19 / 31
第十九話「同居(監督)生活:距離ゼロの地獄」
しおりを挟む
「……あの、殿下。足、痺れませんか?」
「全く問題ない。君は羽のように軽いからね」
「物理的にありえません。私、最近ストレスで甘いものを食べ過ぎて……」
「精神的な重量の話だ。君が腕の中にいるという充足感が、肉体的な負荷を凌駕している」
王宮の執務室。
私は、レオンハルト殿下の膝の上に座らされていた。
それも、ただ座っているのではない。彼の太ももの間にすっぽりと収まり、背中を彼の胸に預け、左手で彼の腕を枕にし、右手でペンを走らせるという、アクロバティックかつ羞恥心崩壊スタイルの執務である。
目の前には、宰相閣下をはじめ、財務大臣、軍務大臣といった国の重鎮たちが並んでいる。
彼らは一様に、視線のやり場に困っていた。
王太子が公爵令嬢を膝に乗せて会議をしている図など、前代未聞だからだ。
「……えー、では、来年度の治水予算についてですが……」
財務大臣が咳払いをし、恐る恐る発言する。
「承認する。リュシア、君はどう思う?」
レオンハルトは私の耳元で囁く。吐息がかかる。くすぐったい。
「……妥当だと思います。早急に決裁印を」
私は真っ赤な顔で答える。早くこの時間を終わらせたい一心だ。
「よし。君がそう言うなら間違いない」
ポン、とハンコが押される。
こんな調子で、国政が回っている。大丈夫なのか、アステリア王国。
◇
先日の「エルダ襲撃事件」以来、レオンハルトの警護レベルは狂気の域に達していた。
『一秒たりとも目を離さない』『物理的接触を維持する』。
これらの誓約条項を、彼は拡大解釈し、実行に移したのだ。
執務中は膝の上。
食事中は「あーん」で食べさせられる(自分で食べると言うと「毒見が必要だ」と口移しされそうになったので妥協した)。
移動は抱っこか手繋ぎ。
そして夜は、壁を取り払われた巨大な寝室で、同じベッド(キングサイズ)に寝かされる。
「……限界よ」
昼休憩の時間。
私はトイレの個室に逃げ込み、ドアに背中を預けて深呼吸した。
ここだけが、唯一の聖域(サンクチュアリ)だ。
もっとも、ドアの向こうにはレオンハルトが立っているのだけれど。
「リュシア、大丈夫か? 時間がかかりすぎではないか? 気分が悪いのか?」
ほらね。まだ入って一分も経ってないのに。
「……大丈夫です。お腹の調子が、少し」
私は嘘をついた。少しでも長く、この個室に籠城するために。
「そうか。やはりストレスか……すまない。私がもっとしっかり君を守っていれば……」
ドア越しに、彼の沈痛な声が聞こえる。
「……いえ、殿下のせいではありません」
あなたの重すぎる愛のせいです、とは言えない。
「軍医を呼ぼうか? それとも私が背中をさすろうか? ドアを開けてもいいか?」
「ダメです!! 絶対に入ってこないでください!!」
私は叫んだ。
聖域崩壊の危機だ。
私は観念してトイレを出た。そこには、今にもドアを破壊して突入しようとしていた王太子の姿があった。
「リュシア!」
彼は私を見るなり、抱きしめた。
「無事でよかった……。トイレという密室は、暗殺者にとって絶好の狩場だ。君の姿が見えない数十秒が、私には永遠の拷問のように感じられた」
大袈裟すぎる。
しかし、彼の手は小刻みに震えていた。
あの夜、私がエルダの瀕死の姿を見てキレたように、彼もまた、私が傷つくことを極度に恐れている。トラウマになっているのだ。
(……このままじゃ、お互いにダメになるわ)
私は決意した。
