『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人

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第十九話「氷の公爵、帰還」

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玄関ホールでの劇的な再会から一時間後。 泥と煤にまみれた「氷の公爵」は、湯浴みを済ませ、ようやく本来の麗しい姿を取り戻していた。

サロンに集まった私たち家族は、久しぶりの全員揃っての夕食を囲んでいた。 ただし、今日のレオンハルト様は、いつもの完璧な当主の顔ではない。 髪はまだ少し湿っていて、服も寛いだ室内着。 そして何より、その膝の上にはノア様が、右腕にはミレイユ様が、左側にはアルフォンス様が、まるで磁石のようにくっついているのだ。

「……重くないですか、あなた」

私がスープを取り分けながら尋ねると、レオンハルト様は困ったように、でも目尻を下げて答えた。

「重いな。……だが、悪くない」

その言葉に、子供たちがさらにギュッと父にしがみつく。

「パパ、あのね! 僕、悪い人にお手々噛んでやったんだよ!」

「私も石を投げたわ! クラリス様が光らせて、その隙にドカンって!」

「アルフォンス兄様も、棒でエイッてしたの!」

子供たちは口々に、昨日の武勇伝を語って聞かせる。 レオンハルト様は、一つ一つの言葉に真剣に耳を傾け、「そうか」「よくやった」と相槌を打っている。 その眼差しは、戦場の英雄のものではなく、ただの親馬鹿な父親のものだ。

「アルフォンス」

ふと、レオンハルト様が長男を見た。 アルフォンス様は背筋を伸ばし、緊張した面持ちで父を見返す。

「お前が弟と妹を守ったと聞いた。……立派だった」

短い言葉。 でも、その中には最大限の称賛と、当主としての認可が込められていた。 アルフォンス様の顔が、ぱあっと輝く。

「はい! 僕は……父上の息子ですから!」

「ああ。俺の自慢の息子だ」

レオンハルト様が大きな手でアルフォンス様の頭を撫でる。 その手つきは、私の特訓の成果か、以前よりもずっと柔らかく、様になっていた。

平和な団欒。 温かい食事。 これが、私たちが守り抜いた日常だ。 けれど、大人の時間はここからが本番だった。

          ◇

子供たちが眠りについた後の執務室。 そこには、先ほどまでの穏やかな空気は微塵もなかった。 机の上には、誘拐犯から押収した指令書と、あの「薔薇に蛇」の紋章が入った革袋が置かれている。

「……報告は以上です」

侍女長のセレスが淡々と告げ、一歩下がる。 レオンハルト様は、革袋を手に取り、その紋章を親指で強く擦った。 ギリ、と革が軋む音がする。

「リディアの実家、バーンズ男爵家か」

低い声。 それは地底から響くような、絶対零度の怒気を孕んでいた。 室内の温度が、物理的に下がった気がする。 窓ガラスに、ピキリと霜が走り始めた。

「王太子妃候補の実家が、裏社会を使って公爵家の子息を誘拐する。……堕ちたものだな」

「ええ。彼らは焦っていたのでしょう。王都での夜会で失敗し、私を追い落とすために手段を選ばなくなった」

私は冷静に紅茶を啜りながら補足した。

「ですが、これで決定的な証拠が手に入りました。誘拐の実行犯たちはすでに王宮警察ではなく、我が家の地下牢で『尋問』を受けています。彼らが口を割るのも時間の問題でしょう」

「尋問か。手ぬるい」

レオンハルト様が立ち上がった。 その瞳は、青い炎のように揺らめいている。 彼は、愛する我が子を危険に晒した者たちを、決して許さない。 その怒りは、夫として、父として、そして国の守護者として、正当なものだ。

「俺が直接出る。……奴らに、本当の恐怖というものを教えてやる」

「お待ちください」

私はカップを置き、彼を見上げた。

「お気持ちは分かりますが、あなたが直接手を下せば、それこそ王太子の思う壺です。『公爵が暴走した』と喧伝されかねません」

「では、黙って見ていろと言うのか? ノアがあんな目に遭わされたのに!」

「いいえ。……もっと効果的な方法がありますわ」

私は悪役令嬢らしく、口角を吊り上げた。

「バーンズ男爵家は、派手な生活で借金まみれだという噂があります。この裏金の出処も、おそらく違法な事業でしょう。……証拠を揃えて、経済的に破滅させて差し上げましょう。そして、その醜聞を社交界の最も華やかな場で暴露するのです」

