるのですか!?」

 オーランジェが思わず声を上げる。だが、赤毛の少女はそれを全く無視して話題を変えた。

「ところでコータはどこにゃ?」

「え? はい? 勇者様……ですか?」

「そうにゃ!」

「それなら……たぶん、あれがそうだと思うんですけど……」

 オーランジェが指さす方。人面獅子マンティコアが開けた壁の穴越しに空を見上げて、少女は「にゃっ!?」と、小さく飛び上がった。

 そこには、気持ちの悪い触手まみれの巨大な物体が、ウネウネとうごめきながら浮かんでいる。

 赤毛の少女は壁に開いた大きな穴に駆け寄って、その気持ちの悪い物体を見上げ、オーランジェを振り返って声を上げた。

「にゃ、にゃ、にゃんでコータ、あんなのになっちゃったんだにゃ!?」

「なんでって言われても……」

 そもそもオーランジェは、本来の古竜エンシェントドラゴンの姿さえ知らないのに、分かる訳がない。

 オーランジェが思わず困り顔になった途端、いきなり建物そのものが大きく震えた。

「にゃっ!?」

「きゃあ!?」

 そして、何か大きな物が叩きつけられる重い音が断続的に響き渡って、地面が大きく揺れる。

「な、なにが起っているのです?」

「わかんないにゃ!」

 怯える様に頭を抱えながら、オーランジェが問いかけると、赤毛の少女は壁に開いた穴から身を乗り出して、空を見上げる。

 遥か上空には、いつの間に舞い上がったのか、先ほどの不気味な竜の姿。それが激しく身悶えながら、触手の塊の様なものを撒き散らしている。

「ほんとに、なにが起こってるん……だ……にゃ?」

 その瞬間、赤毛の少女が空を見上げながら硬直した。

 そして、

「ふぎゃぁああああああああああああああああ!?」

 目を見開いて、絶叫する。

 彼女達のいる王宮の一角。そこへ巨大な触手の塊が、真っ直ぐに墜ちてくるのが見えたのだ。
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