この異常な同棲生活を終わらせなければ。
そのためには、「私がいると殿下にとってマイナスになる」と思わせるしかない。
◇
午後のティータイム。
私はレオンハルトに向き合い(もちろん膝の上だが)、真剣な眼差しで切り出した。
「殿下。真面目なお話があります」
「なんだい? 結婚式の日取りの前倒しかい?」
「違います。……私たちのこの状況についてです」
私は周囲の侍女や護衛たちをチラリと見た。彼らは皆、壁のシミになる訓練を受けているかのように無表情だ。
「公務中に婚約者を膝に乗せる王太子。……これは、対外的に見ていかがなものでしょうか。他国の使節や、貴族たちの間で悪評が立っています。『王太子は公私混同している』『リュシア嬢は色香で国を傾ける傾国の悪女だ』と」
これは事実だ。実際に陰口を叩かれている。
私はあえて自分を卑下し、彼に「評判」を気にさせようとした。
「私のせいで、殿下の名誉が傷つくのは耐えられません。ですから、せめて執務中は別の机で……」
「誰だ」
レオンハルトの声が、氷点下まで下がった。
「え?」
「そんな戯言を抜かしている愚か者は、どこのどいつだ? リストを作れ。全員、国家反逆罪で処断する」
ヒィッ。
思考が過激派すぎる。
「で、でも、火のない所に煙は……」
「リュシア、よく聞け」
彼は私の顎をクイッと持ち上げ、アイスブルーの瞳で射抜いた。
「私が君を膝に乗せているのは、公私混同ではない。『最高レベルの危機管理』だ。君という国の至宝を、私の腕の中で物理的に保護する。これ以上の安全策があるか?」
「い、いや、それはそうかもしれませんけど……」
「それに、君が近くにいることで、私の精神は安定し、業務効率は飛躍的に向上している。事実、ここ数日の決裁処理数は過去最高だ。君は『傾国の悪女』どころか、『救国の女神』だ」
ダメだ。論理が通じない。
「効率が上がってる」と言われたら、元社畜としては反論できない。
その時だった。
執務室のドアがノックされ、給仕がワゴンを押して入ってきた。
アフタヌーンティーのセットだ。
「失礼いたします。料理長特製のフルーツタルトでございます」
給仕の男は、恭しくタルトを切り分け、私たちの前のテーブルに置いた。
甘い香りが漂う。
私は少しホッとした。甘いものでも食べて、この息苦しさを紛らわせたい。
「……美味しそう」
私がフォークを伸ばそうとした瞬間。
バシッ!!
レオンハルトの手が伸び、私の手首を掴んだ。
そして、もう一方の手で、給仕の男の首元にナイフ(ケーキ用)を突きつけた。
「……殿下?」
「動くな」
レオンハルトの声には、殺気が満ちていた。
「貴様、誰だ? いつもの給仕担当のマルコはどうした?」
「え、あ、あいつは今日、腹痛で休みで……代わりに来たんです……」
男が震えながら答える。
「ほう。代わりにしては、随分と身のこなしが軽いな。それに……」
レオンハルトはタルト皿を顎でしゃくった。
「このタルトから、微かに『アネモネ毒』の臭いがする。無臭のはずだが、私の鼻は誤魔化せんぞ」
毒!?
私はタルトを凝視した。見た目には全くわからない。
「ちっ……!」
給仕の男の表情が一変した。
怯えた顔から、獰猛な暗殺者の顔へ。
彼は隠し持っていた短剣を抜き、私めがけて飛びかかってきた。
「死ねぇッ! 魔女の娘!」
「きゃあっ!?」
しかし、刃が私に届くことはなかった。
レオンハルトが座ったまま私を抱き寄せ、同時にテーブルを蹴り上げたのだ。
ワゴンが宙を舞い、暗殺者に激突する。
ガシャーン!!
ティーセットが砕け散る中、レオンハルトは流れるような動作で立ち上がり、よろめく暗殺者の鳩尾に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「がはっ……!」
暗殺者は壁まで吹き飛び、泡を吹いて気絶した。
瞬殺である。
「……連れて行け。背後関係を吐かせるまで眠らせるな」
レオンハルトが冷たく命じると、どこからともなく現れた影(本物の護衛)たちが、暗殺者を引きずっていった。
静寂が戻る。
私はレオンハルトの胸の中で、震えていた。
本当に、命を狙われているんだ。
トイレに行くのも命がけと言っていたのは、冗談じゃなかったんだ。
「……すまない、リュシア」
レオンハルトが私を抱きしめる力が強くなる。
「また、怖い思いをさせた。……やはり、私の目が届く範囲にいても、危険は潜んでいる」
「殿下……」
私は彼を見上げた。
彼の顔色は青ざめていた。
私を守れた安堵よりも、守りきれないかもしれないという恐怖が勝っているようだった。
「……離れましょう」
私は思わず口走っていた。
「え?」
「私がいるから、殿下まで危険に晒されるんです。暗殺者は私を狙っている。なら、私が王宮から離れれば、殿下は安全です」
これは本心だった。
私のせいで彼が毒を盛られたり、刃を向けられたりするのは見たくない。
婚約破棄したいとは言ったが、彼に死んでほしいわけではないのだ。
「私をどこか遠くの修道院へ……あるいは、実家の地下牢でも構いません。隔離してください。そうすれば、殿下の御身は……」
「バカなことを言うな!」
レオンハルトが叫んだ。
彼は私の肩を掴み、泣きそうな顔で怒鳴った。
「君がいない安全など、私には地獄と同じだ! 君を守るために私が傷つくなら本望だ! だが、君が一人で危険な場所に追いやられることだけは……絶対に耐えられない!」
ドクン。
【星冠値:95 → 97】
97。
胸元の光が、もはや直視できないほど眩しい。
王宮のステンドグラスが共鳴し、部屋全体が幻想的な光に包まれる。
「君は……どこまで自己犠牲的なんだ」
レオンハルトは涙を流しながら、私の頬を撫でた。
「自分の命が狙われているというのに、私の安全を第一に考えて、自ら離れようとするなんて……。そんな君を、どうして手放せようか」
ああ……。
まただ。
「離れたい」という願いが、「愛ゆえの別離」に変換されて、より強固な鎖となって私を縛り付ける。
「誓うよ、リュシア。この命に代えても、君を守り抜く。……だから、もう二度と『離れる』なんて言わないでくれ」
彼の懇願するような瞳を見て、私は言葉を失った。
これほどまでに愛され、必要とされている。
その事実に、私の心の奥底にあった「頑なな拒絶」が、少しだけ溶けていくのを感じた。
(……ズルいよ、殿下)
私は諦めたように、彼の胸に顔を埋めた。
膝の上から降りるのは、当分無理そうだ。
その夜。
広いベッドの中で、レオンハルトは私の手を握りながら、ぽつりと漏らした。
「……本当は、怖いんだ」
「え?」
「君の家が『魔女の血筋』だとしても、君が『権能』を使ったとしても、それはいい。だが……君がその力で、私の手の届かない場所へ行ってしまうのではないか。それが、たまらなく怖い」
最強の王太子が見せた、初めての弱音。
彼は子供のように、私の指に縋り付いていた。
「私を置いていかないでくれ、リュシア。……君なしの世界では、私は王になんてなれない」
私は彼の手を握り返した。
何も言えなかった。
ただ、この「同居生活」が、単なる監視ではなく、彼の切実なSOSなのだと知ってしまった以上、無下に振り払うことはできなかった。
「全く問題ない。君は羽のように軽いからね」
「物理的にありえません。私、最近ストレスで甘いものを食べ過ぎて……」
「精神的な重量の話だ。君が腕の中にいるという充足感が、肉体的な負荷を凌駕している」
王宮の執務室。
私は、レオンハルト殿下の膝の上に座らされていた。
それも、ただ座っているのではない。彼の太ももの間にすっぽりと収まり、背中を彼の胸に預け、左手で彼の腕を枕にし、右手でペンを走らせるという、アクロバティックかつ羞恥心崩壊スタイルの執務である。
目の前には、宰相閣下をはじめ、財務大臣、軍務大臣といった国の重鎮たちが並んでいる。
彼らは一様に、視線のやり場に困っていた。
王太子が公爵令嬢を膝に乗せて会議をしている図など、前代未聞だからだ。
「……えー、では、来年度の治水予算についてですが……」
財務大臣が咳払いをし、恐る恐る発言する。
「承認する。リュシア、君はどう思う?」
レオンハルトは私の耳元で囁く。吐息がかかる。くすぐったい。
「……妥当だと思います。早急に決裁印を」
