「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第三十話(最終話) 次いきます。——今度は、ふたりで

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 国中を巻き込んだ『国法婚式』から、数ヶ月が過ぎた。  季節は巡り、王都には柔らかな春の風が吹いている。

 宰相府の別館にある、小さな執務室。  扉には、真新しいプレートが掲げられている。  『王立契約相談所――兼、人生再設計支援室』。

「……はい。では、こちらの書類に署名を。これで不当な婚約破棄に対する慰謝料請求は完了です。あなたは自由ですよ」

 私が書類にスタンプを押すと、目の前の依頼人――涙目の伯爵令嬢――が、パァッと顔を輝かせた。

「ありがとうございます、リディア様! 私、死んでしまおうかと思うくらい悩んでいたのに……!」

「死ぬなんて非効率ですわ。そのエネルギーを、次の幸せと、元婚約者への正当な報復(請求)に使いなさい」

 私がウィンクすると、彼女は何度も頭を下げて部屋を出て行った。  入れ違いに、奥の給湯室から銀髪の美丈夫が現れる。  片手にはティーポット、もう片手には焼き菓子が載ったトレイを持った、我が夫アシュ・ヴァレンシュタインだ。

「お疲れ様、リディア。……素晴らしい手腕だ。相談開始から解決までわずか十五分。先月比で処理速度が120パーセント向上している」

「あら、アシュ様。また計っていたのですか?」

「当然だ。君の仕事ぶりを観察し、記録することは、私の趣味であり日課だ」

 アシュ様は真顔で言いながら、私のデスクに紅茶を置いた。  この『相談所』は、私たちが結婚後に立ち上げた新しいプロジェクトだ。  理不尽な契約や人間関係に悩む人々を、法と交渉術で救済する場所。  私は所長として、アシュ様は(本業の宰相業の合間を縫って)顧問として、二人三脚で運営している。

「それにしても……アシュ様がここに来ると、依頼人の女性たちが別の意味でドキドキしてしまって、相談が長引くのですけれど」

「不可抗力だ。私はただ、君への糖分補給(アフタヌーンティー)を最速で行うために待機しているだけだ」

 アシュ様は私の隣に椅子を引き寄せ、当然のように座った。  距離が近い。  結婚してからというもの、彼の「接近制限」は解除されるどころか、ゼロ距離がデフォルトになってしまった。

「……あ、そうだ。北から手紙が届いていましたよ」

 私は引き出しから、一通の封筒を取り出した。  封蝋には、雪の結晶のマーク。  差出人は『ノースエンド特別徴税監査官・レオンハルト』。

「……チッ」

 アシュ様が露骨に舌打ちをした。  左手の薬指にある『真実の誓約印』が、ジジジ……と赤く明滅する。

「まだ生きていたのか、あの男は」

「もう、そんな言い方しないの。……読んでみます?」

 私が封を切ると、中から少しシワになった手紙が出てきた。  インクが滲んでいるのは、涙か、それとも溶けた雪のせいだろうか。

『リディアへ。  元気か? 私は元気ではない。毎日が地獄だ。  ここのドワーフたちは頑固で、税金を払う代わりに斧を投げてくる。  昨日は漁師の網に捕まって、氷の海に沈められかけた。  だが……不思議だ。  王宮で着飾っていた頃より、飯が美味い。  自分の足で歩き、自分の頭で考え、稼いだ金で飲む酒は格別だ。  公爵に操られていた頃の自分がいかに空っぽだったか、今ならわかる』

 手紙の文面は、以前の彼からは想像できないほど力強く、そして地に足がついたものだった。

『追伸。  風の噂で聞いたぞ。相談所を開いたそうだな。  お前らしいよ。悪役令嬢が人助けなんて、笑わせてくれる。  ……幸せか?  いや、聞くまでもないな。あの氷男が、お前を不幸にするわけがない』

 読み終えた私は、フッと微笑んだ。

「……殿下も、彼なりに『次』に進んでいるみたいですね」

「……ふん」

 アシュ様は不機嫌そうに鼻を鳴らし、私の手から手紙をひったくると、指先から出した氷魔法で瞬時に冷凍保存(封印)してしまった。

「リディア。他の男の生存報告に、君の貴重なメモリを割く必要はない」

「あら、妬いてます?」

「……否定しない。君が過去の男に想いを馳せる時間は、私にとって最大の損失だ」

 アシュ様は私の腰を引き寄せ、その肩に顔を埋めた。  『嘘がつけない契約』のおかげで、彼の嫉妬も独占欲も、すべてストレートに伝わってくる。  それがどうしようもなく愛おしい。

「大丈夫ですよ、アシュ様。私が見ているのは過去じゃありません」

 私は彼の方を向き、その頬を両手で包み込んだ。

「私が見ているのは、今と……これからの未来だけです」

 アシュ様が顔を上げる。  その青い瞳が、私を映して揺れている。

「……リディア」

「はい」

「私は、君と出会うまで、人生とは『正解を選び続ける作業』だと思っていた。だが今は違う」

 彼は私の手に自分の手を重ねた。  薬指の指輪が、優しく温かいピンク色に輝き始める。

「君となら、間違いさえも愛おしい。トラブルも、喧嘩も、君が持ち込んでくる厄介ごとも……すべてが私の人生を彩る不可欠な要素だ」

 アシュ様の表情から、いつもの宰相としての険しさが消え、ただ一人の男としての素顔が現れる。

「君を愛している。……契約だからじゃない。理屈でもない。ただ、どうしようもなく」

 甘い、甘い言葉。  何度聞いても、胸が震える。  私は涙がこぼれそうになるのをこらえて、最高の笑顔で返した。

「知っていますわ。……だって、印がこんなに光っていますもの」

 私たちの指輪は、部屋中を照らすほどの光を放っていた。    かつて、私は断罪の場で言った。  『次、いきます』と。  あの時は、一人で歩き出すための強がりの言葉だった。  でも今は違う。

「アシュ様。仕事も片付きましたし……そろそろ行きましょうか」

「ああ。どこへでも」

 アシュ様が立ち上がり、私に手を差し伸べる。  私はその手を取り、しっかりと握り返した。

「次、いきます。――今度は、ふたりで」

 私たちは相談所の扉を開け、光溢れる外の世界へと踏み出した。  そこには、私たちが守り、私たちが変えていく、新しい日常が広がっている。

 私の名前はリディア・ヴァレンシュタイン。  元悪役令嬢で、現宰相夫人。  そして、世界で一番愛されている、幸せな『契約妻』だ。

 ――Fin.
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