社会的な死。 貴族にとって、それは処刑よりも残酷な結末だ。

レオンハルト様は私を見て、少しだけ毒気を抜かれたように息を吐いた。

「……君には敵わないな。相変わらず、容赦がない」

「家族を守るためですもの。……それに、あなたにはもっと重要な仕事があるはずです」

私は表情を引き締め、彼の目を真っ直ぐに見つめた。

「北方の『裂け目』のことです。……本当に、ただの魔獣災害なのですか?」

私の問いに、レオンハルト様の表情が曇った。 彼はドサリと椅子に座り直し、両手で顔を覆った。

「……ああ。君の推察通りだ」

重い沈黙。 やがて、彼は顔を上げ、信じがたい事実を口にした。

「今回の裂け目の拡大には、人為的な魔力干渉の痕跡があった。……それも、王家に伝わる古い術式に似たものが」

「王家の術式……?」

「『綴(つづり)』の魔法だ。本来は封印に使われる高位魔法だが、それを逆用して、裂け目を無理やり抉じ開けた形跡が見つかった」

背筋が凍った。 誰かが、意図的に魔獣を呼び寄せた。 私たちグレイフ家を北に釘付けにするために? それとも、もっと別の目的で?

「実行犯は特定できていない。だが、現場に残された魔力の残滓は、明らかに王都の方角から流れてきていた」

レオンハルト様は拳を握りしめた。

「俺たちがここで足止めを食らっている間に、奴らは何か大きなことを企んでいる。……誘拐騒ぎも、その陽動だったのかもしれない」

陽動。 子供を囮にするなんて。

「……許せませんね」

私の怒りもまた、静かに燃え上がった。 私たちの平穏を壊すだけでなく、世界の理まで捻じ曲げて利用しようとするなんて。

「クラリス」

レオンハルト様が、机越しに私の手を取った。 その手は、まだ微かに戦場の鉄の匂いがした。

「俺は、戦わなければならない。家族を守るために、そしてこの国の歪みを正すために」

「ええ。私も共に戦います」

「だが……次の戦いは、今までとは次元が違うかもしれない」

彼は私の目を深く見つめ、警告するように言った。

「境界が……近いんだ」

「え?」

「裂け目の浸食速度が上がっている。王都での干渉のせいか、あるいは……もっと根源的な何かが目覚めようとしているのか。このままでは、冬が終わる前に、境界そのものが崩壊する恐れがある」

境界の崩壊。 それは、北方の防壁が決壊し、魔獣の大群がエルディア大陸全土へ溢れ出すことを意味する。 人類の存亡に関わる危機だ。

「……だから、俺は急いで戻ってきた。家族を、一番安全な場所へ避難させるために」

「避難?」

「ああ。君と子供たちは、南の別荘へ行け。ここよりはずっと安全だ」

レオンハルト様の提案は、常識的に考えれば正しい。 けれど。

私は彼の手を握り返し、静かに首を横に振った。

「お断りします」

「クラリス!」

「私は逃げません。……この屋敷に来た日、子供たちに誓いました。『ママ』になれる日まで逃げないと。それは、あなたに対しても同じです」

私は彼の手を両手で包み込んだ。

「あなたが戦うなら、私は背中を守ります。子供たちの安全は、私がこの屋敷で確保します。……家族は、離れ離れになってはいけないのです」

私の頑固な決意に、レオンハルト様は呆れたように、しかし愛おしげにため息をついた。

「……君という人は。本当に、俺の手に負えないな」

「あら、今さらですか? 手綱を握るなら、もっと強く握ってくださいな」

「……ああ、そうさせてもらう」

レオンハルト様が立ち上がり、私を引き寄せた。 机を回り込み、彼の腕の中に閉じ込められる。 硬い胸板と、力強い鼓動。

「……無事でよかった」

彼が私の髪に顔を埋め、震える声で囁いた。

「君を失う夢を、何度も見た。……愛している、クラリス。もう、離したくない」

その言葉は、初めて聞く、彼の心からの愛の告白だった。 契約でも、義務でもない。 一人の男としての、切実な想い。

「……私もです、レオンハルト様」

私は彼の背中に手を回し、強く抱きしめ返した。

外では、再び雪が降り始めていた。 風の音が強くなる。 境界の唸り声のように。 王都の悪意と、北方の脅威。 二つの闇が迫る中、私たちは互いの体温を確かめ合うように、長い口づけを交わした。

つかの間の休息。 けれど、これは終わりの始まりでもあった。 翌朝、私たちを待っていたのは、王都からの新たな、そして最後の「招待状」だったのだ。
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