その刹菜に

焼魚圭

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第三幕 ――黒山羊の悪魔――

月夜

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 それは美女のひとつの挙動で行われる。指を何もないはずの場所でなぞり動かして。真っ先に連想されたのは子どものごっこ遊び、しかしながら目の前で繰り広げられる光景は想像からはあまりにもかけ離れていた。
 そこで何をしようと考えているのか、分かったものじゃない、しかしながら彼女の動きがないことにはなにひとつ事は進んでいかない。
「マスター、権限主の死を確認、アンリミテッドモード、起動します」
 それはどういうことだろう、権限主の死亡、あの不思議な現象にでも巻き込まれてしまったとでも言うのだろうか。
「公開できる情報には本来限りあるものの、今は非常事態、全て開示します」
 許された閲覧、持っている情報は全て流すことが出来るようだった。
「セカイの状態確認。加えて現在この場所に立つ里香、楓、絵海、三名の記憶を検出」
 全てが丸裸だということ。プライバシーという考え方はなかったのだろうか。里香は頭を抱えていた。
「見られたら困るものでも持ってたのか」
「楓の事考えながら」
 何を行っていたのかは問わない、これ以上の深入りは危険だと楓でさえ思っていた。しかしその一方で黒い好奇心は吠えて心を満たしていた。
「里香は楓の足首を」
「やめてええええええ」
 これまで聞いたことの無い叫び、響いてくるものは絵海の耳をしっかりと殴るような音圧で痛みを与えにかかる。
 目をしかめ、耳を塞ぎながら月夜に語りかけた。
「余計な情報は要らないから必要な分だけ」
「先ほどの情報は楓が必要だと考えられたが為に送信されたものです」
「なっ、やめろ」
 顔が赤に支配されかけていた、まさに楓と呼ぶに相応しい頬の色をしていた。
「この色ボケカップル」
 絵海は思わずぼやいてしまう。このままだと話が進みそうにもなかった、時間が幾程あれども足りない。
「絵海のコンプレックスは痩せてるはずなのに分厚めの身体と何故か痩せない脚」
「壊してやろうか」
 先ほどまでの冷静な態度はどこへと消えてしまったのだろう。その貌には高い湿度と全てを焼き尽くしてしまいそうな熱量が宿っていた。
「危険な感情を検出、直ちに拘束処理に入ります」
 月夜の宣言に合わせてだろうか、突然絵海の身体から力が抜け落ち膝を地面に着く。
「では、これから十番目の次元についての情報を譲渡します」
 十次元、そこに触れたら何が起こるのか、三次元の知では正しく判断できないのだという。
「この世界の外側の法則、この世界の人々の感覚では正しい姿は決して観測できない」
 つまるところ見えないと言うことだろうか、そう推測を重ねて脅威への推測で怯えを見せたものの、否定の言葉が付け加えられた。
「見えないわけではありません。それを無理やり三次元の瞳に抑え込むがためにこの世界に存在する仮の物体へと変換されてしまう」
 それが何なのか、三人の誰にも想像がつかないままでいた。途方もなく遠いと思える話がすぐそこに、手を伸ばせばその手が失われてしまうかもしれない範囲にあるのだと言うこと。寒気は蔓延り止まらない。
「発生範囲を検索、推察目標の性質を推測、人類の色彩、形状、感触の理解範囲に最も近しいパターンを算出」
 月夜の周囲では薄青い輝きが大量の枠や文字を作り上げている。透き通るテキストたちにセキュリティの保護という観念はないのだろうか、機密事項ではないのだろうか、不安は生まれ落ちるものの、楓の目に映る文字はこの世界の様々な文字の組み合わせでなにひとつ内容を頭に叩き込むことが叶わなかった。
「この世界の全てから遠くかけ離れているものの恐らくこのように見えるはずです」
