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第九話「母としての挨拶」
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一時間という時間は、お茶を飲んで優雅に過ごすには短いが、戦闘準備を整えるには十分すぎる時間だ。
私は寝室で子供たちを集め、視線の高さを合わせて語りかけた。
「いいですか、みなさん。今から少しだけ、変なおじさんがいらっしゃいます」
「……変なおじさん?」
ミレイユ様が怪訝そうな顔をする。
「ええ。王都から来た、声が大きくて、ちょっと失礼な方です。彼は『この家の子どもたちは可哀想な目に遭っているのではないか』と勘違いをして、確かめに来たのです」
「……僕たちは、可哀想じゃない」
アルフォンス様がムッとしたように言った。その頬には、数日前の土気色はなく、健康的な赤みが差している。
「その通りです。ですから、あなたたちは堂々としていればいいのです。いつも通り、元気な姿を見せてあげてください。……ただし」
私は悪戯っぽく人差し指を立てた。
「何か嫌なことをされたり、言われたりしたら、すぐに私の後ろに隠れること。そして、私の言うことに合わせて『うん』と頷くこと。できますか?」
「……うん、できる」
ノア様がこくりと頷く。 ミレイユ様も、少し考えてから「……分かったわ。あの狸みたいなおじさん、嫌いだし」と毒舌を吐いた。さすが私の娘(仮)だ。将来有望である。
「よし。では、行きましょうか」
私は立ち上がり、鏡の前で自分の姿を確認した。 紺色のドレスは隙がなく、背筋はピンと伸びている。扇子を持つ手にも迷いはない。 どこからどう見ても、誇り高き「悪役令嬢」だ。
◇
サロンの扉が開かれる。 待ちくたびれて苛立っていたパルストン子爵が、バッと顔を上げた。
「遅いぞ! 一時間きっかりと言ったはずだ!」
「あら、一分も過ぎておりませんわ。子爵の時計が進んでいるのではありませんか?」
私は涼しい顔で入室した。 私の後ろには、レオンハルト様。そして、おめかしをした三人の子供たちが続いている。
アルフォンス様は仕立ての良いジャケットを着て、凛々しく。 ミレイユ様は、今朝私が結んだ青いリボンのドレスで愛らしく。 ノア様は、ふわふわのニットを着て、私のスカートの裾をぎゅっと掴んでいる。
どこからどう見ても、裕福で、手入れの行き届いた貴族の子女たちだ。 「虐待されてボロボロの子供たち」を期待していた子爵は、出鼻をくじかれたように口をあんぐりと開けた。
「こ、これは……」
「さあ、ご挨拶なさい」
私が促すと、子供たちは練習通り、優雅にカーテシーと礼をした。
「お初にお目にかかります。アルフォンス・フォン・グレイフです」 「ミレイユです」 「……ノア、です」
完璧だ。 私は満足げに微笑み、子爵に向き直った。
「ご覧の通り、子供たちは至って健康ですわ。虐待の痕跡など、どこにもございませんでしょう?」
「ぐ、ぬ……!」
子爵は顔を赤くして、何か難癖をつけようと子供たちを睨み回した。 その視線の不躾さに、ノア様が怯えて私の後ろに隠れる。
「見ろ! 一番下の子が怯えているじゃないか! やはり、お前が普段から恐怖で支配しているからだ!」
「いいえ。あなたの顔が怖くて、声が大きいからですわ。子供は正直ですから、品性のない人間には近づかないのです」
「なっ、なんだと!?」
「それに、怯えているのではありません。人見知りなだけです。……ね、ノア様?」
私が振り返って問いかけると、ノア様は私のスカートに顔を埋めたまま、コクコクと頷いた。 その姿は、私を「盾」として信頼している証拠に他ならない。
子爵は焦り始めたようだ。 視覚的な情報で勝てないと悟ると、今度は強硬手段に出た。
「見た目だけ取り繕っても無駄だ! 服の下に痣があるかもしれん! おい、その子供たちをこちらへ連れてこい! 別室で身体検査を行う!」
子爵が合図をすると、控えていた衛兵たちが粗暴な足取りで近づいてきた。 ミレイユ様が「ひっ」と息を呑む。 アルフォンス様が、弟と妹を守るように前に出ようとする。
その瞬間。
パァンッ!!
乾いた音が響き渡った。 私が扇子を勢いよく開き、衛兵たちの目の前に突きつけたのだ。
「――お下がりなさい」
声のトーンを一段階低くし、冷徹に言い放つ。 その迫力に、屈強な衛兵たちが思わずたじろいだ。
「こ、これは王太子の命による調査だぞ! 公務執行妨害で……」
「公務? これはただの無礼な狼藉です」
私は一歩も引かず、子爵を睨み据えた。
「この子たちは、グレイフ公爵家の直系です。その体に指一本でも触れるなら、それ相応の覚悟を持ってなさい。痣がないか調べる? 結構です。ですが、もし何もなかった場合、幼子に屈辱を与えたその責任、どう取ってくださるのです?」
「そ、それは……」
「子爵家の取り潰しくらいでは、釣り合いませんわよ?」
私の言葉に、子爵の顔色が青ざめる。 貴族社会において、上位貴族への不敬は命取りだ。王太子の威光があっても、冤罪だった場合のリスクは計り知れない。
「ええい、黙れ黙れ! お前ごとき、婚約破棄された傷モノの分際で!」
子爵は逆上し、唾を飛ばして叫んだ。
「お前は母親ですらない! ただの後妻、契約上の飾りに過ぎん! 子供たちだって、本当はお前を憎んでいるはずだ! 『こんな悪女はいらない』とな!」
その言葉が、サロンの空気を凍りつかせた。 それは、私が一番気にしていること。 そして、子供たちが一番触れられたくない傷口。
レオンハルト様が、怒りで全身を震わせ、一歩踏み出そうとした。 けれど、それより早く動いた人物がいた。
「……ちがう!」
叫んだのは、ミレイユ様だった。 彼女は私の後ろから飛び出し、子爵に向かって小さな拳を握りしめていた。
「クラリス様は……悪女じゃない!」
「ミレイユ様……」
「スープが冷たいって言ったら、温かくしてくれたわ! 可愛いリボンも結んでくれた! お兄様が倒れた時だって、ずっと看病してくれたのよ!」
ミレイユ様は涙目でまくしたてた。 それは、彼女なりの精一杯の擁護だった。
「……そうです」
続いて、アルフォンス様も静かに、しかし力強く口を開いた。
「この方は、僕たちを尊重してくださいます。食事も、休息も、この方が来てから……僕たちは人間らしい生活を取り戻しました。虐待など、ありえません」
子供たちの言葉。 それは、どんな大人の弁明よりも重く、真実味があった。 子爵は口をパクパクさせて、反論の言葉を失っている。
私は胸が熱くなるのを必死に堪えた。 まだ「ママ」とは呼ばれていない。 でも、この子たちは私を見ていてくれた。私の行動を、ちゃんと受け取ってくれていたのだ。
私は静かに扇子を閉じ、子爵を見下ろした。 今の私は、ただの悪役令嬢ではない。 この子たちの信頼を背負った、最強の守護者だ。
「お聞きになりましたか、子爵」
私は凛とした声で告げた。
「私は、飾りではありません。契約上の妻かもしれませんが、この子たちの生活を守り、心を守る義務を負った保護者です」
一歩、子爵に歩み寄る。
「私のことはなんと呼んでいただいても構いません。悪役令嬢でも、悪女でも。ですが」
扇子の先を、子爵の胸元に突きつける。
「この子たちの平穏を脅かす者は、王太子殿下だろうと、あなただろうと、私が全力で排除します。――私は、この家の『母親』ですから」
殺気すら滲む私の宣言に、子爵は「ひっ」と悲鳴を上げて尻餅をついた。 もはや、勝負ありだ。
「……帰れ」
とどめを刺したのは、レオンハルト様だった。 彼は私の隣に並び立ち、子爵を見下ろして低く唸った。
「妻の言った通りだ。これ以上、我が家の『母親』と子供たちを愚弄するなら、次は言葉ではなく剣で語ることになるぞ」
「ひ、ひぃぃぃっ! お、覚えていろよぉぉぉ!」
子爵は這々の体で立ち上がり、衛兵たちを引き連れて逃げ帰っていった。 嵐が去った後のサロンに、静寂が戻る。
ふぅ、と私が息を吐くと、張り詰めていた空気が緩んだ。
「……怖かった」
ノア様が、ぽつりと呟いた。 私はすぐにしゃがみ込み、ノア様を抱きしめた。
「怖かったですね。よく頑張りました。もう悪い人はいませんよ」
「……ん」
「ミレイユ様も、アルフォンス様も。ありがとう。あなたたちの言葉に、私は救われました」
私が微笑むと、二人は照れくさそうに顔を見合わせた。 ミレイユ様は「別に、本当のことを言っただけよ」とそっぽを向いたが、その耳は赤い。
「……クラリス」
レオンハルト様が、私を呼んだ。 見上げると、彼はどこか眩しそうな、そして誇らしげな目で私を見ていた。
「見事だった。……俺が出る幕もなかったな」
「あら、最後に追い払ってくださったのは旦那様ではありませんか。ナイスアシストでしたわ」
「いや。……君の、あの言葉だ」
彼は少し言い淀み、そして真剣な表情で言った。
「『私はこの家の母親だ』と。……あの言葉を聞いて、俺は初めて、肩の荷が下りた気がした」
「……レオンハルト様」
「ずっと一人で背負わなければと思っていた。だが、君が隣にいてくれるなら……俺たちは、本当の家族になれるかもしれない」
彼の大きな手が、そっと私の肩に置かれる。 その温もりに、私の心臓がまたしても早鐘を打った。 契約結婚。愛のない始まり。 でも今、ここにある信頼は、愛よりも強固なものになりつつある気がした。
「……もちろんです。私は逃げませんから」
私が答えると、レオンハルト様は優しく目を細めた。 その光景を見ていたミレイユ様が、呆れたようにため息をつく。
「はいはい、ごちそうさま。……さあ、ノア、おやつのクッキー食べに行きましょ」
「……うん、クッキー」
子供たちが空気を読んで(?)退室していく。 私は赤面し、レオンハルト様も慌てて手を離した。
「こ、コホン。……とにかく、これで一安心だな」
「ええ。ですが……」
私は窓の外、王都の方角を見やった。
「あの方たちが、これで諦めるとは思えません。きっと次は、もっと卑劣な手を使ってくるでしょう」
子爵の捨て台詞。「覚えていろよ」という言葉は、負け惜しみではなく、次なる陰謀の予告だ。 王太子ルドルフと、リディア。 彼らのプライドは、一度の敗北で傷つくどころか、より歪んだ執着へと変わるはずだ。
「……望むところだ」
レオンハルト様が、私の隣で呟いた。
「今度は、俺が守る番だ」
その言葉が、単なる強がりでないことを、私は知っている。 北方の冬空の下、私たちの「家族」としての戦いは、まだ始まったばかりだ。
私は寝室で子供たちを集め、視線の高さを合わせて語りかけた。
「いいですか、みなさん。今から少しだけ、変なおじさんがいらっしゃいます」
「……変なおじさん?」
ミレイユ様が怪訝そうな顔をする。
「ええ。王都から来た、声が大きくて、ちょっと失礼な方です。彼は『この家の子どもたちは可哀想な目に遭っているのではないか』と勘違いをして、確かめに来たのです」
「……僕たちは、可哀想じゃない」
アルフォンス様がムッとしたように言った。その頬には、数日前の土気色はなく、健康的な赤みが差している。
「その通りです。ですから、あなたたちは堂々としていればいいのです。いつも通り、元気な姿を見せてあげてください。……ただし」
私は悪戯っぽく人差し指を立てた。
「何か嫌なことをされたり、言われたりしたら、すぐに私の後ろに隠れること。そして、私の言うことに合わせて『うん』と頷くこと。できますか?」
「……うん、できる」
ノア様がこくりと頷く。 ミレイユ様も、少し考えてから「……分かったわ。あの狸みたいなおじさん、嫌いだし」と毒舌を吐いた。さすが私の娘(仮)だ。将来有望である。
「よし。では、行きましょうか」
私は立ち上がり、鏡の前で自分の姿を確認した。 紺色のドレスは隙がなく、背筋はピンと伸びている。扇子を持つ手にも迷いはない。 どこからどう見ても、誇り高き「悪役令嬢」だ。
◇
サロンの扉が開かれる。 待ちくたびれて苛立っていたパルストン子爵が、バッと顔を上げた。
「遅いぞ! 一時間きっかりと言ったはずだ!」
「あら、一分も過ぎておりませんわ。子爵の時計が進んでいるのではありませんか?」
私は涼しい顔で入室した。 私の後ろには、レオンハルト様。そして、おめかしをした三人の子供たちが続いている。
アルフォンス様は仕立ての良いジャケットを着て、凛々しく。 ミレイユ様は、今朝私が結んだ青いリボンのドレスで愛らしく。 ノア様は、ふわふわのニットを着て、私のスカートの裾をぎゅっと掴んでいる。
どこからどう見ても、裕福で、手入れの行き届いた貴族の子女たちだ。 「虐待されてボロボロの子供たち」を期待していた子爵は、出鼻をくじかれたように口をあんぐりと開けた。
「こ、これは……」
「さあ、ご挨拶なさい」
私が促すと、子供たちは練習通り、優雅にカーテシーと礼をした。
「お初にお目にかかります。アルフォンス・フォン・グレイフです」 「ミレイユです」 「……ノア、です」
完璧だ。 私は満足げに微笑み、子爵に向き直った。
「ご覧の通り、子供たちは至って健康ですわ。虐待の痕跡など、どこにもございませんでしょう?」
「ぐ、ぬ……!」
子爵は顔を赤くして、何か難癖をつけようと子供たちを睨み回した。 その視線の不躾さに、ノア様が怯えて私の後ろに隠れる。
「見ろ! 一番下の子が怯えているじゃないか! やはり、お前が普段から恐怖で支配しているからだ!」
「いいえ。あなたの顔が怖くて、声が大きいからですわ。子供は正直ですから、品性のない人間には近づかないのです」
「なっ、なんだと!?」
「それに、怯えているのではありません。人見知りなだけです。……ね、ノア様?」
私が振り返って問いかけると、ノア様は私のスカートに顔を埋めたまま、コクコクと頷いた。 その姿は、私を「盾」として信頼している証拠に他ならない。
子爵は焦り始めたようだ。 視覚的な情報で勝てないと悟ると、今度は強硬手段に出た。
「見た目だけ取り繕っても無駄だ! 服の下に痣があるかもしれん! おい、その子供たちをこちらへ連れてこい! 別室で身体検査を行う!」
子爵が合図をすると、控えていた衛兵たちが粗暴な足取りで近づいてきた。 ミレイユ様が「ひっ」と息を呑む。 アルフォンス様が、弟と妹を守るように前に出ようとする。
その瞬間。
パァンッ!!
乾いた音が響き渡った。 私が扇子を勢いよく開き、衛兵たちの目の前に突きつけたのだ。
「――お下がりなさい」
声のトーンを一段階低くし、冷徹に言い放つ。 その迫力に、屈強な衛兵たちが思わずたじろいだ。
「こ、これは王太子の命による調査だぞ! 公務執行妨害で……」
「公務? これはただの無礼な狼藉です」
私は一歩も引かず、子爵を睨み据えた。
「この子たちは、グレイフ公爵家の直系です。その体に指一本でも触れるなら、それ相応の覚悟を持ってなさい。痣がないか調べる? 結構です。ですが、もし何もなかった場合、幼子に屈辱を与えたその責任、どう取ってくださるのです?」
「そ、それは……」
「子爵家の取り潰しくらいでは、釣り合いませんわよ?」
私の言葉に、子爵の顔色が青ざめる。 貴族社会において、上位貴族への不敬は命取りだ。王太子の威光があっても、冤罪だった場合のリスクは計り知れない。
「ええい、黙れ黙れ! お前ごとき、婚約破棄された傷モノの分際で!」
子爵は逆上し、唾を飛ばして叫んだ。
「お前は母親ですらない! ただの後妻、契約上の飾りに過ぎん! 子供たちだって、本当はお前を憎んでいるはずだ! 『こんな悪女はいらない』とな!」
その言葉が、サロンの空気を凍りつかせた。 それは、私が一番気にしていること。 そして、子供たちが一番触れられたくない傷口。
レオンハルト様が、怒りで全身を震わせ、一歩踏み出そうとした。 けれど、それより早く動いた人物がいた。
「……ちがう!」
叫んだのは、ミレイユ様だった。 彼女は私の後ろから飛び出し、子爵に向かって小さな拳を握りしめていた。
「クラリス様は……悪女じゃない!」
「ミレイユ様……」
「スープが冷たいって言ったら、温かくしてくれたわ! 可愛いリボンも結んでくれた! お兄様が倒れた時だって、ずっと看病してくれたのよ!」
ミレイユ様は涙目でまくしたてた。 それは、彼女なりの精一杯の擁護だった。
「……そうです」
続いて、アルフォンス様も静かに、しかし力強く口を開いた。
「この方は、僕たちを尊重してくださいます。食事も、休息も、この方が来てから……僕たちは人間らしい生活を取り戻しました。虐待など、ありえません」
子供たちの言葉。 それは、どんな大人の弁明よりも重く、真実味があった。 子爵は口をパクパクさせて、反論の言葉を失っている。
私は胸が熱くなるのを必死に堪えた。 まだ「ママ」とは呼ばれていない。 でも、この子たちは私を見ていてくれた。私の行動を、ちゃんと受け取ってくれていたのだ。
私は静かに扇子を閉じ、子爵を見下ろした。 今の私は、ただの悪役令嬢ではない。 この子たちの信頼を背負った、最強の守護者だ。
「お聞きになりましたか、子爵」
私は凛とした声で告げた。
「私は、飾りではありません。契約上の妻かもしれませんが、この子たちの生活を守り、心を守る義務を負った保護者です」
一歩、子爵に歩み寄る。
「私のことはなんと呼んでいただいても構いません。悪役令嬢でも、悪女でも。ですが」
扇子の先を、子爵の胸元に突きつける。
「この子たちの平穏を脅かす者は、王太子殿下だろうと、あなただろうと、私が全力で排除します。――私は、この家の『母親』ですから」
殺気すら滲む私の宣言に、子爵は「ひっ」と悲鳴を上げて尻餅をついた。 もはや、勝負ありだ。
「……帰れ」
とどめを刺したのは、レオンハルト様だった。 彼は私の隣に並び立ち、子爵を見下ろして低く唸った。
「妻の言った通りだ。これ以上、我が家の『母親』と子供たちを愚弄するなら、次は言葉ではなく剣で語ることになるぞ」
「ひ、ひぃぃぃっ! お、覚えていろよぉぉぉ!」
子爵は這々の体で立ち上がり、衛兵たちを引き連れて逃げ帰っていった。 嵐が去った後のサロンに、静寂が戻る。
ふぅ、と私が息を吐くと、張り詰めていた空気が緩んだ。
「……怖かった」
ノア様が、ぽつりと呟いた。 私はすぐにしゃがみ込み、ノア様を抱きしめた。
「怖かったですね。よく頑張りました。もう悪い人はいませんよ」
「……ん」
「ミレイユ様も、アルフォンス様も。ありがとう。あなたたちの言葉に、私は救われました」
私が微笑むと、二人は照れくさそうに顔を見合わせた。 ミレイユ様は「別に、本当のことを言っただけよ」とそっぽを向いたが、その耳は赤い。
「……クラリス」
レオンハルト様が、私を呼んだ。 見上げると、彼はどこか眩しそうな、そして誇らしげな目で私を見ていた。
「見事だった。……俺が出る幕もなかったな」
「あら、最後に追い払ってくださったのは旦那様ではありませんか。ナイスアシストでしたわ」
「いや。……君の、あの言葉だ」
彼は少し言い淀み、そして真剣な表情で言った。
「『私はこの家の母親だ』と。……あの言葉を聞いて、俺は初めて、肩の荷が下りた気がした」
「……レオンハルト様」
「ずっと一人で背負わなければと思っていた。だが、君が隣にいてくれるなら……俺たちは、本当の家族になれるかもしれない」
彼の大きな手が、そっと私の肩に置かれる。 その温もりに、私の心臓がまたしても早鐘を打った。 契約結婚。愛のない始まり。 でも今、ここにある信頼は、愛よりも強固なものになりつつある気がした。
「……もちろんです。私は逃げませんから」
私が答えると、レオンハルト様は優しく目を細めた。 その光景を見ていたミレイユ様が、呆れたようにため息をつく。
「はいはい、ごちそうさま。……さあ、ノア、おやつのクッキー食べに行きましょ」
「……うん、クッキー」
子供たちが空気を読んで(?)退室していく。 私は赤面し、レオンハルト様も慌てて手を離した。
「こ、コホン。……とにかく、これで一安心だな」
「ええ。ですが……」
私は窓の外、王都の方角を見やった。
「あの方たちが、これで諦めるとは思えません。きっと次は、もっと卑劣な手を使ってくるでしょう」
子爵の捨て台詞。「覚えていろよ」という言葉は、負け惜しみではなく、次なる陰謀の予告だ。 王太子ルドルフと、リディア。 彼らのプライドは、一度の敗北で傷つくどころか、より歪んだ執着へと変わるはずだ。
「……望むところだ」
レオンハルト様が、私の隣で呟いた。
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