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第二十三話「王都の裁定:継母資格」
地響きは鳴り止まない。 王城の窓ガラスがビリビリと振動し、シャンデリアが不吉な音を立てて揺れている。 窓の外、北の空を染めるドス黒い紫色は、見る者の根源的な恐怖を呼び覚ます色だった。
「きょ、境界が……崩れた……?」
会場の貴族たちが窓に殺到し、悲鳴を上げる。 それは、エルディア大陸に住む者なら誰もが知る、終末の予兆。 北方の守りが決壊し、魔獣の大群が世界へ溢れ出す悪夢の始まり。
「総員、退避だ! 騎士団は防衛体制を!」
レオンハルト様が、王城の広間に響き渡る声で叫んだ。 もはや審問会などと言っている場合ではない。彼は公爵として、国の守護者として、即座に指揮を執ろうとした。
しかし。
「――待てぇぇぇい!!」
その声を遮ったのは、他ならぬ王太子ルドルフ殿下だった。 彼は顔を真っ赤にし、泡を飛ばさんばかりの勢いで喚き散らした。
「騙されるな! これも演出だ! あの女が、魔術で幻を見せているに決まっている! 空の色を変え、城を揺らすなど、大掛かりな手品で審問を有耶無耶にする気だ!」
正気ではない。 誰もがそう思った。 これほどの規模の魔術を、個人が行使できるはずがない。ましてや、北の空一面を染めるなど、神の御業に等しい。 だが、プライドを粉々にされた殿下は、現実を認めることができなくなっていた。 自分の思い通りにならない現実は、すべて「悪女の小細工」だと信じ込むことで、崩壊寸前の自我を保っているのだ。
「やれ! 暗部! 子供たちを確保しろ! あの女を捕らえろ!」
殿下の狂気じみた命令に、王宮魔術師団の暗部たちが戸惑いながらも動こうとする。 彼らもまた、王命には逆らえない操り人形だ。
「しつこい……!」
レオンハルト様が私と子供たちを庇うように立つ。 剣は抜けない。抜けば反逆罪。 だが、魔法攻撃を受ければ、無防備な子供たちはひとたまりもない。
このままでは、国の危機を前にして、愚かな内輪揉めで消耗するだけだ。 ここで終わらせなければならない。 完全に、徹底的に。
私は、スッと前に出た。 レオンハルト様の背中から離れ、暗部たちの前に、そして狂乱する王太子の前に、無防備な姿を晒す。
「クラリス!」
「大丈夫です、あなた」
私は夫に目配せをし、懐から二つの物を取り出した。 一つは、あの誘拐犯から押収した「薔薇と蛇」の紋章が入った革袋。 もう一つは、セレスが集めてくれた分厚い帳簿の束だ。
「ルドルフ殿下。……いい加減、現実をご覧なさい」
私の声は、地響きの中でも鮮明に響いた。 マイクなど使っていない。ただ、腹の底から出した「母親」のドスが効いた声だ。
「幻? 演出? ……いいえ、これが現実です。そして、こちらの『現実』も直視していただきましょう」
私は革袋を壇上に放り投げた。 チャリッ、と重い音がして、袋の口から金貨と、一通の指令書がこぼれ落ちる。
「それは……!」
リディア様が悲鳴を上げて口元を押さえた。 見覚えがあるはずだ。自分の実家の紋章なのだから。
「先日の私の息子の誘拐未遂事件。その実行犯が持っていた報酬と指令書です。紋章はバーンズ男爵家のもの。……リディア様、あなたの実家ですね?」
「ち、違います! 捏造ですわ! 私の家がそんなことをするはずが……!」
「往生際が悪いですね」
私は冷徹に告げた。
「実行犯たちはすでに我が家の地下牢で全てを白状しました。『王太子妃候補のリディア様のためにやった』と。証言記録もここにあります」
会場がざわつく。 公爵家の子息誘拐。それは重罪だ。 しかも王太子の婚約者の家が関与していたとなれば、スキャンダルどころの話ではない。
「さらに、こちら」
私は帳簿の束を高々と掲げた。
「これは、北方への補給物資――特にポーションの物流記録と、王都の倉庫管理記録の写しです」
「な、なぜそれを……!」
殿下が青ざめる。
