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1巻
1-2
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「ちょっと馬車を止めてくれないか?」
「どうかしましたか?」
不思議そうな顔をしながらも馬車を止めてくれた御者に礼を言ってから、俺は御者台から飛び降りてグラムの前に立つと、グイと彼の腕を掴んだ。
「これは、さっきの戦いでやられたのか?」
「ん? ああ、そうだな。油断しちまったよ」
「そうか。腕をかしてみろ、治してやるよ。初級回復魔法」
俺の手のひらが淡い緑の光を帯びる。手をかざすと、グラムの傷は癒えていく。
「ほら、これでいいだろう。腕を怪我したまま敵と遭遇したら護衛の役目を十分に果たせないぞ」
俺はそう言ってグラムに向かって笑ってから、御者台へ戻る。
「お、おう。すまねぇ」
傷の癒えた腕をぶんぶんと振り回して感覚を確かめながら、グラムは礼を言ってくる。
「しかし、初級回復魔法が使えるとは羨ましい限りだな。俺たちの中には使える仲間がいないから回復薬に頼るしかないんだよ。だが下級の回復薬でも高いからそう何本も準備出来ないし、結局、軽い怪我だったらそのまま自然に治るのを待つしかないんだ」
グラムの言う通り、レベルを問わず回復魔法が使える者はそう多くない。それで大抵は回復薬を使って怪我を治すのだが、回復薬を作れる調薬師も希少で満足な量を確保出来ないために、どうしても値段が高くなってしまうのだ。
「そうか。確かに回復薬は高いからな」
「だろ? だが、出発前には危険な獣が出たという情報はなかったはずだが……。いや、そんな言い訳をしていては駄目だな。護衛隊長として反省している」
苦笑いを見せながら頭を掻くグラムだったが、情報が出回っていない強力な魔物と出くわしてしまったようなので、運が悪かったという他ない。だからといってそれで済む問題ではないが……。
「まあ、さっきも少し話したが、魔王が倒されたので、段々と魔物の出現頻度は減るだろう。魔王が存在しなければ獣を魔物化させる負の魔素の供給が減るから弱体化するだろうし、徐々に新たに魔物化する獣の数も減っていくだろうよ」
「そんなに詳しい情報、よく知っているな」
グラムは俺の話に感心して何度も頷いた。
「そろそろ出発しても大丈夫でしょうか?」
御者の男性が俺に確認してきたので俺は慌てて詫びを入れる。
「ああ、すまない。もう出発しても大丈夫だ」
その時、馬車の窓からエルザの声が聞こえてきた。
「グラムに回復魔法をかけてくださりありがとうございます。アルフ様は魔法にもお詳しいのでしょうか? そうであれば、道中こちらの馬車にて魔法についてお話を聞かせて頂けませんか?」
魔法学院へ行くくらいだ。初級回復魔法を使った俺にエルザが興味を持つのは当然かもしれない。
「それは構わないが、エルザさんが現在学院でどこまで教えられているかを知らないと話は出来ないな。おそらく学院でも勉強しているとは思うが、基礎を抜かして進めると事故に繋がるぞ」
魔法は、火・水・風・土・氷・雷・聖・光・闇の九種の属性と、初級・中級・上級・最上級の四つの難易度で区分されている。適性のない属性の魔法や高い難度の魔法を無理に使おうとすれば、暴発してしまうこともあるのだ。
「それは理解しているつもりです。今はアルフ様がどんな魔法を使えるのか話して頂けるだけで十分です。深い部分にまで踏み込んでお聞きするつもりはありません」
「分かった。それでよければ引き受けよう」
話し合いの結果、俺は彼女の馬車に乗せてもらい魔法についての話をすることになった。
俺がエルザの馬車に移動すると、コトラも一緒に馬車へと飛び乗ってくる。
「あら、可愛い猫さんですね。アルフ様の飼い猫でしょうか?」
「ああ、使い獣魔のコトラだ。俺の大事な相棒だよ」
「コトラちゃんというのですか。可愛いですね」
エルザは俺の膝上に乗り欠伸をするコトラに興味を抱いたようだ。
「撫でてみるか?」
「いいのですか? 本来、使い獣魔は主人にしか懐かないと聞いていますが?」
「その認識で間違いないが、こいつは大丈夫だ。俺が敵意を持たない限りは、よほど無茶なことをしなければ攻撃しないように躾けてある」
俺が言うと同時にコトラは俺の膝の上からぴょんと飛んで、エルザの座る長椅子へと跳び移る。
「コトラちゃん。撫でてもいいですか?」
「にゃん」
エルザがコトラにそう問いかけると、了承するかのようにコトラは長椅子の上で丸まる。
「うわぁ、ふわふわのもふもふですね」
やはり若い女性はこういった小動物が好きなのだろう。にこにこしながらコトラを撫でている。
「――そろそろいいか?」
たっぷり十分ほど撫でたところで俺はそう声をかける。するとエルザは恥ずかしそうに頬を赤くして「今のことは忘れてください」と言ってから咳払いをし、真顔に戻った。
「――そうだな、初級の水球ならどうだ?」
俺はそう言って直径三十センチ程度の水球を彼女の目の前に作り出す。
