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第4話 冷たい父、静かな子
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朝食の後、私はすぐさまレオンハルトの執務室へと向かった。
ルカの食事の件、そしてあの異常な教育方針について、彼に直接問いただすためだ。
分厚いオーク材の扉をノックすると、中から「入れ」という短い返事があった。
執務室の中は、書類の山と冷たい空気で満たされていた。
レオンハルトは机から顔を上げることもなく、羽根ペンを走らせている。
「何の用だ。私は忙しい」
「旦那様。ルカの教育について、お話ししたいことがございます」
私が切り出すと、彼はピタリとペンを止め、鋭い視線を私に向けた。
「君が口出しすることではないと言ったはずだ」
「口出しせずにはいられません! あの子は七歳です。十分な食事も与えられず、少しの失敗で過呼吸になるほど怯えている。あれは教育ではなく、虐待ですわ!」
ダンッ!
レオンハルトが机を叩く音が響き、私は思わず肩をすくめた。
「虐待だと? ふざけたことを言うな」
彼はゆっくりと立ち上がり、私を見下ろした。
その瞳には、隠しようのない怒りが燃えている。
「あの子はヴァレンティス公爵家の跡取りだ。いずれこの北方の過酷な冬と、魔力災害である『霜禍』から領民を守らねばならない。そのためには、感情を律し、常に己を厳しく制する力が必要なのだ」
「だからといって、子どもの感情を押し殺させていい理由にはなりません!」
「君にはわからない。前妻のセレーネは……私の妻は、北方を守るために無理を重ねて死んだ。私は、同じ過ちを繰り返すつもりはない」
その言葉に、私は息を呑んだ。
彼の根底にあるのは、ルカへの憎しみではない。
妻を守れなかったという、強烈な後悔と罪悪感だ。
だからこそ、ルカを早く一人前の「後継者」に育て上げようと焦っているのだ。
だが、そのやり方は完全に間違っている。
「旦那様。あなたはルカを守っているつもりでしょうけれど、あの子の心はすでに限界です。このままでは——」
「もういい。下がれ」
レオンハルトは冷たく言い放った。
「君は所詮、王都から追放された罪人だ。君の言葉など、誰も信用しない。二度とルカの教育に干渉するな。……息子に、近づきすぎるな」
――その時だった。
「……っ」
執務室の少し開いた扉の隙間から、小さな気配がした。
私が振り返ると、そこにはルカが立っていた。
おそらく、レオンハルトにその日の予定を報告しに来たのだろう。
ルカは、青ざめた顔で私たちを見ていた。
『息子に近づきすぎるな』
レオンハルトのその言葉を、はっきりと聞いてしまったのだ。
「ルカ……!」
私が手を伸ばそうとした瞬間、ルカは弾かれたように後ずさりした。
「も、申し訳ございません……っ! お邪魔をいたしました……っ!」
彼は踵を返し、バタバタと足音を立てて廊下を走り去ってしまった。
「待って、ルカ!」
私が追いかけようとすると、レオンハルトの声が背中を打った。
「放っておけ。すぐに自分の部屋に戻って勉学に励むはずだ。あの子はそういう子だ」
「……最低ですわ」
私は立ち止まり、レオンハルトをキッと睨みつけた。
「あなたは、自分が父親だという自覚がおありですか? あの子の傷ついた顔が、あなたには見えなかったの!?」
「……」
「王都の貴族たちは私のことを悪女と呼んだわ。ええ、私は可愛げのない女よ。でもね、子どもの心を平気で踏みにじるような、あなたたちみたいな冷酷な真似は絶対にしない!」
私は執務室の扉を激しく閉め、廊下へ飛び出した。
ルカの足跡を追って、広い屋敷の中を歩く。
胸の奥で、静かな、しかし確かな怒りの炎が燃え上がっていた。
この屋敷の大人たちは狂っている。
家のため、北方を守るためという大義名分の下で、一人の子どもの心を犠牲にしている。
それに誰も疑問を持たない。
ルカのあの怯えた瞳。
スプーンを落として震えていた小さな背中。
甘い焼きリンゴを食べて、涙をこぼした姿。
思い出すだけで、泣きたくなるほど腹が立つ。
(……絶対に、許さない)
王都で私がどう呼ばれていようと関係ない。
私は、悪役令嬢だ。
空気を読む気など毛頭ない。嫌われたって構わない。
私は決めた。
この氷のように冷たい屋敷で、あの子だけは。
あの子だけは、私が絶対に守り抜いてみせる、と。
ルカの食事の件、そしてあの異常な教育方針について、彼に直接問いただすためだ。
分厚いオーク材の扉をノックすると、中から「入れ」という短い返事があった。
執務室の中は、書類の山と冷たい空気で満たされていた。
レオンハルトは机から顔を上げることもなく、羽根ペンを走らせている。
「何の用だ。私は忙しい」
「旦那様。ルカの教育について、お話ししたいことがございます」
私が切り出すと、彼はピタリとペンを止め、鋭い視線を私に向けた。
「君が口出しすることではないと言ったはずだ」
「口出しせずにはいられません! あの子は七歳です。十分な食事も与えられず、少しの失敗で過呼吸になるほど怯えている。あれは教育ではなく、虐待ですわ!」
ダンッ!
レオンハルトが机を叩く音が響き、私は思わず肩をすくめた。
「虐待だと? ふざけたことを言うな」
彼はゆっくりと立ち上がり、私を見下ろした。
その瞳には、隠しようのない怒りが燃えている。
「あの子はヴァレンティス公爵家の跡取りだ。いずれこの北方の過酷な冬と、魔力災害である『霜禍』から領民を守らねばならない。そのためには、感情を律し、常に己を厳しく制する力が必要なのだ」
「だからといって、子どもの感情を押し殺させていい理由にはなりません!」
「君にはわからない。前妻のセレーネは……私の妻は、北方を守るために無理を重ねて死んだ。私は、同じ過ちを繰り返すつもりはない」
その言葉に、私は息を呑んだ。
彼の根底にあるのは、ルカへの憎しみではない。
妻を守れなかったという、強烈な後悔と罪悪感だ。
だからこそ、ルカを早く一人前の「後継者」に育て上げようと焦っているのだ。
だが、そのやり方は完全に間違っている。
「旦那様。あなたはルカを守っているつもりでしょうけれど、あの子の心はすでに限界です。このままでは——」
「もういい。下がれ」
レオンハルトは冷たく言い放った。
「君は所詮、王都から追放された罪人だ。君の言葉など、誰も信用しない。二度とルカの教育に干渉するな。……息子に、近づきすぎるな」
――その時だった。
「……っ」
執務室の少し開いた扉の隙間から、小さな気配がした。
私が振り返ると、そこにはルカが立っていた。
おそらく、レオンハルトにその日の予定を報告しに来たのだろう。
ルカは、青ざめた顔で私たちを見ていた。
『息子に近づきすぎるな』
レオンハルトのその言葉を、はっきりと聞いてしまったのだ。
「ルカ……!」
私が手を伸ばそうとした瞬間、ルカは弾かれたように後ずさりした。
「も、申し訳ございません……っ! お邪魔をいたしました……っ!」
彼は踵を返し、バタバタと足音を立てて廊下を走り去ってしまった。
「待って、ルカ!」
私が追いかけようとすると、レオンハルトの声が背中を打った。
「放っておけ。すぐに自分の部屋に戻って勉学に励むはずだ。あの子はそういう子だ」
「……最低ですわ」
私は立ち止まり、レオンハルトをキッと睨みつけた。
「あなたは、自分が父親だという自覚がおありですか? あの子の傷ついた顔が、あなたには見えなかったの!?」
「……」
「王都の貴族たちは私のことを悪女と呼んだわ。ええ、私は可愛げのない女よ。でもね、子どもの心を平気で踏みにじるような、あなたたちみたいな冷酷な真似は絶対にしない!」
私は執務室の扉を激しく閉め、廊下へ飛び出した。
ルカの足跡を追って、広い屋敷の中を歩く。
胸の奥で、静かな、しかし確かな怒りの炎が燃え上がっていた。
この屋敷の大人たちは狂っている。
家のため、北方を守るためという大義名分の下で、一人の子どもの心を犠牲にしている。
それに誰も疑問を持たない。
ルカのあの怯えた瞳。
スプーンを落として震えていた小さな背中。
甘い焼きリンゴを食べて、涙をこぼした姿。
思い出すだけで、泣きたくなるほど腹が立つ。
(……絶対に、許さない)
王都で私がどう呼ばれていようと関係ない。
私は、悪役令嬢だ。
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私は決めた。
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あの子だけは、私が絶対に守り抜いてみせる、と。
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