その刹菜に

焼魚圭

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終ノ幕 ――ついのまく――

思い出

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 目を開いた。特に懐かしいというわけでもなければ新しいものでも違うということもない普通の光景。
 しかしながらそれがどこか遠い景色に感じられた。
 静かに思えたこの光景、静寂の日常を彩り始めた明るみは刹菜が遅れて聞き取った賑わいの記憶。確かつい数日前に聴いた美しき歌声。
「おかえり、刹菜」
 声のする方へと顔を動かして、そこにて異彩を放つ顔を見つめて弱り切った喉を鳴らして言葉を返す。
「ただいま、お母さん」
 そこに立つ女は、母の姿はどこか月夜に似ていて、しかし異なる優しさを、根本から異なる暖かさを感じさせる。母の手が優しく挟んでいた薄っぺらな細長い紙。恐らく刹菜が普段手にしている物よりも小さなCDだろう。華やかなピンクのリボンがプリントされたジャケット、その色合いから時代を感じさせる。そこに映る女の顔の可愛らしさと、それをも上回る関わりの記憶が焼き付いて心を温めてくれる。
――シンジツちゃん
 刹菜の顔を覗き込み、母は静かに微笑み空白の時を産んだのちに明るく語りかける。
「人気のアイドルだったわ、今でもたまにテレビに出ているの」
 きっとこの世界でもあの笑顔は真実そのものなのだろう。
「刹菜の活躍、全部とは言わないけど見てたわ」
「あの世界の誰がお母さんだったのかな」
 分かっていた。事前に聞かされていた。しかしながらそれでも訊ねずにはいられない。今の光景と時を巻き戻す少女の姿がどうにも結びつかないのだ。結んでも緩くてほどけてしまう、そんな曖昧な印象の中にて母の真昼はいつになく緩やかな表情をみせて言う。
「ネクロスリップ、思い返したら今でも忌々しくて、でも懐かしい記憶」
「楓がいなくても平気なのかい」
 刹菜の問いかけはあまりにも色が乗っていない。表情もまた、冷たくて影すら感じさせてしまう。
「平気じゃないけど、蘇らせるために犠牲を出したら別の誰かが悲しむもの」
 その言葉を聞いてようやく真昼の顔に里香の面影が見えた。重なっていた、そんな気がした。
「あとさあとさ、アッキとしおちゃんはこっちでも元気なのか」
 真昼は妙に優しい微笑みに人生の道のりを滲ませながら告げた。
「気になるなら七時半辺りに寂れた商店街前のバス停に行ってごらん」
「あとさあとさ」
「そうね、ゆっくりと話そうかしら」
 あまりにも愛しい時間は真昼の表情に朝の日差しを当てて涼しく輝いていた。
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