「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第二話 婚約破棄はご褒美です(慰謝料と名誉回復審をください)

 翌朝。  私は小鳥のさえずりよりも早く、完璧な目覚めを迎えた。

 窓から差し込む朝日は、昨日までとは違って見える。  それは「王太子の婚約者」という重苦しい肩書きが外れ、ただの「リディア・エルヴァイン侯爵令嬢」に戻った私を祝福してくれているようだった。

「おはようございます、お嬢様。……その、昨夜は大変でしたね」

 専属メイドのニナが、腫れ物に触るような手つきで洗面器を持ってきた。  彼女は私の数少ない理解者であり、昨夜の騒動を聞いて心配してくれていたらしい。目が少し赤い。

「あら、おはようニナ。何を泣きそうな顔をしているの? 今日は最高の日和よ」

 私はベッドから跳ね起きると、鏡の前でくるりと回ってみせた。

「えっ? で、でも、婚約破棄をされたばかりで……」

「ええ、されたわ。公式に、大勢の前でね! おかげで私は自由の身。さあ、今日は忙しくなるわよ。戦闘服(ドレス)を用意してちょうだい。色はそうね、喪服のような暗い色ではなく、目が覚めるような深紅で!」

 ニナは目をぱちくりとさせた後、私の表情を見て吹き出した。

「ふふっ、さすがはお嬢様です。わかりました、一番強そうなドレスをお持ちしますね!」

 朝食を優雅に、しかし迅速に済ませた私は、父である侯爵に挨拶へ向かった。  父は書斎で頭を抱えていたが、私が書類の束――昨夜のうちに作成した『今後の法的措置リスト』――を叩きつけると、目を丸くして中身を読み、最後にはニヤリと笑った。

「……なるほど。転んでもただでは起きないどころか、相手の財布を握って起き上がる気か」

「当然ですわお父様。エルヴァイン家の家訓は?」

「『契約は履行せよ。不履行には倍の請求を』だ」

「その通り。では、行ってまいります」

 馬車に揺られること三十分。  私はまず、王都の中央にある『誓約管理教会』へと足を運んだ。

 ここは国中の婚約や婚姻、重要な商取引の契約を魔法的に管理する場所だ。  昨夜のレオンハルト殿下の発言は、公的な場での宣言だったため、すでに「破棄」の事実は魔法的に受理されているはずだ。  しかし、事務的な手続きは人間がやらなければならない。

 教会の窓口は、朝からざわついていた。  私が姿を現すと、職員たちがギョッとした顔をして道を開ける。  昨日の今日で、私がめそめそと泣き暮らしているとでも思ったのだろうか。

「ごきげんよう。婚約破棄に伴う事後処理の申請に参りました」

 私が受付のカウンターに分厚い申請書を置くと、担当の神官は震える手でそれを受け取った。

「は、はい……。ええと、確認いたします。レオンハルト殿下からの破棄宣言に基づく、婚約解消の正式登録ですね?」

「ええ。それと同時に、こちらの手続きもお願いします」

 私はさらに三通の書類を提示した。

「一つ目は『慰謝料請求申立書』。殿下の一方的な破棄宣言により、我が家は精神的苦痛と社会的信用の毀損を受けました。王家の法典に基づき、しかるべき金額を請求します」

「い、慰謝料……!?」

「二つ目は『持参金および婚約贈答品の返還請求書』。私が輿入れ準備のために王家に納めた持参金、および殿下に贈った特注の魔導具や衣装など、リストにある全ての物品の即時返還を求めます」

 神官が目を白黒させている。  だが、ここで止まる私ではない。

「そして三つ目。これが最も重要です。『名誉回復のための審問会』の開催請求です」

 その言葉に、カウンターの奥から「待て!」と野太い声が飛んできた。

 ドタドタと足音を荒らげて現れたのは、見覚えのある騎士服の男たちだった。  レオンハルト殿下の側近気取りでいつも周りを固めている、若手騎士団員たちだ。  彼らは私を取り囲むと、威圧するように剣の柄に手をかけた。

「リディア嬢! 貴様、どの面を下げてここに来た!」

 リーダー格の男が唾を飛ばしながら怒鳴る。

「殿下を悲しませ、ミレイユ様をいじめ抜いた悪女が、慰謝料だと? ふざけるな! 本来なら不敬罪で牢屋行きだぞ!」

「そうとも! 貴様の悪事は全て露見しているんだ!」

 周囲の参拝客たちが怯えて遠巻きに見守る中、私は扇子で口元を隠し、冷ややかな視線を彼らに向けた。

「……うるさいですわね。ここは神聖な教会ですよ? 静粛になさい」

「なっ……!」

「それに、不敬罪とおっしゃいました? 昨夜の殿下の宣言により、私はもう『未来の王族』ではありません。ただの侯爵家の娘と、一介の騎士。身分で言えば私のほうが上ですが、敬語も使えないのですか?」