私は真っ赤な顔で答える。早くこの時間を終わらせたい一心だ。
「よし。君がそう言うなら間違いない」
ポン、とハンコが押される。
こんな調子で、国政が回っている。大丈夫なのか、アステリア王国。
◇
先日の「エルダ襲撃事件」以来、レオンハルトの警護レベルは狂気の域に達していた。
『一秒たりとも目を離さない』『物理的接触を維持する』。
これらの誓約条項を、彼は拡大解釈し、実行に移したのだ。
執務中は膝の上。
食事中は「あーん」で食べさせられる(自分で食べると言うと「毒見が必要だ」と口移しされそうになったので妥協した)。
移動は抱っこか手繋ぎ。
そして夜は、壁を取り払われた巨大な寝室で、同じベッド(キングサイズ)に寝かされる。
「……限界よ」
昼休憩の時間。
私はトイレの個室に逃げ込み、ドアに背中を預けて深呼吸した。
ここだけが、唯一の聖域(サンクチュアリ)だ。
もっとも、ドアの向こうにはレオンハルトが立っているのだけれど。
「リュシア、大丈夫か? 時間がかかりすぎではないか? 気分が悪いのか?」
ほらね。まだ入って一分も経ってないのに。
「……大丈夫です。お腹の調子が、少し」
私は嘘をついた。少しでも長く、この個室に籠城するために。
「そうか。やはりストレスか……すまない。私がもっとしっかり君を守っていれば……」
ドア越しに、彼の沈痛な声が聞こえる。
「……いえ、殿下のせいではありません」
あなたの重すぎる愛のせいです、とは言えない。
「軍医を呼ぼうか? それとも私が背中をさすろうか? ドアを開けてもいいか?」
「ダメです!! 絶対に入ってこないでください!!」
私は叫んだ。
聖域崩壊の危機だ。
私は観念してトイレを出た。そこには、今にもドアを破壊して突入しようとしていた王太子の姿があった。
「リュシア!」
彼は私を見るなり、抱きしめた。
「無事でよかった……。トイレという密室は、暗殺者にとって絶好の狩場だ。君の姿が見えない数十秒が、私には永遠の拷問のように感じられた」
大袈裟すぎる。
しかし、彼の手は小刻みに震えていた。
あの夜、私がエルダの瀕死の姿を見てキレたように、彼もまた、私が傷つくことを極度に恐れている。トラウマになっているのだ。
(……このままじゃ、お互いにダメになるわ)
私は決意した。
この異常な同棲生活を終わらせなければ。
そのためには、「私がいると殿下にとってマイナスになる」と思わせるしかない。
◇
午後のティータイム。
私はレオンハルトに向き合い(もちろん膝の上だが)、真剣な眼差しで切り出した。
「殿下。真面目なお話があります」
「なんだい? 結婚式の日取りの前倒しかい?」
「違います。……私たちのこの状況についてです」
私は周囲の侍女や護衛たちをチラリと見た。彼らは皆、壁のシミになる訓練を受けているかのように無表情だ。
「公務中に婚約者を膝に乗せる王太子。……これは、対外的に見ていかがなものでしょうか。他国の使節や、貴族たちの間で悪評が立っています。『王太子は公私混同している』『リュシア嬢は色香で国を傾ける傾国の悪女だ』と」
これは事実だ。実際に陰口を叩かれている。
私はあえて自分を卑下し、彼に「評判」を気にさせようとした。
「私のせいで、殿下の名誉が傷つくのは耐えられません。ですから、せめて執務中は別の机で……」
「誰だ」
レオンハルトの声が、氷点下まで下がった。
「え?」
「そんな戯言を抜かしている愚か者は、どこのどいつだ? リストを作れ。全員、国家反逆罪で処断する」
ヒィッ。
思考が過激派すぎる。
「で、でも、火のない所に煙は……」
「リュシア、よく聞け」
彼は私の顎をクイッと持ち上げ、アイスブルーの瞳で射抜いた。
「私が君を膝に乗せているのは、公私混同ではない。『最高レベルの危機管理』だ。君という国の至宝を、私の腕の中で物理的に保護する。これ以上の安全策があるか?」
「い、いや、それはそうかもしれませんけど……」
「それに、君が近くにいることで、私の精神は安定し、業務効率は飛躍的に向上している。事実、ここ数日の決裁処理数は過去最高だ。君は『傾国の悪女』どころか、『救国の女神』だ」
ダメだ。論理が通じない。
「効率が上がってる」と言われたら、元社畜としては反論できない。
その時だった。
執務室のドアがノックされ、給仕がワゴンを押して入ってきた。
アフタヌーンティーのセットだ。
「失礼いたします。料理長特製のフルーツタルトでございます」
給仕の男は、恭しくタルトを切り分け、私たちの前のテーブルに置いた。
甘い香りが漂う。
私は少しホッとした。甘いものでも食べて、この息苦しさを紛らわせたい。
「……美味しそう」
私がフォークを伸ばそうとした瞬間。
バシッ!!
