43 / 60
第五章:正義の進軍
第43話 開かれし城門
しおりを挟む北の山岳路を抜けた先に我々を待ち受けていたのは、天険の地に築かれた堅牢な砦だった。王都北方の守りの要、『鷲ノ巣砦(アドラーズネスト)』。その名の通り、まるで鷲の巣のように切り立った崖の上にそびえ立っている。正面から攻め上るのは至難の業。多くの犠牲を覚悟しなければならないだろう。
「……さすがは王家の砦。見事な造りだ」
父が崖の下から砦を見上げ、感嘆の声を漏らした。
砦の城壁の上には王家の旗がはためいている。そして無数の弓兵たちがこちらを睨みつけていた。砦の守備兵はおよそ五百。対する我々は七千。兵力では圧倒的にこちらが有利だ。しかしこの地の利を考えれば、決して油断はできない。
「ヴィクトリア様。いかがいたしますか?新兵器の投擲機を使えば、あの城壁とて……」
コンラートが進言する。確かに投擲機で油壺を撃ち込めば、砦に大打撃を与えることはできるだろう。しかしそれでは砦そのものが焼け落ちてしまう。この砦は王都を攻略した後、我々の重要な拠点となるはずだ。できれば無傷で手に入れたい。
そして何より、私は無駄な血を流したくなかった。砦にいる兵士たちも元は同じ王国の民。宰相の命令に従っているだけの彼らを、一方的に殺戮するのは私の本意ではなかった。
「……攻撃の必要はないわ」
私は静かに告げた。その言葉に父もコンラートも、驚いた顔をした。
「……何?ではどうするのだ?このまま見過ごしていくとでも?」
「いいえ、父上。この砦は今夜、我々のものになります。……一滴の血も流すことなくね」
私は不敵に微笑んだ。私のその自信に満ちた表情に、皆何かを察したようだ。
私は懐から一通の手紙を取り出し、一人の伝令兵を呼び寄せる。
「この手紙を砦の副司令官マルクス子爵に届けて。決して他の者には見つからないようにね。……合言葉は、『北の空に、明けの明星は輝くか』よ」
「……はっ!」
伝令兵は私の言葉に深く頷くと、闇に紛れ砦へと向かっていった。マルクス子爵。彼の名はあの日エリオット殿下から受け取ったリストの中にあった。宰相のやり方に強い不満を抱いている良識派の貴族。そして私が地下牢で間諜から聞き出した、あの謎の合言葉。全てが今、一つに繋がったのだ。
(……セドリック伯爵。あなたの警告の本当の意味が、ようやく分かったわ)
『獅子の巣の中に罠がある』。あの言葉は裏切り者の存在を示唆していたのではなかった。それは**『敵の中にも味方となりうる者がいる』**という、逆説的なヒントだったのだ。そしてその鍵となるのが、あの合言葉。おそらくあの合言葉はエリオット殿下と、彼に賛同する者たちとの間で使われている秘密の符牒(ふちょう)なのだろう。
私は賭けたのだ。マルクス子爵がエリオット殿下の仲間であるという可能性に。そして彼がこの腐敗した王国よりも、我々が掲げる正義を選んでくれるという未来に。
時間は静かに流れていった。兵士たちは砦を遠巻きに包囲し、ただその時を待つ。私の胸中は決して穏やかではなかった。もし私の読みが間違っていたら。伝令は捕らえられ、全ては水の泡となる。
夜が更け、空には満月が輝いていた。砦の城壁には篝火が燃え盛っている。その静寂を破ったのは、一つの甲高い金属音だった。
キィィィィ……。
それは砦の巨大な城門の閂(かんぬき)が、内側から外される音だった。そして、
ゴゴゴゴゴ……。
重々しい音を立てて、あの固く閉ざされていた城門がゆっくりと開かれていく。開かれた城門の向こう側、そこには一人の壮年の騎士が松明を手に立っていた。彼の鎧には子爵家の紋章が刻まれている。マルクス子爵、その人だった。
彼は我々の大軍を前にしても臆することなく、静かに頭を下げた。
「……お待ちしておりました、ヴィクトリア・フォン・ローゼンベルク殿」
その言葉と同時に、砦の城壁にはためいていた王家の旗が引きずり降ろされた。そして代わりに掲げられたのは、白旗だった。
「……っ!」 「おおおっ……!」 「城門が開いたぞ!」
我が軍からどよめきと歓声が上がる。砦は降伏したのだ。戦わずして。
マルクス子爵は語った。砦の司令官は王家への忠誠心が篤い頑固な男だったが、彼と彼に賛同する部下たちが今夜決起し、司令官を拘束したのだ、と。彼らもまた宰相の圧政に苦しめられていたのだ。そしてエリオット殿下からの内々の連絡を受け、我々が来るのを待っていたのだ、と。
「……我ら鷲ノ巣砦守備隊は、これより貴殿の軍門に下る。否、我らもまたこの国の正義を取り戻すための戦いに、加えていただきたい」
マルクス子爵は私の前に跪き、その剣を差し出した。
私はその剣を受け取り、彼に手を貸し立ち上がらせた。
「……顔をお上げなさい、マルクス子爵。貴殿の勇気ある決断に心から感謝します。……ようこそ、我らが正義の軍へ」
こうして我々は一人の犠牲者を出すこともなく、王都北方の最重要拠点を手中に収めた。開かれし城門。それは我々の勝利を象徴する輝かしい凱旋門となった。そしてこの出来事は、王都の支配体制がすでに内側から崩壊し始めていることを、何よりも雄弁に物語っていた。王都の落日もまた、そう遠くはないだろう。
51
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢 メアリの逆襲 ~魔の森に作った湯船が 王子 で溢れて困ってます~
薄味メロン
恋愛
HOTランキング 1位 (2019.9.18)
お気に入り4000人突破しました。
次世代の王妃と言われていたメアリは、その日、すべての地位を奪われた。
だが、誰も知らなかった。
「荷物よし。魔力よし。決意、よし!」
「出発するわ! 目指すは源泉掛け流し!」
メアリが、追放の準備を整えていたことに。
離婚したいけれど、政略結婚だから子供を残して実家に戻らないといけない。子供を手放さないようにするなら、どんな手段があるのでしょうか?