「不思議でしたの。なぜ、前線で命を張る騎士たちにポーションが届かないのか。調べてみれば、簡単なことでした。王都の倉庫には山のように備蓄があるのに、『王太子派』の貴族たちが管理するルートだけが、意図的に出荷を止めていたのですから」
私は帳簿を検察官の席に叩きつけた。
「これは横領、および利敵行為です! あなた方は、グレイフ家を困らせたいというくだらない私怨のために、国を守る騎士たちを見殺しにしようとした! これが王族のすることですか!」
私の糾弾は、雷のように会場を打った。 貴族たちが色めき立つ。 「まさか」「国を守る公爵家に対して、そこまで……」「腐っている」
「ち、違う……予は知らぬ! 部下が勝手にやったことだ!」
殿下が狼狽えて後ずさる。 見苦しい。責任転嫁まで始めた。
「知らなかったでは済みません! あなたはトップでしょう!? 任命責任はどうなるのです!」
私は一歩踏み出した。
「あなたは言いましたね。『子供を保護する』と。……笑わせないでください。自分の国の兵士すら守れず、あまつさえ幼子を誘拐の道具に使い、保身のために嘘を重ねる人間に、誰かを保護する資格などありません!」
私の言葉は、法廷の空気を完全に支配した。 誰もが息を呑み、この「悪役令嬢」の気迫に圧倒されていた。 それは、ただの論破ではない。 母として、公爵夫人として、そして一人の人間としての、魂の叫びだった。
「くっ、くそぉぉぉぉ! 黙れ! 黙れ悪女め!」
殿下は完全に理性を失った。 彼は腰の剣を引き抜き、壇上から駆け下りてきた。 私に向かって。
「予を愚弄する者は死刑だ! ここで斬り捨ててやる!」
殺気立った刃が迫る。 レオンハルト様が動くより早い。 暗部たちも虚を突かれて動けない。
だが、私は一歩も動かなかった。 逃げる必要などないからだ。
「――お止めなさい、馬鹿者が!!」
雷鳴のような怒号が、広間を揺るがした。
キィンッ!!
殿下の剣が、横から伸びた杖によって弾き飛ばされた。 金属音が響き、剣が床を転がる。
「う、わっ……!?」
殿下が情けなく尻餅をつく。 その前に立ちはだかったのは、ヴィルヘルミナ夫人。 そして、その後ろからゆっくりと歩み出てきた、威厳ある老紳士――国王陛下その人だった。
「ち、父上……!?」
殿下が震える声で呼ぶ。 国王陛下は、氷のような冷たい目で息子を見下ろした。
「見損なったぞ、ルドルフ。……公爵家の内輪揉めに介入するだけでなく、裏社会を使って子供を攫い、さらには前線への補給を止めていたとはな」
「ご、誤解です! 予は、ただ正義のために……!」
「黙れ!」
陛下の一喝に、殿下は縮こまった。
「すべて聞いていた。そなたの醜態も、クラリス嬢の正論もな。……国の危機に際し、私怨で動く者は王族の資格なし」
陛下は近衛兵に合図を送った。
「ルドルフ、およびリディア嬢を拘束せよ。後ほど、たっぷりと沙汰を下す」
「そ、そんな……いやだ、離せ! 予は王太子だぞ!」 「殿下! 助けて! 私は悪くありませんわ!」
二人は無様に抵抗しながら、広間から引きずり出されていった。 その姿に、同情する者は誰もいなかった。 かつて私を「悪役令嬢」として追放した彼らが、今度は自らが「悪役」として舞台から退場させられたのだ。 なんという皮肉だろうか。
静寂が戻る。 しかし、地響きはまだ続いている。
国王陛下は、私たちの方へ向き直った。 その表情は厳しく、しかし深い謝罪の色が浮かんでいた。
「……レオンハルト、そしてクラリス嬢。愚息が迷惑をかけた。王として、父として詫びる」
「もったいないお言葉です、陛下」
レオンハルト様が頭を下げる。私もそれに倣う。
「詫びは後だ。今は……事態が切迫している」
陛下は窓の外、紫色の空を指差した。
「北方の『裂け目』が、完全に崩壊したとの報が入った。魔獣の大群が、グレイフ領へ向かっているそうだ」
「……っ」
予想はしていた。 けれど、決定的な言葉として聞かされると、心臓が凍りつく。 グレイフ領。 私たちの屋敷。 あそこには、多くの使用人たちが、領民たちがいる。
「レオンハルト。直ちに領地へ戻り、防衛の指揮を執れ。王軍もすぐに派遣するが、初動はそなたたちにかかっている」
「はっ! 承知いたしました!」
レオンハルト様が即答する。 そして、彼は私を見た。 その瞳には、迷いがあった。 戦場へ行く。それは当然だ。 だが、妻と子供たちを、どうするか。
「クラリス。君たちはここに……」
「いいえ」
私は食い気味に否定した。
「帰ります。私たちの家へ」
「だが、戦場になるんだぞ!?」
「だからこそです!」
私は彼の腕を掴んだ。
「屋敷には、私が手塩にかけて育てた薬草があります。備蓄もあります。何より、領民たちが不安に震えている時に、領主の家族が王都でぬくぬくとしているわけにはいきません!」
私は振り返り、子供たちを見た。
「あなたたちはどうしますか? ここに残りますか?」
問いかけるまでもなかった。 アルフォンス様はすでに拳を握りしめ、頷いていた。
「帰ります。僕は次期当主です。領民を見捨てるなんてできません」
「私もよ! 私の大事なドレスを縫ってくれたあの部屋を、魔獣になんか渡さない!」 ミレイユ様も強気だ。
「ぼくも、かえる。……おうまさん、はやくはしらせて!」 ノア様も、小さな足を踏ん張っている。
誰も、逃げようとはしなかった。 私たちは、すでに一つのチームだった。
「……分かった」
レオンハルト様は、痛いくらいに強く私の肩を抱いた。
「行こう。俺たちの家を守りに」
「はい!」
国王陛下が、感嘆したように頷いた。
「見事だ。……グレイフ公爵家、武運を祈る」
私たちは王城を後にした。 勝訴の余韻に浸る暇はない。 馬車に飛び乗り、御者に鞭を入れさせる。
「急げ! 全速力だ!」
馬車が石畳を蹴って走り出す。 背後で遠ざかる王都の華やかな街並み。 前方には、どす黒い雲が渦巻く北の空。
ここからが、本当の戦いだ。 ルドルフ殿下との戦いは、前座に過ぎなかった。 世界を飲み込もうとする闇に対し、私たちは家族の絆という小さな灯火だけで立ち向かわなければならない。
馬車の中で、私は震える子供たちを抱き寄せた。 手袋をした左手で、ノア様の背中をさする。 右手で、ミレイユ様の手を握る。 アルフォンス様は、膝の上で短剣(護身用にレオンハルト様から渡されたもの)を握りしめている。
「大丈夫。パパがいるわ。ママがいるわ」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。 その時、窓の外でピカッと閃光が走った。 雷ではない。 裂け目から放たれた、魔力の奔流だ。
「……近い」
レオンハルト様が窓の外を睨み、呟く。
「急がなければ……屋敷が飲み込まれる」
「きょ、境界が……崩れた……?」
会場の貴族たちが窓に殺到し、悲鳴を上げる。 それは、エルディア大陸に住む者なら誰もが知る、終末の予兆。 北方の守りが決壊し、魔獣の大群が世界へ溢れ出す悪夢の始まり。
「総員、退避だ! 騎士団は防衛体制を!」
レオンハルト様が、王城の広間に響き渡る声で叫んだ。 もはや審問会などと言っている場合ではない。彼は公爵として、国の守護者として、即座に指揮を執ろうとした。
しかし。
「――待てぇぇぇい!!」
その声を遮ったのは、他ならぬ王太子ルドルフ殿下だった。 彼は顔を真っ赤にし、泡を飛ばさんばかりの勢いで喚き散らした。
「騙されるな! これも演出だ! あの女が、魔術で幻を見せているに決まっている! 空の色を変え、城を揺らすなど、大掛かりな手品で審問を有耶無耶にする気だ!」
正気ではない。 誰もがそう思った。 これほどの規模の魔術を、個人が行使できるはずがない。ましてや、北の空一面を染めるなど、神の御業に等しい。 だが、プライドを粉々にされた殿下は、現実を認めることができなくなっていた。 自分の思い通りにならない現実は、すべて「悪女の小細工」だと信じ込むことで、崩壊寸前の自我を保っているのだ。
「やれ! 暗部! 子供たちを確保しろ! あの女を捕らえろ!」
殿下の狂気じみた命令に、王宮魔術師団の暗部たちが戸惑いながらも動こうとする。 彼らもまた、王命には逆らえない操り人形だ。
