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第二章:侮辱と決別
第19話 我が故郷、我が民
しおりを挟む戦いの火蓋は切られた。私が立てた作戦通り、ローゼンベルク軍は地の利を最大限に活かし、追討軍を一方的に蹂躙していく。
「第一陣、矢を放ち尽くしたらすぐに第二陣と交代!一瞬たりとも攻撃の手を緩めるな!」
私の指示が戦場に響き渡る。崖の上から降り注ぐ矢の雨は、逃げ場のない渓谷の底で致命的な効果を発揮した。グスタフ辺境伯の軍は完全に混乱に陥り、ただ味方の死体を積み重ねるばかりだ。
「くそっ、崖の上からだ!弓兵、応戦しろ!」
グスタフ辺境伯が怒声で命令を下すが無駄なことだった。下から上へ矢を射ってもその威力は半減し、ほとんどが崖の岩肌に弾かれる。逆に崖の上の我々は、身を隠しながら安全に攻撃を続けることができた。
「父上、頃合いです。崖の入り口を塞いでください」
「うむ、任せろ!」
父は別動隊を率い、あらかじめ用意しておいた巨大な岩を合図と共に崖下へと落とした。
ゴゴゴゴゴゴッ……!!
地響きと共に渓谷の入り口が完全に岩で塞がれる。これで敵の退路は断たれた。グスタフ軍の兵士たちの顔に、初めて絶望の色が浮かぶ。
「ひぃっ、閉じ込められた!」 「もう逃げられないぞ!」
敵の士気は見る見るうちに下がっていく。
(……それでもグスタフ辺境伯は諦めないでしょうね)
彼の猛将としての性格を考えれば、このまま全滅するよりも活路を見出すために前進してくるはずだ。そしてその先には――。
「全軍に伝えよ!敵は必ずこの先進軍してくる!渓谷の出口で槍衾(やりぶすま)を組んで待ち構えよ!」
私の予測通り、グスタフ辺境伯は残った兵力を再編し、決死の覚悟で渓谷の出口へと突撃してきた。
「うおおおっ!反逆者どもを一人残らず串刺しにしてやれ!」
しかし彼らを待ち受けていたのはコンラート率いる、ローゼンベルク最強の重装歩兵部隊だった。彼らが隙間なく並べた槍の壁はさながら鉄の森。突撃してきた追討軍は、その鋭い穂先に自ら飛び込んでくるようなものだった。
ドガァァン! グシャァッ!
凄まじい音と共に人と馬が次々と槍の餌食になっていく。もはや戦いと呼べるようなものではなかった。一方的な、殺戮だ。
私は崖の上からその光景を、ただ冷静に見つめていた。血の匂い。断末魔の叫び。鉄と鉄がぶつかり合う不快な音。地獄のような光景。しかし私の心は不思議と揺らがなかった。
(……これでいい)
この戦いは私たちが生き残るために必要なことなのだ。そして何より、私の背後にある故郷を守るために。
私はふと、戦場の向こう側、東の空に広がるローゼンベルクの緑豊かな大地に目をやった。あの土地には私の愛する民たちがいる。毎日畑を耕し家畜の世話をし、ささやかな幸せを願って生きている善良な人々が。
彼らは私が王都へ行く日、涙を流して私の身を案じてくれた。私の帰りを、ずっとずっと待っていてくれた。
(あの人たちの笑顔を、二度と曇らせてはならない)
王都の腐敗した者たちの欲望のために、私の民を犠牲にすることなど断じて許さない。彼らの平穏な日常を守るためならば、私は喜んでこの手を血に染めよう。悪魔にでも鬼にでもなってみせる。
それがこのローゼンベルクの地で生まれ、この地の民に愛されて育った私の、責務なのだから。
「……ヴィクトリア様」
いつの間にか隣に来ていたコンラートが声をかけてきた。彼の鎧も返り血で赤く染まっている。
「グスタフ辺境伯を追い詰めました。いかがいたしましょう?」
「……そう。ご苦労様、コンラート」
私は故郷の景色から再び眼下の戦場へと視線を戻した。戦いは最終局面を迎えようとしていた。生き残ったグスタフ辺境伯とその側近たちが、槍の壁の前で必死に抵抗を続けている。
私は静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで命令を下した。
「……降伏は認めない。一人残らず、殲滅なさい」
非情な命令。だがこれが、これから始まる長い戦いの中でローゼンベルクの覚悟を王国全土に示す、最初の狼煙となるのだ。
「――御意」
コンラートは一瞬の躊躇も見せず、深く頭を下げた。彼の瞳にもまた私と同じ、故郷と民を守るための冷徹な光が宿っていた。
我が故郷、我が民。その名を胸に刻み、私は戦姫として非情な決断を下し続ける。全ては勝利の、その先にある平和な未来のために。
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