 彼らが言葉に詰まる。  私は畳み掛けるように、カウンターの上の書類を指差した。

「それに『悪事は露見している』とおっしゃいましたね。でしたら好都合です。その証拠、当然この場にお持ちですよね? 名誉回復審の予備審査として、今ここで確認していただきましょうか」

「はっ、望むところだ! これを見ろ!」

 男の一人が、自信満々に一枚の羊皮紙を取り出した。  そこには、私がミレイユ様の教科書を破ったとされる日時や、階段から突き落としたという目撃証言が記されているらしい。

 私はそれを指先でつまみ上げ、パラパラと目を通した。

「……ふうん」

 ため息が出るほどお粗末だ。  私は呆れを隠さずに指摘を始めた。

「まず、ここ。教科書が破られたとされる『星詠みの月、5日』ですが……この日、私は領地の視察に行っており王都には不在でした。転移魔法でも使わない限り不可能ですわね」

「えっ? あ、いや、日付は書き間違いで……」

「公的な告発状で書き間違い? 随分と杜撰ですね。次にここ。『階段から突き落とした現場を騎士団員Aが見た』とありますが、この時刻、騎士団員Aは王宮の北門で警備任務に就いていた記録がありますよ? 私も差し入れを持っていったので覚えています」

「な、なぜそれを……」

「最後にこれ。私の指示書とされるメモですが……筆跡がまるで違います。私の字はもっと癖のある『貴族院流』の崩し字です。これはどう見ても、平民が使う『商業書体』を真似て書いたものでしょう?」

 私は羊皮紙を彼らの胸に押し返した。

「こんな子供の落書きのような証拠で、私を断罪できると本気で思っていたのですか? これでは慰謝料が減額されるどころか、逆に『虚偽告発』の罪であなた方の首が飛びますよ」

 騎士たちの顔が青ざめていく。  彼らは殿下の言うことを鵜呑みにして、自分たちで裏取り調査など一切していなかったのだろう。  勢いだけで悪役令嬢を追い詰められると思ったら大間違いだ。  こちらは伊達に『鉄薔薇』と呼ばれ、父の領地経営を手伝ってきたわけではない。

「ぐ、ぐぬぬ……! お、覚えていろよ! 殿下が黙っていないぞ!」

 捨て台詞を吐いて、騎士たちは逃げるように教会から去っていった。  その背中を見送りながら、私は小さく肩をすくめる。

「……殿下が黙っていない、ね。ええ、黙っていられないでしょうね。誓約魔法で『愛さない』と縛られた上、こんなお粗末な部下しかいないのですから」

 神官は完全に私に気圧された様子で、黙々と受理印を押し始めた。

「し、申請を受理いたしました……。審問会の日程は、追って通知いたします」

「ええ、よろしく頼みますわ。公平な審判を期待しております」

 私はニッコリと微笑み、教会を後にした。

 その後も、私は王都を駆け回った。  法務局で権利関係の確認をし、銀行で口座の凍結解除を行い、馴染みの商会へ行って婚約祝いで予約していた品々を全てキャンセルした。  どこへ行っても最初は「あの婚約破棄された……」と奇異の目で見られたが、私が堂々と手続きを進める姿を見ると、皆一様に口を閉ざし、最後には敬意すら払ってくれた。

 悲劇のヒロインになんてなってやらない。  私は私の足で、私の人生を歩くのだ。

 夕方。  全ての予定をこなし、心地よい疲労感と共に屋敷へ戻ると、玄関ホールに見慣れない人物が立っていた。

 紺色の制服に、銀の刺繍。  宰相府の紋章が入ったマントを羽織った、痩せぎすの文官だ。

「リディア・エルヴァイン様でいらっしゃいますね?」

 文官は事務的な口調で問いかけてきた。

「はい、そうですが」

「宰相閣下より、あなた様に至急の面会要請です」

 宰相閣下。  その言葉に、昨夜の舞踏会の去り際に見た、あの冷たい青い瞳が脳裏をよぎる。  アシュ・ヴァレンシュタイン。  合理的すぎて血も涙もないと噂される、氷の宰相。

「……私に、ですか? 婚約破棄の件で聴取なら、先ほど書類を出したばかりですが」

「いいえ。閣下は個人的に、あなた様とお話ししたいとおっしゃっています」

 文官は懐から一通の封筒を取り出し、私に差し出した。  上質な紙に、宰相府の封蝋が押されている。

「明日の正午、宰相府の執務室にてお待ちしております。……拒否権はないとお考えください」

 文官は恭しく一礼すると、風のように去っていった。

 私は手の中に残された手紙を見つめた。  王太子との縁が切れたと思ったら、今度は国の実質的な支配者からの呼び出し。  普通なら震え上がるところかもしれない。

 けれど、なぜだろう。  私の胸の奥では、不安よりも「何か面白いことが起きそう」という予感が、小さく芽吹き始めていた。

 私は封筒を開け、中身を確認する。  そこには、流れるような美しい筆跡で、たった一行だけ記されていた。

『君の“切り替えの速さ”を高く評価する。取引がしたい』

 取引。  その甘美な響きに、私の口角が自然と吊り上がるのを止められなかった。

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