「しつこい……!」
レオンハルト様が私と子供たちを庇うように立つ。 剣は抜けない。抜けば反逆罪。 だが、魔法攻撃を受ければ、無防備な子供たちはひとたまりもない。
このままでは、国の危機を前にして、愚かな内輪揉めで消耗するだけだ。 ここで終わらせなければならない。 完全に、徹底的に。
私は、スッと前に出た。 レオンハルト様の背中から離れ、暗部たちの前に、そして狂乱する王太子の前に、無防備な姿を晒す。
「クラリス!」
「大丈夫です、あなた」
私は夫に目配せをし、懐から二つの物を取り出した。 一つは、あの誘拐犯から押収した「薔薇と蛇」の紋章が入った革袋。 もう一つは、セレスが集めてくれた分厚い帳簿の束だ。
「ルドルフ殿下。……いい加減、現実をご覧なさい」
私の声は、地響きの中でも鮮明に響いた。 マイクなど使っていない。ただ、腹の底から出した「母親」のドスが効いた声だ。
「幻? 演出? ……いいえ、これが現実です。そして、こちらの『現実』も直視していただきましょう」
私は革袋を壇上に放り投げた。 チャリッ、と重い音がして、袋の口から金貨と、一通の指令書がこぼれ落ちる。
「それは……!」
リディア様が悲鳴を上げて口元を押さえた。 見覚えがあるはずだ。自分の実家の紋章なのだから。
「先日の私の息子の誘拐未遂事件。その実行犯が持っていた報酬と指令書です。紋章はバーンズ男爵家のもの。……リディア様、あなたの実家ですね?」
「ち、違います! 捏造ですわ! 私の家がそんなことをするはずが……!」
「往生際が悪いですね」
私は冷徹に告げた。
「実行犯たちはすでに我が家の地下牢で全てを白状しました。『王太子妃候補のリディア様のためにやった』と。証言記録もここにあります」
会場がざわつく。 公爵家の子息誘拐。それは重罪だ。 しかも王太子の婚約者の家が関与していたとなれば、スキャンダルどころの話ではない。
「さらに、こちら」
私は帳簿の束を高々と掲げた。
「これは、北方への補給物資――特にポーションの物流記録と、王都の倉庫管理記録の写しです」
「な、なぜそれを……!」
殿下が青ざめる。
「不思議でしたの。なぜ、前線で命を張る騎士たちにポーションが届かないのか。調べてみれば、簡単なことでした。王都の倉庫には山のように備蓄があるのに、『王太子派』の貴族たちが管理するルートだけが、意図的に出荷を止めていたのですから」
私は帳簿を検察官の席に叩きつけた。
「これは横領、および利敵行為です! あなた方は、グレイフ家を困らせたいというくだらない私怨のために、国を守る騎士たちを見殺しにしようとした! これが王族のすることですか!」
私の糾弾は、雷のように会場を打った。 貴族たちが色めき立つ。 「まさか」「国を守る公爵家に対して、そこまで……」「腐っている」
「ち、違う……予は知らぬ! 部下が勝手にやったことだ!」
殿下が狼狽えて後ずさる。 見苦しい。責任転嫁まで始めた。
「知らなかったでは済みません! あなたはトップでしょう!? 任命責任はどうなるのです!」
私は一歩踏み出した。
「あなたは言いましたね。『子供を保護する』と。……笑わせないでください。自分の国の兵士すら守れず、あまつさえ幼子を誘拐の道具に使い、保身のために嘘を重ねる人間に、誰かを保護する資格などありません!」
私の言葉は、法廷の空気を完全に支配した。 誰もが息を呑み、この「悪役令嬢」の気迫に圧倒されていた。 それは、ただの論破ではない。 母として、公爵夫人として、そして一人の人間としての、魂の叫びだった。
「くっ、くそぉぉぉぉ! 黙れ! 黙れ悪女め!」
殿下は完全に理性を失った。 彼は腰の剣を引き抜き、壇上から駆け下りてきた。 私に向かって。
「予を愚弄する者は死刑だ! ここで斬り捨ててやる!」
殺気立った刃が迫る。 レオンハルト様が動くより早い。 暗部たちも虚を突かれて動けない。
だが、私は一歩も動かなかった。 逃げる必要などないからだ。
「――お止めなさい、馬鹿者が!!」
雷鳴のような怒号が、広間を揺るがした。
キィンッ!!
