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第3話 悪女の初仕事
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翌朝。
屋敷の空気は、昨日よりもさらに張り詰めていた。
私が目を覚まして身支度を整えようとした時、部屋の扉をノックする音もなく、一人の女性が入ってきた。
「おはようございます、奥様」
黒いドレスに白いエプロン。
髪をきつく結い上げた、四十代半ばほどの女だった。
鋭い三白眼が、私を頭からつま先まで査定するように舐め回す。
「私はこの屋敷の侍女頭を務めております、オルタンシアと申します。奥様の身の回りのお世話は、若い者につけさせましたので」
口調は丁寧だが、その目には明確な敵意が宿っていた。
『お前のような悪女に、この屋敷の主導権は渡さない』
そう言外に告げているのだ。
「そう。よろしく頼むわ、オルタンシア」
私はわざと傲慢に顎を上げ、彼女を見下ろした。
舐められたら終わりだ。
悪役令嬢としての見せ方は、王都で嫌というほど身についている。
「さっそくだけれど、朝食の席に案内してちょうだい」
「……旦那様はすでに執務室へ向かわれました。ルカ様はお一人で食事を済ませるのが日課でございます。奥様の分はこちらへお運びしましょうか?」
「結構よ。ルカと一緒に食べるわ」
オルタンシアの眉がピクリと動いた。
「ルカ様の食事の妨げになりませんでしょうか。あの方は公爵家嫡男として、静かな環境で集中して食事をとる訓練を……」
「七歳の子どもに、独房のような食事を強要しているの?」
私の冷たい声に、オルタンシアは押し黙った。
「案内しなさい」
言い放ち、私は彼女を横目に通り過ぎた。
♦︎♦︎♦︎
小食堂の扉を開けると、そこには案の定、ポツンと一人で座るルカの姿があった。
大きなテーブルに、小さな身体。
彼は私が来たことに気づくと、慌てて椅子から降りようとした。
「お義母様、おはようございます!」
「座ったままでいいわ、ルカ。おはよう」
私は彼の向かいに座り、目の前に運ばれてきた料理を見た。
そして、眉をひそめた。
(……少なすぎる)
私の前には、焼きたてのパン、温かいスープ、卵料理に果物が並んでいる。
しかし、ルカの皿に乗っているのは、薄いパンが一切れと、具の少ないスープだけだった。
「ルカ。あなた、いつもこれだけしか食べていないの?」
ルカは少し困ったような顔をして、小さく頷いた。
「はい。ぼくは、あまりお腹が空かないので……これで十分です」
嘘だ。
育ち盛りの七歳の男の子が、これで足りるわけがない。
彼の細すぎる腕や、雪のように白い顔色を見れば一目瞭然だ。
私は背後に立つオルタンシアを振り返った。
「オルタンシア。ルカの食事を、私のものと同じ量に変えなさい」
「……お言葉ですが、奥様」
オルタンシアは一歩前に出た。
「ルカ様は胃腸が細く、多く召し上がると体調を崩されることがございます。前任の医師からも、腹八分目を心がけるよう指示が出ております」
「そう。じゃあ、今の医師を呼びなさい。私が直接話を聞くわ」
私が冷たく睨みつけると、オルタンシアはチッと舌打ちしそうな顔をした。
「……奥様は王都から来られたばかりで、北方の冬をご存知ない。ここでは、無駄な暴食は身体を冷やし、魔力に障るのです。ルカ様をお守りするための方針でございます」
「子どもにひもじい思いをさせることが、守ることだと?」
私の声が、氷のように低く響いた。
「いいこと、オルタンシア。私はヴァレンティス公爵夫人よ。この家の内政を預かるのは私。次から、ルカの食事の量は私が決める。……わかったわね?」
王都で社交界を震え上がらせた、悪女の威圧感。
オルタンシアは悔しそうに顔を歪めたが、やがて深く頭を下げた。
「……承知、いたしました」
彼女が部屋を出て行くと、私はふうと息を吐き、ルカに向き直った。
ルカは、目を丸くして私を見つめていた。
その手には、半分かじった薄いパンが握られている。
「ルカ。本当は、もっと食べたいんでしょう?」
私が優しく問いかけると、彼はビクッと肩を揺らした。
「ぼ、ぼくは……わがままは、言いません。お腹が空いたなんて、言ったら……困らせてしまうから……っ」
その健気すぎる言葉に、私は胸を掻きむしりたくなるような衝動を覚えた。
「おかわりは、わがままじゃないわ」
私は自分の皿に乗っていた、温かくて甘い焼きリンゴを、そっとルカの皿に移した。
「食べて。誰にも怒らせはしないから」
ルカは震える手でフォークを持ち、焼きリンゴを少しだけ口に運んだ。
咀嚼する彼の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちる。
「……おいしい、です」
その小さな声を聞いて、私は決意した。
この屋敷の歪んだ常識を、私がすべてぶち壊してやる、と。
屋敷の空気は、昨日よりもさらに張り詰めていた。
私が目を覚まして身支度を整えようとした時、部屋の扉をノックする音もなく、一人の女性が入ってきた。
「おはようございます、奥様」
黒いドレスに白いエプロン。
髪をきつく結い上げた、四十代半ばほどの女だった。
鋭い三白眼が、私を頭からつま先まで査定するように舐め回す。
「私はこの屋敷の侍女頭を務めております、オルタンシアと申します。奥様の身の回りのお世話は、若い者につけさせましたので」
口調は丁寧だが、その目には明確な敵意が宿っていた。
『お前のような悪女に、この屋敷の主導権は渡さない』
そう言外に告げているのだ。
「そう。よろしく頼むわ、オルタンシア」
私はわざと傲慢に顎を上げ、彼女を見下ろした。
舐められたら終わりだ。
悪役令嬢としての見せ方は、王都で嫌というほど身についている。
「さっそくだけれど、朝食の席に案内してちょうだい」
「……旦那様はすでに執務室へ向かわれました。ルカ様はお一人で食事を済ませるのが日課でございます。奥様の分はこちらへお運びしましょうか?」
「結構よ。ルカと一緒に食べるわ」
オルタンシアの眉がピクリと動いた。
「ルカ様の食事の妨げになりませんでしょうか。あの方は公爵家嫡男として、静かな環境で集中して食事をとる訓練を……」
「七歳の子どもに、独房のような食事を強要しているの?」
私の冷たい声に、オルタンシアは押し黙った。
「案内しなさい」
言い放ち、私は彼女を横目に通り過ぎた。
♦︎♦︎♦︎
小食堂の扉を開けると、そこには案の定、ポツンと一人で座るルカの姿があった。
大きなテーブルに、小さな身体。
彼は私が来たことに気づくと、慌てて椅子から降りようとした。
「お義母様、おはようございます!」
「座ったままでいいわ、ルカ。おはよう」
私は彼の向かいに座り、目の前に運ばれてきた料理を見た。
そして、眉をひそめた。
(……少なすぎる)
私の前には、焼きたてのパン、温かいスープ、卵料理に果物が並んでいる。
しかし、ルカの皿に乗っているのは、薄いパンが一切れと、具の少ないスープだけだった。
「ルカ。あなた、いつもこれだけしか食べていないの?」
ルカは少し困ったような顔をして、小さく頷いた。
「はい。ぼくは、あまりお腹が空かないので……これで十分です」
嘘だ。
育ち盛りの七歳の男の子が、これで足りるわけがない。
彼の細すぎる腕や、雪のように白い顔色を見れば一目瞭然だ。
私は背後に立つオルタンシアを振り返った。
「オルタンシア。ルカの食事を、私のものと同じ量に変えなさい」
「……お言葉ですが、奥様」
オルタンシアは一歩前に出た。
「ルカ様は胃腸が細く、多く召し上がると体調を崩されることがございます。前任の医師からも、腹八分目を心がけるよう指示が出ております」
「そう。じゃあ、今の医師を呼びなさい。私が直接話を聞くわ」
私が冷たく睨みつけると、オルタンシアはチッと舌打ちしそうな顔をした。
「……奥様は王都から来られたばかりで、北方の冬をご存知ない。ここでは、無駄な暴食は身体を冷やし、魔力に障るのです。ルカ様をお守りするための方針でございます」
「子どもにひもじい思いをさせることが、守ることだと?」
私の声が、氷のように低く響いた。
「いいこと、オルタンシア。私はヴァレンティス公爵夫人よ。この家の内政を預かるのは私。次から、ルカの食事の量は私が決める。……わかったわね?」
王都で社交界を震え上がらせた、悪女の威圧感。
オルタンシアは悔しそうに顔を歪めたが、やがて深く頭を下げた。
「……承知、いたしました」
彼女が部屋を出て行くと、私はふうと息を吐き、ルカに向き直った。
ルカは、目を丸くして私を見つめていた。
その手には、半分かじった薄いパンが握られている。
「ルカ。本当は、もっと食べたいんでしょう?」
私が優しく問いかけると、彼はビクッと肩を揺らした。
「ぼ、ぼくは……わがままは、言いません。お腹が空いたなんて、言ったら……困らせてしまうから……っ」
その健気すぎる言葉に、私は胸を掻きむしりたくなるような衝動を覚えた。
「おかわりは、わがままじゃないわ」
私は自分の皿に乗っていた、温かくて甘い焼きリンゴを、そっとルカの皿に移した。
「食べて。誰にも怒らせはしないから」
ルカは震える手でフォークを持ち、焼きリンゴを少しだけ口に運んだ。
咀嚼する彼の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちる。
「……おいしい、です」
その小さな声を聞いて、私は決意した。
この屋敷の歪んだ常識を、私がすべてぶち壊してやる、と。
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