『「女は黙って従え」と婚約破棄されたので、実家の軍隊を率いて王都を包囲しますわ』

放浪人

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第一章:偽りの王都

第1話 銀薔薇の令嬢

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私の名はヴィクトリア・フォン・ローゼンベルク。エーデルラント王国最強と謳われる東部辺境、ローゼンベルク公爵家の一人娘だ。

戦場では『戦場の銀薔薇』などという、少々勇ましい二つ名で呼ばれている。

「ヴィクトリア様!本日も素晴らしいご指導、感謝いたします!」

「皆のおかげよ。ローゼンベルクの騎士は、王国一精強でなければならないわ」

澄み渡る青空の下、私は訓練場の濡れた土の匂いを胸いっぱいに吸い込む。目の前には私に絶対の忠誠を誓う屈強な騎士たちが、汗を輝かせ整然と並んでいた。彼らの熱のこもった尊敬の眼差しが心地良い。

ここローゼンベルク領では、私はただの公爵令嬢ではない。次期領主として、そして指揮官として領民の期待を一身に背負う存在だ。父であるゲルハルト公爵譲りの軍才を活かし、騎士団の訓練から領地の防衛計画まで、その多くを任されている。

領民たちは私を女神とまで崇める。それは決して誇張ではなく、彼らの生活と未来を守るという私の覚悟への、信頼の証なのだろう。

だからこの手で剣を振るうことも、馬を駆り戦場を駆け巡ることも、私にとっては誇りそのものだ。この手で、愛する故郷と民を守れるのだから。

……だが。

一歩領地を出て、きらびやかな王都へ行けば評価は百八十度変わる。

「戦狂いのじゃじゃ馬」 「淑女の欠片もない鉄の女」 「野蛮な辺境育ち」

聞こえてくるのは、そんな不名誉な陰口ばかり。王都の社交界に咲き誇るか弱く可憐な令嬢たちにとって、私は理解不能な異分子でしかないのだろう。

(別に、どう思われたって構わない)

心の中でいつもそう呟く。彼らに媚びを売るために生きているわけじゃない。私の居場所は甘ったるい香水の匂いが充満する夜会の間ではなく、鉄と土の匂いがするこの訓練場なのだから。

しかし、そんな私にも逃れられない責務があった。

――第一王子アルフォンス殿下との婚約。

それは王家が辺境の強大な軍事力を警戒し、その力を王都に繋ぎ止めるための典型的な政略結婚だ。そこに愛など、最初から存在しなかった。

「……そろそろ王都に戻らねばならないわね」

私の呟きに、側に控える忠実な副団長コンラートが心配そうな表情を浮かべた。

「ヴィクトリア様……。またあの息の詰まるような場所へお戻りに?」

「仕方ないわ、コンラート。これも私の務めよ。ローゼンベルク家のため、そして領民たちの平穏のためだもの」

「しかし、アルフォンス殿下の貴女様に対する仕打ちは我慢なりません!あのような男が次期国王とは……」

コンラートの言葉に、私は苦笑いで応えるしかない。彼の言う通り、アルフォンス殿下は私のことなどただの田舎娘としか見ていない。夜会ではいつも私を隅に追いやり、他の令嬢と親しげに語らう。その視線には、侮蔑の色が隠しようもなく浮かんでいた。

(我慢よ、ヴィクトリア)

自分に言い聞かせる。今はまだ耐える時。父が築き上げたこの領地と民の笑顔を守るためなら、どんな屈辱にも耐えてみせる。

私は愛馬のたてがみを優しく撫で、王都で偽りの自分を演じる覚悟を決めた。これから始まる硝子細工のように脆く、偽りに満ちた王都での生活。それが私を待ち受ける運命の序曲であることを、この時の私はまだ知らなかった。

数日後、私は王都の屋敷に戻っていた。辺境の澄んだ空気とは違う、どこか淀んだ空気が私の肺を満たす。

「お帰りなさいませ、ヴィクトリアお嬢様」

執事が出迎えるが、その顔にも心なしか憂いの色が浮かんで見えた。

「ただいま。何か変わったことは?」

「……第一王子殿下より、明日の夜会へご同伴いただきたいと」

「そう。わかったわ」

またあの仮面舞踏会が始まる。豪華絢爛なドレスに身を包み、心にもない笑顔を貼り付け、王子の隣に立つだけの操り人形。

クローゼトに並ぶ戦場の鎧とは似ても似つかぬ華やかなドレスを手に取る。絹の滑らかな感触が、なぜかひどく冷たい。

この王都は偽りの宝石で飾られた鳥籠。そして私は、その中で翼をもがれた銀薔薇なのだ。

(いつか本当の私で、大空を羽ばたける日は来るのかしら……)

窓の外に広がる王都の夜景を見つめながら、私はまだ見ぬ未来に思いを馳せる。だが、その未来に待ち受けるのが輝かしい光か、あるいは絶望の闇か、知る由もなかった。

ただ胸の奥で燻る小さな炎だけが、私の唯一の真実だった。それは誰にも奪わせはしない、ローゼンベル-クとしての誇りの炎。

この炎が燃え尽きない限り、私は私でいられる。たとえ今は偽りの王都で、息を潜めるしかなかったとしても。

夜会の喧騒が、もうそこまで迫っていた。
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