殿下の剣が、横から伸びた杖によって弾き飛ばされた。 金属音が響き、剣が床を転がる。
「う、わっ……!?」
殿下が情けなく尻餅をつく。 その前に立ちはだかったのは、ヴィルヘルミナ夫人。 そして、その後ろからゆっくりと歩み出てきた、威厳ある老紳士――国王陛下その人だった。
「ち、父上……!?」
殿下が震える声で呼ぶ。 国王陛下は、氷のような冷たい目で息子を見下ろした。
「見損なったぞ、ルドルフ。……公爵家の内輪揉めに介入するだけでなく、裏社会を使って子供を攫い、さらには前線への補給を止めていたとはな」
「ご、誤解です! 予は、ただ正義のために……!」
「黙れ!」
陛下の一喝に、殿下は縮こまった。
「すべて聞いていた。そなたの醜態も、クラリス嬢の正論もな。……国の危機に際し、私怨で動く者は王族の資格なし」
陛下は近衛兵に合図を送った。
「ルドルフ、およびリディア嬢を拘束せよ。後ほど、たっぷりと沙汰を下す」
「そ、そんな……いやだ、離せ! 予は王太子だぞ!」 「殿下! 助けて! 私は悪くありませんわ!」
二人は無様に抵抗しながら、広間から引きずり出されていった。 その姿に、同情する者は誰もいなかった。 かつて私を「悪役令嬢」として追放した彼らが、今度は自らが「悪役」として舞台から退場させられたのだ。 なんという皮肉だろうか。
静寂が戻る。 しかし、地響きはまだ続いている。
国王陛下は、私たちの方へ向き直った。 その表情は厳しく、しかし深い謝罪の色が浮かんでいた。
「……レオンハルト、そしてクラリス嬢。愚息が迷惑をかけた。王として、父として詫びる」
「もったいないお言葉です、陛下」
レオンハルト様が頭を下げる。私もそれに倣う。
「詫びは後だ。今は……事態が切迫している」
陛下は窓の外、紫色の空を指差した。
「北方の『裂け目』が、完全に崩壊したとの報が入った。魔獣の大群が、グレイフ領へ向かっているそうだ」
「……っ」
予想はしていた。 けれど、決定的な言葉として聞かされると、心臓が凍りつく。 グレイフ領。 私たちの屋敷。 あそこには、多くの使用人たちが、領民たちがいる。
「レオンハルト。直ちに領地へ戻り、防衛の指揮を執れ。王軍もすぐに派遣するが、初動はそなたたちにかかっている」
「はっ! 承知いたしました!」
レオンハルト様が即答する。 そして、彼は私を見た。 その瞳には、迷いがあった。 戦場へ行く。それは当然だ。 だが、妻と子供たちを、どうするか。
「クラリス。君たちはここに……」
「いいえ」
私は食い気味に否定した。
「帰ります。私たちの家へ」
「だが、戦場になるんだぞ!?」
「だからこそです!」
私は彼の腕を掴んだ。
「屋敷には、私が手塩にかけて育てた薬草があります。備蓄もあります。何より、領民たちが不安に震えている時に、領主の家族が王都でぬくぬくとしているわけにはいきません!」
私は振り返り、子供たちを見た。
「あなたたちはどうしますか? ここに残りますか?」
問いかけるまでもなかった。 アルフォンス様はすでに拳を握りしめ、頷いていた。
「帰ります。僕は次期当主です。領民を見捨てるなんてできません」
「私もよ! 私の大事なドレスを縫ってくれたあの部屋を、魔獣になんか渡さない!」 ミレイユ様も強気だ。
「ぼくも、かえる。……おうまさん、はやくはしらせて!」 ノア様も、小さな足を踏ん張っている。
誰も、逃げようとはしなかった。 私たちは、すでに一つのチームだった。
「……分かった」
レオンハルト様は、痛いくらいに強く私の肩を抱いた。
「行こう。俺たちの家を守りに」
「はい!」
国王陛下が、感嘆したように頷いた。
「見事だ。……グレイフ公爵家、武運を祈る」
私たちは王城を後にした。 勝訴の余韻に浸る暇はない。 馬車に飛び乗り、御者に鞭を入れさせる。
「急げ! 全速力だ!」
馬車が石畳を蹴って走り出す。 背後で遠ざかる王都の華やかな街並み。 前方には、どす黒い雲が渦巻く北の空。
ここからが、本当の戦いだ。 ルドルフ殿下との戦いは、前座に過ぎなかった。 世界を飲み込もうとする闇に対し、私たちは家族の絆という小さな灯火だけで立ち向かわなければならない。
馬車の中で、私は震える子供たちを抱き寄せた。 手袋をした左手で、ノア様の背中をさする。 右手で、ミレイユ様の手を握る。 アルフォンス様は、膝の上で短剣(護身用にレオンハルト様から渡されたもの)を握りしめている。
「大丈夫。パパがいるわ。ママがいるわ」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。 その時、窓の外でピカッと閃光が走った。 雷ではない。 裂け目から放たれた、魔力の奔流だ。
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