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
カーゾン侯爵令嬢のアルフィンは、多くのライバル王女公女を押し退けて、大陸一の貴公子コーンウォリス公爵キャスバルの正室となった。だがそれはキャスバルが身分の低い賢女と愛し合うための偽装結婚だった。アルフィンは離婚を決意するが、子供を残して出ていく気にはならなかった。キャスバルと賢女への嫌がらせに、子供を連れって逃げるつもりだった。だが偽装結婚には隠された理由があったのだ。
家族から虐げられた令嬢は冷血伯爵に嫁がされる〜売り飛ばされた先で温かい家庭を築きます〜
香木陽灯
恋愛
「ナタリア! 廊下にホコリがたまっているわ! きちんと掃除なさい」
「お姉様、お茶が冷めてしまったわ。淹れなおして。早くね」
グラミリアン伯爵家では長女のナタリアが使用人のように働かされていた。
彼女はある日、冷血伯爵に嫁ぐように言われる。
「あなたが伯爵家に嫁げば、我が家の利益になるの。あなたは知らないだろうけれど、伯爵に娘を差し出した家には、国王から褒美が出るともっぱらの噂なのよ」
売られるように嫁がされたナタリアだったが、冷血伯爵は噂とは違い優しい人だった。
「僕が世間でなんと呼ばれているか知っているだろう? 僕と結婚することで、君も色々言われるかもしれない。……申し訳ない」
自分に自信がないナタリアと優しい冷血伯爵は、少しずつ距離が近づいていく。
※ゆるめの設定
※他サイトにも掲載中
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さくら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
【完結】「お前に聖女の資格はない!」→じゃあ隣国で王妃になりますね
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【全7話完結保証!】
聖王国の誇り高き聖女リリエルは、突如として婚約者であるルヴェール王国のルシアン王子から「偽聖女」の烙印を押され追放されてしまう。傷つきながらも母国へ帰ろうとするが、運命のいたずらで隣国エストレア新王国の策士と名高いエリオット王子と出会う。
「僕が君を守る代わりに、その力で僕を助けてほしい」
甘く微笑む彼に導かれ、戸惑いながらも新しい人生を歩み始めたリリエル。けれど、彼女を追い詰めた隣国の陰謀が再び迫り――!?
追放された聖女と策略家の王子が織りなす、甘く切ない逆転ロマンス・ファンタジー。
追放令嬢の発酵工房 ~味覚を失った氷の辺境伯様が、私の『味噌スープ』で魔力回復(と溺愛)を始めました~
メルファン
恋愛
「貴様のような『腐敗令嬢』は王都に不要だ!」
公爵令嬢アリアは、前世の記憶を活かした「発酵・醸造」だけが生きがいの、少し変わった令嬢でした。 しかし、その趣味を「酸っぱい匂いだ」と婚約者の王太子殿下に忌避され、卒業パーティーの場で、派手な「聖女」を隣に置いた彼から婚約破棄と「北の辺境」への追放を言い渡されてしまいます。
「(北の辺境……! なんて素晴らしい響きでしょう!)」
王都の軟水と生ぬるい気候に満足できなかったアリアにとって、厳しい寒さとミネラル豊富な硬水が手に入る辺境は、むしろ最高の『仕込み』ができる夢の土地。 愛する『麹菌』だけをドレスに忍ばせ、彼女は喜んで追放を受け入れます。
辺境の廃墟でさっそく「発酵生活」を始めたアリア。 三週間かけて仕込んだ『味噌もどき』で「命のスープ」を味わっていると、氷のように美しい、しかし「生」の活力を一切感じさせない謎の男性と出会います。
「それを……私に、飲ませろ」
彼こそが、領地を守る呪いの代償で「味覚」を失い、生きる気力も魔力も枯渇しかけていた「氷の辺境伯」カシウスでした。
アリアのスープを一口飲んだ瞬間、カシウスの舌に、失われたはずの「味」が蘇ります。 「味が、する……!」 それは、彼の枯渇した魔力を湧き上がらせる、唯一の「命の味」でした。
「頼む、君の作ったあの『茶色いスープ』がないと、私は戦えない。君ごと私の城に来てくれ」
「腐敗」と捨てられた令嬢の地味な才能が、最強の辺境伯の「生きる意味」となる。 一方、アリアという「本物の活力源」を失った王都では、謎の「気力減退病」が蔓延し始めており……?
追放令嬢が、発酵と菌への愛だけで、氷の辺境伯様の胃袋と魔力(と心)を掴み取り、溺愛されるまでを描く、大逆転・発酵グルメロマンス!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる