悪役令嬢の私が育てた義息子が天使すぎる~子は親の鏡というけれど~

放浪人

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第5話 夜の廊下で見つけたもの

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分厚いカーテンを閉め切っても、北方の夜の冷気は容赦なく部屋に忍び込んでくる。
暖炉の火はとっくに落ちて、赤黒い灰がわずかに熱を残しているだけだ。

私は広いベッドの上で何度も寝返りを打ち、やがて諦めて上体を起こした。

レオンハルトとの冷え切った会話。
ルカのあの怯えきった青白い顔。
昼間の出来事が頭の中をぐるぐると回り、どうにも寝付けなかったのだ。

「……喉が渇いたわ」

私は独りごちて、分厚いガウンを羽織り、寝室の扉をそっと開けた。
使用人を呼ぶためのベルは鳴らさなかった。
こんな夜更けに人を起こすのは気が引けたし、何より今は誰の顔も見たくなかった。

廊下はしんと静まり返っている。
壁に掛けられた燭台の火はすべて消えており、高い窓から差し込む青白い月光だけが、石造りの床を冷たく照らしていた。

厨房へ向かおうと、音を立てないようにゆっくりと歩き出した時だった。

「……」

ふと、廊下の角の窓辺に、小さな影がうずくまっているのが見えた。
月の光を浴びて、銀色の髪が淡く光っている。

「ルカ……?」

思わず声が出た。
影がビクッと跳ねるように震え、こちらを振り向いた。

間違いない。ルカだ。
薄い寝間着のまま、膝を抱えるようにして窓辺の冷たい床に座り込んでいる。

「こんなところで、何をしているの?」

私が歩み寄ると、ルカは弾かれたように立ち上がり、慌てて姿勢を正した。

「お、お義母様……っ! 申し訳ございません、夜分にお目汚しを……っ」
「謝らなくていいわ。どうしたの? 眠れないの?」

私が尋ねると、彼は少しだけ視線を泳がせ、やがてぎこちなく頷いた。

「はい……。少し、目が冴えてしまって」
「それなら、どうしてベッドにいないの? ここは冷えるでしょう」

床は石造りで、窓枠の隙間からは氷のような隙間風が吹き込んでいる。
七歳の子どもが薄着でいるような場所ではない。

ルカは、困ったように眉を下げた。

「あの……ベッドの中で寝返りを打つと、シーツが擦れる音がして……。隣の部屋で寝ているニナたちを起こしてしまっては、申し訳ないので……」

その言葉に、私は息を呑んだ。

眠れないからといって、ベッドを抜け出して廊下に座っていた?
自分が動く音で、使用人の睡眠を邪魔しないために?

「あなた……自分が何を言っているか、わかっているの?」
「え……?」
「使用人はあなたに仕えるためにいるのよ。あなたが気を遣って、こんな凍えるような廊下で縮こまっているなんて、間違っているわ」

私はルカの手をきつく握った。

「ひっ……」

私の手に触れたルカの指先は、まるで氷の彫刻のように冷たかった。
血の気がなく、真っ白になっている。
こんなになるまで、ずっと一人でここに座っていたというのか。

「ルカ、私の部屋に来なさい」
「えっ……でも、お義母様のご迷惑に……」
「いいから」

私は彼の小さな身体を半ば強引に抱き上げ、自分の寝室へと歩き出した。
ルカは私のガウンの中で、びくびくと小動物のように身をこわばらせていた。

♦︎♦︎♦︎

部屋に戻ると、私はすぐに暖炉に薪をくべ、火を起こした。
パチパチとはぜる音とともに、オレンジ色の炎が部屋を暖め始める。

ルカを大きなソファに座らせ、私のベッドから持ってきた一番分厚い毛布で、ぐるぐると簀巻きのように包み込んだ。

「あ、あの……お義母様。こんな立派な毛布、ぼくには……」
「だまって温まっていなさい。温かい飲み物を淹れるわ」

私は部屋に備え付けられていた茶器を使い、ハチミツをたっぷりと入れたカモミールティーを淹れた。
湯気の立つカップを、毛布の隙間から出た小さな両手に握らせる。

「熱いから、少しずつ飲むのよ」
「……はい」

ルカはフーフーと息を吹きかけ、恐る恐る口をつけた。
甘くて温かい液体が喉を通ったのか、彼の強張っていた表情が、ほんの少しだけ緩んだ。

「ルカ。眠れないなら、本を読みましょうか」

私は自分の荷物の中から、王都から持ってきた一冊の絵本を取り出した。
昔、私が幼い頃に好きだった、星と妖精の物語だ。

「絵本、ですか……? ぼくはもう七歳ですから、そのような子どもっぽいものは……」
「私が読みたいのよ。あなたは黙って聞いていればいいわ」

私はソファの隣に腰掛け、本を開いた。
そして、できるだけゆっくりとした、穏やかな声で物語を読み始めた。

「『夜空の星は、妖精たちが落とした光のしずく。悲しいことがあると、妖精たちは泣いて、それが流れ星になるのです』……」

ルカは最初、申し訳なさそうに身体を縮めていたが、私の声が続くにつれ、次第に絵本の挿絵へと視線を移していった。
暖炉の火が、彼の薄青い瞳に星のように映り込んでいる。

「『でも大丈夫。朝になれば、太陽が全部乾かしてくれるから』……」

ページをめくる音と、薪がはぜる音だけが部屋に響く。
やがて、ルカの呼吸が規則正しく、ゆっくりとしたものに変わっていった。

私が横を向くと、ルカは毛布に顔を埋めるようにして、静かな寝息を立てていた。
その寝顔は、昼間の完璧な仮面が外れた、年相応の幼い子どものものだった。

「……おやすみなさい、ルカ」

私は絵本を閉じ、彼の銀色の髪をそっと撫でた。
その髪は、暖炉の熱を帯びて、ようやく温かさを取り戻していた。
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