「ちょっと待ってください。そんなレベルの魔力制御はまだ無理です。私に作れるのはもっと小さな水球ですわ」
「そうか、それは悪かった。ならば出来るだけ大きく水の球を作ってくれ」
「分かりました。では……。水球」
エルザは深呼吸すると右手のひらの上に拳大ほどの水球を作り上げたのだった。
「大きさはもう一歩だが、制御はしっかりと出来ているな。水球は簡単なように見えて、球の形を維持する必要がある分難易度が高いから、魔力制御の訓練に最適なんだ。例えばこんな風に……」
俺はそう言って、同じく拳大ほどの水球を目の前に作りだした。ただし十個同時にであるが。
「な、何ですかその数は! そんな数の水球を出すことなんて学院の先生方でも出来ませんよ」
驚くエルザに、俺は出していた水球を一つだけ残して他は消滅させる。そして残った一つを彼女の左の手のひらの上に乗せた。
「え、え、え?」
「ほら、右手だけでなく左手にも集中してみろ」
俺はエルザの左手にそっと手を添えると、少しだけ魔力を流し込む。
「温かい魔力ですね。やってみます」
エルザはそう言って、両手それぞれの水球の制御に集中するのだった。
「ここまでだな。この魔力制御は今後必ず役に立つから続けるといい」
「はい。ありがとうございました。とても疲れましたが、素晴らしく充実した時間でした」
それからいくつかの魔法について話をしているうちに、休憩のため馬車が止まり、訓練は終了となった。俺はまた御者台へと戻ろうと一度馬車から降りる。
「よう、お疲れだったな。しかしアンタ、凄いな。エルザお嬢様と魔法について意見を交わすだけでなく、講義までしちまうなんてな」
「いや、たまたま知っていることが役に立っただけだ。それにしても、あの若さであれだけ才能があるんだ、将来が楽しみだな」
俺は感心して、思わず笑みを浮かべる。
「そうだろ? ミリバル商会の自慢のお嬢様だからな」
グラムは自分の娘を自慢するようにそう言った後で、ふと思い出したように俺に質問をしてきた。
「ところでアルフは各地を旅していると言っていたよな。なんで一つの町に留まらないんだ? その方が稼ぎも安定するだろうに」
「ははは。実は少しだけ大きな仕事が終わったばかりでな。暫く各地を巡りながら美味い地酒を一杯と思って旅をしてるんだよ」
俺がそう答えると、グラムは笑みを浮かべながら話を続ける。
「それは羨ましい話だな。俺も独り身だったら一緒についていったかもしれないが、今の俺には大切な人――妻がいるからな。安定した仕事がもらえる商会の専属護衛が一番合っているんだよ」
「ほう。そういった人がいるのは正直羨ましい限りだな」
「ん? アルフにはいないのか?」
「ああ。恋人はいない……が、大切な人と言えば、子供の頃に世話になった孤児院のシスターが、王都からキロトンへ異動になったとギルドで小耳にはさんだな。会ってお礼を言えるといいが……」
『孤児院』という俺の言葉に反応したグラムが、自身のことを話し始める。
「なんだ、アルフも孤児院出身か。実は俺もなんだよ。まあ、俺は王都じゃなくてキロトンの孤児院の出だがな。ところでその孤児院のシスターの名前は分かるか?」
「ああ、アメリアだ」
「アメリアさんか! 二年くらい前に来た今の管理人だな。俺もこうして稼げるようになってからは時々だが食料なんかを寄付しに行っているから、面識はあるぜ」
「そうなのか。昔のお礼を兼ねて寄付に行きたいから、その時は一緒に行ってくれないか?」
「そんなことならお安い御用だ。この依頼が終わったら行ってみようぜ」
「ああ、よろしく頼む」
俺は意外なところから昔の恩人の情報を得て懐かしく思った。そして同時に、一緒に育った別の幼馴染たちにも思いを馳せたのだった。
「――そういえばグラムはいま何歳なんだ?」
「ん? いきなりの質問だな。そうだな、このあいだ二十歳になったばかりだ」
いきなり年齢の話をしたのは、見た目の印象から俺と変わらないくらいだと思ったからだが、思わぬ答えが返ってきた。
「そ、そうか。思ったよりもずっと若かったんだな」
「おっ? それは俺の見た目が若くないって言っているのか? まあ、自分でも自覚しているし彼女にもよく言われてるよ。ただ、この若さで老けて見える奴は歳をとっても変化がなくて、逆に若く見えるというからな、悲観はしてないぜ。そういうアルフはどうなんだ? それこそ俺と変わらないように見えるが」
「俺か? 俺もグラムみたいに若くしてこの顔ならばよかったんだがな。残念ながら二十八歳だ。まあ、年相応と思ってくれたらいい」
「に、にじゅうはち? 俺より少し若く見えるからてっきり同じくらいと思ったが……。なるほど、俺に年齢を聞いてくるはずだ」
俺の歳を聞いても態度が変わらないグラムに冒険者らしさを感じて、俺は思わず笑いながら言う。
「ははは。まあ、少し老けて見えるアンタと少し若く見える俺。どっちがいいのかは分からんが、冒険者は年齢にかかわらず対等だからな。そのままでいてくれると助かるよ」
