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第四章 亡霊、魔王討伐を決意する。

第四十四話 バカばっかり #2

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「なんてことすんのよ! アンタ!?」

 王宮の一角にめり込んでいる巨大蛸クラーケンを指さして、ミーシャが声を荒げた。

 もはや、死にかけている場合ではない。

 ――だ、大丈夫。計算通りだ。

「ウソつき……目、泳いでるわよ」

 無論、ミーシャのいる場所から遥か上空を飛ぶ、レイの目など見える訳が無い。

 レイボーンに至っては、目どころか頭自体がない。

 だが、

 ――そ、そんなことはない。

 明らかに動揺するレイの様子に、ミーシャは深い溜息を吐いた。

 巨大蛸クラーケンが落ちたのは、まさに玉座のの辺り。

「まさか、お義兄にい様もこんな状況で、のんびり玉座に座ってたなんて事は無いと思うけど……」

 魔物との戦闘が終わってみて、折角守ると決めた義兄や姪が、あのバカが落とした巨大蛸クラーケンに押し潰されて死にましたとでも言われたら、正直どんな顔をして良いのかわからない。

「とにかく、アンタ、あのタコなんとかしなさいよ!」

 ミーシャが腕を振り回しながら、そう叫ぶのとほぼ同時に、背後の城壁の上から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ミーシャ! 無事か!」

 それは、ジェラール王の声。

義兄にい様!? アンタ、王様の癖に何でこんなとこにいんのよ!」

「王なればこそだ! それに、お前に何かあったら私はオリビアにどう謝ればいいというのだ。むっ! 血が出ているではないか! 待ってろ! 今いくぞぉおお!」

「お、お待ちください、陛下! あ、危のうございます!」

 今にも飛び降りんばかりのジェラール王に、周囲の兵士達が慌ててしがみつく。

 先日会った時のやつれた様子からは想像出来ないが、義兄は確かにこういう人だった。

 お姉ちゃんに連れられて、隠れ里を訪ねてきた時から、何も変わらない。

 おっちょこちょいだが愛情深い。お姉ちゃんが好きになった男性の姿があった。

 ――まったく男というのは、バカばっかりだ。

 ミーシャは静かに目を閉じて、苦笑する。

 宙空を見上げれば、タコを全部振り落として、本来の姿に戻っている、もう一人のバカが悠然と浮かんでいる。

 そう言えば、ダークエルフの姿はどこにも見当たらない。

 次に会う時には、きっちり決着をつけてやる。

「それじゃ……レイ」

 ミーシャがそう呟くと、長い首を振って上空の竜が頷く。

 ――ああ、幕を引くとするか。

 宙空の竜。そのあぎとの奥で、蒼い炎が揺らめくのが見えた。


 ◇ ◇ ◇


 宙空で蒼い炎が揺らめくのが見えた。

「あ……これ死んだわ」

 アリアが走りながらそう呟くと、簀巻すまき状態のドナが、身体をえびぞらせて、彼女の背を蹴りつける。

「痛った!? なにすんのよ!」

「死にたくなかったら糸を解きなさい! 早く!」

「なんか手があんの?」

「いいから早くッ!」

 アリアが糸を解くと、ドナはアリアの隣を並走しながら、キョロキョロと辺りを見回す。

 そして、

「あそこの窪みに飛び込みます!」

 少し先、おそらく魔物が掘ったものだろう。地面に開いた塹壕のような穴を指さした。

「バカじゃないの!? あんなとこに入ったって蒸し焼きになるだけじゃない!」

「いいから! 死にたくないなら信じなさい!」

「アンタが狂信者じゃなかったら、もうちょっと信じられるんだけどさ……」

 その瞬間、巨大なふいごを吹くように、古竜が地面に向かって蒼い炎を噴きつけた。

 空から地面を炙る炎。逃げ惑う魔物達と絶叫しながら暴れまわる巨大蛸クラーケン

 煙と火の粉が渦を巻きながら、大地を沸騰させた。

 ごぼごぼと物の煮えたぎるような音、無数の人間の関節が一斉に鳴るようなメキメキという音。炎は生きているかのように、なにもかもを呑み込みながら、二人の居る方へと迫ってくる。

 もはや言い合いなどしている場合では無い。

 アリアは走りながら人型に姿を変え、ドナと絡み合う様に地面の窪みに飛び込んだ。

 狭い塹壕ざんごうに二人、絡み合う様に横たわりながら、ドナは空に向かって両腕を突き上げる。

「主よ、祈りに応え給え! 悪しき者、猛き者、穢れし者より守り給え! ――セイクリッド・ウォール!」

 塹壕ざんごうの上を、目に見えない障壁が覆う。途端にその障壁の上をすさまじい勢いで、蒼い炎が滑っていくのが見えた。

 アリアが顔を引き攣らせて目を見開き、ドナの手がビリビリと震える。
 
 一瞬でも魔法を途切れさせたら、穴の中へと炎が滑り込んでくる。

 そうなれば終わりだ。

 必死の形相のドナ。

 だが、なんとか炎そのものは防げているが、熱を完全に防げる訳ではない。

 周囲の気温が一気に上って汗が噴き出す。

 背中に触れる地面が鉄板の様に熱くなって、痛みを伴った熱気が蜂のように襲い掛かってきた。

 やがて、どれぐらいの時間が経ったのだろう。永遠のようにも思えた長い時間が過ぎ去って、炎が弱まっていくのが見えた。

 そして、炎が完全に途切れたのを見計らって、ドナは魔法を解く。

 途端に身体中から力が抜けて、彼女はアリアの胸に顔をうずめるように倒れ込んだ。

「……アンタ、生きてる?」

「ええ……なんとか」

「それは残念」

 アリアが肩を竦めるのを感じながら、ドナは目を閉じたまま静かに微笑んだ。
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