レオンハルトの手が伸び、私の手首を掴んだ。
そして、もう一方の手で、給仕の男の首元にナイフ(ケーキ用)を突きつけた。
「……殿下?」
「動くな」
レオンハルトの声には、殺気が満ちていた。
「貴様、誰だ? いつもの給仕担当のマルコはどうした?」
「え、あ、あいつは今日、腹痛で休みで……代わりに来たんです……」
男が震えながら答える。
「ほう。代わりにしては、随分と身のこなしが軽いな。それに……」
レオンハルトはタルト皿を顎でしゃくった。
「このタルトから、微かに『アネモネ毒』の臭いがする。無臭のはずだが、私の鼻は誤魔化せんぞ」
毒!?
私はタルトを凝視した。見た目には全くわからない。
「ちっ……!」
給仕の男の表情が一変した。
怯えた顔から、獰猛な暗殺者の顔へ。
彼は隠し持っていた短剣を抜き、私めがけて飛びかかってきた。
「死ねぇッ! 魔女の娘!」
「きゃあっ!?」
しかし、刃が私に届くことはなかった。
レオンハルトが座ったまま私を抱き寄せ、同時にテーブルを蹴り上げたのだ。
ワゴンが宙を舞い、暗殺者に激突する。
ガシャーン!!
ティーセットが砕け散る中、レオンハルトは流れるような動作で立ち上がり、よろめく暗殺者の鳩尾に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「がはっ……!」
暗殺者は壁まで吹き飛び、泡を吹いて気絶した。
瞬殺である。
「……連れて行け。背後関係を吐かせるまで眠らせるな」
レオンハルトが冷たく命じると、どこからともなく現れた影(本物の護衛)たちが、暗殺者を引きずっていった。
静寂が戻る。
私はレオンハルトの胸の中で、震えていた。
本当に、命を狙われているんだ。
トイレに行くのも命がけと言っていたのは、冗談じゃなかったんだ。
「……すまない、リュシア」
レオンハルトが私を抱きしめる力が強くなる。
「また、怖い思いをさせた。……やはり、私の目が届く範囲にいても、危険は潜んでいる」
「殿下……」
私は彼を見上げた。
彼の顔色は青ざめていた。
私を守れた安堵よりも、守りきれないかもしれないという恐怖が勝っているようだった。
「……離れましょう」
私は思わず口走っていた。
「え?」
「私がいるから、殿下まで危険に晒されるんです。暗殺者は私を狙っている。なら、私が王宮から離れれば、殿下は安全です」
これは本心だった。
私のせいで彼が毒を盛られたり、刃を向けられたりするのは見たくない。
婚約破棄したいとは言ったが、彼に死んでほしいわけではないのだ。
「私をどこか遠くの修道院へ……あるいは、実家の地下牢でも構いません。隔離してください。そうすれば、殿下の御身は……」
「バカなことを言うな!」
レオンハルトが叫んだ。
彼は私の肩を掴み、泣きそうな顔で怒鳴った。
「君がいない安全など、私には地獄と同じだ! 君を守るために私が傷つくなら本望だ! だが、君が一人で危険な場所に追いやられることだけは……絶対に耐えられない!」
ドクン。
【星冠値:95 → 97】
97。
胸元の光が、もはや直視できないほど眩しい。
王宮のステンドグラスが共鳴し、部屋全体が幻想的な光に包まれる。
「君は……どこまで自己犠牲的なんだ」
レオンハルトは涙を流しながら、私の頬を撫でた。
「自分の命が狙われているというのに、私の安全を第一に考えて、自ら離れようとするなんて……。そんな君を、どうして手放せようか」
ああ……。
まただ。
「離れたい」という願いが、「愛ゆえの別離」に変換されて、より強固な鎖となって私を縛り付ける。
「誓うよ、リュシア。この命に代えても、君を守り抜く。……だから、もう二度と『離れる』なんて言わないでくれ」
彼の懇願するような瞳を見て、私は言葉を失った。
これほどまでに愛され、必要とされている。
その事実に、私の心の奥底にあった「頑なな拒絶」が、少しだけ溶けていくのを感じた。
(……ズルいよ、殿下)
私は諦めたように、彼の胸に顔を埋めた。
膝の上から降りるのは、当分無理そうだ。
その夜。
広いベッドの中で、レオンハルトは私の手を握りながら、ぽつりと漏らした。
「……本当は、怖いんだ」
「え?」
「君の家が『魔女の血筋』だとしても、君が『権能』を使ったとしても、それはいい。だが……君がその力で、私の手の届かない場所へ行ってしまうのではないか。それが、たまらなく怖い」
最強の王太子が見せた、初めての弱音。
彼は子供のように、私の指に縋り付いていた。
「私を置いていかないでくれ、リュシア。……君なしの世界では、私は王になんてなれない」
私は彼の手を握り返した。
何も言えなかった。
ただ、この「同居生活」が、単なる監視ではなく、彼の切実なSOSなのだと知ってしまった以上、無下に振り払うことはできなかった。
1
あなたにおすすめの小説
白い結婚なので無効にします。持参金は全額回収いたします
鷹 綾
恋愛
「白い結婚」であることを理由に、夫から離縁を突きつけられた公爵夫人エリシア。
だが彼女は泣かなかった。
なぜなら――その結婚は、最初から“成立していなかった”から。
教会法に基づき婚姻無効を申請。持参金を全額回収し、彼女が選んだ新たな居場所は修道院だった。
それは逃避ではない。
男の支配から離れ、国家の外側に立つという戦略的選択。
やがて彼女は修道院長として、教育制度の整備、女性領主の育成、商業と医療の再編に関わり、王と王妃を外から支える存在となる。
王冠を欲さず、しかし王冠に影響を与える――白の領域。
一方、かつての夫は地位を失い、制度の中で静かに贖罪の道を歩む。
これは、愛を巡る物語ではない。
「選ばなかった未来」を守り続けた一人の女性の物語。
白は弱さではない。
白は、均衡を保つ力。
白い結婚から始まる、静かなリーガル・リベンジと国家再編の物語。
出て行けと言ったものの、本当に出て行かれるとは思っていなかった旦那様
睡蓮
恋愛
ジーク伯爵は、溺愛する自身の妹レイアと共謀する形で、婚約者であるユフィーナの事を追放することを決めた。ただその理由は、ユフィーナが婚約破棄を素直に受け入れることはないであろうと油断していたためだった。しかしユフィーナは二人の予想を裏切り、婚約破棄を受け入れるそぶりを見せる。予想外の行動をとられたことで焦りの色を隠せない二人は、ユフィーナを呼び戻すべく様々な手段を講じるのであったが…。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
『婚約破棄?結構ですわ。白い結婚で優雅に返り咲きます』
鍛高譚
恋愛
伯爵令嬢アリエルは、幼い頃から決まっていた婚約者――王都屈指の名門・レオポルド侯爵家の嫡男マックスに、ある宴で突然“つまらない女”と蔑まれ、婚約を破棄されてしまう。
だが、それで終わる彼女ではない。むしろ“白い結婚”という形式だけの夫婦関係を逆手に取り、自由な生き方を選ぼうと決意するアリエル。ところが、元婚約者のマックスが闇商人との取引に手を染めているらしい噂が浮上し、いつしか王都全体を揺るがす陰謀が渦巻き始める。
さらに、近衛騎士団長補佐を務める冷徹な青年伯爵リヒトとの出会いが、アリエルの運命を大きく動かして――。
「貴族社会の窮屈さなんて、もうたくさん!」
破談から始まるざまぁ展開×白い結婚の爽快ファンタジー・ロマンス、開幕です。
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」
婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。
もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。
……え? いまさら何ですか? 殿下。
そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね?
もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。
だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。
これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。
※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。
他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
白い結婚は終わりました。――崩れない家を築くまで
しおしお
恋愛
「干渉しないでくださいませ。その代わり、私も干渉いたしません」
崩れかけた侯爵家に嫁いだ私は、夫と“白い結婚”を結んだ。
助けない。口を出さない。責任は当主が負う――それが条件。
焦りと慢心から無謀な契約を重ね、家を傾かせていく夫。
私は隣に立ちながら、ただ見ているだけ。
放置された結果、彼は初めて自分の判断と向き合うことになる。
そして――
一度崩れかけた侯爵家は、「選び直す力」を手に入れた。
無理な拡張はしない。
甘い条件には飛びつかない。
不利な契約は、きっぱり拒絶する。
やがてその姿勢は王宮にも波及し、
高利契約に歪められた制度そのものを立て直すことに――。
ざまあは派手ではない。
けれど確実。
焦らせた者も、慢心した者も、
気づけば“選ばれない側”になっている。
これは、干渉しない約束から始まる静かな逆転劇。
そして、白い結婚を終え、信頼で立つ家へと変わっていく物語。
隣に立つという選択こそが、最大のざまあでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる