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 サリーが口を開いた。

「ロバート様、そしてマーカス様。始めましょう」

 二人は穏やかな微笑みを湛えて一歩前に出た。

「羽虫になったらサム隊長が地下牢に連れて行きます。後は予定通りに」

「ああ、わかった」

「問題ありません。移動前に通信のテストだけしてみましょうか」

 全員が頷いた。
 サリーが呪文を唱える。
 二人の姿が霞の中に消え、ぷーんという羽音がサリーの耳元でした。

『聞こえますか?』

『ああ、聞こえる。感度良好だ。シューンとサリーも大丈夫だな?』

 ウサキチの声が脳内に響いた。
 二人は頷くと、周りの人たちを見回す。
 その場にいる全員が頷き返した。

『では始めようか』

 シューンの声だ。
 サムがニコッと笑った。
 サリーの耳元から羽音が遠ざかり、サムの髪の毛にとまるのが見えた。

『サム隊長って柑橘系の香油を使っているんですね』

 ロバートが明るい声を出す。
 サムは何も言わずただ照れるように笑った。

「騎士達は既にワルサー邸の周りに潜んでいます。奴らを解放したら私が尾行しますので、サリーは殿下たちと一緒に移動してください」

「わかりました」

 遂に作戦が動き出した。
 サリーは動きやすい騎士服に着替え、二人を連れて馬車に乗り込んだ。

「ガヴァネスと一緒に市井見学という感じで城を出ます」

「ああ、わかった。ウサキチは影武者っていうことにすれば怪しむ者もいないだろう」

 シューンの声にウサキチが口を開いた。

「サリーは白にしなかったのか?」

 サリーが纏った騎士服のことを言っているのだろう。

「白って正装用しか無くて、貧相な私の体では重すぎるし、大きすぎたのよ」

「貧相って……まあ、確かにそうだな」

 三人は何でもないような会話をしながらワルサー邸への道を進んだ。
 最近読んだ絵本の感想や、一番好きなおやつは何かなど、おおよそ今から死地に赴く者たちの会話ではない。
 三人ともただこの時間を楽しんだ。
 馬車がゆっくりと停まり、楽しい時間の終わりを知らせる。

「さあ、まっすぐに来てくれるかな?」

 サリーが自分ん横に置いていたバスケットを開けた。

「腹が減っては戦はできぬという言葉を知っている? まずは腹ごしらえよ。大丈夫、絶対に成功するわ」

 バスケットの中にはシューンの大好きなベーコンとトマトのサンドイッチが入っていた。
 他にもマフィンやビスケットなど、全てシューンの好きなものばかりだ。

「これはイース殿下の心づくしよ。料理長が張り切って作ってくれたの」

「わ~い!」

 シューンが手を伸ばす。

「こら! 手を拭いてからでしょう?」

「あっ、ごめんなさい」

 シューンとウサキチの手を濡れタオルで清めながら、サリーはにこにこと笑った。

「思えば人の食いものを口にするのは初めてだ」

「そうなの?」

「ああ、今までは勇者の姿になってすぐに戦闘が始まっていたし、それまではぬいぐるみと帽子だったからな。喋れても食える口は無かったんだ」

「それは残念だったわね。おいしいのよ? たくさん召し上がれ」

 サリーはウサキチの前にバスケットを置いてやった。

「本当はちょっと食べてみたいなって思ってたんだ。ずっと」

「言えば良かったのに」

「そうは言っても、今回が初めてだからなぁ。誰かが協力してくれるのって」

「そうかぁ……辛かったね」

「いや? もともとそんなものだと思っていたから、そうでもないぞ? 今回が特殊なんだ」

「そうね、でも今回が最後よ。次は無い」

「ああ、そうだ。これで永遠に終わらせよう」

 シューンは早くも二個目のサンドイッチに手を伸ばす。

「あっ! 待て! 全部喰うつもりか」

 ウサキチも負けじと食べ始めた。
 そんな二人を微笑ましく見詰めるサリーの前にサンドイッチが差し出された。

「シューン?」

「一緒に食べよう?」

 首をコテンと傾けながら、短い手を伸ばすシューン。
 サリーはにっこりとほほ笑んでサンドイッチを受け取った。

「まあ! マジでおいしいわぁ」

「そうだよね。卵も入っていたら大好きだったBLTサンドだけど、無くても十分おいしいよね」

「そう言えば瞬はBLTサンド大好きだったよね」

「うん。でも全部は食べられなかったよね、あの頃は」

「だってまだ小さかったもの。今はこんなに大きくなって……大きく……」

 サリーは堪らず涙を零した。
 二人は見ないふりをしてサンドイッチに視線を戻す。
 その時、馬車のドアを小さくノックする音がした。

「来ました。サルーン伯爵です。奥方も一緒ですね」

「わかりました。皆さんは合図があるまで待機してください」

「了解です。ご武運を」

「ありがとう。皆さんはくれぐれも安全第一で行動するよう伝えてください」

 細く開けられていたドアが閉まる。
 サリーは二人を見て小さく頷いた。

『ロバート? 聞こえる? マーカスは?』

 二人の声が同時に聞こえた。

『聞こえるぞ。上手くいったよ。後は屋敷に入るだけだ。サリーはそろそろ準備だな?』

『了解。美猫になって合流するわ』

 イースの声が聞こえた。

『サリー……愛している。必ず戻ってくれ』

 サリーの肩がビクッと跳ねた。
 シューンとウサキチがサムズアップしてニヤッと笑った。

『イース殿下、行ってまいります』

 サリーは自分に呪文を唱え、真っ白な猫に変身した。
 シューンが馬車のドアを開ける前に、サリー猫を抱きしめた。

「僕も愛しているよ」

「私もだ。サリー、お前は良い女だ」

 ウサキチはそう言うと、目を袖口でグイっとこすった。
 サリーは二人の頬に鼻を寄せて、順番にキスを贈った。

「行ってくるわ。あとでね」

 走り去るサリーの姿を、二人は瞼に焼き付けた。
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