「分かった、そうさせてもらうよ」
グラムはそう言いながら、俺につられて笑うのだった。
「おっ、そろそろキロトンの町が見えてくるぞ」
グラムが目印にしているらしい大きな樹木を指差しながら、そう告げる。
馬車はゆっくりと坂道を登っているところだった。
キロトンの町は王都から近いこともあり王国の町の中で二番目に栄えている。北側に高くそびえるのは、ガイコウザンと名付けられた火山。山の中腹にはゴツゴツとした岩が多く転がっており、その裾野では所々から熱い湯が噴出している。あまり近づくと硫黄のつんとした臭いが鼻につくので、地元の者はあまり立ち入らないらしい。
だが、ガイコウザンから湧く温泉は有名で、キロトンは国内でも有数の観光地としての地位を確立していた。
「キロトンといえばやはり温泉だな。観光客が多いから商業も発展しているが、中には相場を知らない客を食い物にする商人もいるから気をつけるといい」
グラムが横を歩きながら、そうキロトンの解説をしてくれる。
「温泉か。是非とも行ってみたいと思っていたんだ」
そんな時、御者の男性の声が聞こえた。
「町の外壁が見えてきましたので、準備をお願いします」
「準備?」
御者の男性の言葉に俺が聞き返すと、代わりにグラムが説明をしてくれる。
「外壁を通る際に見せる通行証のことだよ。今回はエルザお嬢様が持っているはずだ」
「なるほど」
俺がグラムの説明に納得していると、馬車の窓から顔を出したエルザが話しかけてくる。
「アルフ様はキロトンには初めて来られたのですか?」
「初めてというわけじゃないが、昔のことだからあまり覚えていないんだ」
「そうでしたか。では、少々解説を……。あの深い赤茶色をした外壁には火山岩が使われていて、ガイコウザンのお膝元と言われるキロトンの顔になっているのです。真っ白な王都の外壁も素敵ですが、私はこっちの方が好きですわ」
エルザが笑顔でそう話すのを見て、自然と俺の視線はキロトンの外壁に行く。
「そういえば、以前来た時はゆっくりと街を散策しなかった気がするな」
「でしたら、今回はゆっくりと散策をされてはどうですか?」
エルザはそびえる山々に目を向けながらそう言った。
「ああ、ありがとう。是非ともそうさせてもらうよ」
「あ、そうでした。私の商会は父が行っている農産物の販売取引が主軸ではありますが、母が宿の経営もしているのです。よければ今日は母の宿に泊まっていってください」
「それはありがたい。それに農産物にも興味があるな。直接買えるなら幾つか欲しい品物があるから聞いてみてもらえると助かる」
俺の言葉にエルザは表情をぱっと明るくして聞いてくる。
「よろしいですよ。今回の件を話せば快く引き受けてくれると思いますので、私からお願いしてみますね。ところでどんな物が欲しいのですか?」
「小麦と米が欲しいな。それと塩などの調味料があればさらにいい」
「あら、もっと珍しい品でなくてもいいのでしょうか? 小麦や米なら、父にわざわざ言わなくても普通に市場で買えますよ」
「ははは。それはそうなんだが、市場に出ている品物ってあまり品質がよくない物があるだろ? 大手の商会から直接買った方がいい商品に出会えるかと思ってな」
「ああ、なるほど。確かに王都の市場の一部では品質のよくない物も平気で売っているお店もありますからね。分かりました、父に相談しておきますね」
エルザはそう話すとにこりと微笑んだ。
「――そろそろキロトンに到着しますが、先にギルドに寄られますか? それとも商会へと向かいましょうか?」
馬車の御者からそう声がかかると、エルザは「先に商会に向かってください」と指示を出す。
「アルフ様。まずお父様たちに紹介をさせてください。その時に今回のお礼もさせて頂くことになると思います」
続けてエルザは俺にそう告げた。
「俺としてはキロトンまで馬車に乗せてもらっただけで、十分報酬をもらったようなものだがな」
エルザの言葉を聞いて、俺はそう小さくこぼす。
「欲のない奴だな。だがお礼はちゃんともらっておきな。恩の押し売りは駄目だが、相手からの感謝は素直に受け取るのも大事じゃないか?」
年下のグラムに諭されてしまう俺だった。
3
「――止まれ。通行許可証があれば提示をするように」
外壁門では門兵が町に出入りする人や馬車に対して、通行証の確認をしていた。
「ミリバル商会の馬車です。通行許可証はこちらになりますので、確認をお願いします」
御者の男性がエルザから渡された許可証を出して、門兵に提示する。
「ミリバル商会か、今日は農産物の運搬ではないのだな」
「はい。今日は王都に住まれていたエルザお嬢様を迎えにいっており、護衛と共に王都から戻ったところです」
「そうか。道中で何かトラブルはなかったか? 盗賊などの情報があればすぐに報告をするようにしてくれ」
「はい。実は道中で黒い狼と遭遇しました。たまたま出会った冒険者の方の協力もあって大事には至りませんでしたが、後ほど冒険者ギルドには報告をするつもりです」
「黒い狼だと? それはまさか、魔物化した狼じゃないのか? そうだとしたら緊急性の高い重大な脅威ではないか!」
「ええ。ですが現れた狼は一匹でしたし、既に討伐されていますので大丈夫かと。そのあたりも冒険者ギルドへ報告しておくつもりです」
「そうか、分かった。何にしても無事でよかった。では報告についてはしっかりと頼むぞ」
門兵は御者の男性にそう念押しをしてから馬車を通してくれた。
門を抜け、馬車は町の大通りをゆっくりと進んでいく。
「そういえば、通行料は払わなくてよかったのか?」
俺はそう御者の男性に問いかけた。
「この馬車の通行料は、ミリバル商会が後日まとめて納めるという契約が結ばれていますので、あの場で支払わなくてもいいんですよ。アルフ様には護衛をお願いしておりますので払わなくとも大丈夫ですよ」
御者の男性は前を向いたまま俺の質問に答えてくれる。
「当然のことですから、お気になさらず」
話を聞いていたエルザもそう言って頷いた。
「悪いな」
俺がエルザにお礼を言った時、馬車が大きな建物の前で停車した。
「お嬢様、お店に到着致しました」
御者の男性がそう告げて先に御者台から降り、馬車のドアを開ける。彼女はゆっくりと馬車から降りてくる。
「お帰りなさいませ、エルザお嬢様」
馬車から降りてきたエルザに、店の従業員たちは一斉にお辞儀をして彼女を出迎えた。
その光景を見て、エルザが大手商会のお嬢様なのだと再認識させられる。
「ありがとう。お父様はどちらにいらっしゃいますか?」
「旦那様なら書斎にて仕事をしておられます。声をかけに行っておりますので、すぐにいらっしゃると思います」
「分かりました。では、こちらの方を応接室へお通ししてもらっていいですか?」
「こちらの方は?」
「アルフ様といいます。王都からの道中で助けて頂いた恩人ですので失礼のないようにお願いします」
エルザは傍にいた従業員にそう伝えると「では、後ほど」と言って店に入っていった。
「それでは、こちらへお願いします」
エルザから指示を受けた従業員の女性が、お辞儀をしてから俺を応接室へと案内する。
「大きなお店ですね」
「ミリバル商会はこの町で有数の商会であり、取り扱い品目が増えていくにつれ、店舗も自ずと大きくなっていったと聞いております」
長い廊下を歩きながら、その後も案内の女性は俺の質問に淡々と答えてくれた。
「こちらのお部屋になります。すぐにお飲み物の準備を致しますので、おかけになってお待ちくださいね」
女性はそう告げると、部屋の奥にある小部屋に入っていった。給湯室なのだろう。
部屋の中には簡素ながらも素材のよさを感じさせるテーブルやソファが置かれ、俺には価値は分からないが、額縁のついた絵画が飾られている。客人をもてなす部屋というよりも商人同士で商談をする部屋なのかもしれない。
そんなことを考えていると「失礼します」と先ほどの女性が飲み物を持って部屋に入ってくる。
「香茶になります。旦那様とお嬢様は後ほど参りますので、少しばかりお待ちください」
女性はそう告げてまた奥の小部屋へと入っていく。
「香茶か……。たしか香りを楽しむお茶で、貴族や豪商が好む飲み物だと聞いたことがあるな。魔王討伐の旅に長く出ていた俺には縁のない物だと思っていたが、まさかこんなところで飲むことになるとはな」
庶民が飲む物といえば基本的には水で、それ以外では安酒のエールくらいであり、食堂で頼む酒の他に味のついた飲み物といえばせいぜい果実水くらいだった。
「うん。これはいい香りだ。さすが香茶と呼ばれるだけあるな」
俺は初めて嗅ぐ香茶の香りに驚きつつ一口飲むと、ほんのりとした甘みが感じられた。
「それはハーブをベースに香りつけをしたものに、甘味料のハチミツを絶妙な分量混ぜ込んだ特注品だ。爽やかな香りとほんのりした甘さが、貴族の御婦人方から支持されている」
俺が香茶を味わっていると、いつの間にか部屋に入ってきていた壮年の男性がそう説明をしてくれた。
「ミリバル商会の主をしているヘスカルだ。この度は娘が大変お世話になったと聞いた。馬車と護衛、そして何より娘の命を助けてくれたこと、心より感謝する」
へスカルは、初めて会った素性のしれない俺に対して丁寧に頭を下げてお礼を言う。
「いや、こっちこそ馬車に乗せてくれて助かった。さすがに徒歩で移動するには骨が折れる距離だったからな」
俺はヘスカルに感謝の意を伝える。
「エルザ、入りなさい」
へスカルは俺の言葉に一つ頷いて答えてから、部屋の外に待機していたエルザを呼び、自分の横に座らせた。
「話は娘から聞いたが、いくつか質問をしてもいいかな?」
「ああ」
「では、お言葉に甘えて聞かせてもらうよ。君は王都から来たのだと聞いたが、冒険者をしているのだろう? ならば、ランクを教えてもらえるだろうか?」
「冒険者ギルドのランクならば、今はDランクだな」
「何? Dランクだと? 道中に出たのは魔物化した狼だったと聞いたが、とてもDランクの冒険者が単独で倒せるものではないはずだが?」
へスカルは日頃から護衛を雇っているはずなので、冒険者の腕とランクの相関をある程度は把握しているのだろう。それ故、驚きを隠せなかったようだ。
「どうかしましたか?」
不思議そうな顔をしながらも馬車を止めてくれた御者に礼を言ってから、俺は御者台から飛び降りてグラムの前に立つと、グイと彼の腕を掴んだ。
「これは、さっきの戦いでやられたのか?」
「ん? ああ、そうだな。油断しちまったよ」
「そうか。腕をかしてみろ、治してやるよ。初級回復魔法」
俺の手のひらが淡い緑の光を帯びる。手をかざすと、グラムの傷は癒えていく。
「ほら、これでいいだろう。腕を怪我したまま敵と遭遇したら護衛の役目を十分に果たせないぞ」
俺はそう言ってグラムに向かって笑ってから、御者台へ戻る。
「お、おう。すまねぇ」
傷の癒えた腕をぶんぶんと振り回して感覚を確かめながら、グラムは礼を言ってくる。
「しかし、初級回復魔法が使えるとは羨ましい限りだな。俺たちの中には使える仲間がいないから回復薬に頼るしかないんだよ。だが下級の回復薬でも高いからそう何本も準備出来ないし、結局、軽い怪我だったらそのまま自然に治るのを待つしかないんだ」
グラムの言う通り、レベルを問わず回復魔法が使える者はそう多くない。それで大抵は回復薬を使って怪我を治すのだが、回復薬を作れる調薬師も希少で満足な量を確保出来ないために、どうしても値段が高くなってしまうのだ。
「そうか。確かに回復薬は高いからな」
「だろ? だが、出発前には危険な獣が出たという情報はなかったはずだが……。いや、そんな言い訳をしていては駄目だな。護衛隊長として反省している」
苦笑いを見せながら頭を掻くグラムだったが、情報が出回っていない強力な魔物と出くわしてしまったようなので、運が悪かったという他ない。だからといってそれで済む問題ではないが……。
「まあ、さっきも少し話したが、魔王が倒されたので、段々と魔物の出現頻度は減るだろう。魔王が存在しなければ獣を魔物化させる負の魔素の供給が減るから弱体化するだろうし、徐々に新たに魔物化する獣の数も減っていくだろうよ」
「そんなに詳しい情報、よく知っているな」
グラムは俺の話に感心して何度も頷いた。
「そろそろ出発しても大丈夫でしょうか?」
御者の男性が俺に確認してきたので俺は慌てて詫びを入れる。
「ああ、すまない。もう出発しても大丈夫だ」
その時、馬車の窓からエルザの声が聞こえてきた。
「グラムに回復魔法をかけてくださりありがとうございます。アルフ様は魔法にもお詳しいのでしょうか? そうであれば、道中こちらの馬車にて魔法についてお話を聞かせて頂けませんか?」
魔法学院へ行くくらいだ。初級回復魔法を使った俺にエルザが興味を持つのは当然かもしれない。
「それは構わないが、エルザさんが現在学院でどこまで教えられているかを知らないと話は出来ないな。おそらく学院でも勉強しているとは思うが、基礎を抜かして進めると事故に繋がるぞ」
魔法は、火・水・風・土・氷・雷・聖・光・闇の九種の属性と、初級・中級・上級・最上級の四つの難易度で区分されている。適性のない属性の魔法や高い難度の魔法を無理に使おうとすれば、暴発してしまうこともあるのだ。
「それは理解しているつもりです。今はアルフ様がどんな魔法を使えるのか話して頂けるだけで十分です。深い部分にまで踏み込んでお聞きするつもりはありません」
「分かった。それでよければ引き受けよう」
話し合いの結果、俺は彼女の馬車に乗せてもらい魔法についての話をすることになった。
俺がエルザの馬車に移動すると、コトラも一緒に馬車へと飛び乗ってくる。
「あら、可愛い猫さんですね。アルフ様の飼い猫でしょうか?」
「ああ、使い獣魔のコトラだ。俺の大事な相棒だよ」
「コトラちゃんというのですか。可愛いですね」
エルザは俺の膝上に乗り欠伸をするコトラに興味を抱いたようだ。
「撫でてみるか?」
「いいのですか? 本来、使い獣魔は主人にしか懐かないと聞いていますが?」
「その認識で間違いないが、こいつは大丈夫だ。俺が敵意を持たない限りは、よほど無茶なことをしなければ攻撃しないように躾けてある」
俺が言うと同時にコトラは俺の膝の上からぴょんと飛んで、エルザの座る長椅子へと跳び移る。
「コトラちゃん。撫でてもいいですか?」
「にゃん」
エルザがコトラにそう問いかけると、了承するかのようにコトラは長椅子の上で丸まる。
「うわぁ、ふわふわのもふもふですね」
やはり若い女性はこういった小動物が好きなのだろう。にこにこしながらコトラを撫でている。
「――そろそろいいか?」
たっぷり十分ほど撫でたところで俺はそう声をかける。するとエルザは恥ずかしそうに頬を赤くして「今のことは忘れてください」と言ってから咳払いをし、真顔に戻った。
「――そうだな、初級の水球ならどうだ?」
俺はそう言って直径三十センチ程度の水球を彼女の目の前に作り出す。
「ちょっと待ってください。そんなレベルの魔力制御はまだ無理です。私に作れるのはもっと小さな水球ですわ」
「そうか、それは悪かった。ならば出来るだけ大きく水の球を作ってくれ」
「分かりました。では……。水球」
エルザは深呼吸すると右手のひらの上に拳大ほどの水球を作り上げたのだった。
「大きさはもう一歩だが、制御はしっかりと出来ているな。水球は簡単なように見えて、球の形を維持する必要がある分難易度が高いから、魔力制御の訓練に最適なんだ。例えばこんな風に……」
俺はそう言って、同じく拳大ほどの水球を目の前に作りだした。ただし十個同時にであるが。
「な、何ですかその数は! そんな数の水球を出すことなんて学院の先生方でも出来ませんよ」
驚くエルザに、俺は出していた水球を一つだけ残して他は消滅させる。そして残った一つを彼女の左の手のひらの上に乗せた。
「え、え、え?」
「ほら、右手だけでなく左手にも集中してみろ」
俺はエルザの左手にそっと手を添えると、少しだけ魔力を流し込む。
「温かい魔力ですね。やってみます」
エルザはそう言って、両手それぞれの水球の制御に集中するのだった。
「ここまでだな。この魔力制御は今後必ず役に立つから続けるといい」
「はい。ありがとうございました。とても疲れましたが、素晴らしく充実した時間でした」
それからいくつかの魔法について話をしているうちに、休憩のため馬車が止まり、訓練は終了となった。俺はまた御者台へと戻ろうと一度馬車から降りる。
「よう、お疲れだったな。しかしアンタ、凄いな。エルザお嬢様と魔法について意見を交わすだけでなく、講義までしちまうなんてな」
「いや、たまたま知っていることが役に立っただけだ。それにしても、あの若さであれだけ才能があるんだ、将来が楽しみだな」
俺は感心して、思わず笑みを浮かべる。
「そうだろ? ミリバル商会の自慢のお嬢様だからな」
グラムは自分の娘を自慢するようにそう言った後で、ふと思い出したように俺に質問をしてきた。
「ところでアルフは各地を旅していると言っていたよな。なんで一つの町に留まらないんだ? その方が稼ぎも安定するだろうに」
「ははは。実は少しだけ大きな仕事が終わったばかりでな。暫く各地を巡りながら美味い地酒を一杯と思って旅をしてるんだよ」
俺がそう答えると、グラムは笑みを浮かべながら話を続ける。
「それは羨ましい話だな。俺も独り身だったら一緒についていったかもしれないが、今の俺には大切な人――妻がいるからな。安定した仕事がもらえる商会の専属護衛が一番合っているんだよ」
「ほう。そういった人がいるのは正直羨ましい限りだな」
「ん? アルフにはいないのか?」
「ああ。恋人はいない……が、大切な人と言えば、子供の頃に世話になった孤児院のシスターが、王都からキロトンへ異動になったとギルドで小耳にはさんだな。会ってお礼を言えるといいが……」
『孤児院』という俺の言葉に反応したグラムが、自身のことを話し始める。
「なんだ、アルフも孤児院出身か。実は俺もなんだよ。まあ、俺は王都じゃなくてキロトンの孤児院の出だがな。ところでその孤児院のシスターの名前は分かるか?」
「ああ、アメリアだ」
「アメリアさんか! 二年くらい前に来た今の管理人だな。俺もこうして稼げるようになってからは時々だが食料なんかを寄付しに行っているから、面識はあるぜ」
「そうなのか。昔のお礼を兼ねて寄付に行きたいから、その時は一緒に行ってくれないか?」
「そんなことならお安い御用だ。この依頼が終わったら行ってみようぜ」
「ああ、よろしく頼む」
俺は意外なところから昔の恩人の情報を得て懐かしく思った。そして同時に、一緒に育った別の幼馴染たちにも思いを馳せたのだった。
「――そういえばグラムはいま何歳なんだ?」
「ん? いきなりの質問だな。そうだな、このあいだ二十歳になったばかりだ」
いきなり年齢の話をしたのは、見た目の印象から俺と変わらないくらいだと思ったからだが、思わぬ答えが返ってきた。
「そ、そうか。思ったよりもずっと若かったんだな」
「おっ? それは俺の見た目が若くないって言っているのか? まあ、自分でも自覚しているし彼女にもよく言われてるよ。ただ、この若さで老けて見える奴は歳をとっても変化がなくて、逆に若く見えるというからな、悲観はしてないぜ。そういうアルフはどうなんだ? それこそ俺と変わらないように見えるが」
「俺か? 俺もグラムみたいに若くしてこの顔ならばよかったんだがな。残念ながら二十八歳だ。まあ、年相応と思ってくれたらいい」
「に、にじゅうはち? 俺より少し若く見えるからてっきり同じくらいと思ったが……。なるほど、俺に年齢を聞いてくるはずだ」
俺の歳を聞いても態度が変わらないグラムに冒険者らしさを感じて、俺は思わず笑いながら言う。
「ははは。まあ、少し老けて見えるアンタと少し若く見える俺。どっちがいいのかは分からんが、冒険者は年齢にかかわらず対等だからな。そのままでいてくれると助かるよ」
「分かった、そうさせてもらうよ」
グラムはそう言いながら、俺につられて笑うのだった。
「おっ、そろそろキロトンの町が見えてくるぞ」
グラムが目印にしているらしい大きな樹木を指差しながら、そう告げる。
馬車はゆっくりと坂道を登っているところだった。
キロトンの町は王都から近いこともあり王国の町の中で二番目に栄えている。北側に高くそびえるのは、ガイコウザンと名付けられた火山。山の中腹にはゴツゴツとした岩が多く転がっており、その裾野では所々から熱い湯が噴出している。あまり近づくと硫黄のつんとした臭いが鼻につくので、地元の者はあまり立ち入らないらしい。
だが、ガイコウザンから湧く温泉は有名で、キロトンは国内でも有数の観光地としての地位を確立していた。
「キロトンといえばやはり温泉だな。観光客が多いから商業も発展しているが、中には相場を知らない客を食い物にする商人もいるから気をつけるといい」
グラムが横を歩きながら、そうキロトンの解説をしてくれる。
「温泉か。是非とも行ってみたいと思っていたんだ」
そんな時、御者の男性の声が聞こえた。
「町の外壁が見えてきましたので、準備をお願いします」
「準備?」
御者の男性の言葉に俺が聞き返すと、代わりにグラムが説明をしてくれる。
「外壁を通る際に見せる通行証のことだよ。今回はエルザお嬢様が持っているはずだ」
「なるほど」
俺がグラムの説明に納得していると、馬車の窓から顔を出したエルザが話しかけてくる。
「アルフ様はキロトンには初めて来られたのですか?」
「初めてというわけじゃないが、昔のことだからあまり覚えていないんだ」
「そうでしたか。では、少々解説を……。あの深い赤茶色をした外壁には火山岩が使われていて、ガイコウザンのお膝元と言われるキロトンの顔になっているのです。真っ白な王都の外壁も素敵ですが、私はこっちの方が好きですわ」
エルザが笑顔でそう話すのを見て、自然と俺の視線はキロトンの外壁に行く。
「そういえば、以前来た時はゆっくりと街を散策しなかった気がするな」
「でしたら、今回はゆっくりと散策をされてはどうですか?」
エルザはそびえる山々に目を向けながらそう言った。
「ああ、ありがとう。是非ともそうさせてもらうよ」
「あ、そうでした。私の商会は父が行っている農産物の販売取引が主軸ではありますが、母が宿の経営もしているのです。よければ今日は母の宿に泊まっていってください」
「それはありがたい。それに農産物にも興味があるな。直接買えるなら幾つか欲しい品物があるから聞いてみてもらえると助かる」
俺の言葉にエルザは表情をぱっと明るくして聞いてくる。
「よろしいですよ。今回の件を話せば快く引き受けてくれると思いますので、私からお願いしてみますね。ところでどんな物が欲しいのですか?」
「小麦と米が欲しいな。それと塩などの調味料があればさらにいい」
「あら、もっと珍しい品でなくてもいいのでしょうか? 小麦や米なら、父にわざわざ言わなくても普通に市場で買えますよ」
「ははは。それはそうなんだが、市場に出ている品物ってあまり品質がよくない物があるだろ? 大手の商会から直接買った方がいい商品に出会えるかと思ってな」
「ああ、なるほど。確かに王都の市場の一部では品質のよくない物も平気で売っているお店もありますからね。分かりました、父に相談しておきますね」
エルザはそう話すとにこりと微笑んだ。
「――そろそろキロトンに到着しますが、先にギルドに寄られますか? それとも商会へと向かいましょうか?」
馬車の御者からそう声がかかると、エルザは「先に商会に向かってください」と指示を出す。
「アルフ様。まずお父様たちに紹介をさせてください。その時に今回のお礼もさせて頂くことになると思います」
続けてエルザは俺にそう告げた。
「俺としてはキロトンまで馬車に乗せてもらっただけで、十分報酬をもらったようなものだがな」
エルザの言葉を聞いて、俺はそう小さくこぼす。
「欲のない奴だな。だがお礼はちゃんともらっておきな。恩の押し売りは駄目だが、相手からの感謝は素直に受け取るのも大事じゃないか?」
年下のグラムに諭されてしまう俺だった。
3
「――止まれ。通行許可証があれば提示をするように」
外壁門では門兵が町に出入りする人や馬車に対して、通行証の確認をしていた。
「ミリバル商会の馬車です。通行許可証はこちらになりますので、確認をお願いします」
御者の男性がエルザから渡された許可証を出して、門兵に提示する。
「ミリバル商会か、今日は農産物の運搬ではないのだな」
「はい。今日は王都に住まれていたエルザお嬢様を迎えにいっており、護衛と共に王都から戻ったところです」
「そうか。道中で何かトラブルはなかったか? 盗賊などの情報があればすぐに報告をするようにしてくれ」
「はい。実は道中で黒い狼と遭遇しました。たまたま出会った冒険者の方の協力もあって大事には至りませんでしたが、後ほど冒険者ギルドには報告をするつもりです」
「黒い狼だと? それはまさか、魔物化した狼じゃないのか? そうだとしたら緊急性の高い重大な脅威ではないか!」
「ええ。ですが現れた狼は一匹でしたし、既に討伐されていますので大丈夫かと。そのあたりも冒険者ギルドへ報告しておくつもりです」
「そうか、分かった。何にしても無事でよかった。では報告についてはしっかりと頼むぞ」
門兵は御者の男性にそう念押しをしてから馬車を通してくれた。
門を抜け、馬車は町の大通りをゆっくりと進んでいく。
「そういえば、通行料は払わなくてよかったのか?」
俺はそう御者の男性に問いかけた。
「この馬車の通行料は、ミリバル商会が後日まとめて納めるという契約が結ばれていますので、あの場で支払わなくてもいいんですよ。アルフ様には護衛をお願いしておりますので払わなくとも大丈夫ですよ」
御者の男性は前を向いたまま俺の質問に答えてくれる。
「当然のことですから、お気になさらず」
話を聞いていたエルザもそう言って頷いた。
「悪いな」
俺がエルザにお礼を言った時、馬車が大きな建物の前で停車した。
「お嬢様、お店に到着致しました」
御者の男性がそう告げて先に御者台から降り、馬車のドアを開ける。彼女はゆっくりと馬車から降りてくる。
「お帰りなさいませ、エルザお嬢様」
馬車から降りてきたエルザに、店の従業員たちは一斉にお辞儀をして彼女を出迎えた。
その光景を見て、エルザが大手商会のお嬢様なのだと再認識させられる。
「ありがとう。お父様はどちらにいらっしゃいますか?」
「旦那様なら書斎にて仕事をしておられます。声をかけに行っておりますので、すぐにいらっしゃると思います」
「分かりました。では、こちらの方を応接室へお通ししてもらっていいですか?」
「こちらの方は?」
「アルフ様といいます。王都からの道中で助けて頂いた恩人ですので失礼のないようにお願いします」
エルザは傍にいた従業員にそう伝えると「では、後ほど」と言って店に入っていった。
「それでは、こちらへお願いします」
エルザから指示を受けた従業員の女性が、お辞儀をしてから俺を応接室へと案内する。
「大きなお店ですね」
「ミリバル商会はこの町で有数の商会であり、取り扱い品目が増えていくにつれ、店舗も自ずと大きくなっていったと聞いております」
長い廊下を歩きながら、その後も案内の女性は俺の質問に淡々と答えてくれた。
「こちらのお部屋になります。すぐにお飲み物の準備を致しますので、おかけになってお待ちくださいね」
女性はそう告げると、部屋の奥にある小部屋に入っていった。給湯室なのだろう。
部屋の中には簡素ながらも素材のよさを感じさせるテーブルやソファが置かれ、俺には価値は分からないが、額縁のついた絵画が飾られている。客人をもてなす部屋というよりも商人同士で商談をする部屋なのかもしれない。
そんなことを考えていると「失礼します」と先ほどの女性が飲み物を持って部屋に入ってくる。
「香茶になります。旦那様とお嬢様は後ほど参りますので、少しばかりお待ちください」
女性はそう告げてまた奥の小部屋へと入っていく。
「香茶か……。たしか香りを楽しむお茶で、貴族や豪商が好む飲み物だと聞いたことがあるな。魔王討伐の旅に長く出ていた俺には縁のない物だと思っていたが、まさかこんなところで飲むことになるとはな」
庶民が飲む物といえば基本的には水で、それ以外では安酒のエールくらいであり、食堂で頼む酒の他に味のついた飲み物といえばせいぜい果実水くらいだった。
「うん。これはいい香りだ。さすが香茶と呼ばれるだけあるな」
俺は初めて嗅ぐ香茶の香りに驚きつつ一口飲むと、ほんのりとした甘みが感じられた。
「それはハーブをベースに香りつけをしたものに、甘味料のハチミツを絶妙な分量混ぜ込んだ特注品だ。爽やかな香りとほんのりした甘さが、貴族の御婦人方から支持されている」
俺が香茶を味わっていると、いつの間にか部屋に入ってきていた壮年の男性がそう説明をしてくれた。
「ミリバル商会の主をしているヘスカルだ。この度は娘が大変お世話になったと聞いた。馬車と護衛、そして何より娘の命を助けてくれたこと、心より感謝する」
へスカルは、初めて会った素性のしれない俺に対して丁寧に頭を下げてお礼を言う。
「いや、こっちこそ馬車に乗せてくれて助かった。さすがに徒歩で移動するには骨が折れる距離だったからな」
俺はヘスカルに感謝の意を伝える。
「エルザ、入りなさい」
へスカルは俺の言葉に一つ頷いて答えてから、部屋の外に待機していたエルザを呼び、自分の横に座らせた。
「話は娘から聞いたが、いくつか質問をしてもいいかな?」
「ああ」
「では、お言葉に甘えて聞かせてもらうよ。君は王都から来たのだと聞いたが、冒険者をしているのだろう? ならば、ランクを教えてもらえるだろうか?」
「冒険者ギルドのランクならば、今はDランクだな」
「何? Dランクだと? 道中に出たのは魔物化した狼だったと聞いたが、とてもDランクの冒険者が単独で倒せるものではないはずだが?」
へスカルは日頃から護衛を雇っているはずなので、冒険者の腕とランクの相関をある程度は把握しているのだろう。それ故、驚きを隠せなかったようだ。
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