その刹菜に

焼魚圭

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第一幕 ――未来改変編――

ねこ

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 やがて夜は明けて、いつも通りの朝が来た。夜の闇をも照らしていたあの明るみの会話の跡はどこにも残されていない。きっと夢としてそこにいたみんなで食べてしまったのだろう。
 ハトが何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回しながら地をつついても日差しがあの日あの時の陰さえ照らして見透かそうとしても、決して見つかるものではなかった。
 今この場所を踏んでいる少女もまた、この場所で執り行われていた会話の内容など知らないまま、明るい空に心を這わせて地を進み続ける。
 遠くへと手を伸ばして、空の彼方へと向けて腕をしっかりと伸ばして。目の端に涙を溜めながら大きな欠伸をしながら目の前を横切るねこに目を向けて。
 そんな風情ある閑静な心も茶色の柔らかな可愛らしさを集めた野良には敵わない。空に向けて挙げていた手は気が付けば小ぶりな仕草でねこに振っていた。心を奪う悪い子はあまりにも人の想いを奪うことに適した姿をしていた。
「ねこってなんであんなにカワイイんだろうな、分っかんねえな」
 元気を貌に宿した少女の一日のエネルギーとなる最上級の癒やし。そんなあの子は小さく柔らかな天使さま。寝転がる姿も歩く姿も、四足でただ立って尻尾を振っている姿も、何もかもが可愛くて心を躍らせてしまう。
 そんなねこが公園の塀に登ってはだるまを思わせる丸まり方で尻尾を揺らしながら欠伸をする。チラリと覗く牙がまたかわいらしくてやはり完璧な姿をしている。
「私にとってのアイドルはキミだよにゃんにゃん」
 少し睡眠時間が足りなかっただろうか。不自然な心の高ぶりは秋の風によって更に高ぶっていく。
 爽やかな想いを外套にして、亜紀は学校へと足を進め続ける。
――ねこ見つめ過ぎた遅刻はごめんだ
 心の中で刻まれる言葉が更なる鼓動を刻み込んで止まらない止められない。
 跳ねるように地面を踏む足は身体をスムーズに学校へと運び込んだ。
 校門をくぐり抜けてまず始めにお出迎えした教師と顔を合わせて彼に注ぎたくない元気を無理やり注いで挨拶を響かせて校舎の中に入り込む。
「よっ、男のくせになんでオンナのカッコしてんだよ」
「うるせー、バーカ」
 遠慮も礼儀も知らない男子生徒に向けて即座に返事をぶつけて歩き続ける。きっと男子生徒には亜紀に向ける優しさなど持ち合わせていないのだろう。
 そこまで行ってしまえば人として終わり。
 心にそう叩き付けながら亜紀は教室のドアを開いて早速あの年齢詐称女の元へと近寄る。
「せっちゃんせっちゃん昨日はどうだった」
 そんな疑問に真っ先に応えを見せたのは言葉ではなくいつものニヤけ面だった。そこから流れる沈黙は二秒三秒と引き延ばされて、やがて捻り出された言葉はその声は朝の空をも上回る眩しさに満ちていた。
「順調に進んだな、大丈夫、ぶいぶい」
 ピースサインをふたつ並べて満面の笑みを挟んで答える様は完全に中学生に擬態していた。この態度を目にした者であれば顔を見ても身体を見ても大人びた中学生として結論を下して終了かも知れない。
「言っておくけど次の日曜日、あの町その山でとんでもない事が巻き起こるから」
 言葉の端を聞き取った途端、背筋に強い寒気が走っていた。駆け抜ける寒気は季節外れの温度感をもたらして脳裏にトゲトゲとした不穏な静電気を引き起こす。果たしてどのようなことだろう。刹菜のニヤけはあまり良い印象を持ってきてはくれなかった。
「アッキのおかげだよ、アッキがいなかったら絶対成功しなかった」
「待って、せっちゃんがバイトせずに探したら普通に代わりになっただろ」
 おだててみせても無駄でしかなかった。褒められること、いい結果へと導いたこと、それは確かに亜紀の手柄だっただろう。しかし、この程度のことであれば手軽に代わりを努める事が出来る。所詮はその程度の役割だった。
 しかし、刹菜はそうとも言ってはくれない。簡単なことも出来ないとでも言うのだろうか、頭に手を回しながらニヤけを微笑みで溶かしながら口にする。
「実はバイトっていうのは嘘でな、仲間を集めてたんだ」
 明るい未来をつかむための仲間、里香を救うための協力者とでも言うのだろうか。
「実際のところ里香を足止めしただけじゃ山登りまでの時間を遅らせるだけで」
「問題の楓ちゃんがアイドルなんて興味ないんでしょ、屈辱」
 突然会話に挟み込まれた声は昨日よりも少し潤んでいるだろうか。声の主は腰に手を当てて何かを睨み付けるような目をしていた。
「そうそう、多分シンジツちゃん以外のアイドルとか男女問わず俳優さんでもだめなんだよなあ、近場の人に価値を見る人だから」
 楓と呼ばれた少女、見たこともなければウワサに聞いたことさえここ数日の話。手帳に書かれたこと以上のことを耳にしたのは初めてのこと。
 しかしながら、どこか親近感を覚えてしまう自分がそこにいた。
「楓を消耗させたい」
「確か長く戦えないんだっけ」
 亜紀の言葉に満足の情を浮かべながら頷いてみせる。
「だからアッキの協力も欲しい」
 受け入れるほか無かった。
「分かった、私もやれることはやるから」
 きっと刹菜のことだ、全員に作業が回るように役目を振ることだろう、或いはひとりだけ楽な方へと流れていくこともあるかも知れない。
 この状況、断るという選択肢はなかった。あったところで亜紀が断るにはあまりにも仲が良すぎたのだが。
 亜紀にはこれからの作戦がどのように進められるのか一切伝えられない。刹菜としては亜紀であれば驚きはしてもすぐに乗っかることが出来る。他の仲間にも伝えていない、全容を知るのは刹菜と真実と絵海の三人だけなのだと告げられた。
「因みに作戦は六人がメインだな」
「半分しか知らないのな」
 深刻な伝達不足が生まれる原因である、立派な企業であれば深刻な問題、友人同士ですらも正直微妙なところ。
 亜紀の中に不信感が生まれていた。どう動けばいいのだろう、そもそも友情を保っていられるだろうか。刹菜の話によれば今回だけとのことではあれどもそれでも信用は保つことが叶わない。陰なる心には敵わない。この形では適わない。
「安心して、アッキは私と行動する、特等席の役割さ」
 重い役であることは間違いない。想いは唸りを呼び、亜紀の肺に嫌な味付けの空気が次から次へと注がれていく。
 彼女がどのような事を考えているのか、亜紀でさえも苦しみを感じてしまいそうな秘密。
「大好き」
「誤魔化すんじゃない、私は何も聞かされてない」
 耳元で囁き混じりに戦友と述べた。囁きというよりは枯れ気味だろうか。日頃からよく笑いよく話す、その代償なのかも知れない。
「とにかく日曜だ、その日私ですら知らない時間設定が組まれる」
「立案者すら理解してないのかよ」
 もはや成立するのかどうか怪しい、その程度のもの。これでは如何に前向きな人物だったとしても不満を零すこと間違い無しだった。
 そんな異様な雰囲気が晴れることなく教室中を覆い尽くしたまま授業の時間を迎えてしまっていた。まともに受けられるだろうか。もはやどうにもならないかも知れない。教師の声のひとつひとつ、言葉の意味の何もかもが音でしかなくなってしまっていた。繋がりとして入ってくることがない。霧となって埋まっている、見通すことが出来ない。不安はあまりにも大きくて亜紀の心を意地悪な生き物の尻尾が撫で付けてくる、心地の悪さは天下一品モノ。
 このままでは潰れてしまいそう。
 想いを無理やり逸らしてやろうと思ったところでそれは意地でも動かないつもりのようで。
 想いとは本人の意志ですらどうにもならないのだと、それで他者に休日のひとつの過ごし方を諦めてもらおうなどという。
 想うだけでため息がこぼれ落ちてしまう。
「せっちゃんのこと信じたいんだけどな」
 呟きは静寂の中薄らと広がって教師を目の前におびき出してしまう。
 そこから行われるのは激しい怒声と頭をはたくという制裁。
 それらを通すことでようやく授業の世界へと潜り込むことが出来る。感謝など述べることは出来なかったものの、不信感を忘れることができる。そう思った矢先の出来事だった。
 教師が再び怒鳴り声を上げる。
 背筋が自然と伸びて声のなる方へと顔が向けられて。
目の先に居座るのは明るい茶髪を一房に纏め上げて左肩に置いている大人だった。
――せっちゃん何やらかしたんだ
「きさま授業中に寝るとは良い度胸だな、殺すぞ」
「なるほど、暴行も暴言も許されるのは流石昭和、大らかな時代だなあ」
 何を語っているのだろう。刹菜の言葉を真に受けるのならば、まるでもっと良質な教育現場が存在するような言い方ではないか。
「ワケの分からないこと言いやがって」
 恐らく二度目だろう、拳を掲げて振り下ろそうとしたその時だった。
 ひとり、立ち上がる生徒が現れた。
「待って下さい、私たちの前でそんな物騒なものを晒さないで下さい」
「そうだそうだ暴力反対、そんな腕取り外しちゃえ」
 全く以て反省感の感じられない刹菜とそこで教師からの視線を奪い取ろうとする真実。
――シンジツちゃん勇気あるよな
 亜紀なら同じ能力があったとしても流石にそこまでは出来ないだろう。
「おいアイドルだからって調子に乗るなよ、お前の顔ボコボコにしたら一生ステージに立てないだろうな」
 そう語りつつも実行には至らない。それはきっと意気地が無いわけではない。恐らくは能力が為せる業、かろうじて保たれる状況、あまりにも脆い均衡の橋だった。
 張り詰めた空気感は恐らく戦いの中では何度でも感じるものだろう。しかしながらこれはそうした事とはまた異なるものだった。味が違って形も似てすらいない。動き出せばきっとふたつはかけ離れた鳴き声を上げてしまうだろう。
 特に関係はなかったものの、登校中に通る公園に毎日通うねこが急に恋しくなってしまう。あの自由が恋しくて愛しくて。欠伸をしながら尻尾を揺らす毛玉がとてもかわいらしい仕草で近寄ってくる、そんな妄想が止まらない。そんな世界観を脳裏で繰り広げでもしなければこれ以上はとてもではないが耐えきれない。そんな嫌な湿りを天の神様は注いでしまっていた。
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