「婚約破棄して下さい」と言い続けたら、王太子の好感度がカンストしました~悪役令嬢を引退したいのに~

放浪人

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第十八話「襲撃事件:守るために、近づく」

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 夜風が頬を切り裂くような速度で、私たちは王都の空を駆けていた。
 レオンハルト殿下の腕の中、眼下に広がる街並みは黒く沈んでいる。だが、私の瞳には、遠く南区の一角から立ち昇る不穏な魔力の残滓が、まるで狼煙のように見えていた。

 魔女の血、というやつだろうか。
 怒りで視界が赤く染まるという比喩があるが、今の私は文字通り、世界が紫色の情報グリッドに覆われて見える。

「……見えるか、リュシア」

「ええ。あそこです。路地裏の突き当たり……魔力の乱れと、血の匂いがします」

 私が即答すると、レオンハルトは躊躇なく降下を開始した。
 ドンッ、と重い着地音と共に、私たちは石畳の上に降り立つ。

 そこは、王都の闇が凝縮されたような旧市街の路地裏だった。
 腐った水の臭いと、鉄錆のような血の臭気。
 その奥に、数人の人影が倒れているのが見えた。神殿監査局の護衛たちだ。
 そして、壁際で崩れ落ちている女性――エルダ。

「エルダさん!」

 私は駆け寄った。
 彼女の白い神官服は赤く染まり、眼鏡は割れて地面に落ちている。
 だが、まだ息はある。

「……リュシア、様……?」

 彼女は薄く目を開け、血の泡を吹きながら、懐を探るような仕草をした。

「申し訳、ありません……。証拠を……奪われ……」

「喋らないで! 今は傷を治すのが先です!」

 私が叫んだその時、頭上から嘲笑うような声が降ってきた。

「ハハッ、遅かったな、王太子殿下。それに魔女の娘も」

 見上げると、崩れかけた建物の屋根の上に、黒装束の男たちが立っていた。
 五人。いや、気配から察するに十人はいる。
 彼らの手には、血に濡れた短剣と、エルダから奪ったであろう革鞄が握られている。

「証拠ならここにあるぜ。……もっとも、これから灰になるがな」

 男の一人が、指先から炎の魔法を放ち、革鞄を燃やし始めた。
 重要書類が、私の努力の結晶が、そしてエルダが命がけで守ろうとした正義が、灰になって舞い上がる。

「……貴様ら」

 レオンハルトが剣を抜き、殺気を放つ。
 しかし、男たちは余裕の表情だ。

「おっと、動くなよ。俺たちは『影』だ。お前らが剣を抜くより早く、この女の喉を掻っ切ることだってできるんだぜ?」

 人質を取られているわけではないが、彼らの配置は包囲陣形だ。
 うかつに動けば、瀕死のエルダに流れ弾が当たる。
 レオンハルトが歯噛みする気配が伝わる。

 その時。
 私の中で、何かが「プツン」と切れる音がした。

 書類を燃やされたから? 違う。
 証拠が消えたから? 違う。
 私の大切な協力者を、部下を、友人を……こんなゴミのような連中が、嘲笑いながら傷つけたからだ。

「……おい」

 私は立ち上がった。
 ドレスの裾が血で汚れるのも構わず、燃え落ちる書類の灰の中で、彼らを見上げた。

「私の前で、よくもまあペラペラと……三流の悪役みたいな台詞を吐けたものね」

「あ? なんだこの女、震えて……」

「震えてる? ええ、震えているわよ。怒りでね」

 私は一歩、前に踏み出した。
 その瞬間、私の瞳がカッと熱くなり、視界のすべてが紫色の光に塗り替えられた。
 彼らの周囲に漂う魔力、契約、生命線……すべてが「線」として見える。
 そして、私は無意識にその「線」を掴み、ねじ切った。

「――跪け」

 ドォォォォォン!!

