追放された悪役令嬢は、氷の辺境伯に何故か過保護に娶られました ～今更ですが、この温もりは手放せません！？～

第一幕：虚飾の檻、苦悩の日々

第5話：僅かな親切と旅立ちの朝

出発の日の朝は、皮肉なほど穏やかに晴れ渡っていた。小鳥のさえずりが窓の外から聞こえ、新しい一日が始まったことを告げている。しかし、それは私にとって、過去との決別の日でもあった。

身支度を整え、質素なドレスに身を包む。鏡に映る自分の顔は、数日前よりも少しやつれているように見えたが、その瞳には確かな意志の光が宿っていた。

「お嬢様、準備が整いました」

アーニャが声をかけてきた。彼女の目も少し赤い。昨夜、泣いていたのだろうか。

「ありがとう、アーニャ。最後まで、本当にありがとう」

「いいえ、私はお嬢様にお仕えできて幸せでした。……これ、道中でお腹が空いた時にお食べくださいまし」

アーニャは、小さな布包みを私に差し出した。中には、彼女が焼いてくれたのであろうクッキーが入っていた。その温かい心遣いに、私の胸は熱くなった。

「……ありがとう。大切にいただくわ」

屋敷の玄関には、一台の簡素な馬車が用意されていた。見送りの者は誰もいない。父も、エラーラ様も、そしてイゾルデも、姿を見せることはなかった。それが、この家における私の最後の扱いだった。

「お嬢様、お元気で……！」

アーニャが涙ながらに手を振る。私も彼女に小さく手を振り返し、馬車に乗り込んだ。御者が鞭を鳴らすと、馬車はゆっくりと動き出した。遠ざかっていくヴァレリウス公爵邸。私が生まれ育った家。しかし、そこにはもう、私の居場所はなかった。

馬車は王都の門を抜け、北へと向かう街道を進んでいく。窓の外には、見慣れた王都の景色が広がり、やがてそれも途切れ、緑豊かな田園風景へと変わっていった。長い旅になるだろう。そして、その先には、未知の土地と、氷の辺境伯と呼ばれる男が待っている。

（カシアン・グレイウォール……一体、どんな人なのかしら）

噂では、冷酷で、戦以外には興味を示さない人物だと聞く。そんな男の妻として、私は生きていけるのだろうか。不安が胸をよぎるが、もう後戻りはできない。

私は、アーニャがくれたクッキーを一つ取り出し、口に運んだ。素朴な甘さが口の中に広がり、少しだけ心が安らぐのを感じた。

（大丈夫。私は、負けない）

自分にそう言い聞かせ、私は固く目を閉じた。悪役令嬢セラフィナの、新たな人生が始まろうとしていた。それは、苦難に満ちた道かもしれない。しかし、その先に僅かな光があると信じて、私は進むしかないのだ。