 途端に月夜の背後に現れたそれは、世界の何よりも沈み込んだ暗さを誇る濃い蒼をした波、水の姿をしていると言うことにおぞましさを覚えた。
「世界の始まりの海の姿をして終わりをもたらそうというつもりなのか」
 楓のひと言は余計そのもの。しかしながら特に彼女の発言に影響を与えるものではなかったようだった。
「ヒトの目には津波のように見えるそれは今の姿であればというひとつの想定に過ぎない」
 つまるところ、計算パターンから外れてしまえばまた異なる姿を取る可能性もあるのだと言うことだった。
「この形状とこの性質が三次元の法則に接触してしまえばこの宇宙は、特に地球は性質の違いに適応できずにその姿を保持できない」
 質量保存の法則をも無視して消失する、そう語っていた。
「他所様の次元の法則についてこれない、エラーを起こす」
 それが事実なのだとしたらあまりにも恐ろしい。向こうの気まぐれか何かで暴れ狂ってしまうだけで世界そのものが終わりを迎えることが決まってしまうのだ。
「現象の解析……現在は他所の次元との境界線に追い出されているものの、いつ破ってきても現象の範囲内、起こりえる確率です」
「そういえば」
 突然里香が口を開いた。
「山羊の姿をした悪魔の幻は山とは関係なかったのかな」
 楓もまた気になっていた。所詮はうわさ話でしかないそれだったが、空を背景に座っていることもまた事実。
 映像という幻影でしか存在し得ないモノ、そういう意味では山羊の悪魔と同じ偽りの存在である月夜は細くて切れ長の目をすっきりとした印象の黒に染めて言葉を提げる。
「あれは私や当研究施設の職員の重要人物を蘇らせるための研究」
 つまるところ、月夜は全てを把握しているということ。そんな彼女の実体無き口から更なる言葉が塗られていく。
「私は人々の記憶や生きていた頃の私の遺伝子データや体内の細胞、思考回路を司る器官の質やホルモンバランスの均衡から崩れ方のパターンまでひとつひとつ余すことなく入力されて保存されたモノ」
「月夜は実在した人物だと言うことか」
「そう、今ここにあるのはデータだけ、研究機関のトップの娘である月夜の死を受けて進められた新たな研究にして今の主要課題」
 空白の間が一瞬、既に驚きに目を広げて震わせる楓の姿が感情の主役を握るのが更に一瞬。それらを経た上で、人々の理解という過程を待って更に一瞬、感情を持っているのか、そう錯覚させるのもまた一瞬。
 実際には全て機械の内側に居座る人々の思考や精神状態を分析して有効な距離感や話の進め方を機械なりに行っているだけの事に過ぎなかった。
「しかし今ではその研究も人員の死によって自然と阻止され今残るものは中途半端な研究成果の幻影のみ」
「これからのことだけど、私たちはどうすれば良いの」
 分かり切った疑問を口にする。里香の無駄はそれこそ月夜とは異なる存在なのだと主張するために最も効率の良い流れだった。
「悪魔を止めて、牧場の山羊が関係していると書かれています。それ以上はここのデータには残されていない」
 楓は新たな絶望を覚えてしまった、それはあまりにも苦しい状況なのだと遅れて里香や絵海も理解し、同じ感情へと追いついていった。
「それじゃあ、もしかしたら資料は残っていないかもしれない」
「研究員が持ってた、過去がそう語るなら手がかりはここで潰える」
 ならばどうするべきか、答えはすでに定まっていた。
「私たちでどうにかするしかないよね」
 空を見渡せば目立つ脅威、明らかに景色の邪魔で分かりやすいほどの悪魔。この町の平和を保つためにはあの存在の除去は必須だった。
 月夜は語る。
「幻影もうわさが広まれば実体を持つ、そんなコンセプトで立てられた実験だったよう」
 立案者も実験を進行する者もいなくなってしまった以上、もはや実験そのものが幻影のようなものだった。
「それはあなたたちに任せますが、他のこと、世界の破滅ですが」
 そちらを止める事など出来るのだろうか、次元の壁を突き破ったところで世界どころか宇宙の終わりが確定してしまうのではないだろうか。恐らく罪なくただ行っているだけ、意思も何も無しに世界に適応したり世界を適応させようとしたり、組み合わせだけで均衡を取ろうとする現象に過ぎない。
「大丈夫、どうにかする」
 絵海の声に、言葉に説得力など感じられるものだろうか。
 楓は気に掛かっていたことを形無きモノに訊ねる。
「それよりこの施設に残されている設備を教えて、役に立つかもしれない」
 これ程の技術を持った施設ならば何かしらの役に立つだろう、頭に描くこと、可能性の宇宙を頭脳という小宇宙の中に展開する。
「施設内部把握、機械外部ツールの検索と機能確認を行います。検出中、検出中、検出中」
 それから繰り返される感情無き言葉、無機質を思わせる声は徒に人々の心の内に不安を結び付ける。人の姿をしているがためだろうか、里香は不気味に想い、楓は嫌悪を覚え、絵海は苛立ちを覚える。
――ヒトの形してあんまりだ
 絵海の脚が熱く刺々しい感情に震え始めた時、ようやく月夜は言葉を変えた。
「人類入出プログラム、接続強制切断機構、非常用地球外射出用ツール、内部ツール百科事典、地球内外各種気温計、環境把握カメラ、月夜切り外しプログラム、演算システム、以上が検出されました」
 つまるところどの程度生きているのだろう。分からない、しかしながらこれまでの生活では決して触れることのなかった部分にまで踏み込みが可能だと言うことだけが分かった。
「他に調べ物はございますか」
「いや、無」
 楓の声は断ち切られて里香の声が飛んできた。
「月夜さんがいないと機能って使えないのかな」
「設定や内部権限は全て私を通して実行されます。私なしで実行可能なプログラムは外部ツールを用いることで使用可能な人類入出プログラムと接続強制切断機構、非常用地球外射出用ツール、その三機能のみとなります」
 つまるところこういうことだった。
「月夜がなきゃただヒトを出し入れして宇宙に飛ぶだけの道具ってことか」
「私がいなければヒトの変質の適応に時間がかかりフリーズしてしまうため、私抜きでの長時間の滞在はオススメできません」
 月夜がいなければ計算能力までもが落ちてしまう。月夜がいなければ回らない世界。
「月夜はこの世界の女神さまと呼んでも差し支えない、そうなんだな」
 絵海の言葉に一度頷いてみせる。
「ヒトの感性を借りるなら」
 月夜の言葉はどこまでヒトという生き物の感情を汲み取っているのだろううか。理解がなくとも極限まで装って見せている時点で下手な人間よりも人間に近しい存在となっていた。


  ☆


 いつの日にか現れたそれ、地上を見下ろす巨大な女はヒトとは思えないものの、ヒトと呼ばなければ何と呼ぶべきなのだろう。悪魔などと呼ぶ者は多く在れども紫穏としてはやはり巨大なヒトと呼ぶ他ない。人であるからこそ邪魔などして欲しくない、存在そのものが景観を壊す迷惑なもの。
「アッキ、そろそろ運命を回そう、昨日の占いによればそろそろ行けば会える、仲間とね」
 亜紀は頭を捻る。うなるような声が吐息と共にこぼれてくるのは意識とは関係なしのことだろうか。
「占いって……そんなオカルト」
 言葉はそこで途切れた。紫穏の全体、身体の周囲の空気が微かにぼやけて見えたのだ。
「もしかして、しおちゃんのも異能か」
「異能って。俺はただブラックルチルが先端についた鉄の紐を振ってただけだけど」
 述べながら取り出したそれに思わず引き込まれてしまった。透き通る水滴を思わせる輝きに黒い線が大量に引かれている石。それを振る占い。
「ペンジュラムか」
「そう」
 空気の歪みは一瞬だけ強まる。亜紀はこの歪みの正体を、磁場の放出という現象の原因を何故だか知っていた。
――それが異能のチカラ
 恐らく本人が自覚していない予知能力、占いという体を装って詳細の分からない未来を手先で手繰り寄せる能力。テーブルターニングやペンデュラムといった質問方式で未来を引き出していく。媒体を借りなければ、オカルトを装った観念運動現象でしか発動されない微弱な予知。
 亜紀の知識の中、思考の中にそういった理解が入っているはずもなく、ただ未来予知を身体に任せているという考えで留まっていた。
「そっか、しおちゃんはスッゲーな、私なんてお馬鹿さんだから振り子で未来を指そうなんて思いつかなかったよ」
「そっか、そんなアッキだから好きになれたのかもな」
 彼の中では亜紀のことが一番なのだろう。
「なんでそこまで私のこと想ってくれるんだよ」
 しっかりと聞き届けていた。その表情はどこまでも穏やかでしかし亜紀の全てを見つめ通す意志を感じさせる。
「あれだけ明るくて元気なキミだったから、そうかな」
 見た目というよりも表情の動き。顔というより貌を見ているという事実。
「あんまり可愛い子みたいな態度取って装う子が好きじゃなくてね」
 つまるところ彼は真実のようなアイドルは好まないことだろう。
「守りたいのは可愛さよりもありのままで生きていける強い子、強いキミだからこそ強さの裏に潜んだ弱さに押し潰されないで欲しい」
 きっと彼は見抜いてしまっているのだろう。異能のチカラなど借りずとも分かっているのだろう。日頃から男子生徒から馬鹿にされていることに対する亜紀の心情を。目の歪み、早口の動き、手に思わず入ってしまう力。全てが紫穏にとっては亜紀の隠された本心の叫びに聞こえていた。
「さて、これから悪魔は消えることだろう。うわさ話は案外馬鹿に出来ない」
 どういうことだろう。話によれば山羊の姿を持っているがために牧場の山羊が原因で出現しているのだという。そのせいで一部の男子たちの間では山羊は人と同等の知能を隠し持っている、能ある鷹ならぬ能ある山羊、そう言われていた。
「能ある山羊の蹄に隠れた知、とか言ってたね」
 ふたりは急ぐ。亜紀の門限など過ぎてしまう事だろう。牧場はあまりにも遠く、明らかに次の日の睡眠まで取れるかどうかと言った状況。そこまで行くことは出来なくとも削られた山の方へ、地下施設へと急ぐ。
「これもまたうわさ話、ほうら、実在したよ」
 長い階段を降りていく。次第に次第に下ってやがてたどり着いたそこでは亜紀の想像を絶する世界観が繰り広げられていた。機械類が散乱した部屋。溶けた物質たちは研究の残骸だろうか。アニメやマンガの世界だとなんとなく印象づけられたそれがそのまま目前で繰り広げられていた。
「第一室と重要研究室だけが溶けて第二第三第五は無事、第四はまずない」
 人智を超えた研究をしているのは目に見えて明らか。そんな施設でも縁起を重んじるのだろうか。
 亜紀が目を輝かせながら見蕩れている内にも紫穏はキーボードに文字を打ち込んでいく。検索に検索を重ねて結果に別の結果を、必要なものを束ね続けて。
 画面の中に出来上がった結果を紙に綴り振り向いたその時、これまで目にしなかった姿が目についた。
「そっか、君たちが味方なんだ」
 そこに立っていたのは三人の少女。亜紀はその姿を順に追っていく。
 この前刹菜に言われて会いに行った少女に亜紀とは正反対の豊満な魅力が主役の少女、更にその隣の姿に思わず息苦しさ全開の声を流していた。
「うげっ」
――あの時せっちゃんと闘ってた女
 気怠さと目の下のくまが何故だか強さの印象に結びつく不思議な女、背の低い少女、その姿に気まずさを覚えてしまっていた。背筋がゾクゾクと震えて生きた心地すら残さない。
「山羊の悪魔を止めるために必要なことだよ」
 紫穏が手渡した紙の内容を見つめ、背の低い女は深々とお辞儀をして歩き出した。
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