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獏1
しおりを挟むそういえば、最近は奴の夢を見ないようになった気がする。
仕事で疲れて泥のように眠っているからなのかもしれないが。夢も見ないくらいに。
昔はよく奴の夢を見たものだった。
前世の時の、奴と私の夢。奴が笑顔で私に憎まれ口をたたき、そして私が減らず口で返す、あのなんてことのない、でも今思えば幸せなひとときの懐かしい夢。
だけれどその夢は、いつも突然目の前から消えて、私が驚いて奴を呼ぶところで目を覚ます。そんな夢。いつも最後は迷子の私。
そして前回の人生であの偶然奴が綺麗な奥さんと微笑み合っている光景を見てからは、夢の中でも同じように、突然消えてしまったあいつを次の瞬間には見つけることが出来るようになった。
でもその見つけたあいつは、いつも幸せそうな微笑みであの綺麗な奥さんを見つめているのだ。
それはそれは幸せそうに。
そして私はいつも茫然と、ただそれを見つめることしか出来ない。
悪夢とはまさにこういう夢なのだろう。
私は胸が張り裂けそうな気分で朝を迎えることになる。
だけれどこの後宮で忙しくするようになってからは、明らかにそんな夢を見ないようになっていた。
これは、きっともうここにいれば奴に会わないという安心感がそうさせているのだろう。
私はそう思っていた。
この「獏」を見るまでは。
私は久しぶりにあの夢を見ていた。
いつものように奴が私に微笑みかけて、そして突然消える。
私は知っている。この後、奴は私の目の前で、あの綺麗な人に幸せそうな微笑みを向けるのだ。
いつもと同じあの嫌な夢。
ただいつもと違ったのは、たまたまその時に一緒に雑魚寝している女官仲間の寝返りにでもぶつかられたのか、自分に何かがぶつかった刺激で目が覚めた。
そしてはっと目を開けたその目の前には。
白くぼんやりとした、半透明の小さな「獏」が、あんぐりと口を開けた状態で私のことを見つめていたのだった。
しばし見つめ合い固まる獏と私。
獏、って、たしか悪夢を食べるっていう動物だったよね……?
でもこんなに小さい動物だったっけ?
「きゅっ?」
でもその獏はあんぐりと開いていた口を閉じるとそう短く鳴いて、こてんと頭をかしげて私の顔をじっと見ている。
私はと言うと、そのまままだ固まって、ただ見つめ返していた。
だって、一体この状況にどう対応すればいいのか。
沢山の女官たちが雑魚寝しているこの寝所で、騒ぐわけにはいかない。
みんな日々の仕事で疲れているのだ。夜中に私が騒いだせいで起こされたらきっと嫌だろう。
思わず半透明の獏と見つめ合うことしばし。
そのころんとした体型と長い鼻がとても可愛らしく、つぶらな黒い瞳はじっと私の顔をみつめ。
そしてその獏は、また「きゅうう?」と悲しげに鳴きながら私に何かを目で訴えてくるのだった。
悲しげ……?
ん? もしかして、ご飯食べ損ねたって言っている……?
その時私はやっと、この後宮に来てからあまり奴の夢を見なくなったのは、この獏が私の悪夢を食べてくれていたからかもしれないとぼんやり思ったのだった。
…………じゃあとりあえず、寝るか。
うん、きっとこの獏は私の夢を食べようとしていたのだ。ちょうど食べようとした時、私が起きてしまったから食べられなかったのだろう。
だったらまた寝ればいい。またあの悪夢を見そうになったとしても、きっとこの獏が食べてくれる。
そう思ったら私はなんだか安堵して、あっという間にまた眠りについたのだった。
結局あの獏は夢だったのかもしれない。
半覚醒状態で見た幻。うんきっと何かを勘違いしたか、見間違えたかそれともあれも夢だったのかも。
そう思えればよかったのに。
……なぜまだいる?
私は朝起きて、急いで身支度を調えてお仕事を始めようとしたその時、足下にあの夜中に見た獏がうろうろしているのを見つけたのだった。
ねえ、なぜまだいるの?
思わず私は動きを止めて獏を見つめる。
すると獏は、そんな私に気がついて、「きゅ?」と鳴きながら私のことを見上げたのだった。
またそのつぶらな瞳と目が合う私。
どういうこと?
「きゅ~」
そう鳴いて私の足にすりついてくるこの子は、昨夜のあの獏よね……?
と思わず足下を見て固まっていたら、後ろから同僚に小突かれてしまった。
「ちょっと春麗、どうしたの?」
そんな同僚の声にびくっとしてから「あ、なんでもない」と返すと、その同僚は不思議そうな顔をして去って行った。
ということは、この獏、見えてない?
しかし私の目には、昨夜よりももっとはっきりと、まるで実態があるかのような存在感で見えている。
でも後宮で、こんな動物がいたら普通は大騒ぎよね。
犬や猫ならまだしも、なにしろ獏なのだから。
そんな普通にそこらへんにいるような動物ではないはず。
けれどもその後も誰にも咎められず、何も聞かれもしないで淡々といつもの日常が始まった。
ということは、やっぱりこの子が見えているのは私だけのようだった。
うーん、どうしよう。
妙に懐かれてしまっているみたいなんだけど……。
でも誰にも見えないみたいだけれど、ここに獏がいるんです、と言ってもただのお騒がせな人になるだけなのもわかるから。
…………。
うん、放っておこう。そうしよう。
きっとそのうちどこかに行くでしょう。ええきっと。
そんな期待の元、私は極力気にしないようにしてお仕事に精を出すことにしたのだった。
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