 見えない重圧が、路地裏全体を押し潰した。
 屋根の上にいた男たちが、悲鳴を上げる間もなく地面に叩きつけられる。
 まるで巨大な手でハエを叩き落としたかのように。

「ぐ、がぁ……ッ!? な、なんだこれ……体が、動かねぇ……!」
「魔法じゃねぇ……これは、権能……!?」

 地面に這いつくばる男たちを、私はヒールの先で見下ろした。
 自分でも驚くほど冷徹な声が出た。

「あなたたちは大きな勘違いをしているわ。証拠を燃やせば終わりだと思ってる?」

 私は燃えカスとなった灰を拾い上げ、ふっと息で吹き飛ばした。

「私が読んだのよ。私が整理したのよ。この頭の中に、すべての数字、すべての日付、すべての金の流れが記録されているわ。……証拠はここにある。私自身が、生きる証拠よ」

 男たちの顔色が絶望に染まる。
 書類なら消せる。だが、内容を完璧に記憶している人間を消すことは――王太子の目前では不可能だ。

「殿下、お願いします。こいつらは『殺さずに』捕らえてください。吐かせなければならないことが山ほどありますから」

 私が振り返ると、レオンハルトは呆然と私を見ていた。
 しかし、すぐに正気を取り戻し、獰猛な笑みを浮かべた。

「……承知した。我が愛しき女王陛下の仰せのままに」

 その後の戦闘は、一方的な蹂躙だった。
 私の「重圧(プレッシャー)」で動きを封じられた暗殺者たちを、レオンハルトが次々と無力化していく。
 剣の峰で骨を砕き、関節を外し、逃げる隙さえ与えない。
 ものの数分で、路地裏は静寂を取り戻した。

「……衛生兵! 至急手当てを!」

 遅れて到着した近衛騎士団が、エルダの搬送と暗殺者たちの拘束を開始する。
 担架に乗せられるエルダの手を、私は握った。

「ごめんなさい、エルダ。私のせいで……」

「い、いえ……リュシア様……。あのような『王者の覇気』を……お持ちだったとは……」

 エルダはうわ言のように呟き、意識を失った。
 違う。覇気じゃない。ただキレただけだ。

 現場検証が進む中、レオンハルトが私の元へ戻ってきた。
 彼は血に濡れた手袋を脱ぎ捨て、私の肩を抱いた。
 その体は、小刻みに震えていた。

「……怖かった」

「え?」

「君が……遠くへ行ってしまいそうで」

 レオンハルトは私をきつく抱きしめた。
 私の顔を覗き込む彼のアイスブルーの瞳は、不安と恐怖、そして狂おしいほどの情熱で揺れていた。

「先ほどの君は、人間離れしていた。ただの一喝で敵を制圧し、証拠など不要だと言い放つその姿……。あまりに美しく、あまりに強大で……まるで、伝説の始祖の魔女が降臨したかのようだった」

 いや、だからキレただけですって。

「このまま君が強くなれば、いつか私の手さえも届かない高みへ行ってしまうのではないか。……それが怖い」

 ドクン。
 胸元の光が、夜の闇を裂くように輝いた。

 【星冠値:94 → 95】

 95。
 もう後がない。
 100になれば「国家登録」。逃げ道は完全に消滅する。

「……決めた」

 レオンハルトは私の耳元で、呪文のように囁いた。

「もう、一秒たりとも目を離さない。君が私の視界から消えることを、物理的に不可能にする」

「え、あの、今も十分監視されてますけど……」

「甘かった。私の認識が甘かったんだ。『同じ部屋にいればいい』『隣で寝ればいい』……そんなレベルでは、君を守れないし、君を繋ぎ止められない」

 彼は私を抱きかかえ、馬車へと運んだ。
 そして、馬車の中で、信じられない命令を近衛騎士団長に下した。

「戻ったら、私の執務室の机を撤去しろ」

「は?」
 団長も私も声を揃えた。

「代わりに、特注の『二人掛け執務机』を搬入しろ。椅子も一つでいい。私がリュシアを膝に乗せて公務を行う」

「はいぃぃぃぃ!?」

 私は絶叫した。
 膝の上!? 公務中ずっと!?

「さらに、移動時は常に手を繋ぐか、抱きかかえることとする。入浴時もだ。……ああ、恥ずかしがることはない。君の体を見るわけではない。君の『存在』を見失わないためだ」

「見ますよね!? 絶対見ますよね!?」

「これは決定事項だ。……星も望んでいる」

 レオンハルトは恍惚とした表情で、光り輝く胸元の刻印を撫でた。
 星はそんな変態的なことを望んでいないと信じたい。

 王宮に戻ると、私の生活環境は激変していた。
 本当に執務室の机が巨大なソファのようなものに変わり、私は王太子の膝の上で書類決済をさせられることになった。
 背中には彼の体温。
 耳元には吐息。
 そして目の前には、ドン引きしている大臣たちの視線。

「……殺して」
 私は書類に顔を埋めて呟いた。
「いっそ殺してくれ……」

 エルダは一命を取り留めたらしい。それだけが救いだ。
 しかし、私のプライバシーと人権は、今夜の事件をもって完全に死亡した。
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