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第一部 お見合い編
14 (第一部、終わり)
しおりを挟む番契約を終え、見合いから三ヶ月のその日、とうとう結婚式を迎えた。
花嫁の立場であるニコルは、白い礼服を着て、花嫁の準備室でぽつんと一人で呼ばれるのを待っている。女と違い、ドレスなど着ないのでそれほど支度に時間はとられない。それでも、結婚式にふさわしく、豪華な白い服を着ている。
サークレットと呼べばいいのか、額に大振りのアメジストがついた、水晶を編み込んだ頭飾りをつけていて、頭半分から後ろに向けてベールが垂れている。体にぴったりとした、ワンピースのような白い長衣を纏い、背についている紋様からは、青い紗が伸びて中指の紐でとまっている。
まるで踊り子のようだが、中性的なニコルの魅力を綺麗に引きだしている衣装だ。顔にはおしろいをして、目元に薄らと朱をはいている。
着付けをしてくれたレインなんて、よく似合うと大絶賛した後、「これで嫁入りか」と泣きだしたので、今は顔を洗いに行っていた。
(侯爵家の衣装監督ってすごいな)
誰だこれはと思いながら、ニコルは鏡に映る姿をまじまじと眺める。
この三ヶ月で、鉄錆みたいな赤茶色の髪は少し伸びている。癖毛なので、整えるのに少し時間がかかったが、ブラッドリーが気に入って伸ばせというから伸ばしている途中だ。
水に濡れたり光が当たったりすると、髪が赤銅に輝いて綺麗なのだと、ブラッドリーは言う。寝屋で汗をかいている時なんて、特にたまらないとか。
寝室事情を思い出して、ニコルは少し顔を赤らめる。変な気分になりそうになり、首を振って追い散らす。
ブラッドリーは良い人だ。例え彼が魔力安定剤としてニコルを大事にしているのだとしても、ニコルはそれで構わない。
その時、キィと扉が開いて、淡いコーラル色のドレスに身を包んだアマースト侯爵夫人が現われた。焦げ茶色の髪を隙なく結い上げ、切れ長の緑の目がニコルをじっと見つめる。ニコルは椅子を立ってお辞儀をした。
「侯爵夫人、どうかなさいましたか」
「その呼び方はおやめなさい」
「では」
お義母様が妥当か。だが、ニコルが呼ぶ前に、侯爵夫人は違うことを言った。
「奥様よ」
「はい、奥様」
それではまるで、使用人が呼ぶみたいに他人行儀だなと、ニコルは少し違和感を抱いた。しかしこの女性の厳格な空気が苦手で、口ごたえをするという考えは浮かばない。彼女とは波風立てずに上手くやっていきたいから、言う通りにしよう。
「式の前に、あなたにお話があるのです」
「はい、なんでしょうか」
客用のテーブルセットがあるので、ニコルは侯爵夫人をそちらに案内する。互いに椅子につくと、侯爵夫人は鷹のような目で、ニコルをじっと見つめる。
この瞬間、ニコルは逃げ出したくなる。そうでなければ、ネズミのように食い殺されるような気がして。
侯爵は無表情ながら優しいが、侯爵夫人はいまだにとらえどころがない。感謝を口にしても、目の奥が笑っていないので、本音がどこにあるのか分からないのだ。底が見えなくて恐ろしい。
「魔法使いにとって、運命の番がどれだけ大事な存在か、ご存知?」
侯爵夫人が切り出した言葉に、ニコルは頷いた。
「ええ、存じております」
「話が早くて助かりますわ。あなたが息子の魔力安定役を務めてくれていることは、わたくしも感謝しています。ですが、アマースト家は特殊な立場であることを忘れないで欲しいのです。強い魔法使いであること、それが壁公の――竜を阻む南の壁公の一番の務め」
ニコルは無言のまま頷いた。
壁公としてのお役目がどれだけ大事なものか、ニコルも充分に理解しているつもりだが、侯爵夫人の望みがよく分からず、そのまま続きを待つ。
「結婚後、もしブラッドリーに運命の番が現われたら、あなたには身を引いて頂きたいのです」
「奥様、しかし」
「支援は最後までします、安心なさい。その時、あなたが望むなら、静かに暮らせる環境も用意します。いいですか、もし運命の番が現われたら、わたくしはその相手を屋敷に入れます。そして、あの子の正妻と認めるでしょう」
ニコルは侯爵夫人を見つめる。
つまり、ニコルの役目は、それまでのつなぎということだ。
「あなたの家は、この婚約での十分な見返りは得ているはず。受け入れてくださいますね?」
質問のていをとっているが、実質は決定事項の確認だ。
侯爵家の支援に助けられているのは事実なので、ニコルに拒否権はない。
「……畏まりました。この恩は忘れません。ブラッドリー様を助けると誓います」
「よろしく頼みましたよ」
侯爵夫人は淡く微笑んだ。彼女がニコルに向けた、初めての心からの笑みだった。
侯爵夫人が出て行った後、ニコルはぼんやりと椅子に座っていた。
やっぱり政略結婚は甘くはない。
そこへ、盛装したブラッドリーが顔を出す。白い上衣の上から、灰色の胴着の襟がのぞいている。全面と背面には銀糸でドラゴンの紋章が縫われていた。水晶やアメジストの首飾りを付けており、堂々とした男ぶりが魅力的だ。ズボンや革靴も白く、ほどよく銀糸の模様が入っている。
「ニコ、我慢できなくて見に来てしまった。ああ、その格好もよく似合っているな」
表情は変わらないのに、足取りが軽やかで浮かれているらしい。ブラッドリーはニコルの傍まで来て、顔を覗き込む。
「どうした? 気分が悪いのか?」
この様子、ブラッドリーはニコルが侯爵夫人と話していたことを知らないのだろうか。
「いえ、独身最後の時間だなと考えていたんです」
ニコルがそう誤魔化した瞬間、ブラッドリーがニコルに口付ける。
「なっ、これから式なのに」
「ははっ、元気が出たか? 私は君とキスをすると、元気になるんだが」
「まったくもう……」
そんなふうに言われると、照れるではないか。
「ブラッドリー様、やっぱりここにいた! 新郎は中で待つんですよ。花嫁に会いに来てどうするんですか」
「悪かったよ。――ではな、可愛い人。また後で」
ブラッドリーはニコルの額にキスを落とす。そして、名残惜しげにこちらを振り返りながら、ピリピリしている使用人について部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋で、ニコルは唇に手で触れ、それから胸を押さえる。
「……なんだか苦しい」
いつか、君とさよならをする。
その日を思うと、息が詰まるようだった。
第一部、終わり。第二部へ続く。
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